第4部(4) モナドノック渓谷保養地詐欺事件

仕事の依頼は続いていた。だから、その年一九三五年の夏、モナドノック渓谷保養地が完成しても、ロークには、未来に何が待っているか気にかける暇もなかった。

しかし、スティーヴン・マロリーは心配していた。

「ハワード、なんで宣伝しないのかな?せっかく完成したのに、会社はうんともすんとも言わないじゃないか。急になんでかな?あんただって、気がついているだろう?あれほど一大プロジェクトだとか宣伝していたのに。あれほど鳴り物入りで、あちこちに発表していたのに。あそこの建設が始まるまではそうだったのに。工事が進行するにつれて、会社の方はだんだん静かになっていったよな。どうなっているんだ?ブラッドレイとかいう奴と会社は、だんまりを決め込んでしまっている。今頃は、もう新聞や雑誌に大騒ぎで宣伝しているはずだろう?なのに、どうして?」

ロークは答える・

「僕にはわからんよ。僕は建築家で不動産屋じゃない。なんで君はそんな心配をする?僕たちはちゃんとやってのけた。あとのことは、連中が連中の流儀でやればいい」

「奇妙(きみょう)奇天烈(きてれつ)なんだよ。会社が出している広告を見たか?地味なぱっとしない広告だけど、連中も少しは宣伝している。あんたが連中に言ったとおりのことを広告に掲げてはいる。休息だの安らぎだの、プライヴァシーだのとかさ。しかし、その言い方ときたら!あんな広告を出して効果があるのか?どういうつもりだ?『モナドノック渓谷にいらっしゃい!死ぬほど退屈しますよ!』だってさ。これじゃあ、まるであの谷に誰も来させまいとしているようじゃないか」

「スティーヴ、僕は広告を見ていない」

しかし、そんな気のない宣伝活動にも関わらず、モナドノック渓谷保養地が公開されてから一ヶ月もしないうちに、そこの別荘は全部借り手がついた。

この保養地にやって来た避暑客たちは一様ではなかった。奇妙に様々な人々であった。もっと高級で流行の避暑地に行こうと思えば行けるような社交界でも名を知られた男女がいるかと思えば、若い作家たちもいた。まだ無名の画家たちもいたし、技師もいた。新聞記者もいれば、工場労働者もいた。

自然発生的に、突如として、人々はモナドノック渓谷保養地について噂をしあうようになった。確かに、その種の保養地は必要とされていた。しかし、今まで誰一人として、その必要を満たそうと試みたことはなかったのだ。

みんなが欲しがっていたが、しかし実現されていなかった保養地ができたという事実はニュースになった。このニュースは口コミで人に伝わっていった。新聞がそのことを報道することはなかった。ブラッドレイ氏は、新聞やマスコミ宣伝用の人間を雇っていなかったし、彼のみならず彼の会社の他の重役たちは、公の場から完璧に消えうせていた。

それでも、ある雑誌が、頼まれたわけでもないのに、このモナドノック渓谷保養地について四ページに渡る写真つきで報じた。ハワード・ロークのところにインタヴューをしに記者がやって来た。その年の夏の終わりまでには、この保養地の別荘の全部に来年の夏用に借りる予約が入れられた。

十月にはいったある日の早朝のことだった。ロークの設計事務所の面接室のドアが大きく開かれ、スティーヴン・マロリーが飛び込んできて、まっすぐロークの仕事場に入ろうとした。秘書はマロリーを止めようとした。ロークは仕事中だったし、仕事中にはどんな中断も彼は許さなかったからである。

しかし、マロリーは秘書を押しのけ、ロークの仕事場に入り込み、ドアをバタンと強く閉めてしまった。秘書にわかったのは、マロリーが手に新聞を持っていたということだけだった。

ロークは、製図台から顔を上げ、マロリーをちらりと見上げ、鉛筆を落とす。ロークにはわかった。今のマロリーの顔には、あのエルスワース・トゥーイーを撃ったときの顔と同じような表情が浮かんでいるのだ、きっと。

「もう、ハワード、なんであんたがモナドノック渓谷保養地の仕事を任されたのか、知りたくないか?」

スティーヴン・マロリーは、手に持っていた新聞を製図台の上に放り投げる。ロークには、新聞の三ページ目に載っていた記事の見出しが見える。「ケイレブ・ブラッドレイ逮捕」と、そこには書かれてある。

「そこに理由が書いてあるよ。でも、ハワード、あんたは読まないほうがいい。気分が悪くなる」

「わかったよ、スティーヴ。で、理由は何だ?」

「連中は、あそこを二百パーセントも売ったんだ」

「連中って?何を二百パーセントだって?」

「ブラッドレイとそいつの仲間が、だよ。モナドノック渓谷保養地を、だ」マロリーの話し方は、無理にそうせざるをえないような、悪意のこもった苦々(にがにが)

しい、自分を苛めているように響くような、極端に簡潔なものだった。

「あいつら、最初からあそこのことを無価値だと考えていた。あいつらは、あの土地を実際にはタダで手に入れた。あいつら、あそこが保養地になるなんて思ってもみなかった。幹線道路からはずれているし、バスは通ってないし、近所に映画館があるわけでもないし。不景気で今はそういう時期じゃないし。人々があんな保養地に行くはずないとあいつらは思っていた。なのに、あいつら大騒ぎして、あそこの株を金持ち連中に売りまくった。ところが、それはとんでもない詐欺だった。あいつら、あの保養地の株の二倍も売りまくった。あそこの建設費用の二倍の金をあいつらは手にした。あの保養地が失敗するとあいつらは確信していた。いや、失敗して倒産してもらいたかったんだ。株主たちに配当する利益が得られるなんて、予想していなかったんだ、あいつらは。あの保養地が倒産して閉鎖したら、どう退却するかその素晴らしい手はずまで用意していたんだ、あいつらは。あらゆる事態に備えていた。ただあの保養地に人気が出て成功するということだけは予想外だったんだ。しかし、結局、連中は思惑(おもわく)通りに事が運べなくなった。なぜならば、あそこの保養地に人気が出てしまったから。毎年あそこが出す利益の二倍を株主たちに支払わなければならないはめになったから。二百パーセントも売ってしまっていたから。あそこの保養地は大成功で、すごく儲かっている。あいつらは、絶対に失敗するように手配したと思っていたのに、成功してしまった。つまり、わかるか?ハワード、あいつらは、あんたを最高に最低の建築家だと判断したから、あそこの設計を任せたんだ。いい設計ができっこないと踏んだから任せたんだ」

ロークは、頭をのけぞらせて爆笑した。

「まったく、ちくしょう!ハワード、笑い事じゃないだろう!」

「スティーヴ、まあ座れよ。身体を震わせるのやめろよ。血まみれのばらばら死体がいっぱい散らばった戦場を見たような顔しているじゃないか」

「だって、それを見たんだよ、俺は。いや、もっとひどいものを見たんだ。そういう無残(むざん)な死体だらけの戦場を可能にしてしまうようなものを見たんだ。世間の馬鹿どもは、何をもってして恐怖と呼ぶんだ?戦争か?殺人か?火事とか地震か?そんなもん、どうってことはないんだよ!これこそ、まさしく恐怖ってもんだ。この新聞に載っているこの話こそが。これこそ、人間が恐れ戦うべきものだ。大声をあげて非難し、史上最悪の恥辱だと呼ぶべきものだ。ハワード、俺はいつもこの世の中の悪がどうして生まれるのかその理由について、ありとあらゆる理由について考えている。歴史を通じて、そういった悪にどんな対策がたてられてきたかについても考えている。その対策はなにひとつ効果がなかった。いろいろ考えても本当の理由がわからない。悪を治す策もわからない。しかし、悪の根源というものは、つまり前にあんたに話したことがあるだろう?例のよだれをたらしている野獣だ。その野獣はここにいる。この新聞記事の中に生きているんだ、ハワード。この連中の中に生きている。ハワード、あのモナドノック渓谷保養地のこと考えろよ。目を閉じて思い浮かべろよ。それから、あそこを注文して依頼した連中が、かつてないほど最低最悪なものを建てることができると信じたのだということを考えてみろよ。ハワード、あんたの最高の仕事を、汚い冗談として与えられたとしたら、この世界には何か間違ったところがあるんだ。恐ろしく間違った何かがこの世界には実在するんだ!」

「そういうふうに考えるのをやめたらどうだ?世界と僕について、そういうふうに考えるのは。いつになったら、君はそういう思考法を忘れることを学ぶのかなあ?いつになったら、ドミニクも・・・」

ロークは言いかけて口をつぐむ。ここ五年間ほど、互いに互いのいるところで、ドミニクの名前を口に出すことはなかった。ロークはマロリーの目を見る。自分を一心に見守る瞳だ。衝撃を受けている瞳だ。

マロリーは、自分が言ったことがロークを傷つけたと知った。世界にある悪の実在の容認をロークに強いてしまうぐらいに、彼を傷つけたということがわかった。しかし、ロークはマロリーに向き直り、ゆっくりとこう言った。

「ドミニクも、君のような考え方をしていたよ、いつも」

マロリーはロークの過去について、自分の推測を口に出したことは一度もない。ロークとマロリーの間にある沈黙は、いつもマロリーはちゃんと理解しているということを示唆していた。マロリーが理解していることをロークもちゃんとわかっていて、だからいちいち話し合うことはないのだということも、示唆していた。しかし、今あえてマロリーはロークに訊ねる。

「あんた、彼女が戻って来るのを待っているのかい?彼女は、ゲイル・ワイナンドの御令室なんだぜ。彼女なんかどうでもいいじゃないか!」

ロークは、声を荒立てもせずに言う。

「スティーヴ、黙れよ」

「ごめん」と、マロリーは小さな声で謝る。

ロークは、製図台に座り言う。声は平常どおりだ。

「スティーヴ、帰ってくれよ。ブラッドレイのことは忘れろよ。また訴訟沙汰になるんだろうが、今度は僕たちが法廷に引っ張られることはない。あの保養地が破壊されることもない。忘れろよ。帰ってくれよ。僕は仕事があるんだ」

ロークは、肘で製図台から新聞を払い落とす。それから何枚かの製図用紙に向かって背をかがめる。

モナドノック渓谷保養地の背後にあった不正な金儲けの方法が明るみに出たことで、そのスキャンダルは大いに世間を騒がせた。裁判もあったし、被告のうち数人は刑務所送りになった。株主たちに対して、モナドノック渓谷保養地の新たな管財人も置かれた。

しかし、ロークは一連のこの騒ぎにいっさい関与しなかった。彼は忙しかったし、新聞を読んで裁判の結果を知るような時間もなかった。ブラッドレイ氏は、仲間たちに認めざるをえなかった。馬鹿馬鹿しくも狂った、全く社会に受け入れられないような設計の夏の保養地を予想していたのに、結果としてそれが成功してしまったのは、全く自分が馬鹿であったと。彼は愚痴った。

「やれるだけのことをしたのになあ。一番の馬鹿を探して設計させたのに」

それから、オースティン・ヘラーがハワード・ロークとモナドノック渓谷保養地に関する文章を発表した。ヘラーは、ロークが今まで手がけた建物全部に関して論じた。ロークがその建物の構造の中にこめた思想を語った。それらの言葉は、いつものヘラーの平静な言葉使いとは違わざるをえなかった。

「ハワード・ロークの仕事が示した偉大さが詐欺行為を通して我々に伝えられたとは、まったくもってこんな世界は呪われてあれ!」

ヘラーの言葉には、感嘆と憤怒(ふんぬ)の両方が混じった激しい叫びがこめられていた。ヘラーの書いた記事は、芸術界で激しい論争を引き起こした。

「ハワード、あんた有名だな」

マロリーがある日、こう言った。ロークの仕事場に飛び込んできた日から数ヶ月が経過していた。

「うん、そうみたいだな」

「世間の連中の四分の三は何が起きているのかわかってやしない。でも、残りの四分の一の連中は、あんたの名前をめぐって喧々諤々(けんけんがくがく)やっている。だから、今じゃ、あいつらは、あんたの名前を発音するときは敬意をこめなければならないと感じてる。世間の四分の一のうちの十分の四の連中は、あんたを憎んでいる。十分の三の連中は、論争が起きたら、どんな問題にせよ、何やかやと意見を言わないと気がすまない。十分の二の連中は、後生安全にふるまって、どんな「発見」とやらも大歓迎する。で、残りの十分の一の人間だけが、状況と物事を理解している。しかしだ、ともかく世間の連中は、ハワード・ロークという人間が存在して、その人間は建築家だと突然発見したのさ。アメリカ建築家協会の会報が、あんたのことを偉大ではあるが手に負えない才能の持ち主と書いていたぜ。未来の博物館は美しいガラスケースに、モナドノック渓谷保養地とエンライト・ハウスとコード・ビルとホテル・アクイタニアの写真を陳列するだろうって書いていた。ゴードン・L・プレスコットの次の部屋にだってさ。そんなんではさあ・・・しかし、まあ、それでも俺は嬉しいよ」

ケント・ランスィングがある晩言った。

「ヘラーは大したことをしたな。ハワード、ヘラーみたいに、世間と君の仲立ちをしてくれる人間を通俗だなどと軽蔑しちゃあいけないぞ。そういう人間は必要なのさ。誰かが、ちゃんと世間に言わなければならない。どんな仕事にせよ、偉大なキャリアを作るには、ふたりの人間が必要だ。偉大な人間と、その偉大さを評価することができるぐらい偉大で、それをちゃんと公に発言できる人間さ。まあ、めったにいないけれどもね」

エルスワース・トゥーイーは、またもや意味不明なことをコラムに書き、読者を騙していた。

「この途方もなく馬鹿げた雑音の全てにある逆説は、ケイレブ・ブラッドレイ氏こそ壮大なる不正の犠牲者であるという事実である。彼の倫理は世の指弾(しだん)にさらされて当然のものではある。しかるに彼の美意識は申し分ない。ブラッドレイ氏は、建築の価値という面においては、かのオースティン・ヘラー氏より健全なる判断を示した。ケイレブ・ブラッドレイ氏はモナドノック渓谷保養地を借りた人々の悪趣味に殉教したのである。ブラッドレイ氏の刑は、彼の芸術を見る目の確かさという面から、変えられるべきものであったと、本コラムは考える。モナドノック渓谷保養地は詐欺である。しかし、それは単なる株をめぐる金銭的詐欺ではない」

設計を建築家に依頼し、多額の設計料を建築家に確実に支払えるような富裕で手堅い紳士たちの間には、ロークの突如の名声に対する反応はほとんどなかった。彼らは、かつてこう言ったものだ。

「ローク?聞いたことがありませんね」

しかし、いまや彼らはこう言う。

「ローク?あまりに人騒がせではありませんか」

しかし、中には、金を稼ぎたくなかった所有者に金を稼がせてしまった保養地を設計したのがロークだという単純な事実に感銘を受けた人々もいた。抽象的な建築に関する議論より、こっちの事実の方にはるかに説得力があった。その事実のすごさというものを理解できた人間、マロリー言うところの「わかっている十分の一」の人間はいたのである。

モナドノック渓谷保養地の仕事が終わった次の年、ロークはコネティカットに個人の私邸の設計をふたつ任された。シカゴの映画館も設計した。フィラデルフィアではホテルを手がけた。

(第4部4 超訳おわり)

(訳者コメント)

ロークが設計した中産階級のための貸別荘地は、ろくに宣伝もされなかったのに、来年の夏の予約も入るほどの人気を呼んだ。

口コミで人気を呼んだ。

設計したローク自身が借りたぐらい居心地の良い貸別荘地なのだ。

しかし、ほんとは、かき集めた株主から資金を募り、建てたはいいが利益が出ませんでした〜〜配当はありません〜〜と、最初から株主を騙し、株主から得た資金を持って逃げるために建てた別荘地だったのだ、そこは。

それも200%も株を売りつけていたのだ。

ただし、今回はロークも設計図全部に雇用者の署名をさせて危機管理しておいた。

ロークは詐欺には一切関与せず、ただ雇用されて設計しただけなので、罪には問われなかった。

かえって、雇用主はダメ保養地のつもりで作らせたのに、それを大人気保養地にしてしまった建築家ということで、ロークは注目されてしまう。

この最初から失敗とわかっていて株主を募り、集めた資金をパクって逃げる詐欺事件というネタは、2002年にニューヨークのブロードウェイの演劇でトニー賞を獲得したThe Producersというミュージカルでも使われていた。

私は、このミュージカルを2001年にプレヴュー(試しに上演)で見たが、上演終了後の観客全員スタンディング・オベイションがすごかった。

受けに受けまくって、チケットを入手するのが大変な大ヒットミュージカルとなった。

このミュージカルは映画化もされた。

馬鹿げた差別ネタ満載ミュージカルが予想外に受けてしまって、詐欺で逮捕される演劇プロデューサー2人のうちのひとりを、マシュー・ブロデリックが演じていた。

この制作脚本から俳優までユダヤ系アメリカ人総動員のミュージカルは、おそらく、アイン・ランドのこの小説のこの詐欺事件からヒントを得たに違いない。

と、私は思っている。

ニューヨークのユダヤ人でアイン・ランドを読んでいないインテリなんて、ありえないから。

アメリカのサブカルチャーにおけるアイン・ランドの影響は大きい。

なんか、この映画とか小説はアイン・ランドくさいなあ……と思って調べると、ちゃんとアメリカ人が同じことを思い分析している記事が見つかる。

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