新聞社を手に入れたゲイル・ワイナンドが最初にしたことは、社屋ビルの玄関ドアに掲げられている社号を引き裂き、新聞の古い発行人欄や題字を廃棄することだった。
『ガゼット』紙は、ニューヨーク版『バナー』となった。彼の友人は反対した。「新聞の名前を変える発行人なんていないぞ」と。「そういう発行人もいるさ」と、彼は答えた。
『バナー』が実施した最初のキャンペーンは、慈善活動のための金集めだった。隣り合った場所で、同じ分量を割いて、ふたつの別の記事が、『バナー』に載った。
ひとつの記事は、若き科学者の苦闘についてだ。むさくるしい屋根裏部屋でひもじさに悩みながら、偉大なる発明のために研究を続ける科学者の話だ。もうひとつの記事は、死刑執行された殺人犯の恋人についてだ。彼女は、女中をしながら私生児を産もうとしていた。片方の記事には、科学的図表や図解がついていた。片方の記事には悲劇的な表情を浮かべながら衣服をしどけなく乱れさせている口元の緩んだ娘の写真がついていた。
『バナー』は、このふたりの不幸な人間に援助の手を差し伸べてくれるように読者に訴えた。若い科学者のためには、9ドルと45セントの募金が集まった。一方、未婚の母には1077ドルの募金が集まった。ゲイル・ワイナンドは会議を招集した。これら二つの記事を掲載した新聞と、集まった金をテーブルに置いて、彼は社員に言った。
「これでもわからないような奴はここにいないだろうな?君たちにもわかるだろう。『バナー』がどんな種類の新聞であるべきか、これが答えだ」
ワイナンドが若い頃の、他の新聞発行人という人々は、自分の新聞に彼自身の個性なり人柄なりを刻印することに誇りを感じていた。一方、ゲイル・ワイナンドは自分の新聞を、その魂も肉体も、読者大衆に配達した。
『バナー』は、肉体、つまり見かけは、サーカスのポスターのように派手だった。魂も、つまり中身もサーカスの出し物みたいなものだった。どちらも同じ目標の遂行をめざしていた。びっくりさせ、面白がらせ、入場料を徴収する。身も心もサーカスであることこそ、ひとりの読者ではなく、百万人の読者の感銘というものを獲得する。自分の方針を説明しながら、ゲイル・ワイナンドは言った。
「人間は、持っている美徳においては人それぞれに違う。まあ、美徳と言うようなものがあればの話だが。しかし、悪徳に関しては、みな似たり寄ったりだ。俺は、この地上で一番数の多い人間に奉仕する。俺は、最大多数の人間の代表になる。全く、これほどの美徳はないだろう?」
大衆は、犯罪と醜聞と感傷を求めた。だから、ゲイル・ワイナンドはそれを提供した。彼は大衆に、大衆が望むものをくれてやった。それも、大衆が内心恥じているそうした悪趣味を多めに見て甘やかすような正当化を加えて、くれてやった。
『バナー』は、殺人に放火に強姦に、役人や政治家たちの腐敗などについて、それぞれの犯罪を弾劾(だんがい)する適当な道徳に言及しながら、書きたてた。その種のことを詳しく書きたてるコラムが3つあったが、必ず道徳的教訓を書き加えるのを忘れなかった。
ワイナンドいわく、「大衆に気高(けだか)い義務など負わせようとしたら、連中は退屈するだけだ。しかし自分の趣向に甘えさせておくと、連中は内心恥じたりする。しかし、このふたつが組み合わさると、大衆は飛びついてくる」のだ。
だから、彼は、堕落した女の話や、有名人の離婚話や、捨て子の施設や、売春街などの赤線地区や、慈善病院の記事などを書かせた。ワイナンドは社員に檄(げき)を飛ばした。
「まずセックスだ。次にお涙頂戴もの。大衆をウズウズさせて、それから泣かせろ。そうすれば奴らは飛びついてくる」
『バナー』は、ときに偉大な勇気ある十字軍を率いることもあった。誰も反対しようがない問題に関してだけだが。『バナー』は、政治家たちの行状(ぎょうじょう)を暴露した。大陪審より一歩先に暴露した。
『バナー』は、独占企業を攻撃した。虐げられた人々の名において。
『バナー』は、裕福で成功した人々を嘲笑した。決して金持ちにもなれないし成功者にもなれない人々がやるような調子で。
『バナー』は、社交界の豪勢さを強調した。と同時にかすかな嘲りをこめて、社交界の噂話を提供した。
この『バナー』のやり口は、大衆にふたつの満足を与えた。社交界の豪華な客間に入るような満足と、その入り口で靴の埃をぬぐわなくてもいい満足と。
『バナー』においては、真実と趣味と信用を曲げることは許されたが、読者の脳の力を働かせることだけは禁じられていた。とてつもなく大きな見出し、目を奪うような写真、物事をきわめて単純化して書かれた記事、これらのすべてが、読者の感覚を麻痺させた。理性という媒介的過程の必要など省き、読者の意識に入り込んだ。直腸にまっすぐ落ちる食べ物のようなものだ。消化されることなど全くないのだった。
ゲイル・ワイナンドは社員に言う。
「ニュースというものは、最大多数の人間に最大の興奮を引き起こすものでなくてはいけない。連中を打ちのめして馬鹿にしてしまうようなものがニュースだ。馬鹿馬鹿しいほど、いいニュースだ。連中には、それで十分なのだ」
ゲイル・ワイナンドの名前が出版界で脅威になったとき、新聞の所有者の一団は、彼を村八分にすることにした。新聞社ならすべて出席しなければならないニューヨーク市の慈善的催しものなどから彼を締め出した。一般大衆の趣味を低俗にするものとして、彼を非難した。ワイナンドは答えた。
「大衆がもともと持ち合わせていない自尊心を大衆が保持できるように手助けするなどということは、私の新聞の仕事ではないですよ。あなたがたの新聞は、大衆が人目のあるところでは好きだと言うものを提供しているのでしょうが、私の新聞は、大衆がほんとうに好むものを提供しているのです。私の新聞社の方針は正直さです。これこそ最高の方針です。あなたがたが信じるように教えられた意味での正直さではないかもしれませんがね」
仕事をうまくやってのけないなどということは、ワイナンドにとって不可能だった。目的が何であれ、彼が採る手段は正確無比だった。彼の持つ例外的な才能は、新聞紙上における例外のない完璧なる凡庸さというものを達成するために、浪費され消耗された。毒々しい話を集めることや、縦横無尽(じゅうおうむじん)にその種の話で新聞紙面を満たし汚すことに費やされる彼の精神力は、それを元にある宗教的信仰が打ち立てられるのではないかと思うぐらいに、凄(すさ)まじいものであった。
『バナー』は、ニュース速報に関しては、競争相手というものがないのが常である。南アメリカで地震が起きて、現地からの通信が途絶えれば、ワイナンドは飛行機をチャーターして、記者の一団を現地に送り込む。そして他社より数日も先駆けて、マンハッタンに号外をばらまく。火災や地震の亀裂に、倒壊物につぶされた死体の絵がついた号外だ。
大西洋で嵐のために沈没しそうな船からのSOSが受信されると、ワイナンドは部下の記者団を引き連れて、海上救助隊より早く現場に急行する。そして救援活動の指揮を取り、怒り狂うような波の中を、腕に赤ん坊をかかえて船のはしごを昇る自分の姿の写真が何枚もついた独占記事をものにする。
あるカナダの村が雪崩(なだれ)によって陸の孤島になってしまったとき、住民に食料や聖書などを投下する風船を送ったのは『バナー』社だった。
炭鉱地域がストライキにより日常生活が成立しなくなってしまったときに、『バナー』社はスープ配給所を設置した。さらに、貧困の重圧のもと炭鉱夫の可愛い娘たちを襲う危機に関する悲劇的な話を記事にした。子猫が、電柱の頂上で足がすくんで降りられなくなっているのを救ったのは、『バナー』の写真家だった。
「ニュースがないなら、でっちあげろ」というのも、ワイナンドの指令だった。
ひとりの狂人が州立精神病院から逃亡した。周囲何マイルもの地域に住む人々にとって恐怖の日々が何日か続いた。その恐怖は、『バナー』の不吉な予報と地元の警察の無能さに対する憤慨の記事によって、増幅(ぞうふく)するばかりだった。その狂人は『バナー』紙の記者によって捕らえられた。捕まったあと二週間後、奇跡的にその狂人は回復し退院後に、精神病院で彼が受けた虐待の暴露手記を書いて『バナー』に売った。その記事のおかげで、精神病院改革が急速に進んだ。
後になってから、あの狂人は、こうなる前に『バナー』で働いていたのではなかったかと噂する人々もいたのだが、証明できるはずもなかった。
30人の若い娘を女工として雇っていた長時間労働の工場で火事が発生した。女工たちのうちふたりが火事のために亡くなった。生き残った女工のひとりであるマリー・ワトソンが、女工たちが苦しめられた工場の搾取的労働に関する独占手記を『バナー』に売った。この手記が新聞に掲載されたおかげで、工場労働の改善を求める運動が、ニューヨークの名士のご婦人方を先頭にして展開された。火事の原因は結局、わからなかった。
マリー・ワトソンは、前に『バナー』に文章を載せていたイヴリン・ドゥレイクではないかとささやかれたが、これとて誰にも証明はできなかった。
『バナー』紙が生まれた最初の頃は、ゲイル・ワイナンドは自分の寝室で眠るよりは、仕事場の長椅子で眠ることの方がはるかに多かった。彼が部下の社員に要求した努力は、社員にすれば実践するのは難儀なものだったが、社主の彼自身が実践した努力は信じがたいほどのものだった。彼は社員を軍隊のように駆り立てた。しかし、社主の彼は自分自身を奴隷のように駆り立てた。
ゲイル・ワイナンドは社員に高給を支払った。しかし、彼自身は部屋代と食費以外には何も得なかった。彼は、自分が雇っている最高の記者には贅沢なホテルのスイート・ルームに住まわせているのに、自分と来たら家具付の安い部屋でも平気だった。
ゲイル・ワイナンドは、入ってくるよりも早く金を使った。金はすべて『バナー』のために使った。彼にとって、新聞は贅沢な愛人のようなものだ。その愛人が欲しいものは全て、値段など問題なく充足されねばならないのだった。
『バナー』はどこよりも先駆けて、最新式の活字印刷機を導入した。しかし、『バナー』は、最高の記者を獲得するについては、一番後手(ごて)に回った。なぜならば、一番優秀な記者はすべて『バナー』が雇っていたからだ。ワイナンドは、競合する他社の地元ニュース編集室に踏み込み、スカウトした。彼が提示する給与の高さには誰も抵抗できなかった。
彼が記者をスカウトするやり方は、次第にひとつのはっきりとした形式をとるまで進化した。まず、ある新聞記者がワイナンドを訪問するよう招待を受ける。その記者は、その態度を自分のジャーナリストとしての尊厳に対する侮辱だと思う。しかし、まあ、約束の時間には彼はやって来る。こういう条件なら雇われてもいいと言うつもりでワイナンドにとっては不快な条件ばかりを考えて、やって来る。
ワイナンドは、開口一番、自分が支払うつもりの給与の額を言う。提示された給与の額の大きさに仰天して、呼び出された記者の喉がごくりと鳴ったとき、すかさずワイナンドは言う。「条件は他にない?じゃあ月曜日から仕事してくれ」と。これで一見落着だった。
ゲイル・ワイナンドの『バナー』紙は、こういう新聞だった。
(第3部4 超訳おわり)
(訳者コメント)
ワイナンドが自分の新聞社を持った1905年は、日本で言えば明治38年だ。
日本でも、新聞なるものは、すでに江戸期から発行されていたし、明治以降19世紀末には、すでに『讀賣新聞』も『朝日新聞』も発行されていた。
しかし、このセクションにおけるゲイル・ワイナンドのように、大衆操作としての新聞の機能が意識されていたのかどうかは、わからない。
ワイナンドは、大衆の欲望に奉仕するサーカスのような新聞を発行し売ることで、富と地位と社会的影響力を増大させていく。
この人物は、大衆の欲望を満たす新聞を発行するということによって、最大多数の大衆に奉仕していることほどの美徳はないと言っている。
ここだよね、わからないのは。
ゲイル・ワイナンドはハワード・ロークと同じく孤児から立ち上がって行くわけだけれども、決定的に違うのは、ここだ。
ワイナンドは、他者の欲望に奉仕する仕事を選んだ。
ワイナンドは現代の「アイドル」みたいなものだ。
アイドルは、ファンの幻想を満たすことで人気を獲得するわけで、ファンの幻想を壊すような自分を見せてはいけない。
アイドルはファンを支配しているようで、ファンの欲望に奉仕する奴隷だ。
ワイナンドは大衆の欲望に奉仕することによって、大衆の奴隷にならざるをえない。
彼は、大衆を啓蒙したいわけではない。
大衆を捉えても、その大衆を自分が目論む方向に連れて行きたいわけではない。
ワイナンドは、エゴイズムの塊に見えつつ、無私だ。
ほんとうに実現させたい彼自身の夢はないのだ。
それを持つには、少年時代から社会の醜い面を彼は見過ぎた。
主体的に社会に関わって来たよう見えて、ワイナンドは実あくまでも受け身だ。
この世界に対処しているだけだ。
この世界に新しい何かを加えてはいない。
どんなに富を得ても、社会的影響力を得ても、彼が自殺願望を持っているのは、彼の中が真空だからだ。
ハワード・ロークのように地上を愛しているので、自分の建築物で地上を美しくしたいという自分の欲望がない。
似てはいるが決定的に違う2人が出会うのは、もう少し先のことだ。
ところで、画像の少年は1905年当時のニューヨークの新聞売りの少年だ。
写真って不思議だ。
この少年はとうの昔に亡くなっているに違いない。
その後、どんな人生を送ったのだろう、この新聞売りの少年は。
アメリカで、各家庭や商店への朝刊新聞配達は子どものアルバイトとして、1910年代にはすでにあった。
少年時代のワイナンドが19世紀末に思いついて実現できなかった「新聞の各家庭への配達」は、ワイナンドが新聞社を獲得した頃に確かに実現されたらしい。
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