第2部(34) ホテル・アクイタニア

6月下旬の頃、ケント・ランスィングという名の男がロークに会いに来た。

年齢は40ということで、最新流行の服飾モデルみたいな格好をしているが、プロボクサーにも見える男だ。といっても、この人物は、いかにも頑丈とか男らしいとかタフとかに見えるタイプではなく、いたってほっそりとして痩せて尖った感じである。この人物は、彼を見る人にボクサーを思わせる。それ以外にも、彼の風貌には似つかわしくないいろいろなものを思わせる。たとえば、建造物突入用破壊機とか、戦車とか、潜水艦の魚雷とか、そういう類のものを連想させる。

この人物、ケント・ランスィングは、セントラル・パークの南に豪奢(ごうしゃ)なホテルを建てることを目的として設立された株式会社の一員だった。この企画には、多くの富豪たちが関わっていた。だから、その会社は、多数のメンバーから成る理事会によって運営されていた。この理事たちが、ホテル建設用地を購入した。彼ら理事会は、このホテルの設計を担当する建築家を誰にするかは、まだ決めていない。しかし、ケント・ランスィングは、ロークが設計するのだと、勝手に決め込んでいた。

ロークは、ケント・ランスィングとの最初の面談が終わるときに、こう言った。

「費用をいくらかけたいのかについて、僕はあなたに申し上げません。なぜならば、僕が設計をさせてもらえる見込みはありませんから。僕は、人を説得できると思います。相手がひとりで僕に対してくれる限りは。しかし、集団で構えてくる人々に対しては、僕は何もできません。理事会というものが僕を雇ったことはないのです」と。

ケント・ランスィングは小さく笑った。

「君ねえ、何かできる理事会なんてもの見たことあるの?」

「どういう意味でしょうか?」

「単にそういう意味さ。何かできる理事会なんてもの君は見たことあるの?」

「はあ、まあ、一応存在して機能しているようには見えますが」

「そう?地球が平らだということが自明だと誰もが考えていた時代があったよねえ。人間の幻想の本質とか原因について思いめぐらすのは楽しいだろうねえ。いずれ、僕もそういう本を書こうかな。まあ、あまり売れそうもないが。で、役員から成る理事会というものについて一章を割こうかな。ねえ、君、理事会なんてものは幻想なの。存在しないの」

「どうしてそういう冗談をおっしゃるのですか?」

「幻想の原因なんてものは、発見して面白いものじゃない。悪徳か悲劇的なものか、どちらかだね。だいたいは悪徳だな。要するに僕が言いたいことは、こうだ。たくさんの役員で構成されている理事会というものは、ひとりかふたりの野心ある男でしかないということだ。理事会なんてものは砂利(じゃり)のかたまり。役員の集団なんてものは真空なわけ。大いなる空虚ね。委員会とか理事会とか、そういう会合の席に座ってみろってんだよ。もうほんとうにあほらしいから。敵と戦うだけならば簡単さ。戦うべき敵がそこにいる限りはね。しかし、敵がそういうものでないときは・・・君さ、そういう目で見ないでくれる?僕の気が狂っていると思っている?君ならわかるんじゃない?君だって、ずっと真空と戦ってきたんだろう?」

「僕が、こんなふうにあなたを見つめているのは、あなたが好きだからです」

「そりゃそうさ、君は僕が好きだろうさ。僕だって君をずっと好きだったからな。人間どうしってのは兄弟だからな。誰が自分の兄弟なのか本能的にわかるんだ。そうだろ?ただし、理事会とか組合とか株式会社とか、その類の、つるんでなんぼの連中は、そうではない。あ、僕は無駄なおしゃべりしているねえ。だからこそ、僕は何でも売りつけることができるけどね。僕は優秀なセールスマンなんだよ。しかし、君には売りつけるものがない。ともかく、君はアクイタニアを設計する。あ、これうちの会社が建てるホテルの名前ね。ともかく、君がそれを建てることになる」

ケント・ランスィングがアクイタニア株式会社の取締役会相手に展開した戦闘は、史上最大の殺戮(さつりく)の中に入るのではないかと思われるような凄まじい物であった。もっとも、ケント・ランスィングが戦ったのは、真空の空虚なる理事会であり、戦場に死体を残すほどの硬度もない実体のないものではあったが。

まず、ケント・ランスィングは、以下のような現象と闘わねばならなかった。

「パルマー、ランスィングの言うロークとかいう人物に関する話を聴きたまえ。どうやって投票しますかねえ。その人物を建築家として認めますか、認めませんか?」

「僕は決めかねますよ、誰がそれに賛成か、誰が反対かわかるまでは」

「ランスィングはそう言うが・・・しかし、ソープが僕に言うには・・・」

「5番街の60番地にタルボットが派手なホテルを建設中だが、フランコン&キーティング建築設計事務所が担当している」

「ハーパーは、この若いのが絶対にいいと言うんだが、このゴードン・プレスコットが」

「静粛に。静粛に」

「私は、どうもロークの顔が気に入らん。あの顔は協調的ではない」

「わかる。私もそう感じる。ロークというのは普通のまともな奴ではないよ」

「普通のまともな奴とは、どういう奴ですかね?」

「ああ、それは、その、つまり、普通のまともな、ってことだ」

「トンプソンが言うには、ピチェット夫人が、そういう件については確実にわかっているらしいよ」

「いいかね、諸君、誰が何といっても駄目だね、僕は。もう決めた。僕は、諸君に宣言する。ロークなんてのは駄目だと僕は思う。あんなエンライト・ハウスなんて嫌いだ」

「なぜだい?」

「なぜだかわからんよ。ただ嫌いなんだ。それだけのことだ。僕には、僕自身の意見を持つ権利もないというのかね?」

この戦闘は何週間も続いた。誰にも自分の言い分というものがあった。ロークは黙っていた。ケント・ランスィングは、ロークに、こう言い渡しておいたから。

「いいんだ。ほっておけよ。君は何もしなくていい。しゃべるのは僕に任せておいてくれ。君にできることはない。ああいう集団というものに直面したとき、そこで最大の関心の的になっている人物は口数が少ないものさ。つまり最も仕事ができて、最も貢献できる人間は言葉数が少ないものさ。その人物が提供できる数々の説得力ある理由は偏見あるものとしてあらかじめ拒絶されるからな。なんとなれば、考慮されるべきは発言の中身ではないんだ。発言者そのものなんだ。あるひとつの案件に関して、あるひとりの人物に判断を委ねるほうが簡単だからね。その人物の頭の中身を考えもせずに、その人物に判断を委ねるなどということは、実にとんでもないことだけどね。しかし、物事はそういう具合に決まる。わかるだろう?もうその愚劣さは僕の理解を超えている。ともかく、物事はそういう具合に決まる。あのね、綿っていうのが人間の精神の原料なんだ。わかるよなあ、君なら。形がなくてさ、抵抗しなくてさ、前にも後にも簡単に曲げられるの。ビールのつまみみたいな、ほら、プレッツェルみたいにさ、棒状にしてBの字の形に結ぼうと思えば簡単にできる。それが綿だ。そりゃ君なら、取締役会が君に設計を依頼すべき理由を、僕がするよりも上手く説明できる。しかし、連中は君の言うことなど聴かない。僕の言うことなら聴く。なぜならば僕は媒介者だから。仲介者だから。ふたつの点の間の最短距離は、そのふたつの点の間に引かれた直線ではない。媒介者が最短距離。それが、プレッツェルみたいな綿みたいな精神の持ち主は媒介者の言うことなら聞くんだ。これがプレッツェルの心理学」

「ランスィングさん、あなたは僕のために、どうして、それほど戦って下さるのですか」

「ロークさん、じゃあ、どうして、君は優秀な建築家なんだい?理由を言おうか。君は確かな基準を持っている。その基準は君自身のものだ。だからその基準に従って君は行動する。僕はいいホテルが欲しい。僕にも、良いものが何であるかに関しては確たる基準がある。それは僕自身のものだ。で、君は僕が望むものを僕に与えることができる人物だ。だから、僕が君のために戦っているとすれば、それは僕自身のためだ。君が建物を設計しているときに君がすることと同じようなことを、僕はしているだけのことさ。完璧をめざす高潔さ(インテグリティ)というものを、君は芸術家だけのものと思っているのか?君は、こういう完璧をめざす高潔さって何だと思う?それは、ある理念にしたがって立つ能力さ。それは、思考する能力を前提としている。考える能力は他人から借りることはできない。質屋で借りることもできない。だからさ、もし僕が人類の象徴を選べと言われたら、僕なら三つの金メッキのボールを人類の象徴として選ぶ。十字架とか鷲とかライオンとか一角獣なんてものは選ばない。そう、質屋の店先にあるような奴ね。まがいものの借り物の思考ばかりの人類の象徴には、それで十分だ」

ロークはケント・ランスィングを見つめる。ランスィングは、最後にこうつけ加える。

「心配しなくていい。連中はみな君の採用に反対している。しかし、僕には勝ち目がある。なにしろ、あの連中は自分が何を必要としているか、わかっていない。しかし僕はわかっている」

7月の終わりに、ロークはホテル・アクイタニア設計の契約書に署名した。

エルスワース・トゥーイーは、『バナー』社の自分のオフィスにいる。机の上には新聞が広げられている。そこには、ホテル・アクイタニアの契約について報じた記事が載っている。トゥーイーは、タバコを吸っている。

仕事部屋のドアが広く開けられる音を耳にして、トゥーイーは視線を上げる。ドミニクが戸口に立っている。両腕を胸の辺りで交叉させるように組み、戸口の側柱にもたれている。トゥーイーは、椅子から立ちながら言う。

「おやおや、お嬢さん、君が私の部屋にわざわざお越しくださるなんて、初めてではないですか?同じビルの中で働いてきた、この4年間で初めてですよ。これは、まさしく記念すべきことですねえ」

ドミニクは何も言わない。ただ、優しく微笑しているだけだ。トゥーイーは、耳に心地よい声で、つけ加える。

「もちろん、今の私の言葉は、質問と等価であるわけです。それがわからないほど、もう互いに互いを理解していないのかな、我々は?」

「そうらしいですわね。あなたがなぜ私がここに来たのかとお尋ねになるのが必要だとお思いならば、そうでしょう。でも、エルスワース、あなたなら、その答えはご存知ですわね」

ドミニクは、机のところまで歩いてきて、新聞のすみを爪先で弾(はじ)いてみせる。彼女は声を立てて笑う。

「私ね、あなたがいつものあの自己韜晦(とうかい)的な調子ではなくて、一度くらいはあからさまになっているのを見たいと思ったのです。これみたいにね。机の上のこの記事みたいに。不動産広告みたいに、はっきりと開けっぴろげな、あなたを拝見したいと思いましたの」

「まるで、この小さなニュースを見て嬉しかったように、君は話しますねえ」

「そうなの、エルスワース。私は嬉しいの」

「この契約を成立させないために君は随分と尽力したのではないですか?」

「いたしました」

「ドミニク、今の君がしているのは演技だと君が思っているとしたら、君は自分自身を愚弄(ぐろう)していることになりますよ。これは、演技などではないですね」

「そうです、エルスワース。演技ではありません」

「ロークが契約をとれて君は嬉しいのですね?」

「とても嬉しいです。感謝の意を込めてケント・ランスィングと寝てもいいぐらいです。彼にそう頼まれたらね」

「では、私との提携条約は破棄されたとでも?」

「まさか。ロークの行く道を塞ぐことなら、これからもしてみせます。そうし続けます。でも、こうなると前ほど事は簡単ではなくなりますわね。エンライト・ハウスにコード・ビルに、今度はこれですもの。私には荷が重くなってきましたわ。あなたにもね。ロークはあなたを打ち負かしつつありますわね。エルスワース、私たちは、あなたと私ということですけれども、世間というものを見くびっていたのかしら?」

「お嬢さん、君はいつも世間を見くびってきましたけどねえ。あ、失敬。私としてはもっとよく知っておくべきだったなあ。ロークが契約を取れたことが、君を喜ばせているとするならねえ。君がそれを喜んでいるということは、全く私を喜ばせません。とはいえ、ドミニク、ともあれ君がこの私の部屋に来たということは、私にとっては完璧な成功です。嬉しいことです。ホテル・アクイタニアの件については、手痛き敗北ということで処理いたしましょう。この件については全て忘れ、今までどおり計画続行といきましょう」

「承知いたしました。今まで通りですわね。今夜の晩餐会では、ピーター・キーティングのために美しい新しい病院の契約を、私はしっかり掴んで離しません」

(第2部34 超訳おわり)

(訳者コメント)

ロークは、なんとセントラルパークの南に建設されるホテル・アクイタニアの設計を任されることになった。

このホテルのモデルは位置的に言って、プラザホテルかなあ。

プラザホテルは1906年にオープンしたので、1930年代に完成するホテル・アクイタニアのモデルではないかもしれないが。

ともかく超富裕層が資金出し合って会社組織にして建設経営する大ホテルの設計を任されたのだから快挙だ。

ドミニクは、ロークが順調に設計仕事を任されるので、ほんとは嬉しい。

世間など見る目がないのだと思ってきたが、ちゃんとロークの能力を評価できるクライアントもいることが嬉しい。

エルスワース・トゥーイーは、このままだとハワード・ロークは快進撃を続け、無能な人間にとって生き易い世界を作ろうと目論むトゥーイーの勢力の計画に差し障りが生じるので、不快だ。

ドミニクが実はロークの成功を喜んでいることも気にくわない。

トゥーイーは、世間が馬鹿ばかりではないことに危機感を持っている。

で、次のセクションから、具体的にトゥーイーはローク潰しの計画を実行し始める。

実に陰湿な陰謀をトゥーイーは企てる。

ところで、このセクションに登場する、ケント・ランスィングなる人物は痛快だ。

偉大な仕事というのは、その核となる思想やアイデアは、ひとりの卓越した人間が提供するものであり、理事会のような集団のメンバーたちがアレらこれや言い合ってできるものではないことを、ランスィングはよくわかっている。

ロークの仕事を前から評価していたランスィングは、何も脳の中に確固たるホテルのイメージもないのに、ヴィジョンもないのに、無駄に勝手なことを言い合う理事会のメンバーたちを説得して、ロークに設計させる。

このケント・ランスィングも私が好きな登場人物のひとりである。

イメージとしては、小林旭さんを想定して台詞を訳しました。すみません。

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