第2部(13) キーティングの盗作を見抜いているエルスワース・トゥーイー

キーティングがエルスワース・トゥーイーのオフィスに入っていったとき、彼の秘書はゆっくりと立ち上がり、トゥーイーの部屋に通じるドアをキーティングのために開けた。

有名な人物に会うことに対する不安を経験する段階は、とうに過ぎていた。それでも、いよいよトゥーイーの部屋のドアに秘書が手をかけた瞬間、やはりキーティングは不安を感じる。

エルスワース・トゥーイーという人物は、どんな容姿をしているのだろうか?キーティングは、あのストライキの集会があった会場のロビーで聞いたトゥーイーの立派な声を思い出す。体の大きな人物なのではないかなあ?髪は豊かにたてがみのように波打ち、その髪にも白いものがまじり、口では言い表せないほどの神聖な慈愛に満ちた大胆で大柄な顔立ちの人物。父なる神の顔立ちのような曖昧(あいまい)とした何かを、キーティングは想像する。

「ピーター・キーティングさんがお越しです」と、秘書は言い、それからキーティングの後ろのドアを閉めて退室した。キーティングは、トゥーイーとふたりきりになる。

エルスワース・モンクトン・トゥーイーを一目見た人間ならば誰もが、この人物にきちんとパッドの入った重いコートを提供したくなる。トゥーイーの痩せた小柄な体は、あまりに貧弱で、あまりに無防備に見えるので。まるで卵から出てきたばかりのひよこだ。骨がまだ固くなっていなくて、悲しげなひ弱さでいっぱいのひよこだ。

トゥーイーを二回目に見て、人が思うことは、この人物に着せたいコートは特別に上等なものでなければならないという確信だ。そんなひ弱な肉体を覆う衣服は、きわめて質のいい仕立てのいいものでなければならない。トゥーイーの着ているダーク・スーツの線は、申し訳なさそうにスーツの中の肉体を率直に露にしている。スーツの線は、トゥーイーの幅の狭い胸の陥没具合に沿って陥没し、長い細い首から両肩のとがった傾斜に沿ってすべり落ちている。

その大きな額は、トゥーイーの肉体の中でも最も印象が強く目立つ。逆三角形の顔は、幅の広いこめかみから小さな尖ったあごまで降下している。髪は黒色だ。漆(うるし)を塗られたように光っている。その髪は細い白い線を中央にして均等にふたつに分けられている。この髪型のために、トゥーイーの頭部は引き締まり整って見える。それがために、あまりに耳を強調する結果となっている。その耳は、そこだけ特別にむきだしに見えるほど広く大きい。スープカップの取っ手のように顔から耳が突き出している。

トゥーイーの鼻は長くて薄い。口元の黒い小さなチョビ髭のために、さらに長く見える。瞳は黒く輝いている。その目は豊かな知性とキラキラ光るような陽気さを帯びている。非常に印象的な目である。その目の上の眼鏡は、その目を保護するためではなくて、その目の過剰なほどの輝きから他人を防ぐために、かけられているようにさえ見える。

エルスワース・モンクトン・トゥーイーは、有無をいわさぬような魔術的な声で質問してきた。

「こんにちは、ピーター・キーティングさん。例のアテネにあるギリシア神話の勝利の女神『翼のないニケ』神殿について、あなたはどう思いますか?」

「は・・・はじめまして、トゥーイーさん」と、キーティング言ったものの、あっけにとられて麻痺したように立ちすくむ。

「あの、僕がどう思うかって・・・何についてでしょうか?」

「わが友よ、どうぞお座りください。アテネの『翼のないニケ』神殿についてお尋ねしております」

「あの・・・その・・・僕は・・・」

「あなたならば、あの小さき宝石を見逃すはずはないという確信を私は感じています。パルテノン神殿というのは、あのニケ神殿、つまりギリシアの偉大なる自由な魂によるあの素晴しい小さき創造物に与えられてしかるべき認識を強奪してきましたね。そういうことは、よくあることではありませんか?より大きくて、より強いものがすべての栄誉を横領し、一方あまり人好きのしないものの美しさは称賛されることがないということは、この世では起きがちです。私には確実にわかるのです。あの神殿の大きさの持つ繊細な均衡、つまり、あの神殿の慎ましい釣り合いの中にある至高の完璧さというものに、あなたならば注目したことがあるに違いないと。ええ、そうです。あなたならば、おわかりでしょう。慎ましいものの中の至高さというものを。細部にわたる繊細なまでの職人芸というものの輝きを」

「はい、もちろん」と、キーティングは、口ごもりながら答える。

「それは、いつも僕の好みでした、そのニケ神殿は」

「ほんとうに?」と、エルスワース・トゥーイーは、キーティングにはどんな種類の微笑とも分類がつかない微笑を浮かべて、さらに言う。

「私は確信しておりました。あなたならば、答えてくださると確信しておりました。あなたは大変美しいお顔をしておられますね、ピーター・キーティングさん。キーティングさん!そんなふうに、まじまじと私を見る必要はありませんよ」

それから、トゥーイーは突然に笑い出す。あからさまなほど大きな声で、嘲るように笑い出す。まるで、その場のその会話のすべてが軽蔑すべきごまかしであるかのように。

キーティングは、一瞬息をとめて座っていたが、それからその返答として気楽に自分も声をたてて笑っていることに気がついた。昔からよく知っている友人とともに寛いでいるかのように。

「その方が、ずっといいですよ、キーティングさん。大事なときに、あまりに生真面目に話さないほうがいいです。ひょっとしたら、あなたが少しは私のことを怖がっているかもしれませんし。ええ、私は認めます。私は大いにあなたのことが怖いです。だから、こうやって気楽な方がありがたいです」

「ええ、ほんとうにその方が僕にもありがたいです、トゥーイーさん」と、キーティングは嬉しそうに言う。

人に会っているときのキーティングのいつもの自信は、消えてしまっている。けれども、気楽さは感じ始めている。なぜならば、エルスワース・トゥーイーの優しく穏やかな誘導によって、キーティングは自分の役割にそって努力することなく適切なことを言うように操作されつつあったので。

「僕は、あなたとお会いするときは重要な瞬間になると、ずっといつでも知っていましたよ、トゥーイーさん。いつでも。もう何年間も」

「ほんとうに?なぜでしょうか?」

「なぜならば、僕はあなたのお気に召したいといつも願ってきたからなのです。あなたが僕を認めてくださればいいと・・・僕の仕事を・・・時が来れば・・・ええ、僕は・・・」

「それから?」

「それから・・・僕は、こうも考えてきました。図面を描いているとき、これは、エルスワース・トゥーイーがいいと言ってくれる類の建物だろうかと頻繁に感じたものです。僕は、あなたの目を通して自分の設計を見ようとしました・・・僕は・・・僕はずっと・・・僕は、ずっといつでも、あなたにお会いしたかったのです。あなたは実に深い思考をめぐらす方だし、実に文化的に卓越した方で・・・」

「キーティングさん、私はそれほどの人間ではありません。私は無作法にするつもりはないのですが、その類のことは話題にするのはやめませんか。こう言えば不自然に聞こえるかもしれませんが、ほんとうなので申し上げますが、私は私に対する賞賛を聞くのは好のみません」

キーティングは思う。僕を寛がせるのは、このトゥーイーの目だ。トゥーイーの目には実に大きな理解と実に限りないほどの優しさがこめられている。だから、まるで、彼の目から何も隠すことができないかのようだ。

というより、隠す必要などないのだ。なんとなれば、トゥーイーは何でも許してくれるだろうから。トゥーイーの目は、キーティングがかつて見たまなざしの中には、ついぞ見出したことがないほどの寛大さがあった。人をとがめることなどいっさいない寛大な目。

「しかし、トゥーイーさん。僕はほんとうにそうだったので・・・」

「あなたは、私が書いた記事のことで私に感謝したいと思ったのでしょう。だから、ここで私はあなたがそんなことをする必要がないように懸命に努めてきたのですがね。どうかその件は捨ておいていただけませんか。あなたが私に感謝する理由などありません。私が書いたことに、あなたがふさわしいのならば。ええ、功績はあなたのものです。私のものではないのです。そうではありませんか?」

「しかし、僕はとても嬉しかったのです。あなたが、そう思ってくださって、僕が・・・」

「・・・偉大な建築家だと?しかし確かにそうでしょう。あなたは偉大な建築家でしょう。あなたはそれをわかっているでしょう。それとも、あなたは確信が持てないのですか?ご自分が偉大な建築家だとは全く信じられないとでも?」

「その、僕は・・・」

一秒ほどの間があった。この間こそ、実はトゥーイーがキーティングから聞き出したかったことなのだと、キーティングには思えた。トゥーイーは、キーティングの残りの言葉を待たなかったが、まるで答えのすべてを受け取ったかのように話した。そして、キーティングの答えは、トゥーイーの予想通りだったのであろう。

「キーティングさん、あのコスモ=スロトニック社のビルに関しては、あれが尋常ならざる偉業であることは誰も否定できません。おわかりになるでしょうが、私はあの設計に、いたく興味をそそられました。きわめて独創的な設計です。素晴らしい設計です。めったにあるものではありません。あなたが過去に手がけてきた設計とは随分と違っています。でしょう?」

「当然です」とキーティングは言う。トゥーイーと会ってから初めて声がはっきりとして硬くなる。

「問題は、僕が過去にしてきたこととは違っているということだったのです。だから、僕はあの設計に苦労しました。その問題解決のために特に必要なことに、設計が適切に対処できるように努力しました」

「もちろん、そうでしょうとも。美しい作品です。キーティングさん、あなたはそれを誇るべきです」

キーティングはそのとき気がつく。トゥーイーの目が眼鏡のレンズの真ん中を中心にして静止していることを。キーティングは突然に悟る。コスモ=スロトニック社ビルを設計したのは僕ではない。そのことを、このトゥーイーは知っている・・・

しかし、このことはキーティングを震撼させなかった。キーティングが震撼したのは、盗作した自分でさえ承認し是認することを示すトゥーイーの目だった。

「キーティングさん、もし、あなたが感じなければならないとするならば・・・それは感謝ではありません。感謝というのは実に困った言葉です。感謝ではなく、真価を認めること、正しい認識とでも申しましょうか?」

トゥーイーは話を続ける。彼の声は、さきほどより、さらに柔らかくなっている。キーティングと自分の間にかわされる言葉は私的な内輪の意味を示す暗号であり、そのことをキーティングは、ちゃんとわきまえている共謀者であるかのように、トゥーイーは話す。

「キーティングさん、あなたは、あなたの建築物の象徴的意味合いを私が理解したことに感謝しているのかもしれませんね。あなたが大理石を通して語るように、その意味を私が言葉で表したことを、感謝しているのかもしれませんね。もちろん、あなたは単なる石工ではなく、石を通して語る思想家なのですからね」

「はい、そうなのです、トゥーイーさん。あれこそは、僕のテーマでした。僕があのビルを設計したときの。偉大なる大衆と文化の花。真実の文化は、平凡なありふれた人間から生まれるものだと僕は常々信じておりましたが、誰も僕のことなど理解はしてくれないだろうと思っておりました」

トゥーイーは微笑む。彼の薄い唇がなめらかに開き、歯が見える。トゥーイーはキーティングを見ていない。彼は自分の手に目をやっている。コンサート・ピアニストのような長い、ほっそりとした繊細な手だ。その手が、机の上の一枚の紙を動かしている。それから、トゥーイーは言う。

「多分、我々は魂の兄弟なのですよ、キーティングさん。人間的魂の。それこそが人生で大事なことです」

キーティングにはわかっている。トゥーイーの記事を読むまでは、抽象的テーマのことなど僕が考えたこともないということなんか、このトゥーイーは、ちゃんとお見通しだ。そしてそれ以上のこともお見通しなんだ。でも、トゥーイーは、それでも僕を承認してくれた。

トゥーイーの眼鏡のレンズがゆっくりと、キーティングの顔に向けられたとき、その目は愛情にあふれ優しかった。

そのとき、部屋中の壁が穏やかに自分に向かって移動してきて、自分を恐ろしいほどの親密さへ押しやるかのような気がキーティングはした。それもトゥーイーに向かってではなく、何がしかの知られざる罪に向かって押しやられるかのような。キーティングは飛び上がり、そこから走り去りたかった。しかし、キーティングは、じっと腰かけたまま、口を半ば開いていた。

自分をそうさせるものが何であるのかわからないまま、キーティングは、ふたりの沈黙を破る。

「それと、トゥーイーさん、あなたが昨日、例の狂人の銃弾から逃れられて、ほんとうによかったと申し上げたかったのです、僕は」

「ああ・・・ええ、ありがとう。あのことですか?そうですねえ!心配は無用です。公的生活で目立つ人間が支払わねばならない罰金のひとつでしょうねえ、あれは」

「僕は、マロリーという人物を好んだことがありません。あいつは奇妙な種類の人間ですよ。あまりに張り詰めています。神経を張り詰めている人間というのは、僕は好きではありません。彼の作品も好きになれません」

「単なる露出症ですな。大したものになることはないでしょう」

「言うまでもありませんが、試しに彼に彫像を作らせたのは、僕の本意ではありませんでした。スロトニック氏の引きがあったからです。しかし、スロトニック氏も、結局は、これでよくわかったでしょう」

「マロリーは、あなたの前で僕の名前を口に出したことがありましたか?」

「いいえ、一度も」

「私は、マロリーなる人物に会ったこともありません。前に見かけたということもない。なぜ、彼はあんなことをしたのでしょうか?」

「あのう、トゥーイーさん、あなたにはおわかりでしょう。マロリーは無能な人間です。そしてそれを彼は自覚している。だから、偉大さと有能さの象徴としてのあなたから、偉大さと有能さを取り上げようと決意したのですよ」

その説明に対する微笑のかわりに、キーティングが見たものは、トゥーイーのまなざしの強さだった。突然に自分を一瞥したときのトゥーイーのまなざしの強さだった。それは、一瞥というようなものではなく、蛍光透視鏡だった。

この透視鏡は、僕の骨の内部にいたるまで入り込み見通している。そのことを僕は感じることができると、キーティングは思う。

それから、トゥーイーの顔はこわばり、引き締まり、いつもの平静さにもどる。キーティングにはわかる。トゥーイーは、キーティングの骨か、彼のぽかんとした口か、困惑した顔か、いずれにしても彼の何らかに安堵を覚えたのだ。キーティングの中に隠されたとてつもない無知というものが、トゥーイーに再び自信を与えたのだ。それから、トゥーイーはゆっくりと、不思議そうに、かつ嘲(あざけ)るように、こう言う。

「あなたと私は、私たちは、いい友人同士になるでしょうね、ピーター」

トゥーイーはいつのまにかキーティングを名前で呼んでいる。

「そりゃ、もうそれこそ僕が望むところです、トゥーイーさん!」

「ほんとうですか、ピーター!あなたの友人になるには、私は老けすぎているということはありませんか?『エルスワース』という名前は、通常は女性につけられる名前ですが、僕の両親が命名法に凝っていたものですから、私につけたのですよ、エルスワースと」

「・・・エルスワース・・・あなたが僕の友人になるには老けすぎているなんてことは全くありませんから・・・」

「エルスワースと呼んでくださるほうがいいです。これから、あなたと私は、お互いをより一層によく知ることになるでしょう、ピーター」

こう語るトゥーイーの声は、なめらかで自信に満ちている。キーティングに関する何につけても、もう決してエルスワース・トゥーイーにとっては疑問になることはないという安定したものが、トゥーイーの声には込められている。

「たとえばですね、私は数人の若き建築家を集めることができないかと考えているのです。何人かはもう心積もりがあります。単に非公式な小さな組織なのです。意見交換したり、つまり、その協力という精神を育んだり、必要ならば、建築という職業に共通した善なるもののために一致した行動の指針に従ったりするためのものです。アメリカ建築家協会のような堅苦しいものではありません。単に若者の集団です。ご興味がおありですか?」

「そりゃ、もちろん!で、あなたが議長におなりになるのですか?」

「まさか、そうではありません。ピーター、私は何につけても議長になどなりません。私は肩書きというものが嫌いです。むしろ、私は、あなたこそが議長にふさわしいと思っています。他に適任な人物が考えられません」

「僕が、ですか?」

「そうですよ、ピーター、君がです。ええ、まあ単にまだ計画ですがね。まだ何も決まったわけではありません。単に構想でして。時間がある折に、私はいろいろ構想するのです。いつか、この件については、またお話いたしましょう。ところで、君にしてもらいたいことがあるのです。実は、それが今日、君に会いたかった理由のひとつなのです。」

いつのまにか、エルスワース・トゥーイーは、キーティングのことを、「あなた」ではなく、「君」と呼びかけるようになっている。

「ええ、そりゃ、トゥー・・・いえ、そりゃエルスワース、僕があなたのためにできることがあるのならば、何なりと・・・」

「私のためにではないのです。君はロイス・クックを知っていますか?」

「ロイス・・・どなたですって?」

「クックです。知りませんか。しかし、いずれ知ることになります。あの若い女性はゲーテ以来の最大の文学的天才です。ピーター、彼女の作品は読まないといけません。私は、こういうことは原則としては言わないことにしているます。しかし特別に選(よ)りすぐられた方々に対しては別ですからね、君みたいな人に対しては言っておきたい。ロイス・クックは明瞭なものを求める中産階級の頭脳を凌駕しています。ロイス・クックは、家を建てようとしています。バウァリ街にね。そう、あの飲み屋ばかりの浮浪者の町のバウァリ街にね。まことにロイスらしい。で、彼女が誰か建築家を推薦しろと言ってきましてね。ロイスのような人物を理解できるのは、君のような人しかいないだろうと私は確信しています。私は君をロイスに推薦します。もし、君が小さいけれども、かなり費用のかかる住居のようなものに関心があるならばですが」

「もちろん、お引き受けしますよ!あなたはご親切な方ですね、エルスワース!・・・僕はあなたのメモを拝見したとき、てっきりあなたがお望みなのは・・・あの僕に何か御依頼がおありなのかなと、つまり親切には親切のお返しといったような・・・」

「おおピーター、君は実に正直ですねえ!」

「こんなこと僕は口に出すべきではなかったとは思うのですが。あなたのお気を悪くするつもりはありませんでした、僕は・・・」

「気になどしておりません。ピーター、君には私について、もっとよく知っていただきたい。いかに奇妙に聞こえようと、人間が同胞に対して完全無欠に無私な関心を持つことは、今のような世の中でも可能なのですよ」

それから、ふたりは、ロイス・クックと彼女の出版された3冊の本について話した。

「小説?いいえ、ロイス・クックが書くものは正確には小説ではありません。いいえ、短編集でもありません・・・単にそれなのです。単にロイス・クックなのです。全く新しい文学の形式です」

トゥーイーとキーティングは、代々成功した貿易商である家からロイス・クックが継承した財産について話した。彼女が建てるつもりの家についても話した。

話が終わった。トゥーイーがキーティングをドアのところまで見送ろうと立ち上がったとき、キーティングは初めて気がつく。トゥーイーが自分の非常に小さな足で立つとき、いかに注意深くまっすぐに立とうとするかということに。それから、トゥーイーはしゃべるときに、唐突に立ち止まるということに。

「ついでですが、どうも私たちの間には何がしか個人的な繋がりがあるかに思えましたが。ああ、そうか。姪のことですね。キャサリンのことだ」

キーティングは顔が強張(こわば)るのを感じる。ぎこちなく微笑む。

「ピーター、君が姪と婚約していることは知っています」

「はい・・・」

「素敵ですね。実に素敵だ。君の叔父さんになるのは嬉しいことです。君は姪をこよなく愛しておられる?」

「はい。とても愛しています」

こう答えるキーティングの声には何の誇張もない。だから、この答えが厳粛に響く。これは、トゥーイーの前に置かれた初めての真摯さだった。キーティングという存在の内部にある真摯さと重要さが、わずかではあるが、初めて表出された瞬間だった。トゥーイーは言う。

「なんと美しいものでしょうか、若い愛とは。春に、夜明けに、天国に、ドラッグストアのチョコレート。映画のボックス席。小さき神々の特権、映画の特権ですな・・・ええ、ピーター、私は認めていますよ。素晴らしいことだと思います。キャサリンほど良い選択はできなかったでしょう。この世界が喪失しつつあるものとは、彼女のような種類の人間のためにあるものです。ありとあらゆる問題を携(たずさ)え、偉大さというものへ向かう契機をはらんだこの世界は、ええ、見事に喪失しつつあるのです。あの娘(こ)のような人間が必要とするものを。あの娘は無垢で優しく可愛らしく貧血症だからねえ。ピーター、もちろん、私は君たちの婚約を理解しています。認めています。僕は現実主義者です。自分自身を馬鹿にするように、人間はいつも主張してきました。ええ、だから僕たちは、決してユーモアの感覚を失ってはいけません。ユーモア感覚以外に聖なるものなどありませんよ、実際にはね。今でも、やはり僕はトリスタンとイゾルデの話は好きです。今まで語り継がれてきた物語の中でも最も美しい話です・・・ミッキーマウスとミニーマウスの物語の次に美しい」

キーティングとキャサリンの婚約に対する祝辞のはずが、エルスワース・トゥーイーの饒舌にかかると、その祝辞が、どういうわけか不穏な何かに聞こえる。嘲りに似たようなものに聞こえる。そう思うのは、キーティングの気のせいだっただろうか。

(第2部13 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションは長い。

エルスワース・トゥーイーという人物の胡散臭さを読者にじっくりと知らせるセクションである。

この良心的(に見える)オピニオン・リーダーは、ナイーヴな読者だと、最初はいい人なのかなあと勘違いする。

作家のアイン・ランドは、いかにも温厚で寛大な人格者に見える人間が、いかに偽善的で危険なものか、ジワジワと読者に理解させていく。

確信犯的に、地獄への道を善意で敷き詰めていくのが、エルスワース・トゥーイーである。

しかし、まだこのあたりでは、そこまで手の内を明らかにしていない。

ともかく、彼は見抜けるだけの見識と洞察力がある。キーティングでは、あのようなビルの設計はできないと。あれは、誰か才能ある建築家からの盗作であると。

しかし、エルスワース・トゥーイーはキーティングを責めたりしない。キーティングは、彼の計画にとって、大いに利用できるのだから。

キーティングのような人間が増える方が、トゥーイーにとっては都合がいい。

自分というものがなく思考力もなく浅はかで孤独に弱く虚栄心で動く人間ほど、操作しやすいものはない。

このセクションでは、キーティングとキャサリンの婚約について、口とは裏腹に、トゥーイーは祝福していない。

キーティングとキャサリンを、「トリスタンとイゾルデ」に喩えているのが、その証拠である。

トリスタンとイゾルデは悲恋物語だ。中世の宮廷恋愛物語でワグナーのオペラになっている。媚薬を飲まされて、騎士トリスタンとイゾルデは偽りの情欲に溺れるが、結局は別れる。

加えて、トゥーイーは、キーティングとキャサリンを「ミッキーマウスとミニーマウス」とも、喩えている。

明らかに、トゥーイーは、キーティングとキャサリンの二人に対して冷笑的である。二人の未来を見通している。キーティングのような人間がキャサリンを誠実に愛し抜けるはずはないと見抜いている。

姪のキャサリンについても、時代遅れの負け犬のごとき人間であると示唆している。

このセクションの肝は、エルスワース・トゥーイーにいとも簡単に騙され幻惑されるキーティングの姿であるが、要するにキーティングは大新聞のオピニオン・リーダーという権威に騙され誘導される「大衆」の象徴である。

このエルスワース・トゥーイーにはモデルが何人かいる。

特に有力なモデルは、イギリスの左翼系政治学者のハロルド・ラスキ(1893-1950)である。

トゥーイーの容姿は、特にラスキをモデルにしている。

こんな感じです。

いかにもいかにもですね。

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