第1部(48) ロークは事務所を閉じニューヨークを去る

ロークは、マンハッタン銀行から事務所に歩いて戻った。製図道具や、事務所にある幾つかの私物を集めた。それらは、たったひとつの包みにまとまった。ロークは腕の下にその包みをかかえた。

事務所のドアに鍵をかける。管理人に鍵を渡す。事務所は閉じますと、ロークは管理人に告げる。

ロークは、アパートまで歩いて帰った。包みを置いた。それから、マイク・ドニガンの家に出かけた。

「駄目だったか?」と、ロークを一目見て、マイクが言う。

「駄目だった」と、ロークが答える。

「何が起きた?」

「またいつか、話す」

「ろくでなしどもが!」

「マイク、いいんだ」

「じゃあ、事務所はどうなる?」

「事務所は閉じた」

「ずっとか?」

「当分の間は」

「くそ~忌々(いまいま)しい連中だ、赤毛よお。ほんとに忌々しい馬鹿ばかりだな!」

「いいんだ。仕事が要るんだ、マイク。助けてくれないか?」

「俺が?」

「ニューヨークの、こういった業界には誰も知り合いがいないんだ。僕を助けてくれるような知り合いはいない。君は知っているだろう、この業界の人なら」

「どの業界だ?何のこと言っている?」

「建設工事の。現場仕事の。前に僕がしていたみたいな」

「つまり、その工事現場の作業員ってことか?」

「そう、工事現場の作業員」

「あんた、頭は大丈夫か!」

「やめてくれよ、マイク。仕事を紹介してくれないか?」

「しかし、いったいなんで?設計事務所で、聞こえのいい職につけるだろうが。できるって、わかっているだろうが」

「その気はないんだ。もうしない」

「なんでだ?」

「もう触りたくもないんだ。見たくもない。世間がしたいことをするのを手助けする仕事はしたくない」

「似たような線で、聞こえのいい汚れ仕事じゃない職につけるだろうが」

「いずれは、聞こえのいい汚れ仕事じゃない職を考えなければならなくなるだろうけど、今は考えたくない。そういうのはしたくない。僕がどこへ行こうと、世間のやり方でしなくてはならないだろうからな。世間のことは考えないですむ仕事が欲しい」

「建築家は現場作業員の仕事はしないもんだ」

「ここにいる建築家ができるのは、それだけなんだ」

「あんたなら、あっというまに何でも覚えるだろうが」

「何も覚えたくない」

「つまりだ、あんたは俺に建設現場の作業員たちの中に自分をぶち込んでもらいたいって言うんだな。ここニューヨークの、マンハッタンの?」

「その通り」

「いい加減にしろよ!できねえよ。しないぞ、俺は!そんなことはしないぞ、俺は!」

「なぜ?」

「あんたさあ、自分を見世物にするつもりか?この街の馬鹿どもに見せたいってか?こんなふうにしたのは、あんたたちでございますって、知らせたいのか、極つぶしの大馬鹿野郎どもに?あいつらに、ざまあみろって笑われたいのか?」

ロークは大声で笑う。

「そんな気はないよ、マイク。どうして、僕がそんな?」

「だからよお、あんたに、そんなことはさせないって言うんだ、俺は。極つぶしの大馬鹿野郎どもに、そんないい思いはさせないっていうの!」

「マイク、俺には他にできることがないよ」と、静かにロークは言う。

「ないことはないぞ。あるぞ。前に言っただろ、俺が。理由を聞けよ。あんたが要る金ならば、あんたが仕事できるまで・・・」

「オースティン・ヘラーに言ったことを、あんたにも言うよ。金などくれたら、俺たちの間はおしまいだ」

「なんでだよ?」

「マイク、議論はしない」

「しかしだ・・・」

「俺を助けてくれって、俺はあんたに本気で頼んでいる。そういう仕事が欲しいんだ。俺がかわいそうだなんて思うことはない。俺はそんなふうに自分のこと思ってないから」

「しかし・・・しかし、何が起きるかわからないぞ、赤毛よお」

「どこで何が起きるって?」

「つまりさ・・・未来のことだけど」

「金を貯めたら、またもどってくる。さもなきゃ、その前に誰かが僕を呼びに来るさ」

マイクはロークの顔を眺める。マイクは、ロークの目の中に何ものかを見る。それで、ロークは本気で設計の仕事をしばらくしたくないのだなと、マイクにもわかる。

「わかった、赤毛」とマイクは静かに言う。長い間マイクは考えこむ。それから、こう言う。

「あんたにマンハッタンでの仕事を紹介する気は俺にはない。俺にはできない。考えただけでも腹が煮え繰り返るからな。だけど、同じような線ならば、どこか別のところの仕事を紹介できる」

「それでいいよ。何でもいい。俺には大差ないからさ」

「俺は随分と長い間、あのろくでなしフランコンとこの請負業者のところで働いていたからな、フランコン関係のところで仕事している奴は全部知りあいだ。コネティカットにフランコンは花崗岩の採石場を持っている。現場監督のひとりが俺のダチだ。今、ちょうどこの街に来ている。採石場で働いたことあるか?」

「一度ね。随分、昔のことだけど」

「そこならいいか?」

「もちろん」

「そいつに会ってくるよ。あんたの素性は言わないことにする。単に俺の友だちってことで。それでいいよな」

「ありがとう、マイク」

マイクは、コートに手を伸ばし、それから両手をだらりと落とす。床を見つめている。

「赤毛よお・・・」

「これでいいんだ、マイク」

ロークは、歩いてアパートに帰る。もう暗かった。捨てられたかのように、街には人影がない。強い風が吹いている。ロークは寒さを感じる。頬を圧してヒューヒュー吹きつけてくる寒さを感じる。空気を引き裂く風の流れがある。

なのに、ロークが歩く石の舗道には動くものなど何もない。一本の樹すら、そよとも動かない。カーテンも天幕も、ひたとして動かない。ただむきだしの石やガラスやアスファルトや、ビルの影が作る鋭い角があるだけだ。

だから、自分の顔にあたる激しい風の動きを感じるのは、奇妙な気分だった。しかし、街角にあるゴミ籠の中で、クシャクシャに丸められた新聞紙がカサカサと音をたてている。ゴミ籠の針金の網目を、痙攣でもしているかのように打っている。その光景が、風がほんとうに吹いていることを感じさせる。

2日後の夕暮れ、ロークはコネティカットに立った。

汽車から、一度だけロークはマンハッタンを振り返る。空を背景にしたマンハッタンの高層建築群の輪郭を見る。それらの光景は彼の視野にひらめくように見えるだけ、ほんの少しの間だけ窓の向こうに見えるだけではあったが。柔らかな磁器のような青色のうっすらとした軸の形で、それらの建築群は立っている。夕暮れで遠くにあるので、そのような色合いに見える。

こうして遠くから眺めてみると、マンハッタンが平板に見える。あちこちに、他のものとは比較にならないほど飛びぬけて高いビルが、軸のように屹立している。それらのビルはそれら自身の世界を形成している。人間の頭脳が生み出し可能にしたものを、それらの建築群は空に向かって雄弁に示している。

しかし、それらの建物でさえ、最初は空っぽの鋳型にすぎなかった。ただの土くれにすぎなかった。人間が、ここまでにした。人間は、ここまで来た。僕ならば、もっと先に行ける。ロークは、そう思う。

空の端の地平線に浮かぶその街は、ロークにある疑問をつきつけている。そして未来への約束も。ロークを乗せた汽車が、線路を大きく迂回する。もうニューヨークの街は視界から消えてしまった。

その夜、マンハッタンの、とある有名な高層ビルの最上階レストラン「スター・ルーフ」の宴会場で、晩餐会が開催されていた。これから以後、フランコン&キーティング建築設計事務所として知られることになる会社の共同経営者としてピーター・キーティングを承認することを祝福する宴である。

主賓の席にはピーター・キーティングが座っている。彼は背中を反らせ、肩をまっすぐにして姿勢を正しく保ち、グラスの柄をつかんでいる。彼の黒い巻き毛が額にかかり、額の白さをくっきりと際立たせている。

「アメリカ建築家協会」会長のラルストン・ホルクームが挨拶をすべく立ち上がる。手にグラスを持って立っている。ホルクームは、完璧な平静さに満ちた声で話し出す。

「我々は、人間がなすべき偉大なる機能の守護者であります。人間のおびただしい数々の努力の中でも、最も偉大なる機能の守護者であります。我々建築家は、多くのことを達成してまいりましたが、またしばしば間違いも犯してまいりました。しかし、奢り高ぶることなく、常に自らを戒めつつ、我々の後に続く者たちのために、道を切り開いていこうではありませんか。我々は、我々人類に当然のごとく託されている崇高なる心で、真理を探究しようではありませんか。アメリカ建築の未来に乾杯!」

(第1部 超訳 おわり)

(訳者コメント)

『水源』The Fountainhead の第1部超訳が終わった。

これでも、かなりカットしたのである。情景描写にしろ、心理描写にしろ、対話にしろ。

回りくどい文章は簡潔に書き換えた。

それでも、やっぱり長い。

もう、大長編小説だから、これでまだ25パーセント終わっただけだ。

こーいうもの書ける作家の体力というか粘りというか妄想力というものには呆れる。

紙とタイプライターだけで、もうひとつの世界を立ち上げてしまうのだから。

それはさておき、このセクションも、私は大好きだ。

しばらくの間、設計建築から遠ざかっていることを決めたほどに消耗したローク。

それでも、建築関係の仕事しかする気がないので、現場作業員の仕事をマイクに依頼するローク。

マイクは、コネティカットの採石場の石の切り出し仕事をロークに紹介する。

その採石場があるコネティカット州に向かいニューヨークを去るローク。

列車の窓から振り返って見るマンハッタンの風景。

夕暮れの空を背景に青く見える超高層ビルのシルエット。

それらの景観は人間が作った。

大自然が作ったのではなく、人間が創造した。

人間の叡智の結晶であるマンハッタンの高層ビルの林立する風景。

自分は、またいつか、マンハッタンに帰還し、創造の場に参加するんだ。

ロークは、そのことを疑っていない。

疲れてはいるが、自分の未来を信じているローク。

そのロークの孤独ではあるが若々しい姿とキーティングの華やかな虚栄の祝宴の対比。

上手い終わり方であるね。

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