4月になったら、ジャンス&スチュワート不動産会社の社長が、会社にロークを呼びつけた。社長の名は、ナサニエル・ジャンスだ。
ジャンス氏は率直で、ぶっきらぼうだった。彼の会社で、小さなオフィス・ビルの立ち上げを計画していると言う。30階建てのビルで、場所はブロードウエイを南に下ったあたりだそうだ。
建築家にロークをと思ったのはジャンス氏ではなかった。彼は多かれ少なかれその案には反対だったが、友人のオースティン・ヘラーが一度ロークに会って、計画について話してみるべきだと言い張ったのだ。ジャンス氏の方は、ロークの才能を買っているわけではない。しかし、ヘラーがジャンス氏にそうしろと脅すように言うから、建築家を決める前に、ともかくロークの意見を聞くことにしたそうだ。
「ジャンスさん、あなたが自動車をお買いになるときに、窓に薔薇の花輪などついていて欲しくはないでしょう。フェンダーにライオンなどがついているのは嫌でしょう。屋根に天使などいて欲しくはないでしょう。なぜ、そういうのは嫌だと感じるのでしょうか?」
「そりゃ、馬鹿げているからね」
「なぜ、馬鹿げているのでしょうか。僕は、それはそれで美しいだろうなと思いますよ。ルイ14世は、そのような馬車を持っていました。ルイ14世にとって十分に美しかったものは、我々にとっても十分に美しい。我々は、急激な改革に進むべきではないのです。伝統を破壊すべきではないのです」
「君はそういう類のことを何も信じていないと聞いたがね」
「はい、僕はそういうものは信じていません。しかし、それこそが、あなたが信じていることではありませんか。人間の身体を例に取りましょう。先端に駝(だ)鳥(ちょう)の羽の飾りがついている尻尾がついた人間の身体など、見たくないですよねえ。しかし、我々の臀部(でんぶ)の素っ裸のむきだしの醜さのかわりに、そこに駝鳥の羽の飾りがついていれば、実に装飾的でしょう。なのに、それは気持ち悪いですよねえ。なぜ、私たちは、そんなことは考えるのもいやなのでしょうか。なぜならば、それは無用だからです。無意味だからです」
ロークは熱心に語る。
「ご存知のように、人間の身体の美とは、その目的に役立たない筋肉などひとつもないということから生まれています。無駄な線は、ひとつもありません。身体のあらゆる細部が、ひとつの理念のもとに適合しています。人間という理念です。人間の生命という理念です。ところが、こと建築物となると、なぜ、あなたは、きちんとした目的のあるビルのように見えないことを望むのでしょうか。細かな装飾でビルを窒息させたいのでしょうか。ビルの目的を、ビルの包装のために犠牲にするのは馬鹿げていませんか?そのような種類の包装がなぜ欲しいのかさえ、わからないのに。あなたは、そのビルを、いろいろな動物を組み合わせかけ合わせた珍しい獣のように見せたいわけでしょうか。なぜでしょうか。理由を教えていただけませんか。僕にはそういうことが絶対に理解できません」
「ううむ、そういう風には、考えたことがなかった。しかし、我々としては、自社ビルには威厳を持ってもらいたい。それと美しさも。いわゆるほんとうの美しさね」
「どんな美しさですか。誰がそれを美しいと呼ぶのですか」
「ううむ・・・」
「ジャンスさん、古代ギリシア様式の円柱や、果物が入った籠が、現代の鋼鉄製のオフィス・ビルに似合うとお思いになりますか?それが美しいとお思いになりますか?」
「ある建物がなぜ美しいのかについて、あれやこれや、何がしか考えたことはないのだよ、私は。だけど、そういうのは、一般の人々が好むものではないかね。そう思わないかね」
「なぜ、人々がそれを好むと、あなたはお考えになるのでしょうか」
「ううむ・・・」
「では、なぜ人々が好むものを気にかける必要があるのでしょうか」
「世間のことは考慮しなければならないよ」
「ほとんどの人々は、ほとんどのものを受け容れます。それが彼らに与えられたものだからです。彼らには意見というものがありません、どんなことに関しても。あなたは、人々が考えていることによって物事を決めるのでしょうか。それも人々があなたに考えるように期待していることによって、物事を決めたいのでしょうか?それとも御自分の判断によって決めたいのでしょうか?」
「世間の人々の喉に無理に飲み込ませるというのは、何につけてもできないよ」
「そんなことはする必要がありません。あなたは、ただ忍耐強くさえあればいいのです。なぜならば、あなたの側に理があるからです。ええ、僕にはわかります。理というものは、誰も自分の側に実際には持ちたくないものですよ」
「僕が自分の側に理を持ちたくないと、なぜ君は思うのかね」
「あなたのことを申し上げているのではないのです、ジャンスさん。ほとんどの人々は、そのような具合にしか感じないのです。あなたに敵対している存在は、単なる曖昧な肥大した盲目の惰性でしかありません。しかし、人間が行う全てのことは、どちらかに賭けてみるということです。自分で考えて選んで賭けてみる。だから、生きていくということは、いつでも選んで賭けてみるということです。ところが、人々が選ぶのは、自分でも醜くて無駄で愚かだとわかっている方なのです。いつもそうなのです。なぜならば、そっちのほうが、うんと安全だと感じるからです」
「それは言える、君、ほんとうだよ、それは」と、ジャンス氏は言う。
その面談が終わるとき、ジャンス氏は考え考え、こう言う。
「ロークさん、君の意見が理にかなっていないとは言えない。考えさせていただきたい。いずれ、また連絡させていただく」
ジャンス氏は一週間経ってから、電話してきた。
「決定するのは重役会なのだ。ロークさん、やってみる気はあるかね?設計図と何枚か予備的な完成予想図を描いてくれたまえ。私は重役会にそれを提出する。何も約束はできないがね。しかし、私は君を支持しよう。重役どもとやれるだけ、やってみる」
ロークは、2週間の間、昼も夜も設計に没頭した。
設計図は送られた。それから、ロークは、ジャンス=スチュアート不動産会社の重役会に呼ばれた。長いテーブルの脇に立って、彼は説明した。ひとりひとりの重役の顔に、ゆっくり目を配りながら説明した。テーブルを見下ろすことがないように気をつけた。
しかし、彼の視野の下の隅のほうに、自分が描いた設計図が残っている。捨てられ忘れられたかのように残っている。12人の重役たちの前に、白いスポットのように残っている。彼は、かなり多くの質問を受けた。時には、ロークの代わりに、ジャンス氏が飛び上がって答えた。こぶしでテーブルを叩き、怒鳴った。
「君、わからんのかね?はっきりしているではないか、それは?・・・それについてはどうかね、グラント君?こういうものを誰も建てたことがないから、どうだと言うのだ?・・・ハバード君、ゴシックだって?なぜ、我々がゴシックを建てねばならない?・・・君たちがこの案を拒否するならば、僕は辞職してもいいと思っている」
ロークは静かに話した。自分が話す言葉に確信を感じているのは、その部屋でロークだけだった。
これは望みがないなとロークは感じる。彼の目に前にある12人の重役の顔には共通の特質がある。それは、彼らの表情の中に溶け込んでいる何かだ。彼らの顔は、顔であって顔ではない。単なる空っぽな卵形をした肉でしかない。
ロークは、そこにいる誰に対しても意見を開陳している。しかし、誰にも語っていないのと同じだ。ロークは、手ごたえというものを感じることができない。鼓膜を打つ自分自身の言葉の反響さえ感じない。
ロークが熱を込めて語る言葉は、井戸に落下していく。言葉は、落下する途中で、井戸の内壁の石の突起物にぶつかる。その突起物は、言葉をとどめようとせず、どんどん更に深いところへ言葉を落としていく。次から次へと言葉を投げ落としていく。存在しない底にめがけて、ロークの発した言葉を投げ落としていく。
重役会の決定についての知らせがいずれあるからと、ロークは言われた。しかし、ロークには、すでにその決定の中身はわかっていた。結果を知らせる手紙を受け取ったとき、ロークは何も感じることなく、結果報告を読むことができた。
手紙はジャンス氏からのもので、こう切り出していた。
「親愛なる、ローク氏へ。まことに遺憾なことながら、我が社の重役会は、貴殿に自社ビル設計の任を託すことができないと決定せざるをやむなきにいたり・・・」
その手紙の、無情な気に障る形式ばった物言いのなかには、ある懇願があった。ロークに直(じか)に会って、釈明できない男の懇願が。
(第1部38 超訳おわり)
(訳者コメント)
今でこそ、オフィスビルは、ハワード・ローク式に機能的合理的に作られ、過剰な装飾はないが、この小説の舞台である1920年代は、まだまだ商業施設も、外壁に彫刻が飾られていたり、古典のナニナニ様式風なデザインが多かった。
日本でも、老舗の大デパートの入り口にスフィンクスのような一対のライオンのブロンズ像が置いてあったりする。外壁に漆喰の果物や花が飾られていたりする。
アイン・ランドの故郷のサンクトペテルブルクの古い建造物は、ビルの屋根や庇の下にアトラス像が置かれていることが、やたらに多い(2006年当時)
古代ローマやギリシア神話での腰を屈めて重そうに地球を支える巨人アトラス像が、現在のマンハッタンのロックフェラーセンターの前に設置されているが、サンクトペテルブルクのビルを支えているのは、すくっと立った若い青年のアトラス像であり、時には半裸の若い女性のアトラス像だったりする。
考えてみれば、外壁をそのような彫像で飾る必要は全くない。建物とは、そのように飾るものであるという思い込みや慣習や伝統があるだけである。
そんな外観の装飾より費用をかけるべき場所や装置は商業オフィスにはいっぱいある。
しかし、ロークの設計案を拒否した不動産会社の重役達は、オフィスビルの外観はこうあるべきという思い込みから抜けることができない。
こうあるべきと断定する根拠を見つけることができないくせに。
強いてあげれば、その根拠とは「世間の目」である。
彼らは、一事が万事、世間の一般通念の枠の中で物事を決めて選ぶ。
世の中とはそういうものだ。
世間とはそういうものだ。
だから、世間が肯定することをすればいい。
しかし、その世間は不変のものでもないし、普遍的なものでもない。
実態があるようでない。
実態も実体もない世間の思惑から自分を含む物事を眺めて評価して生きるという意味で、ほとんどの人間は生きながら眠っている。
催眠術にかかっている。
自分で自分に催眠をかけている。
ロークは、生きながら眠っている人々には、催眠術にかかっている人々には、自分の言葉も設計案も届かないことを知っている。
「覚醒」なんて、ややこしいことではないよね。
自分の言動を決定する判断が、ただの脳の習慣であり、惰性であり、思い込みであり、根拠はないのではないか、別の考え方ができるのではないかと、常に自分に問うことが「覚醒」だよね。
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