第1部(28) ロークとオースティン・ヘラーの出会い

ジョン・エリク・スナイトは、5人の設計係を前にして言う。

「みんなねえ、この件については骨惜しみをしないで。これは、今年この事務所に来たもっとも重要な仕事だからさ。金にはあまりならないけどね。しかし、成功したあかつきには、その威信たるや、獲得できるコネたるや、もう!我々が、これをものにしたら、あのお偉い建築家先生どもの顔が嫉妬で青くなるなんてものじゃないぞ!オースティン・ヘラーは僕に率直に言ったよ。うちは彼が依頼した3つめの建築設計事務所だってさ。ヘラーは、大手の事務所が売りつけてきた設計のどれも気に入らなかったわけ。だから、みんなねえ、我々次第なのさ、成功するかどうかは。変わった奴だよな、ヘラーって。尋常じゃあない。しかし趣味のいい奴ではある。だから、ありきたりのものじゃ駄目。他と違っていなければ駄目。さ、最善を尽くしてよ」

スナイトの事務所が雇用している5名の設計係は、スナイトの前に半円状に並べられた椅子に座っている。「ゴシック屋」は退屈そうだった。「いろいろ屋」はもう最初から戦意喪失している。「ルネサンス屋」は、天井を飛びかうハエを目で追っている。ロークはスナイトに質問する。

「所長、ほんとうのところ、ヘラ-氏は何と言っているのですか?」

「大して意味があることは何も言ってないよ。ここだけの話だけどさ。活字で見る彼の英語の素晴らしい明晰さからすれば、今回の仕事に関しては、彼の希望は不明瞭だね。建築について無知であることに関しては、ヘラーは自分でも認めている。近代的なのがいいとか、どの時代の様式がいいとか、こんな具合なのがいいとか、ヘラーは、いっさい言わない。自分自身の家に望む効果について何がしか語っていたけれどさ。随分長く躊躇(ちゅうちょ)してたんだってさ。全ての家が彼にとっては似通って見えるのに、みな馬鹿みたいにそっくり同じに見えるのに、どうして人が家というものに、ああも熱心になれるのか理解できないのに、なのにそういう状況なのに、さらにもうひとつの家を建てるなどということはどういうものかって。しかし、それでもヘラーは自分が愛せる家が欲しいという気持ちがあるんだそうだ。『何かを意味する家』というのがヘラーが語った言葉だ。『それが何を意味して、どういう具合に意味するのかは、わからないが』と、ヘラーは言っていた。そこだな。それだけが、ヘラーが言ったことなんだ。それ以外にはあまり言わなかったね。これがオースティン・ヘラーからの話でなかったならば、僕は設計案を出すことなど請け負ったりしなかったろうけどさ。まあ、わけのわからん注文だ・・・ローク、それがどうかした?」

「いえ、何でもありません」

オースティン・ヘラー邸という案件のための最初の会議はこれで終った。

その日の仕事が終った後、スナイトは5名の設計係を通勤帰りで混雑する電車に乗り込ませて、自分もいっしょにヘラーが選んだ敷地を見に、コネティカットまで出かけた。

一行は荒涼とした岩だらけの海岸が延びる土地に立つ。みな、サンドイッチやピーナッツをほおばっている。

断崖が地面からぎざぎざの岩礁(がんしょう)となり立ち上がり、まっすぐに先まで伸びている。断崖の先端は、荒々しくむきだしのままに、海に向かって垂れ下がっている。その断崖の垂直の岩の軸は、海の長い青白い水平線と交差し、十字架を形成している。一行は、その断崖を眺めている。

「あそこだ。あれが、そうだな」と、スナイトは、手に持った鉛筆をくるくる回す。

「とんでもないだろう?もっと、まともな敷地を提案しようとしたんだが、依頼主さんときたら承知しなかったんで、僕は諦めたよ、もう」

彼の鉛筆は、まだくるくる回っている。

「あそこがヘラーが家を建てたがっている場所だ。あの岩の頂上。海岸からもっと奥まった場所で、視界にあの忌々しい岩が見える場所に建てたらどうかって、僕は提案したんだ。でも、ヘラーは、それではいやなんだとさ。岩を爆破しないとな。考えても見ろよ。あの崖の上で整地すること想像してみろよ、もう。やれ、やれ、あれがそれだよ・・・勾配(こうばい)をよく見ておいてよ。石の質もね。段取りが難しいなあ・・・事務所に、全調査記録と写真類はあるんだが・・・さて・・・誰かタバコ持ってない?・・・さて、これで言うべきことはすんだと・・・帰りの電車は何時だっけ?」

というわけで、5名の設計係は仕事を始めた。彼らのうち4人は、スケッチ帳を広げ、すぐに描き始める。ロークだけが、ひとりで何度も敷地を見に行く。

スナイトの事務所に雇用されてから過ぎた5ヶ月は、ロークにとっては空白だった。この5ヶ月については何も覚えていない。自分が作成した設計案はすべて記憶している。強いてやってみれば、自分が作成した設計案に何が起きたかも思い出せる。しかし、ロークはそれをしない。

ロークは、今度の仕事、オースティン・ヘラー邸を愛するほどには、ここでの事務所のどの仕事も愛したことがなかった。製図室で製図用紙を広げ、ロークは幾晩も幾晩も残業しながら過ごした。海に突き出すあの断崖について考えた。その設計案は完成するまで誰の目にもふれることがなかった。

ある夜遅く、それらが完成したとき、製図台の上に製図用紙を広げ、ロークは何時間も座っていた。スケッチ帳に描かれている設計案はロークではなく、その邸宅が建っている断崖によって設計されていた。あたかも、その断崖が育ち、自らを完成させ、自らが待っていたものを所有することを主張するかのように。

その邸宅は、岩礁にしたがって、いくつかの層に分割されている。段々に積み重なった塊の状態に岩が立ち上がるにつれ、その幻の邸宅の各層も建ちあがっている。その幻の邸宅のそれぞれの面はともに流れるように、ひとつの申し分のない調和を形成している。壁はといえば、岩と同じ花崗岩でできている。上部に向かって垂直の線を継続させている。広い海に突き出しているようなコンクリート製のテラスは海のように銀色である。テラスは、そこから望む海の波の線と呼応している。まっすぐな水平線と呼応している。

ロークは、朝になって同僚たちが製図室に出勤してきたときも、まだ座っていた。それから、その完成予想図は所長のスナイトに渡された。

2日後、オースティン・ヘラーに提示される予定の最終設計案による邸宅模型が、テーブルの上に薄紙で包まれて置かれた。それはロークの設計によるものだった。彼の競争相手たる他の設計者の案は却下されていた。

それは、確かにロークの設計によるものだったが、壁は赤いレンガに変えられていた。窓は従来の慣習どおりの大きさにされていた。それも緑色のシャッターつきにされている。外に向かって突き出した三角窓のうちの2つが省かれている。海の方へ一端が飛び出した形の大きなテラスは、小さな錬鉄製のバルコニーにとってかわられている。最終設計案による邸宅模型には、イオニア様式の円柱のある玄関が設けられていた。風見鶏を支える小さな尖塔もついていた。

ジョン・エリク・スナイトは、テーブルのそばに立ち、広げた両手を邸宅模型の上にかかげながら言う。

「これこそ、オースティン・ヘラーが心に描いているものだぞ、きっと。かなりのできだな・・・うん。かなりのできだ・・・ローク、完成予想図のそばでタバコは吸うなと何度言えばわかる?離れててよ。灰が落ちるじゃないか」

オースティン・ヘラーは12時に事務所にやってくるはずだった。しかし、11時半過ぎに、スィミングトン夫人が予告もなしにやってきて、スナイトにすぐに会いたいと申し出てきた。スィミングトン夫人は、スナイトに設計された新しい邸宅に転居したばかりの富裕な未亡人である。かてて加えて、この夫人の弟なる人物からアパートメント・ビルの建築の設計を任される予定でもあったので、スナイトは夫人との面談をむげに断ることもできなかった。彼が執務室に夫人を通すと、夫人は、新居の図書室の天井にひびがはいっているし、客間の出窓が対処しようもないほど絶えず湿気で覆われて窓の役目をはたさないと、遠慮も容赦もなく言い立て始めた。

スナイトは主任技師を呼びつけ、技師とふたりで、懇切丁寧な説明をし、謝罪し、建築請負業者の非を言い立てた。夫人はといえば、スナイトの机のブザーが鳴り、受付係がオースティン・ヘラーの来訪を告げても、態度が軟化する様子はいっさいない。

スナイトは主任技師の人を慰撫(いぶ)するような弁舌に夫人を託した。夫人に少し席をはずさせていただくと言い、退室することで、この問題を処理するしかなかった。

スナイトは、受付に突進した。ヘラーと握手してから、スナイトは提案する。「ヘラーさん、いかがでしょうか?製図室にお入りになっては?そちらのほうが明るいですし、御邸宅の模型はもう用意されておりますので」

ヘラーは、こだわりなく、スナイトの後に続き製図室へ歩を進める。英国製のツイードを着た長身の、肩の幅が広い姿である。髪は砂色である。瞳がたたえる皮肉な静けさを数え切れない皺が取り囲んでいる。その皺が、彼の四角い顔を引き締めている。

スナイトの指先が、模型をおおっていた薄紙を取り上げる。それから、スナイトは引き下がり、ヘラーの顔を見つめる。ヘラーは、体をかがめ、背を丸め立っている。模型にひきつけられ、じっと集中している。長い間、言葉を発しない。

「スナイトさん」と、ヘラーはとうとう話し始める。

「うん、私が思うに・・・」と、ここまで言って、また言葉を止める。

スナイトは忍耐強く待っている。わくわくとしながら。

ヘラーは、スナイトがひるんでしまったほどに、唐突に大きな声で、完成予想図に自分のこぶしをドンと置いて言った。

「これは、まさしくこれは、今まで依頼したなかでも一番いい線を行っている!」

「お気に召すことは、わかっておりましたよ、ヘラーさん」と、スナイトは言う。

「お気になど召しておらんよ。ただ、実に近い」と、ヘラーは無念そうに言う。

「違うんだなあ。どこが違うのか私にはわからない。しかし違う。こういう答えでは、いい加減に聞こえるので、申し訳ないのだが。私はひと目で気に入るか、もしくは全く駄目なのかどちらかだから。たとえば、この玄関では僕は快適になれない。美しい玄関ではあるが、そんなものは頻繁(ひんぱん)に見れば、もう気にもとめなくなるようなものだ」と、ヘラーは無念そうに言う。

「はあ、しかし、ちょっとご参考までにお話させていただけませんか、ヘラーさん。もちろん、人はモダンでありたい。しかし、と同時に、ひとつの家庭でもあるという外観も保持したいものですよ。堂々とした威厳と居心地のよさの合体とでもいいますか。このような実に厳粛な飾り気のない邸宅は、それを和らげる要素をいくらかは持たなければなりません。それは建築学的にも厳密に正しいことなのです」

「はっきりしていることは、私は、そんなことは知る気もないということだ。私は人生で厳密であったことはないのでね」と、ヘラーは言う。

「この案について説明だけさせていただけませんか。そうすればご理解もいただけるかと・・・」

「わかっている。わかっている。君が正しいことは、わかっている。ただ・・・」ヘラーの声には、提示されたこの案がいいと自分が感じることができればいいのにとほんとうに願っている人間が発するであろう真摯な響きがこもっている。

「ただ・・・もし、これに何らかの統一というものがあれば・・・何らかの・・・何らかの中心的思想・・・それは、そこにあって、ないもので・・・もし、それが生きているように見えれば・・・この案には何かが欠落している。余計なものが多過ぎる・・・もっと明晰で、もっと削られていれば・・・これが統合されていれば・・・」

ロークが振り返る。ロークは、そのとき模型の置かれたテーブルの端に立っていた。ロークは、模型とともに置かれていた完成予想図をひっつかむ。彼の手は、ひらめくように前に伸びる。鉛筆がその完成予想図を横断して引き裂いたかのような速い動きを見せる。完成してから人の手に触れられていない水彩の完成予想図の上に、生々しい黒い線が引かれる。その線は、イオニア様式の円柱や、ペディメントや玄関や尖塔やブラインドやレンガを吹き飛ばす。石でできたふたつの翼壁(よくへき)を放り上げるかのような線を示す。その線は窓を大きくとった。バルコニーを裂いて海を望むテラスを投げつけるように描いた。

これらの一連の動作は、その動作が始まる瞬間、他のみなが息を呑む間もなく、なされた。その瞬間のあと、スナイトはロークに飛びかかったが、ヘラーがスナイトの手首をつかみスナイトの動きを阻止した。ロークの手は、壁を壊し、分割し、激しい動きで壁をあらたに作り直した。

ロークは、ほんの一瞬、一度だけ頭を振り上げ、テーブル越しにヘラーを見る。それだけが、ふたりが必要とした互いの自己紹介の動作だった。それは握手のようなものだった。

ロークは、書き直し作業を続けた。ついに直しを終え、鉛筆を置いた。そのとき、ヘラーの邸宅の完成予想図は、最初にロークが設計したとおりに、黒い線でできた秩序だったパターンで完成されていた。この作業は5分とかからなかった。

スナイトは声を発しようと試みる。ヘラーが何も言わないので、ロークを攻め立てていいのだと感じて、怒鳴る。

「君はクビだ、馬鹿もん!ここから出て行け!クビだ!」

「我々は両方ともクビだな」と、ロークにウインクしながら、オースティン・ヘラーは言う。

「来たまえ。昼飯は食べたかね?どこかへ行こう。君と話がしたい」

ロークは、帽子とコートを取りにロッカーまで行く。製図室にいた者はみな、この仰天するような成り行きを目撃していた。

オースティン・ヘラーは完成予想図を取り上げ、その神聖なる厚紙にひびをいれながら4回折り曲げ、たたんだ。それを自分のポケットに滑り込ませた。

「しかしですねえ、ヘラーさん・・・説明させてください・・・それがお気に召したのならば、それでいいですよ。設計はやり直しますんで・・・説明させていただけませんか」と、スナイトはどもる。

「今は聞けない。小切手は送るよ」と、ヘラーは応えた。

ヘラーは行ってしまった。ロークもヘラーとともに行ってしまった。ヘラーがスナイトたちを残し、事務所のドアをぴしゃりと閉じたとき、その音は、ヘラーの書く記事のひとつの段落が閉じられたかのような響きを持っていた。

ロークは、その間。一言も話さなかった。

ロークが入ったこともないような最高級レストランの、やわらかに照明のあてられたブースで仕切られた席で、ふたりのあいだのクリスタルと銀のきらめきごしに、ヘラーはこう言っている。

「・・・あれこそ私の望む家だ。ずっと欲しかった家だ。君は私のためにあれを建ててくれるかね?図面を書いて建築を監督してくれるね?」

「はい」

「始めたらどれぐらいで、できるかね?」

「約8ヶ月です。」

「秋の終わりまでには、私は家が持てるわけだね?」

「はい」

「その絵のとおりに?」

「そのとおりに」

「実はだ、私は建築家とどういう種類の契約をかわしたらいいのか見当もつかない。君は知っているにちがいないから、契約書を作ってくれ。今日の午後にでも私の弁護士に承知させておいてくれるかい?」

「はい」

ヘラーは、自分に対峙して座っている男をまじまじと観察する。目の前のテーブルの上に置かれたその男の手を見る。ヘラーの注意は、その手に注がれる。その長い指、とがった関節、目立つ静脈。なぜか自分がこの男を雇ったとは感じられない。彼を雇うように自分が降伏させられたという感じがする。

「君はいくつだ。紹介はあとにして、ともかく君はいくつだ?」。

「26才です。他にお尋ねになりたいことがありますか」

「いや、ない。ここにすべてある、このポケットにね。君の名前は?」

「ハワード・ロークです」

ヘラーは小切手帳を取り出す。テーブルの上にそれを広げ、万年筆を捜す。

「いいかい」と、金額を書き込みながら、ヘラーは言う。

「500ドルを支払う。まず自分の事務所を開きたまえ。そのほか、君が必要なものは何でも。それから仕事にとりかかってくれ」

ヘラーは小切手を切り離すと、それをロークに渡す。愉快そうに不思議そうにロークを見つめながら、ヘラーの目は細くなる。その動作は、挨拶の雰囲気を帯びてもいる。

その小切手のあて先は、「ハワード・ローク、建築家」となっていた。

(第1部 28 超訳 おわり)

(訳者コメント)

このセクションは訳していることが快感だった。

ロークの設計の非凡さを認めることができる人物が出現した。

オースティン・ヘラーという一流の知識人が、スナイト案を退け、ロークの設計案を受け容れた。

ヘラーは、自分の邸宅に、中心的思想と、それを軸にした統合を求めた。そのヘラーの希望をスナイトは理解できなかった。ロークは理解した。

マイク・ドニガンに続き、ロークに信頼できる知己ができた。

訳しながら私も心踊り嬉しかった。

ところで、これはアイン・ランドの描写力の問題なのか、私の想像力の欠如の問題なのか、ロークが設計する建築物のイメージがなかなか私には浮かばない。

特に、このヘラー邸のイメージが薄らボンヤリとしか掴めない。

せっかくの、ローク独立を可能にしたヘラー邸なのに。

ヘラーの邸宅の敷地は、コネティカットの海辺の崖の上であり、海に突き出すように邸宅が設計される。

まるで崖の上の岩から自然に立ち上がっているような邸宅の設計である。

???

知り合いのカナダ人に、この小説を薦めた。

読み終えた彼は言った。

「主人公が設計する建物のイメージが浮かばない」と。

やっぱり……

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