エルスワース・トゥーイーはワイナンドに呼び出された。
彼は、ワイナンドの執務室に入り数歩進んで、すぐに足を止めた。ワイナンドの執務室は、『バナー』の社屋の中では唯一贅沢な造りの部屋だ。
その壁はコルクと銅のパネルでできている。この壁には前には絵とか写真などは一枚も飾られていなかった。しかし今は、ワイナンドの執務机に面した壁にガラス張りの拡大写真が貼られている。エンライト・ハウスの公開日のときに撮影されたロークの写真である。イースト・リヴァー沿いに建てられている胸壁の上に立つロークの写真である。ロークが頭をのけぞらせて恍惚とした表情を浮かべている、あの写真だ。
トゥーイーはワイナンドの顔を思わず見る。ふたりは互いに互いの目をのぞきこむ。
ワイナンドは椅子を指し示し、そこにトゥーイーが座る。ワイナンドは、微笑を浮かべながら話し出す。
「トゥーイー君、君の社会理論に私が同意することになるなんて私は夢にも思ったことがない。しかし、私とて、そうせざるをえない時もある。君は、いつも上流階級の偽善を非難し、大衆の美徳を説き教えてきた。私がまだヘルズ・キッチンにいるのならば、この君との面談をこう言って始めることができたのにねえ。よく聞け、この寄生虫!とね。しかし、今や私は抑圧された資本家なので、そうは言わない」
トゥーイーはワイナンドの次の言葉を待っている。ワイナンドが何を言い出すのか興味津々という様子だ。
「資本家たる私は、今は、こう言う言葉で始めたいと思う。聞きたまえ、トゥーイー君。何が君をそう動かすのか私にはどうでもいい。君の動機などどうでもいい。あえていちいち詮索することなど私はしない。釈明も聞きたくない。ただ単に君にこう言うだけだ。今後、君のコラムでいっさい言及してはいけない名前があると」
ここまで言って、ワイナンドは壁にかかったロークの拡大写真を指差す。
「君の世間での高い評判をひっくり返すことなど、私ならばやろうと思えばできる。それを大いに面白がることもできる。しかし、そうするよりは、私は、ロークに関する話題を出すことを君に徹底的に禁じることを選ぶ。トゥーイー君、今後は一言も書いてはいけない。二度としないことだ。君との契約とか、契約にあった特別条項とかについてはもう言うな。そのほうが、君にとってためになるぞ。コラムは今までのように書きたまえ。しかし、ちゃんと君のコラムの題名にふさわしいテーマで書くんだ。文字通りささやかな、小さなテーマを選びたまえ。トゥーイー君。実に小さな些末(さまつ)なテーマを」
「わかりました、社主」と、いとも簡単にトゥーイーは答える。
「現在、ローク氏について書く必要はありませんから」
「話はすんだ」
トゥーイーは席を立つ。
「承知いたしました、社主」
コメントを残す