第4部(3) じょじょに認められていくロークの仕事

 ロークは、自分が設計したこの保養地の家を自分自身が借りたかったので、その年の夏をそこで過ごした。モナドノック渓谷保養地が完成した年の夏を、そこで過ごした。

しかし、この保養地が一般公開される前に、ロークはニューヨークから一通の電報を受け取っていた。そこにはこう記(しる)されてあった。

「きちんと僕が処理するって言っただろう?友だちだの仲間だのうるさい連中を片づけるのに五年かかった。しかし、とうとうホテル・アクイタニアは僕のものだ。そして君のものでもある。最後の仕上げのためにすぐ来てくれ。ケント・ランスィングより」

だから、ロークはマンハッタンに戻った。あの巨大なる「未完成交響曲」の図体(ずうたい)から、瓦礫(がれき)だの工事の残骸だのセメントの埃だのゴミだのが、きれいさっぱり取り除かれているのを、ロークは見た。工事現場のやぐらや足場が、セントラル・パークを見おろす高さに梁や桁を揺らしているのを見た。裂け目のように開いたままだった窓にガラスがはめられているのを見た。マンハッタンの建物の屋根のはるか上空に、広々とした幅の大きな階が重なり広がっているのを見た。

ホテル・アクイタニアが完成していた。セントラル・パークの夜空にそびえ輝いていた。

ここにいたるまでの二年間、ロークは非常に忙しかった。モナドノック渓谷保養地だけにかかりきりというわけにはいかなかった。様々な州から、アメリカの思いがけない場所から、彼の元に設計依頼が来ていたから。

依頼は、個人の邸宅もあれば、小さな社屋(しゃおく)もあった。規模の小さい店の依頼もいくつかあった。ロークは、それらをみな引き受けて設計し建築した。モナドノック渓谷から遠く離れた小さな町へ移動する汽車や飛行機の中で得る数時間の眠りを削りながら、仕事をこなした。

ロークに設計依頼が来ることになった経緯(いきさつ)は、みな同じだった。依頼主たちはこう言うのだ。

「私はニューヨークにいたとき、エンライト・ハウスが好きで・・・」

「コード・ビルを見たので」

「破壊されたストッダード殿堂の写真を拝見しました」

まるでアメリカの大地の底を流れる地下水脈があり、その水脈が突然に湧き出て、アメリカ中のあちこちで、でたらめに予想もつかないところで噴出したといった調子で、ロークに設計依頼が殺到するようになった。それらは、小さな費用もあまりかからないような設計料も小額の仕事でしかなかった。しかしロークはたゆまず最善を尽くしながら、仕事をし続けた。

(第4部3  超訳おわり)

(訳者コメント)

ここも訳していて嬉しいセクションだった。

ロークの仕事が、じょじょに認められていく。

いろいろスキャンダルにまみれたロークなので、大きな仕事は依頼されない。

しかし、世の中には正直な人々もいる。

ロークがかつて設計した建物を見て、正直にいいなあ!と思う人がいる。

その人たちが、ポツリポツリとロークに設計を依頼する。

例のオハイオの5階建の百貨店もそうだった。

ロークの設計による建物は、美的にも機能的にも素晴らしい。

それが、わかる人もいる。

ジワジワと設計依頼が増え、今や依頼は殺到するようになった。

たとえ小さな仕事でも、ロークは手を抜かない。

建築の仕事で地上を美しくしたい、神はいないのだから、この地上を美しくするのは建築だからと、若き日にヘンリー・キャメロンに言ったロークにとって、仕事をテキトーにするなどということは、できるはずがない。

やっとロークの努力の蓄積が、花開く時期となった。

でも、みなさま、このままロークの乗る船が順風満帆に海を行くとは、思わないでください……

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