第3部(25) 『バナー』的なるものへのドミニクの抵抗

春になった。ワイナンドは出版社ばかりが集まる総会に出席するため、一週間ほどニューヨークを留守にした。その一週間は、結婚以来、ワイナンドがドミニクと初めて別々に過ごす日々だった。

ワイナンドがニューヨークに戻ってきたとき、ドミニクは空港まで夫を迎えに行き、夫を驚かせた。ドミニクは明るく優しかった。彼女のふるまいには、ワイナンドが一度も期待しなかったような、信じられないような、しかしほんとうは彼自身が完璧に信じていた可能性を示していた。ふたりの結婚の事情からは予想もつかないような信頼と親密さが、ふたりの間で将来もっと深まり、ふたりがさらに幸福になるであろうという可能性である。

ワイナンドはペントハウスの客間に入り、寝椅子に半分寝転がるように座り込んだ。彼が自宅にこのままいたいのであり、自分自身の世界で再び捕まえた安全を味わっていたいのだと、ドミニクにはわかっている。全く無防備にワイナンドは、瞳をドミニクに向けている。しかし、ドミニクは身構えてまっすぐ立ち、こう言う。

「ゲイル、着替えをして下さらない? 今夜は劇場に行きますの、私たち」

ワイナンドは寝転びかけていたが、きちんと座りなおす。額に峰のような斜めの皺を立たせて小さく笑う。ドミニクは、ワイナンドのその態度に内心、感嘆のような冷たい感覚を味わう。この男の自己抑制は完璧だ。ただ額の皺だけは感情を隠せないようだが。ワイナンドは言う。

「いいねえ。服は黒い蝶ネクタイの略式かい、それとも白い蝶ネクタイの正装かい?」

「正装の方です。『てめえの鼻の皮など知ったことか』の切符が二枚ありますの。手に入れるのが大変でした」

ワイナンドにしてみれば、これはやり過ぎというものだった。この瞬間にワイナンドとドミニクの間に生じた緊張に、わざわざ自分が加担するのは馬鹿げて思える。ワイナンドは、全くどうしようもないと言わんばかりに、あからさまに大声で笑い、まっすぐ座っていた姿勢を崩す。

「ドミニク、いい加減にしてくれ。それはないよ」

「あら、ゲイル、今ニューヨークでは一番ヒットしていますのよ。あなたの新聞の劇評家ジュールズ・フォウグラーが・・・」

ここまでドミニクが言ったとき、ワイナンドは笑うのをやめた。ドミニクの意図がわかったからだ。ドミニクは、さらに言う。

「そのジュールズ・フォウグラーが、現代最大の劇だと評しましたのよ。エルスワース・トゥーイーは来るべき新時代の新鮮なる声だとか書いておりました。アルヴァ・スカーレットに言わせれば、この劇はインクで書かれたのではなくて、人間の優しさというミルクで書かれたのだそうですわよ。サリー・ブレントは、あなたがあの方を解雇なさる前の話ですけれど、確か、あの劇には感動で喉が詰まって泣きそうになりながらも大笑いさせられたとか、言っていました。あなたの『バナー』が一致団決して応援している劇なのですから、あなたはもちろんご覧ごらんになりたいでしょう?そうじゃありませんこと?」

「そうだよ、言うまでもない」

ワイナンドは答えて、寝椅子から立ち上がり、着替えに行く。

『てめえの鼻の皮など知ったことか』は、もう何ヶ月ものあいだ上演されていた。エルスワース・トゥーイーは、定期的にこの劇をコラムで取り上げている。最近のコラムでは、題名だけは「わが国の劇場をいまだ支配する中産階級の偏狭なる上品気取りへの譲歩として」少し変えた方がいいのではないかと書いている。こうも彼は書いている。

「この劇は、芸術家と自由なるものとの相克(そうこく)の一例だが、声を振り絞るような痛切な一例でもある。我らの社会が自由なる社会だという時代遅れのたわごとには、もう耳を貸さないでおこう。この美しい劇の題名は、元来が、市井(しせい)の人々の話し言葉から引用された本物の一行である。大衆の表現する言葉の勇敢で簡素な雄弁さを持った一行である」

ワイナンドとドミニクはオーケストラ席の四列目の中央という特等席で、互いの顔は見ないで舞台だけに集中して、その劇を観た。舞台上で行われているすべてのことは、ただただ陳腐で愚鈍だった。

しかし、その劇の底に流れているものが、ふたりを震撼させた。劇中で話される冗長な馬鹿げた言葉の数々には、ある空気というものがあった。俳優たちは伝染病のようにその空気を吸い込んでいた。その空気は、彼らの作り笑いを浮かべた顔に、彼らの声の陰険さに、そのだらしない動作の中に浸透していた。

それは愚劣な言葉のかもし出す空気だった。啓示のように発話され、啓示として受け入れられることを傲慢にも要求する愚劣な言葉が発生させる空気だった。無垢な信念が持つ空気ではなく、意識的な厚かましさが持つ空気。まるで、この劇の作家が、自分の作品の質をよくわきまえていて、観衆の心をして、いかにも自分の作品を崇高だと感じせしめるだけの力を、自分が持っているのだと自慢しているような、そんな高をくくった舐めた空気だ。観衆の心の内部にあった本当の崇高さを感じる能力を破壊するような、そんな空気だ。

この劇は、確かにこの劇を応援する『バナー』の執筆陣の評価どおりのものではあった。観衆を笑わせたし、楽しませたし、下品な冗談もいっぱいあった。その舞台は、そこから神なるものが引き裂かれ、そのかわりに剣を持った悪魔ではなく、コカコーラをちまちま飲みながら街角にたむろしているチンピラが立つ台座であった。

観衆たちの中には沈黙が支配していた。彼らは謎をかけられたようでもあり、やたら自分を卑下しているようでもあった。なぜならば、誰かが笑えば、彼らはそれに続いて即座に笑い声をたてるのだから。自分たちが楽しんでいるのだと学んでほっとしたかのように。

『バナー』紙上でこの劇を絶賛した劇評家のジュールズ・フォウグラーは誰かに影響を与えようなどとはしなかった。彼はただはっきり断言し、言明しておいたのである。前もって、この劇を楽しめない人間は、基本的に価値のない人間であるということを言い散らかしておいたのである。彼は言った。

「なぜこの劇が楽しいのか説明を求めるのは無駄なことです。この劇を好きになれるだけあなたが善良か、好きになれないだけ邪悪か、そのどちらかでしかないのですから」

幕間(まくあい)時間、ワイナンドは近くの席でひとりの婦人がこう言っているのを耳にした。

「素晴らしいですわ。よくわからないけれども、何か非常に大事な劇だということは感じますわね」

ドミニクはワイナンドに訊ねる。

「ゲイル、お帰りになりたい?」

「いや、終わりまで観る」

帰りの自動車の中でワイナンドは無言だった。自宅の客間に入ったとき、ワイナンドはドミニクの言葉を待ち、何でも聞くつもりで突っ立っている。

一瞬だが、彼を勘弁してあげようかとドミニクは迷った。彼女自身も空しい気分だったし、非常に疲れてもいたから。夫を傷つけたくはなかった。むしろ、彼の手助けが欲しいぐらいの気分だった。

それから、ドミニクは自分が劇場で目にしたものについて再び考えてみた。あの劇は、確かに『バナー』が創り出したものだ。あれこそは、『バナー』が強いて生み出し、糧(かて)を与え、育て、勝利させたものだ、とドミニクは思う。

あのストッダード殿堂の破壊を始めたのは『バナー』だった。その破壊を終わらせたのも『バナー』だった。一九三〇年の十一月二日のニューヨーク『バナー』だった。エルスワース・トゥーイーの書いたコラム「聖所侵犯」が出たのは、その日だった。それからアルヴァ・スカーレットが書いた「我らが子ども時代の教会」が出て、「スーパーマン君、いい気分かい?」の見出しがついたロークの写真が載った。

ドミニクは思う。あの破壊は遠い過去の出来事ではない。これは、建造物と劇作品という相互に比較できそうもないふたつの実体を比較して、どうのこうのという問題ではない。これは偶然のことではない。それに関わっている人間が誰であるかの問題でもない。アイクだろうが、フォウグラーだろうが、トゥーイーだろうが、私自身だろうが、ロークだろうが、特定の誰かの問題ではない。これは永遠の戦いなのよ。ふたつの観念のあいだに繰り広げられる闘争だわ。あのストッダード殿堂を創造したものと、あの劇を可能にした何かとの戦い。このふたつの力が、突然ドミニクの目前に、あるがままに単純に、むきだしのまま浮かぶ。この世界が始まって以来、戦い続けてきたふたつの力。

あらゆる宗教はこのふたつの力を知っていた。いつでも神と悪魔の戦いはあった。しかし、人間だけが悪魔の形を見間違えてきたのだ。悪魔は、ひとつの大きな存在ではない。悪魔は、下卑たちっぽけな存在がいっぱい集まったものなのだ。

『バナー』は、あの愚劣な劇に生きる場を与えるために、あのストッダード殿堂を破壊した。他の手段はありえない。中庸を行くことなどできない。回避することもできない。中立などありえない。こちらを取るか、あちらを取るか、ふたつにひとつしか道はない。いつでもそうだったのだ。

この戦いは様々な表現をされてきたが、名づけられていない戦いだわ。その戦いについて語る言葉がない戦いなのだわ・・・ローク、ドミニクは心の中で自分が叫んでいるのを聞いた。ローク・・・ローク・・・ローク・・・

「ドミニク・・・どうかしたの?」

ワイナンドの声にドミニクは我に返る。彼の声には優しく心配そうな響きがあった。彼は、自分の不安や心配をごまかすようなことは決して自分に許さない男だ。ドミニクは、自分の顔に浮かんだ懸念が、夫の声の響きに反映されたのだとわかっている。ワイナンドはドミニクの顔に浮かんだものに気がついたのだ。

ドミニクは直立して、確信を持って、平静な心で語る。

「ゲイル、私はあなたのことを考えていましたの。ねえ、ゲイル。まったき高みをめざすまったき情熱でしたわね?」

ドミニクは、さっきまでふたりが観てきた舞台の俳優たちがやっていたように、だらしなく両腕をぶらぶらさせながら、大きな声で笑う。

「ねえ、ゲイル。ジョージ・ワシントンの絵がついた二セント切手は持ってらっしゃる?ゲイル、あなたはおいくつ?どれほど懸命に働いていらしたの?あなたの人生の半分は、もう過ぎたでしょう。今夜、あなたはその報酬を目になさったわけです。あなたのこの上ない無上の業績ですわよ、あれは。もちろん、人間は誰も自分の最上の情熱に等しくはなれません。でも、人間は苦労して大いに努力すれば、あの劇の水準ぐらいまでには上昇できるのですわね、いつかは!」

ワイナンドは無言で立っている。ドミニクの言葉を聞きながら黙っている。

「あの劇の台本をもらってきて、あなたの私的美術館の真ん中に飾ったらいかが?あなたのヨットも名前を変えたら、いかが?あの劇の題名『てめえの鼻の皮など知ったことか』なんて、いいのではないかしら」

「黙りたまえ」

「で、あの劇のキャストに私を加えて、毎晩メアリーの役をさせたらいかがかしら。メアリーは行き場のないビーバーを飼って、そして・・・」

「ドミニク、黙りなさい」

「じゃあ、あなたがお話しなさったら。あなたのお話を伺いたいです、私」

「私は、誰に対しても言い訳して自分を正当化したことはない」

「そう、じゃあ自慢なさったら?その方が、ぴったりかもしれません」

「君が聞きたいと言うのならば言うが、あの劇には気分が悪くなった。君にも、それはわかっていただろうがね。あれはブロンクスの殺人女房の記事よりもひどい」

「はるかに、ひどいです」

「しかし、もっとさらにひどいことだって想像しようと思えばできる。たとえば、偉大な劇を書いて、今夜げらげら笑っていた観客に提供するようなことだ。今夜我々が目にした、あのふざけまくっていた観客のような連中の手で、自分自身が殉教者にされるのを許してしまうような行為だ」

ワイナンドは、何かがドミニクの心に届いたのを見てとった。それが、驚きなのか怒りなのかは、彼にも判別がつかなかったのだが。ドミニクが、どれくらい自分が言った言葉を理解したのかワイナンドにはわからない。彼は話し続ける。

「確かに、あの劇には気分が悪くなった。しかし、『バナー』がしてきた実に数多くのことだって、私にとっては気分が悪くなるようなものだった。今夜は、しかしもっとひどかったがね。なぜならば、あの劇にはいつもの例をはるかに凌駕する、ある質というものがあったからね。一種の特別な悪意だ。しかし、もしあれが馬鹿どもに人気があるとするのならば、それこそ『バナー』の正当なる領域に属するものだ。『バナー』という新聞は、馬鹿な人間たちの利益のために生み出されたのだから。私にいったい他に何を認めさせたいのだ、君は?」

「あなたが今夜お感じになったこと、です」

「私が感じていたのは・・・一種のささやかな地獄かな。なぜならば、君が私といっしょに座っていたからね。それこそ、君が望んだことなのではないかい?君とあの劇の対比を感じさせること、さ。君は、まだ計算間違いをしている。私はあの舞台を観た。で、思った。これこそ、世間の連中の姿だ。このような程度のものが世間の連中の精神だ。しかし、私は・・・私は君を見つけた。君といっしょにいる・・・だから、世間と君の格差というものを感じる痛みは価値あるものなのだと。君が望んだように、私は今夜苦しんだ。苦痛だった。しかし、その苦痛は、私の心のあるところまでしか届かないのだ、だから・・・」

その言葉はあることをドミニクに思い出させた。だから、その瞬間に、ドミニクは叫んだ。

「黙ってください!いい加減、黙って!」

ふたりは、一瞬の間突っ立ったままだった。ふたりともびっくりしていた。最初にワイナンドの方が動いた。彼はドミニクの両肩をつかむ。ドミニクはワイナンドの手を振り払い、部屋を横切り、窓に向かって歩く。窓辺に立ち、ニューヨークの街をドミニクは見おろす。眼下に広がる夜の闇と街の明りの中に散らばる高層ビルを眺める。

しばらくしてから、ドミニクは言う。声に抑揚がない。

「ゲイル、ごめんなさい」

ワイナンドは答えない。

「あんなこと、あなたにいろいろ言う権利など私にはありませんでした」と、ドミニクはワイナンドの方を見ずに言う。両腕は窓枠をつかんでいる。

「ゲイル、私たち、おあいこですね。あの劇があなたにとって都合がいいのならば、そのお返しはちゃんと私がいただけるのですもの。私は、あのような劇を生み出す新聞社の社主であるあなただから、結婚したのですもの」

「私は、そんなお返しなど君に受け取ってもらいたくはないが、ドミニク、いったいどうした?」

「何でもありません」

「その苦痛は、私の心のあるところまでしか届かない。この言葉のところだったよ、君がおかしくなったのは。なぜだい?」

ドミニクは、まだ街を眺めている。遠くに、コード・ビルの尖塔が見える。ハワード・ロークの設計したビルが見える。

「ドミニク、私は君が我慢できることは何か、ちゃんと見てきたつもりだ。もし、あんな状態に君がなるとしたら、きっと何かとてもひどいことがあったに違いない。私はそれを知っておかなければならない。不可能なんてことはない。それが何であろうと、私は君をそこから助けることができる」

ドミニクは、答えない。

「劇場でのことだけれども、単にあの馬鹿な劇だけのせいではないね。今夜の君の心にあったのは他の何かだった。私は君の顔を見ていたから、わかるのだ。帰ってきてからも、君の心は、その同じものによって占められている。それは何だい?」

「ゲイル、勘弁して下さらないかしら?」

ワイナンドは一瞬だが、ひるむ。ドミニクがそんなふうに反応するとは予想していなかったから。

「私がいったい君の何を勘弁するのだい?」

「全部ですわ。今夜のことも」

「君は何をしてもいいのだよ。それは君の特権だ。それが私たちの結婚の条件だった。『バナー』を所有しているがゆえに、私が支払わなければならないものだ」

「そんなことはしていただきたくないわ。『バナー』を所有しているがために、支払うなんて」

「なぜ、君はもうそれが必要ではなくなったのだい?」

「支払っていただく資格など私にはありません」

何も言わずに、ワイナンドが自分の背後で部屋をゆっくり歩きまわっている足音がドミニクには聞こえる。

「ドミニク、何だったの?」

「その苦痛は、私の心のあるところまでしか届かない、という言葉のこと?何でもありません。ただ、あなたにそんなことを言う権利はありません。あなたが支払うことができないくらいの値を払った人でないと、その言葉を言う資格はありません。でも、もう、どうでもよろしいのよ。あなたがお望みならば、申し上げますけれど、私にだって、そんなこと言えるような資格はありませんもの」

「それだけじゃ、ないはずだ」

「あなたと私は、共通するものが多いと思います。どこかで、同じような裏切りを犯したことがあるのです。いいえ、それは適切な言葉ではないわ・・・そう、でも、やはりこれが適切な言葉だわ。私が言いたいことの感じをよく掴んだ唯一の言葉です、裏切りというのは」

「ドミニク、君がそんなことを感じてはいけないよ」

「なぜ?」

「なぜならば、それこそ僕が今夜感じたことだから。裏切り」

「誰に対する裏切り?」

「わからない。私が宗教的な人間ならば、『神』への裏切りと言うかもしれない。しかし、私は宗教的じゃないから」

「ゲイル、それこそ私が言いたかったことです」

「なぜ、君がそんなことを感じなくてはならない?『バナー』は、君の子どもではないよ」

「別の形をとりながら同じ罪を犯している、ということがありますでしょう」

そのとき、ワイナンドは長い部屋を横切ってドミニクのもとに近寄ってきた。両腕の中にドミニクを抱いて、彼は言う。

「君はわかっていない。君が使っている言葉の本当の意味を。私たちは、共通するものが確かに多いよ。しかし、あの新聞に関することは違う。君が私の罪を共有するなんて、それに比べれば、まだ君からつばを吐きかけられた方がましだよ、私にとっては」

ドミニクは、ワイナンドの長い頬に片方の手をあてる。彼女の指が彼のこめかみに触れている。

ワイナンドは訊ねる。

「ねえ、話してくれないか・・・あれは、どういうことだったの?」

「何でもありません。私には荷が重過ぎるものを抱えてしまったのかしら。ゲイル、お疲れでしょう。寝室にいらしたらいかが?私のことは、ここでしばらくひとりにしておいて下さらない?ただ、街を眺めていたいだけですから。すぐに私も寝室に行きます。もう大丈夫ですから、私」

(第3部25 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションで、ドミニクが出張先から帰ったばかりワイナンドを急き立てて、見に行った演劇は、酷い内容だからこそ、例のトゥーイーたちが、人々の価値観や見識を劣化させるために、売り出したものだ。

大手新聞の劇評や、その他のメディアがあまりに賞賛するから、見に行ってみるということは、演劇でも映画でも書籍でもよくあることだ。

で、その賞賛の対象を実際に見たり読んだりして、あまりに期待はずれだと、自分に見る目がないのだろうと思ってしまいがちだ。

この小説の舞台の1930年代は、まだまだメディアへの信頼が厚かった。

今でこそ、劇評や書評は信頼できないので、自分の感覚や目を大事にしようと思う人も多くなった。

たとえば、いくらアニメの『君の名は。』が賞賛されても、私にとっては下らない作品であり、わざわざわざ劇場に足を運ぶような質のものではないと、断言する。

が、1930年代はメディア操作によって大衆操作がしやすい時代であった。

そこに、トゥーイーと彼の仲間たちはつけこむ。

ドミニクは、夫のワイナンドが社主を勤める新聞が売り出した演劇の悪質さを夫に見せつける。

これは、従来のドミニクにはない行為だ。

今までのドミニクならば、冷淡な無関心さで、程度の低い演劇を観に行くことに時間など費やさなかったろうし、ましてや、他人にそれを見せつけるなんてことはしなかったはずだ。

ワイナンドは、メディアが褒めればいい作品だと信じ込む人々の愚かさにつけこんだ新聞を売ることで、アメリカの新聞王になったのだから、いまさら、彼に自分のやってきたことを再認識させる必要はないはずだ。

ドミニクは、ワイナンドの世評とは違う堂々とした男らしさと、『バナー』の乖離が理解できないし、受け容れられなくなりつつある。

ワイナンドは、どんなに苦しくとも、それは私の心の奥のある点にまでしか届かない、それ以上は私の心は傷まないと言ったので、ドミニクは思わず声を上げる。

それは、ロークが言った言葉を思い出させたから。

軽蔑すべき人間と結婚したはずが、その人間はドミニクの予想を超えて、ロークと共通するものを多く持っていた。

なのに、その人間は、『バナー』というロークとは極北にある世界観や価値観を垂れ流して世界を凡庸化する装置を運営している。

そこが、ドミニクには謎だ。

ワイナンドをもっと理解したいと、ドミニクは思うようになっている。

それは、愛とは違うが、愛に近い感情であった。

ところで、ニューヨークのブロードウェイの演劇街は、18世紀あたりに芽吹き、19世紀にじょじょに花開き、20世紀は絢爛豪華な夜の花園となった。

映画やテレビが登場する前の演劇の力は大きかった。

大衆娯楽の花だった。

そのブロードウェイという演劇街がいっ時ではあるが暗くなったのは、あの2001年9.11テロ直後だった。

あれから、またブロードウェイは復活したけれども、私には、あのテロと同時に、ニューヨークの演劇街の栄光は終わったような気がしている。

今のブロードウェイの繁栄は残照のような気がする。

今や、普通のオーケストラ席が300ドルだ。

2000年までは、せいぜいが80ドルで良い席で鑑賞できたのに。

入場料がそんなに高価になった演劇なんて、すでに大衆娯楽の王とは言えない。

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