第3部(21) ガイ・フランコンの引退

ピーター・キーティングがストーンリッジ開発を手がけることになったというニュースが公に伝わったとき、それは大いに派手に宣伝された。

キーティングは、建築家仲間から、羨望からくる世辞追従(ついしょう)をいっぱい受け取った。彼はこのような喝采を受ける立場になったときに、昔ならばいつも感じることのできた快感を、今度もよみがえらせようとした。しかし駄目だった。喜びに似た何かならば、まだ感じることができたが、それは色あせて、希薄なものでしかなかった。

ストーンリッジの新しい住宅地の住宅全部を設計するという努力は、今のキーティングには、かつぎあげるのが不可能なほどのとてつもなく重い荷物に思えた。この仕事を獲得できたのにはどんな事情があったのかさえ、もう彼は気にかけなかった。それさえも、彼の心の中では、はっきりとした色彩もない重みもない出来事だった。あのことは、受け容れてしまったら、ほとんど忘れてしまった。

ともかく、キーティングは、ストーンリッジ開発が要求する、おびただしい数の住宅を設計するという仕事に立ち向かえない。彼は、ひどい疲れを感じていた。朝起きるときにも疲労を感じた。床につく時間をずっと待っている自分に彼は気がついた。

キーティングは、ストーンリッジに関する仕事をニール・デュモンとベネットにあずけてしまった。彼は無気力に命じた。

「どんどんやって。好きなようにすればいい」

「どんな様式がいいかな、ピート?」と、デュモンが訊ねる。

「ああ、適当な時代の様式でいいから・・・ああいう小さい住宅を買う奴って、別に何がどうって気にしないだろうから。だけど、ちょっと刈り込むっていうか余分なものは抑えておいて・・・マスコミに発表するとき都合がいいから。歴史的様式の趣に現代的感覚を加味した感じでさ。ともかく好きにやってよ。僕は気にしないから」

デュモンとベネットはどんどん仕事を進めて行った。キーティングは、完成予想図を見せられて、屋根を少しと窓をいくつか変更した。彼がしたのは、それだけだった。

予備の設計図や予想図は、ワイナンドから許可を得ている。ワイナンド自身が個人としてその設計を認めたかどうかはキーティングにはわからない。あれ以後、二度と彼はワイナンドに会うことはなかったから。

ドミニクがキーティングの元を去ってから一ヶ月経った頃、ガイ・フランコンが引退を表明した。

キーティングは、なんの説明もつけずに、離婚に関しては彼に知らせておいた。フランコンは平静にその知らせを受け取った。彼は、こう言った。

「予想はしていたよ。ピーター、それでいい。君の落ち度でもないし、ドミニクの落ち度でもない」

それ以来、この件に関しては、いっさいガイ・フランコンは口に出さなかった。そして、今度は自分の引退についても、いっさい何も説明しなかった。ただ、こう言っただけだ。

「ずっと前に君に言っただろう、僕は。こういう日が来るって。疲れたよ。ピーター、幸運を祈る」

建築設計事務所経営の責任が自分の肩にだけ負わされ、事務所の玄関ドアに自分の名前だけが掲げられると思うと、キーティングは不安にかられた。彼は共同経営者が必要だった。だから、ニール・デュモンを選んだ。デュモンには優雅さと家柄から来る上品さがある。彼はもうひとりのルーシアス・ハイヤーなのだ。

キーティングの建築設計事務所の名は、ピーター・キーティング&コーネリアス・デュモンとなった。この出来事を祝って、何やら祝いの会が数人の友人たちよって開かれたが、キーティングは出席しなかった。出席すると約束していながら、彼はすっかり忘れていた。雪深い田舎でひとり週末を過ごしに出かけてしまっていた。キーティングがその祝賀会を思い出したのは、会が開かれた日の翌日の朝のことだった。ひとりで凍った田舎の道を歩いていたときだった。

ストーンリッジ開発は、フランコン&キーティング建築設計事務所の名で契約された最後の仕事となった。

(第3部21 超訳おわり)

(訳者コメント)

ここは省いてもいいようなセクションではある。短いし。

しかし、ピーター・キーティングの内部崩壊が本格的にドミニクとの離婚から始まったことを示すので、残した。

ドミニクをワイナンドに売ってまで欲しかったはずの大規模な住宅地開発の仕事だったが、手に入ってみると、キーティングはやる気なし。

ここらあたりで、ハッキリとキーティングは気がついてしまった。

自分が建築設計の仕事など好きではないということに。

母親から希望され、建築家の道を選んで、彼なりの権謀術数を駆使して、ドミニクの父の有名建築家のガイ・フランコンの事務所で共同経営者にまで成り上がった。

ロークのアイデアをパクって建築家としての名声を得てきた。

多くの人々を裏切ってきた。

ドミニクとの結婚も、有名建築家にふさわしい華麗な妻を得たいという虚栄心からだった。

そして、今、ガイ・フランコンが引退し、自分が建築設計事務所を背負って立つことになりと、キーティングには恐怖と疲労しかない。

キーティングはロークより3歳年上なので、もうすぐ40歳。

自分に嘘をついて生きていくのも限界になる年齢にさしかかってきたのだ。

キーティングは、自分の部下に「ピート」なんて、自分を呼ばせていて平気だ。

かりにも職場であるのに。

キーティングにとって、職場が真剣勝負の場所ではなくなっていることが、彼と部下の関係が弛緩しきっていることでも、わかる。

ロークと部下たちの関係の質とは正反対の弛緩。

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