第3部(20) 建築界の似非ヘンリー・キャメロン様式の流行

エルスワース・トゥーイーは、突如として現代建築の大義の支援者となった。

過去十年ほど、新築される住居などは歴史的な建築物を忠実に模倣した様式で建てられ続けてきた。しかし、工場とか社屋とか高層ビルなどの商業的建築物ではヘンリー・キャメロンの原則が勝利をおさめてきた。

とはいえ、この勝利は勝利でも、顔色のすぐれぬ歪んだ勝利だった。円柱とか三角形の切妻壁を省き、二、三の壁は装飾なしのむきだしのままにしておき、先端だけが簡略化された古代ギリシア渦巻き型装飾にして終わらせておくということで、何とか格好を整えておくといったことで成立するような妥協の産物だった。

多くの建築物がキャメロンの形を盗用した。しかし、そのほとんどはきゃメロンの思考を理解できていなかった。新しい建築物の所有者にとって、抵抗のしがたいキャメロンの方針がひとつあるとすれば、それは財政的な節約だけなのだった。その程度までには、キャメロンは勝利をおさめていた。

ヨーロッパの国々では、特に顕著だったのはドイツだった。建築の新しい流派が長い時間をかけて台頭(たいとう)しつつあった。四つの壁と平らな屋根と開口部が少ないという構造の建物である。これは新建築と呼ばれた。

キャメロンが生涯かけて戦ったのは、伝統的な建築にとり憑いている恣意的な数々の規則からの解放だった。つまり、創造的建築家に新しい偉大な責任を任せる自由だった。

しかし、その自由は、すべての責任を単に排除するようなものに変わり果てた。歴史的様式を学び自分の基礎とするという努力さえ捨てるような類の、そんな「自由」に変わり果てた。その新潮流は、新しい建築に関しては厳しい一連の規則を作りはしたが、それは意識的な無能の規律、システム化された創造的貧困、厚かましく告白される凡庸さという、しろものだった。

「ひとつの建造物には、それ自身固有の美がある。したがって、その建造物の装飾は、その建造物のテーマと構造から導き出される」とキャメロンは、かつて提唱したものだった。

一方、新建築の旗手たちが言ったのは、「建物に美などない。装飾もテーマもない」だった。そう言うのは安全でもあった。キャメロンやその他数人の先駆者たちは、現代建築の道を切り拓き、彼ら自身の人生を賭けて、その道を踏み均(なら)した。しかし、それ以降の新建築提唱者の連中ときたら、その数は先駆者たちに比較すると圧倒的に多かったが、パルテノン神殿を模倣したほうが安全なのでそうしてきた連中であったので、キャメロンの原則の危険さを察知し、安全な道を探り当てた。

すなはち、キャメロンの道を歩きながら、その道を新しいパルテノン神殿に通じさせるという手である。ガラスとコンクリートの梱包(こんぽう)のような、形のもっと簡単安易なパルテノン神殿を作ればいいのだ。

かくして、ジャングルに植えられた高く天に伸びる棕櫚(しゅろ)の木は、内側から侵食されてしまった。様々な菌類が内部に入り込み、棕櫚の木を内(なか)から食いつくし、隠し、倒壊させ、ジャングルはもとのありふれた未開の地に退行した。そして、そのジャングルは自らを代弁する言葉を発見した。

エルスワース・トゥーイーは『バナー』での担当コラム『小さき声』において、「流れとともに泳ぐ」という文を発表する。

「本コラムでは、現代建築として知られる力強い現象を認めることを、長きにわたって躊躇してきた。このような警戒というものは、公共の趣味を教え導く立場にある者として必要なのである。あまりにしばしば、孤立した変則、変り種の示威(しい)というものが、幅広い大衆的運動と錯誤(さくご)されることが起きるからである。であるからして、それらにはふさわしくない意義や重要性を、それらに帰すことがないように用心すべきである。しかし、現代建築はその試験期間に耐え、大衆の要求に答えてきた。それを寿(ことほ)ぐことができるのは実に喜ばしい」

「現代建築の運動の開拓者たち、たとえば故ヘンリー・キャメロンのような人物に相応の敬意を払うのは不適切なことではない。新しい壮大さを知らせる時代の前兆(ぜんちょう)となるような響きは、確かに故ヘンリー・キャメロンの仕事の中に見出される」

「しかし、すべての開拓者がそうであったように、ヘンリー・キャメロンもまたやはり過去から受け継がれてきた偏見に束縛されていた。彼が生まれ育った中産階級の感傷性というものに。彼は、美と装飾という迷信にも屈服していた。ゆえに、歴史的に確立されてきた様式の美に劣るものしか生み出せなかったのだ」

「現代建築を十全に真実に開花させるために、幅広い集団的運動の力を借りねばならない。今こそ、その可能性が見えてきた。世界中で台頭しつつあると言うべき可能性が見えてきた。個人的幻想の混沌としてではなく、芸術家に厳しい要求を課し、芸術家に彼自身をして工芸というものの共同的性質に従属させることを要求するような統一され組織化された規律として、見えてきた」

「この新しい建築の規則は、大衆的創造の広大な過程から形成されてきた。それらは、古典主義の規則と同じく峻厳(しゅんげん)なものである。それらは、飾り気のない単純明快さを要求する。甘やかされていない平凡人の正直さのように。過去の国際的銀行家の時代には、あらゆる銀行の建物が装飾的蛇腹模様などを持つ必要があったが、来るべき時代は、どんな建物も平らな屋根を持つべきである。帝国主義時代においては、あらゆる邸宅はローマ帝国時代の柱廊式玄関を持たねばならなかった。一方、現代の人間性の時代は、あらゆる家には角窓があることを要求する。それは、あらゆる人間に等しく注がれる日光の象徴である」

「物事の真偽を見分けられる人々ならば、この新しい建築の形の中に、社会的に意義ある雄弁さを見出すであろう。搾取から成る古い社会制度の中においては、もっとも有益なる社会的要素たる労働者たちは自らの重要性を実現することを決して許されてこなかった。労働者たちの実際的な機能は隠蔽(いんぺい)され続け、偽装され続けてきた」

「かくして、主人は従者たちに馬鹿馬鹿しくも派手な金の糸で刺繍されたお仕着せの制服を着せてきた。これは、過去の建築にも反映されていた。建築物の機能的要素、つまりドアや窓や階段などは、意味のない渦巻き模様などの装飾の下に隠されてきた。しかし、現代建築において、まず公にはっきりと目に入るのは、まさにこれらの有益な要素、人間の労苦の象徴たるものである。この現象の中にこそ、労働者たちの耳に、自らの世界を構築する新世界の声が聞こえるのではないだろうか?」

「アメリカにおける現代建築の最高例は、まもなく完成される予定のバセット・ブラッシュ社の新工場である。それは小さなビルではあるが、その謙虚な釣り合いといい、新しい建築学の新しい規律というものの厳粛なる単純明快さのすべてを具現している。小さきものの壮大さの例を、活力あふれる例を提供している。このビルは、オーガスタス・ウエッブによって設計された。彼は、大きな未来を約束された若き建築家である」

この文の発表後から数日後、ピーター・キーティングはトゥーイーに会った。彼は、大いに気分を害された様子で、トゥーイーに詰問(きつもん)した。

「エルスワース、あれはどういうことですか?」

「何がですか?」

「現代建築に関してあなたがお書きになったことですよ」

「もちろん、あのままの意味ですが?いかがですか?拙論のご感想は?」

「ああ、そりゃ大変な名文だと思いました。説得力も大変あります。でも、どうしてですか、エルスワース、なんでガス・ウエッブなどを取り上げたのですか?僕だって、ここ最近の数年でも、現代建築みたいなのはいくつかやりましたよ。パルマー・ビルはほんとに装飾なしのむき出しの壁だし、モウリー・ビルは屋根と窓しかありませんし、シェルドン倉庫は・・・」

「ピーター、そうガツガツしないで。私は、君には随分と肩入れしてきたでしょう?たまには他の誰かを応援させて下さいよ」

建築に関して話さなければならなかったある昼食会で、ピーター・キーティングは次のように述べた。

「今日まで私が建築家として歩んで来た道をふりかえり、私は次のような結論にたどり着きました。私はある真の原則のもとに仕事をしてきました。すなはち、絶え間ない変化というものが人生に必要であるという原則です。建築物というものは、人生の必要欠くべからざる要素なのですから、建築も絶えず変化しなければなりません。私は、私自身にどんな建築学的偏見も課さないようにしてまいりました。ただ、時代の声に心を開くことに努めてまいりました。すべての建物は現代的でなければならないと説教して回るような熱狂的な人々は、歴史的様式以外の何も採用しないことを要求する因習的で保守的な人々と同じく狭量です。視野が狭いのです。私は、古典的な様式で設計された私の手がけた建物について、謝罪するつもりはありません。それは、その当時の時代の要請だったのです。また、現代の様式で私が設計した建築物について、どうこう言い訳をすることも、私はいたしません。それは、来るべきより良い時代を表象するものです。この原則を謙虚に実現することにおいて、私の努力は報われるのです。かつ、そこにこそ、建築家としてあることの悦びがある、と言うのが私の意見であります」

自分の確固とした建築観も原則も持たないピーター・キーティングは、風見鶏のごとく、時流に応じて意見や姿勢を変えることは、相変わらず得意である。

(第3部20 超訳おわり)

(訳者コメント)

ハワード・ロークの師匠であったヘンリー・キャメロンは、19世紀末から1920年代始めまで活躍したルイス・サリヴァン(Louis Sullivan: 1856-1924)である。

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彼は、鉄骨高層ビルの建築で、主としてシカゴで活躍した。

以下の画像はサリヴァンが設計したシカゴの百貨店である。

実にカッコいい。

摩天楼と言えば、マンハッタンが有名だが、シカゴもすごい。

シカゴ美術館内部には、黒川紀章(女優の若尾文子さんのご主人)の寄付によってできた高層ビル建築コーナーがある。

そこに行くと、シカゴの高層ビルの歴史を知ることができる。

Form follows function.

「形態は機能によって決まる」

その時にこそ、サリヴァンの時代にこそ、アメリカに、伝統的建築様式の反復ではない、現代の生活と機能に従った建築物が模索されるチャンスがあった。

それが、古いヨーロッパの建築様式のテーマパークのような博覧会が開催されて、アメリカの建築はその追従に走ってしまった。

これは、この小説の第1部にも言及されていた。

その後、いわゆるモダニズム建築が、息をひそめてしまった時代が20年ほど続いた。

ところが、1930年代に入り、モダニズム建築が復活した。

ドイツでは、それを教えるバウハウスのような学校も生まれた。

それぞれの地域の歴史や伝統や建築様式にとらわれない、コスモポリタンな建築様式のInternational Styleが生まれた。

このスタイルは、現代にも受け継がれている。

アイン・ランドは、しかし、1930年代からジワジワと隆盛になった、このスタイルと、ルイス・サリヴァンのスタイルは似て非なるものと考えていたようだ。

似非サリヴァン様式のビルの建設だと、建築費用が比較的廉価ですむ。

大理石や花崗岩よりも、コンクリートやガラスを使用する方が建設期間も短く済む。

1930年代にモダニズム建築が復活したのは、大不況期の経済事情も大きな原因のひとつだった。

決して、サリヴァンが思考した「形態は機能が決める」という原則を突き詰めたことの結果ではなかった。

この小説においては、社会の劣化を目論むエルスワース・トゥーイーにしてみれば、ヘンリー・キャメロンや、その弟子のハワード・ロークのモダニズム建築は人類の進化と社会の進歩を促す質のものであるので徹底的に黙殺するか迫害するしかない。

しかし、似非ヘンリー・キャメロン様式ならば支持して構わないのである。

ルイス・サリヴァン的なるものと、インタナショナルスタイル的なるものの違いとは?

サリヴァン的なるものは美しい。

インタナショナル・スタイルはには、気安い大衆的な馴染み安さがある。

そこも、大衆操作のために大衆を寿ぐエルスワース・トゥーイーにとっては、支持できる。

という設定 いなっているのが、このセクションである。

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