第3部(8) 理想的な妻ドミニクを恐れるキーティングと母

ピーター・キーティングが妻のドミニクに訊ねる。

「なんでエメラルドのブレスレットをしなかったんだい?ゴードン・プレスコットのフィアンセっていうのが、みんなが唖然(あぜん)とするみたいなスター・サファイア持っていたじゃないか」

「ごめんなさい、ピーター。今度は忘れずにして行きます」

「いいパーティだったね。楽しかったかい?」

「私は、いつでも楽しく過ごしています」

「僕もだけど・・・君は本当のこと知りたいかい?」

「別に」

「ドミニク、僕は、ほんとうは死ぬほど退屈だったよ。ヴィンセント・ノウルトンは、うっとうしい奴だ。まったくどうしようもない俗物だ。耐えられないな、ああいうのは・・・でも、そういう気持ち、僕は見せなかったよな?」

「はい。あなたはきちんと対応していたわ。あの方の言う冗談全部に、ちゃんと笑っていらした・・・誰も笑わないような冗談にもね」

「あ、気がついた?ああいうのって、なかなか効き目があるんだ」

「ええ、気がついていました」

「あんなことすべきではないと君は思うよね?」

「そんなこと私が言ったことあるかしら」

「君は、そういうの・・・下劣だと思うよね?」

「何にしても下劣だなんて思いません」

キーティングは肘掛け椅子に深く身を沈める。その姿勢をとると、あごが胸にくっついて不快になる。しかし、彼は気にかけず、そのままの姿勢でいる。居間の暖炉で、火がはじけている。部屋の灯りをみな消して、黄色いシルクのシェードがかかっているスタンドだけが唯一の照明だ。

しかし、部屋の中には、親密な寛いだ空気は漂っていない。唯一の照明が、その部屋を誰からも見捨てられた砂漠のように見せている。すべての設備が止められている空室のアパートのように見える。ドミニクは、居間の端に座っている。彼女のほっそりとした体は、背のまっすぐな椅子の輪郭にしっくりあっている。

ドミニクは堅苦しく見えるわけではないのだが、寛いでいるというには姿勢が良すぎる。夫婦ふたりきりしか居間にはいないのに、ドミニクはまるで公的な役割についている貴婦人のように見える。もしくは、人通りの多い賑やかな交差点に面した店のショー・ウインドウに飾られている美しいドレスを着せられたマネキンのようだ。

ふたりは、キーティングが最近友人になったヴィンセント・ノウルトンという、まだ若いが社交界の花形である人物の邸宅でのティー・パーティから帰って来たところだ。静かな夕食も終え、今ふたりの晩は自由なものだった。明日まで、社交の約束はない。

「マーシュ夫人と話していたとき、君、神智学のところで大きな声で笑っただろう?ああいう笑い方をすべきじゃないよ。本気にされるよ」

「ごめんなさい。これからは、もっと気をつけるわ」

キーティングは、ドミニクが話題を提供するのを待っている。しかし、彼女は何も言わない。彼は唐突に思う。彼女は決して自分からは僕に話しかけてきたことがないと。結婚して20ヶ月になるが一度もなかったのではないかと。そんなことは馬鹿げているし、ありえないことだと、キーティングは自分に言う。

妻の方から自分に話しかけてきた機会が、あったのではないかと、キーティングは何とか思い出そうとする。もちろん、思い出すことができた。妻がこう自分に話しかけるのを思い出すことができた。「何時ごろお帰りになるかしら?」とか「火曜日の夕食に、ディクソン御夫妻もお招きしたいとお思いになる?」とか。

キーティングは妻をちらりと見る。ドミニクは、退屈しているようにも見えないし、夫を無視しようと務めているようにも見えない。ドミニクはそこに座っている。注意深く、いつでもどんな行動にでも移せるように控えている。まるでキーティングがそこにいることだけが、彼女の関心事であるかのように。

ドミニクは本を読むわけでもないし、自分自身の物思いにふけって遠いまなざしをするわけでもない。ドミニクは、夫のキーティングをまっすぐ見つめている。彼女の視線が彼を通り過ぎて、どこかに注がれるということはない。ドミニクは、会話が始まるのを待っているかのようにも見える。

キーティングは、ドミニクがいつも、こんな具合に、自分をまっすぐ見つめていることに、前から気がついていた。今、キーティングは自分に問う。僕はこのまなざしが好きなのだろうか?

そうだ、好きに決まっている。彼女のいつも自分に注がれるまなざしがあるからこそ、彼はあらぬ嫉妬の感情にとらえられることもない。彼女が、実は心の奥深くに何がしかの思いを秘めているのではないか、などと気に病むこともない。

いいや、やはり僕は、このまなざしが嫌いだ。全く好きではない。このまなざしのために、僕は逃げられない。僕たち夫婦は、互いから逃げられない。息苦しい思いでキーティングは、話し出す。

「僕は、ちょうど『胆力ある胆石』を読み終えたばかりでね。えらく分厚い本でさ。才気煥発な頭脳の産物だね、あれは。涙が顔を流れるままの妖精パックみたいなものかな。神の王座をほんの一瞬のあいだ手にした黄金の心を持つ道化だな」

「ちょうど同じ書評を読みました。『バナー』の日曜版で」

「僕は書評ではなくて、本そのものを読んだのだよ。君はそのことわかっているよねえ」

「あの書評は的を得た評価をしていました」

「そうかい?」

「あの書評は、作者に対して配慮してありました。きっと、あの書評者はあの小説を読者に読んでもらいたいのね。時間の節約をしてくれるのですから、あの書評は親切です。読者が何を考えるべきか教えてくれます」

「僕にはわからなかったけれども。でも、たまたま僕はあの書評者の意見に賛成したよ」

「『バナー』は最高の書評者を雇っていますもの」

「そのとおりだね。もちろんだ。だから、書評の内容に賛成でもおかしくないだろう?」

「何もおかしくありませんわ。私は、いつでも賛成ですもの」

「何に賛成だって?」

「どなたの意見にも」

「君は僕をからかっているのかい、ドミニク?」

「あなた、私にからかわれるようなことなさったの?」

「まさか。どういう意味かわからないな・・・いや、もちろん、僕はそんなことしていないよ」

「じゃあ、私があなたをからかっているなんてこと、ありえませんわよ」

キーティングは待った。ちょうど、外の街路をトラックが通り過ぎる大きな音が聞こえたからだ。数秒もその騒音は続いたろうか。しかし、静かになったら、キーティングは妻に言わねばならないことがあった。

「ドミニク、君が何を考えているか僕は知りたいんだ」

「何に関する考えでしょうか?」

キーティングは、何か重要な案件を心の中で探し、ついこう言ってしまう。

「その・・・その・・・ヴィンセント・ノウルトンについてなんだが」

「あの方にはゴマをすらなくては、なりません。あの方のお尻にはキスするだけの価値があると思います」

「ドミニク、何て言い方するんだ!」

「ごめんなさい。下品でしたわね。そうですわねえ、ヴィンセント・ノウルトンは、知り合いになって楽しい人物です。古い家柄の方々には、周りの人間たちから充分配慮されるだけの価値があります。それに、私たちは他人の意見というものに寛容でなくてはなりません。寛容こそが最大の美徳ですもの。ですから、ヴィンセント・ノウルトンに自分の見解を押しつけるのは公平とは言えません。あの方が気に入ることだけを、あの方に信じさせてさしあげれば、あの方は喜んであなたの助けになって下さいます」

「うん、君の言うことは道理にかなっている。僕も、寛容さこそ実に重要だと思っているよ、なぜならば・・・」

ここまで言って彼は黙る。それから、虚ろな声で言う。

「君は、前にも全く同じこと言ったね」

「あ、お気づきになりましたか」

ドミニクは、疑問文なのに疑問符をつけずに言う。いかにも無関心に、単なる事実を述べるように言う。その言い方には風刺的な響きすらない。ドミニクの物言いに風刺的な趣がある方が、まだましなのにと、キーティングは思う。その方が、彼を傷つけようとする意図が、ドミニクにはあることになるから。つまり、それは、ドミニクが彼に対して個人的な関心を持っていることの証左となるから。妻が彼の存在を意識しているという証左になるから。

しかし、この妻の物言いには、夫のキーティングに対する個人的関わりを感じさせるものがいっさいない。この20ヶ月の結婚生活の中で、それはいっさいなかった。

キーティングは暖炉の火を見つめる。暖炉の炎というものは、人を幸福に感じさせるものだ。自分の家で、自分の暖炉の中の炎を夢見るように眺めて座っているということは。キーティングが聞いたり読んだりしてきた限り、それは、そういうもののはずだった。

キーティングは、瞬(まばた)きもせずに、暖炉の炎に目を凝らす。世間ではそういうものとして確立している考えに従おうと、無理に自分に言い聞かせる。ほんのあと一分もすれば、きっと僕は幸福感に包まれる。そう一心に考えを集中させる。

しかし、その変化は起こらない。彼は幸福を感じない。この光景を、僕はどうやったら友だちに説得力を持って描写できるだろうか。どうやったら連中に僕の完全な充足を羨望させることができるだろうか。と、彼は考える。しかし、なのに、なぜ僕は僕自身を説得できないのだろうか?僕は、僕の望むもの全てを手にしているのに、どうして幸福を感じないのか?

僕は、他人より抜きん出たかった。昨年など、僕は建築界のリーダーだった。議論の余地なく、今も僕はリーダーだ。僕は名声が欲しかった。今や、僕に関する新聞や雑誌の切り抜きのスクラップブックだけでも5冊はある。僕は富が欲しかった。今の僕は、もう生涯働かなくても贅沢に暮らせるだけの金を持っている。誰もが欲しがる物のすべてを僕は獲得した。

僕が達成したものが欲しくて、いかに多くの人間たちが肩をすくめて苦しんできたことか。いかにおびただしい数の人間が、僕が手にしたような成功を夢見て、そのために血を流し死んでいったことか。彼らは、その夢の実現を見ることもなく死んでいったのだ。「ピーター・キーティングほど運のいい奴はいない」という言葉を、僕はどれほど耳にしてきたことか。

昨年は、キーティングの人生最良の年といってよかった。彼は、数々ある自分の所有物に、不可能だったことを付け加えることができた。つまり、ドミニク・フランコンである。彼女を妻にできたのだ。

「ピーター、どうやってドミニクを攻略した?」と、友人たちが何度も何度も自分に質問してきたとき、気楽に笑って返せるのは、どれだけ嬉しいことであったことか。

「家内です」と軽く言いながら、初めて会う人々にドミニクを紹介するのは、いかに愉快なことであったことか。彼女を紹介された男たちは、目に羨望が露になるのも隠せずに、実に間抜けた顔をする。それをじっと見つめるのも大いに愉快だった。

一度、大きなパーティで、優雅な酔っ払いが、片目をつぶりながらキーティングに訊ねてきた。ドミニクに対してはっきりと不埒(ふらち)な意図を持って質問してきた。

「君、あそこにいる、あのすごい美人が誰かご存知ですかな?」

「少々なら存じております。僕の妻ですから」

キーティングは、嬉しそうにそう答えたものだ。

ドミニクとの結婚は、予想していたよりもはるかに成功だった。と、キーティングは感謝の気持で、しばしば自分自身に言い聞かせる。ドミニクは、理想的な妻になった。夫の利益となることに完璧に彼女は自分を献身させた。彼の顧客を喜ばせ、友人たちをもてなし、家政をうまく取り仕切った。

結婚してもドミニクは、キーティングの何ものも変更させることをしなかった。彼の時間も、彼の食事の好みも、家具の配置でさえも。ドミニクは、衣類以外、何も持ちこまなかった。一冊の書物、一個の灰皿でさえ、キーティングの家に持ってこなかった。彼がどんな見解をどんな問題について表明しようと、いっさい反論しなかった。いつも、彼女は夫に賛同した。当然のことのように、優雅にも彼女は夫の背後に控える立場をとり、慎ましく夫の背景となり、自らを徹底的に消滅させた。

キーティングは、この結婚は、静かな河のような自分の人生に、いずれは何らかの急流を起こすのではないかと予測していた。その激しい流れに自分は巻き込まれ、未知の岩に打ちつけられて粉々になるのではないかと思ったぐらいだ。

ところが、結婚しても、彼の人生という静かな河に合流する小川さえ見出すことはなかった。河は流れ続けているのだが、その流れに沿って、誰かが静かにそこに泳ぎに来たという趣であった。

いや、違う。泳ぎに来るという行為は、水を切る力強い行動だ。ドミニクのふるまいはそういうものでもない。彼の人生という川の流れに乗って、彼の背後で浮かんでいるだけだ。

もし、結婚後のドミニクの態度を決定する力を提供されていたとしたら、結婚に際してドミニクに私はどう行動すべきかと訊ねられていたら、きっと今ドミニクがしているのとまさに同じふるまいを、キーティングはドミニクに求めたろう。

ただ夜だけが問題だった。夜だけがキーティングを惨めで満たされない思いにさせた。ドミニクは彼が望むときには、いつでも彼の言うとおりにした。しかし、最初の夜と同じことが繰り返されるだけだった。彼の腕の中にあるのは無関心で冷淡な肉体だけだった。嫌悪もなければ、反応もない。キーティングに関する限り、ドミニクはまだ処女だ。なんとなれば、まだ何も彼女に経験させていないからである。行為のたびに、あまりの屈辱に体が熱くなり、もう二度とドミニクを抱くまいと決心する。しかし、彼女の美しさに常に接している状態に刺激されて、彼の欲望はまた戻ってくる。もはや我慢ができないと感じたときには、彼は自分の欲望に屈した。しばしばではなかったにしても。

この結婚に関して彼が自分に認めたくなかったことをはっきり口に出したのは、母親だった。結婚後半年が経過した頃、母親が言った。

「耐えられないのよ、私は。この状態は我慢できないのよ、私は」

「何が我慢できないの、母さん」

「言っても無駄だわ」

そう母親は答えた。今までも、いつだって母親の意見にせよ非難にせよ、彼が止めることができたためしはなかった。ところが、今度に関しては、彼のこの結婚に関しては、母親は「我慢ができない」とだけ言い、他には何も言わないのだった。あの口うるさい母親が、それだけしか言わないのだった。

母親は、自分用の小さなアパートを購入して、息子の住まいから出て行った。しばしば息子を訪問し、ドミニクに対しても丁寧な態度を崩すことはなかったが、その態度には奇妙な、諦念のような敗北した雰囲気があった。

母親から解放されてよかったじゃないかとキーティングは自分に言う。しかし、ほんとうは嬉しくなかった。

といっても、自分の中の、このだんだん大きくなっていく恐怖を呼び起こすような何をドミニクがしたのか、キーティングにはさっぱりわからない。ドミニクを責めてしかるべき彼女の言葉にせよ、ふるまいにせよ、見つけることができない。

結婚以来20ヶ月、ずっと今夜のような具合だった。ドミニクとふたりきりでいるのが彼には耐えられない。かといって、ドミニクから逃げたいわけでもない。ドミニクが自分を避けているわけでもない。キーティングには、自分たちの結婚の何が問題なのか、わけがわからないのだった。

(第3部8 超訳おわり)

(訳者コメント)

画像は1930年代初頭の頃の上流階級の結婚式カップル3組の写真だ。

こういうようなウエディングドレスでドミニクも結婚式を挙げたに違いない。

このセクションは、わりと痛快な気もする。

ドミニクは有能な女性なので、有能な妻となり有能な主婦になるに違いないが、あまりに有能なので、キーティングの母親は脅威を感じる。

次第に、この嫁に常に黙って自分が見下されている感じがして、愛する息子との同居を諦めて別居した。

それはキーティングの母の単なる自意識過剰の被害妄想でしかない。

ドミニクは、キーティングの母親に全く関心はなく機械的に義母に礼を尽くしているだけであり、悪意のカケラもない。

ドミニクは、自分への試練としてキーティングとの結婚をしたのであって、キーティングにも、キーティングも母にも関心はないが、妻としての嫁としての仕事は仕事として完璧にこなす。

が、ドミニクは、キーティングやキーティングの母を愛し敬うようなフリはしない。

芝居はしない。

ドミニクは、非常に冷淡に献身的に完璧に、妻としての仕事をこなす。

その冷淡さも、冷淡さをあからさまに感じさせるような冷淡さではない。

非常に自然で非情な冷淡さだ。

これくらい自分の好悪を超え自分を制御できるドミニクは、天晴れといえば天晴れだ。

キーティングの俗物ぶりや、キーティングの母親の小賢しさを、暗黙のうちに粉砕するドミニクの超越的態度は痛快だ。

やっぱり、ロークと似てる?

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