翌朝、16才のゲイル・ワイナンドは『ガゼット』紙の編集者に会いに行った。古ぼけたビルにある四流新聞社に入って行った。地元ニュース編集室で雇ってもらえないかと頼み込んだ。
編集者は彼の貧しい衣服に目を走らせて、こう質問してきた。
「君、猫(cat)のつづり書けるのかな?」
ワイナンドはこう返した。
「あなたは、神人同形論学(anthropomorphology)のつづりが書けますか?」
「あいにくとやってもらいたい仕事がない」
「使いたい時に俺を使ってください。俺は、いつもそのへんで待機していますから。金は払ってくださらなくていいです。払った方がいいと判断なさったときに、払ってください」と。
地元ニュース編集室の外にある階段に座りながら、彼は新聞社のビルの中で過ごした。一週間、毎日そこに座っていた。誰も彼に注意を払わなかった。夜になると、彼は新聞社の玄関口で眠った。金がほとんどなくなると、新聞社の階段のいつもの定位置に戻る前に、どこかの店のカウンターから食べ物を盗み、ゴミ箱をあさった。
ある日、記者のひとりが彼を哀れに思い、階段のところまでやって来て、彼の膝の上に25セント硬貨を投げてよこした。そのとき、ワイナンドのポケットには10セント残っていたので、彼はその10セント硬貨を取り出し、「何か買いな」と言いながら、その記者に投げつけた。記者は怒って何か怒鳴り、階段を降りていった。25セント硬貨と10セント硬貨が階段に残ったが、ワイナンドはどちらにも触れようとしなかった。
この話は、地元ニュース編集室で噂になった。ポン引きみたいな顔をした事務員が肩をすくめ、そのふたつの硬貨を拾って頂戴(ちょうだい)していった。
その週が終わる頃だった。新聞社が一番忙しい時間帯に、地元ニュース編集室の誰かがワイナンドを呼んだ。ワイナンドは初めて使いを命じられた。それ以降、様々な雑用が彼に命じられるようになった。軍隊的に簡潔で正確な態度で、彼は命じられたことに従った。10日もしないうちに給料がもらえるようになった。6ヶ月もしたら記者になっていた。そして、2年もしないうちに彼は准編集者になった。
ゲイル・ワイナンドが恋に落ちたのは、彼が20歳のときだった。彼はセックスに関することならば、すでに13歳の頃から知らないことはなかった。多くの娘たちと寝たことがあった。しかし愛など語ったことはなく、ロマンチックな幻想など持ったことはなかった。セックスは、単純な動物的処理として扱った。この面に関して、彼はなかなかの手練(てれん)手管(てくだ)の持ち主なのだ。女たちは、彼を一目見れば、そのことがわかる。
しかし、ワイナンドが初めて恋した娘の稀(まれ)なほどの美貌は、性的に欲望されるものではなく、崇拝されるのがふさわしい種類のものだった。彼女は、いかにもはかなげで可憐(かれん)な口数の少ない娘だった。彼女の面立ちは、彼女の内部にいっぱいある美しいが、決して明かされない謎をあれこれと、ワイナンドに想像させた。
娘はゲイル・ワイナンドの恋人となった。彼は、彼らしくもなく、幸福な状態に自分を置くという弱みを自分に許してしまった。娘が結婚を口に出していたら、彼は結婚していたかもしれない。しかし、ふたりとも互いにほとんど何も言わなかった。口に出さなくても、すべては互いに了解されていると、ワイナンドは感じていた。
ある晩、彼は娘に語りかけた。娘の足元に座り込み、椅子にかけている娘の顔を見上げながら、語りかけていた。自分が語る言葉に自分の魂が耳をすませているかのように静かに心をこめて語りかけていた。
「ねえ、君が欲しいものなら何だってあげる。俺そのものでもあげる。俺がなれるものなら何にでもなってあげる・・・それこそ、俺が君にあげたいものなんだ。俺が君のために手に入れるものは物なんかじゃない。ある物を手に入れることができるってことは、それを可能にさせるだけのものが俺の中にあるってことだ。俺は、それを君にあげる。それだけは人間は放棄(ほうき)できない。でも、君のためなら、俺はそれを捨ててもいいし、そうしたい。だって、それは君のものだから。俺は、君のためにできることなら何でもする。それはそのためにあるのだから・・・君だけのために、あるのだから」
そのとき、娘が微笑んで、こう訊ねてきた。
「ねえ、私ってマギー・ケリーより可愛い?」と。
ワイナンドは立ち上がった。彼は何も言わず、家の中に娘を残して出て行った。再び、その娘と会うことはなかった。その後、二度と誰かに恋することはなかった。
『ガゼット』紙で彼の立場が危機にさらされたのは、彼が21才のときだった。初めてのことだった。どんなことが起きたかといえば、それは政治と金がらみの一件だった。政治と腐敗について彼が悩んだことはない。彼はその件についてはすべてを熟知(じゅくち)していたから。彼の率いる不良集団は、選挙となると投票所で計画的な暴力沙汰を起こし選挙妨害しては金を稼いできた。しかし、パット・ミリガンがワイナンドの住む選挙区担当の警部だったとき、そのミリガンが不正工作をされたときだけは、ワイナンドは許さなかった。なぜならば、ミリガンは、ワイナンドが初めて出会った正直な男だったから。
しかし『ガゼット』紙はそのパット・ミリガンを陥れた連中の傘下(さんか)にあった。ワイナンドは何も言わず、『ガゼット』紙をこっぱみじんに吹き飛ばせるような情報を手に入れ、心に期していた。その情報が明るみに出れば、彼自身の職も危なくなるだろう。しかし、そんなことは、彼にはどうでもよかった。
そのとき彼が下した決断は、彼が仕事の上で従ってきたあらゆるルールに反するものだった。しかし、そのことを彼は考えなかった。こういうことは、時々、彼を襲うめったにない爆発のひとつだった。そういうときの彼は、持ち前の警戒心や注意力などすっかり忘れてしまう。自分の好きなようにするのだというただひとつの衝動にとり憑かれた生き物になってしまう。
なんとなれば、自分の選択する道の正しさだけが、彼の眼に見えることになるから。他のことは何も見えなくなるから。しかし、それでも、『ガゼット』紙破壊だけでは最初の一歩にしかならないと、彼にもわかっていた。それだけではミリガン救出には不十分なのだ。
3年間、ワイナンドが保管していた小さな記事の切り抜きがあった。大新聞の有名な論説委員によって書かれた政治的腐敗に関する記事の切り抜きだ。彼は、ちゃんとそれをとっておいた。その記事は、彼がそれまでの人生で読んだものの中で、人間の尊厳というものに対する最も美しい献辞であったから。
彼は、その切り抜きを取り出し、その大新聞の論説委員に会いに出かけた。ミリガンについて、その人物に話そう。そうすれば、その人物といっしょに力を合わせて『ガゼット』紙とそれを牛耳(ぎゅうじ)る政治屋どもを粉砕できるだろう、と思いながら。
彼は、ニューヨークの街を延々と歩き、その大新聞社のビルまで行った。そのときのワイナンドは歩く必要があった。彼の中に渦巻く怒りを鎮(しず)めるためには、長い道のりを歩くのが助けになった。その論説委員のオフィスに入る許可を彼は得た。あらゆるルールに反して、どこにでも入り込む方法を、その頃のワイナンドは、すでに身につけていた。彼は、そこで机について執筆中の太った男を眼にした。その男は、細い目を寄せていた。
ワイナンドは自己紹介をしなかった。ただ、例の記事の切り抜きを机の上に置いて、こう訊ねた。「これ覚えていますか?」と。その論説委員はちらりと切り抜きに目をやった。それからワイナンドを見た。その目つきは、ワイナンドが以前見たことのあるものだった。重傷で倒れている彼の目の前でドアをぴしゃりと閉めた、あの居酒屋の主人の目つきだ。「前に書いた記事なんか、いちいち覚えてないよ」と、その論説委員は答えた。
一瞬の間をおいて、ワイナンドは言っていた。「ありがとう」と。彼が誰か他人に感謝の気持ちを抱いたのは、彼の人生でそのときが唯一だったのではないか。その感謝の気持ちは真実のものであった。それは、彼が得た教訓への謝礼であった。
その鈍感な論説委員でさえ、ワイナンドの短い「ありがとう」の言葉の中に何か非常にまずいものを感じ取った。人の心を非常に震撼させるものを感じ取った。ゲイル・ワイナンドという、純粋さを残し社会悪に対する怒りを残していた若者が、この瞬間に死んだ。あの「ありがとう」という言葉は、一種の死亡記事だったのだ。しかし、そんなことは、その論説委員のあずかり知らぬことだった。
ワイナンドは『ガゼット』紙の社屋(しゃおく)に戻った。あの論説委員にも政治屋のごろつき連中にも、もう怒りは感じていなかった。ただ、自分自身に火のように激しい軽蔑を感じた。パット・ミリガンにも、すべての人間の尊厳にも、同じ軽蔑を感じた。自分やミリガンがすすんで「犠牲者」になろうとしていたことを思うと、恥の意識すらあった。21才のワイナンドは、そういう人間を「犠牲者」と呼ぶことはやめた。そんな人間は単なるカモだ。だまされやすいお人好しだ。
彼は仕事場に戻ると、ミリガン警部を攻撃しまくる見事な記事を書いた。その記事を読んだ彼の上司は、愉快そうに言ったものだ。
「へ~~お前は、あのミリガンって奴を可哀相だとか何とか思っていたんじゃないのか?」
「俺は、誰のことも可哀相だなんて思いません」
その後、ワイナンドは、『ガゼット』紙で自分を危機にさらすようなことは二度としなかった。彼は同じ失敗を繰り返すことを絶対に自分に許さなかった。同じ教訓を二度は学ぶ必要はない自分自身に、彼は誇りを持っていた。
新聞に従事してきた年月の間に、ワイナンドの顔にはある表情が固定された。生涯、この表情が彼の顔を覆うことになるのだったが、それは微笑ではなく、全世界に向けられた皮肉なまなざし、動きのないまなざしだった。彼の、この嘲りのような表情は、彼が嘲りたい特定のものに向けられているのだと、考えることもできるのだから、世間はワイナンドの表情など気にしないのだった。世間の人間からすれば、情熱だの高潔さだのに悩まされない人間に対処することは、それはそれで気楽で愉快なものなのだった。
食料の雑貨商とか、裏方のような仕事をする人間たちは、ゲイル・ワイナンドのやり口には感心しなかった。しかし、政治屋たちは大いに評価した。
『ガゼット』紙が、ある政治屋ごろつき集団に買収されたのは、ワイナンドが23歳のときだった。市長選に勝つために、ある問題をぶち上げるために新聞社が必要だったから。
連中は、ゲイル・ワイナンドの名前で、『ガゼット』紙を買った。彼は、その政治屋ごろつき集団のために、尊敬すべき最前線兵士として奉仕するべく選ばれた。彼は、編集主任となった。敵を粉砕するような問題を新聞紙上でぶちあげ、自分の雇い主の政治屋たちを勝利に導いた。
それから2年後、彼はそのごろつき集団を駆逐(くちく)した。そのリーダーたちを刑務所に叩き込み、自分は『ガゼット』紙の唯一の所有者におさまった。
(第3部3 超訳おわり)
(訳者コメント)
画像は1905年のニューヨークはマンハッタンの写真である。
今でもマンハッタンの建築といえば、この薄い三角ビルの写真が出てくる。
Flatiron フラットアイアン・ビルだ。1902年に竣工された。22階建88メートルのビルだ。
ゲイル・ワイナンドが新聞記者として働いていた頃は1896年から1905年である。
このビルが建設されていた頃なのだ。
1905年は、スラムの浮浪児孤児のゲイル・ワイナンドが『ガゼット』という新聞社を獲得した年である。
ゲイル・ワイナンドは1931年11月時点で51歳なので、1880年生まれということになる。
ハワード・ロークは、1921年に21歳であったので、1900年生まれということになる。
ふたりは20歳年齢が離れているという設定だ。
このセクションで注目すべきところは、ワイナンドが正義が実現されることを望む気持ちや、世界や他人への信頼を捨て、自分が唯一出会った正直な警官であるミリガンを貶めたのは、彼が21歳のときであったということだ。
ハワード・ロークがボストンにあるスタントン工科大学(MITがモデル)を退学となって、ヘンリー・キャメロンの事務所で建築家の道を歩き始めたのが21歳。
ワイナンドとロークは、孤児から立ち上がり独立独歩で自分の人生を築いてきた点は、よく似ている。
しかし、この2人には決定的に違う点がある。
それは、ワイナンドが新聞、メディアの世界を選んだということに関係している。
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