第3部(2) 16歳までのゲイル・ワイナンド

ゲイル・ワイナンドは、ハドソン河の岸にある壊れた壁の下の闇の中に立っていた。12歳の年だった。片腕は大きく後方に振られている。こぶしはきつく握られ、敵を殴打(おうだ)する瞬間を待っている。

彼の足元に石が積み重なっている。隅にある何かの残骸(ざんがい)のあたりまで積み重なっている。彼の姿を街路から見えないようにさせているのは、この石の山の片側である。もう片側の背後は、ハドソン河に面した急斜面になっている。他には何もない。

照明もなく舗装されてもいない波止場が彼の目の前に広がっている。傾(かし)いだ建物がいくつかある。空には雲ひとつ浮かんでいない。倉庫もいくつかある。悪意を秘めているような禍々(まがまが)しい電灯のともった窓がひとつだけ見える。その窓の上方のあたりにゆがんだコーニス[訳注:建築用語で最上部の突出した水平帯。壁面の突出した水平の部分]がぶらさがっている。

もう一瞬もしたら、彼は戦わねばならない。彼は、その戦いが自分の人生のために、どうしても不可避なものであることを知っている。彼はじっと立っている。降ろされて背後に回されている堅く握られた両のこぶしは、見えない針金をつかんでいるように見える。その見えない針金は、彼の全身に張り巡らされている。その針金は、ボロボロのズボンとシャツの下にある彼のひょろりとした肉のついていない体のあらゆる重要な部位に伸びている。その針金は、また彼のむきだしの腕の長いふくらんだ腱へと伸びている。彼の首のぴんと張った腱へと伸びている。その針金が震えるように見えた。しかし、彼の体はみじんも動かない。彼は、敵を必ず死に至らしめるような一種の新しい武器だ。誰かの指が一本でも彼のどこかに触れれば、引き金が引かれる。

ならず者の少年たちの一団のリーダーが自分を探しまわっていたことを彼は知っていた。そいつがひとりでは来ないことも彼にはわかっていた。その不良集団のうちのふたりは、彼が待ち伏せしてナイフで戦った。そのひとりは、自分自身のミスで死んだ。

今、彼は残りの連中を待っている。彼は、その不良集団の中で一番年下だった。その集団に入ったのも一番遅かった。だから、常々、リーダーは、彼に一度やきをいれてやらなければならないと言っていた。

事の次第は、この不良たちが計画した河のはしけ船略奪から始まった。リーダーは、船を奪うのは夜がいいと決めていた。他の連中も同意した。ゲイル・ワイナンドだけが賛成しなかった。彼は、侮蔑(ぶべつ)的な声でゆっくりと説得を試みた。川下(かわしも)を仕切る不良集団のリトル・プラグ=アグリーズが同じことを先週試みたが、6人のメンバーが警察に捕まり、ふたりが墓場に行く羽目になったから、略奪は誰も予想もしないような夜明けにするべきだと、説得を試みた。

年上の少年たちは彼をさんざん罵倒(ばとう)した。無駄なことだった。ゲイル・ワイナンドという少年は、人から命令されたように動くのが苦手だ。自分自身の判断の正確さ以外には、何につけても納得することがないのだ。リーダーは、この厄介者の処分を今夜一気にするつもりだった。

不良団のうちの3人は、非常に静かに歩くことができたので、どんなに薄い壁でも彼らが通り過ぎる足音は聞こえない。しかし、この連中の足音すら、一ブロック離れた地点から、ワイナンドは聴き取ることができた。今、彼は自分の場で静止している。手首だけが少しこわばっている。

ここぞという瞬間に彼は跳躍(ちょうやく)した。まっすぐに宙へ跳躍した。どこに着地するのかなどと考えていない。彼の胸が、まず敵のひとりの頭を殴打(おうだ)した。もうひとりの腹も打った。彼の脚が3人目の敵の胸を蹴り上げた。ワイナンドとその3人はいっせいに倒れたけれども、不良団側の3人が顔を挙げたときには、すでにワイナンドの姿は見えなくなっていた。彼らの目に映ったのは、自分たちの頭上の空を横切る一陣の風だった。その風から何かが自分たちに突進してきた。焼けるような激痛が3人の体を走り抜けた。

ワイナンドは徒手(としゅ)空拳(くうけん)だ。両のこぶし以外に武器はない。かたや3人には、5つのこぶしと1本のナイフがある。しかし、そんなものは、ワイナンドの前では物の数に入らない。3人には、自分たちが繰り出す拳骨(げんこつ)が固いゴムにあたるような鈍いドサッという音を立てるのが聞こえる。突き出したナイフが折れる音が聞こえる。突き出されたナイフは行く手を阻まれ、先端の切っ先は逸らされるばかりだ。しかし、3人が戦っている相手は、いっこうに傷つかない。

ワイナンドには何かを感じているような時間がない。彼の動きはあまりに俊敏(しゅんびん)だ。痛みや傷は彼の動きに追いついていけない。ワイナンドは、痛みが彼を襲う地点の上空に痛みを宙ぶらりんに置き去りにする。次の瞬間、そこにはもう彼はいない。

彼の両肩の間には、二つの輪を描いてぐるぐると彼の腕を旋回させるモーターがついているのだろうか。旋回する腕の描く円だけが見える。腕自体は、速度を速めて回る車輪のスポークのように消失してしまう。その腕が描く円が、旋回を止めることなく、敵の身体のどこかに着地する。その円がとどまれるならどこにでも、敵の体のどこかで止まる。

しかし、そうしている最中でも、ワイナンドの腕の旋回は速度を緩めない。敵の少年は、自分が突き出したナイフがワイナンドの肩のあたりで消えたのを目にした。ワイナンドの肩がさっと動いたので、少年が突き出したナイフはすべるようにワイナンドの脇に落ちた。そこまでは確かに少年は見た。しかし、その瞬間、何かが彼のあごに起きた。衝撃でのけぞった彼の後頭部が古煉瓦の山に激突した。その痛みを意識する前に、その少年は気絶していた。

ワイナンドの攻撃を避けることができたふたりの少年は、今や周囲の壁に血を点々と散らばらせている遠心分離機のようなワイナンドと戦った。長い間、渾身(こんしん)の力を込めて戦った。しかし、彼らが戦っていた相手は人間ではなかった。肉体のない人間の意志そのものと彼らは戦っていた。

煉瓦の間で痛みと傷でうなりながら、不良団は降伏した。平静ないつもと変わらぬ声で、ゲイル・ワイナンドは言った。

「夜明けに船を盗(と)る」

ワイナンドは、歩き去って行った。その瞬間から、彼は最年少ながら不良団のリーダーであった。それから2日後、はしけ船の略奪が夜明けに実行された。見事に成功した。

ゲイル・ワイナンドはマンハッタンのミッドタウン西端に位置するウエスト・サイドの近くに暮らしていた。ハドソン川沿いの埠頭(ふとう)の集まるスラム街であるヘルズキッチンの真ん中にある古い家の地下室に父親と暮らしていた。父親は港湾労働者だった。長身の口数の少ない男だった。学校には通ったことがなく、読み書きができなかった。ワイナンドの父親の父親も、祖父も同じような種類の人間だった。一族にあるのは貧困だけであった。

しかし、一族の血筋をはるか遠くまでさかのぼると、その出自は貴族だった。輝かしい貴族の祖先がいて、それから何か悲劇が起こったらしく、以来一族は長い間世の中から忘れさられ、どん底のスラムに子孫が住む羽目となった。

しかし、ワイナンド家の人間たちはみな、安い借家にいようと、居酒屋にいようと、留置場にいようと、彼らの生きる貧しい環境には似合わない何かを持っていた。だから、ゲイルの父親など、波止場では公爵などと呼ばれていた。

ゲイル・ワイナンドの母親は、彼が2歳のとき衰弱して死んだ。彼はひとり息子だった。父親が母親と結婚した経緯(いきさつ)については何やら大きなドラマがあるらしきことは、漠然とではあるが彼は知っていた。母親の写真を見たことがあったのだが、母親はスラム街の隣近所の女たちとは全く違っていた。着ているものもそこらあたりでは見たことがないような種類のものだった。そして、写真の中の母親は美しかった。

この母親が死んだとき、父親の中から全ての生命力が消えてしまった。父親は息子を愛していた。しかし、その愛情は、一週間にふたつの文章分くらいの話しか息子にしないような、そんな類(たぐい)のものだった。

ゲイル・ワイナンドは母親にも父親にも似ていなかった。誰にもわからないにせよ、彼は一種の先祖返りだった。先祖は先祖でも数世代さかのぼったぐらいの誰かではなくて、何世紀もへだてた大昔の先祖の誰かに似ていたのだろう。彼は、年齢のわりに、あまりにも背が高かったし、あまりにも痩せていた。仲間の少年たちは、彼のことを「のっぽのやせっぽちワイナンド」と呼んだ。いったい彼には筋肉というものがあるのかと仲間はいぶかしんだ。しかし、そのないはずの筋肉を彼が使ったとき、その威力を仲間たちは思い知るはめとなった。

ほんの小さな子どもの頃から、ゲイル・ワイナンドはいろいろな仕事を次から次へとこなした。長い間、街角で新聞を売っていた。ある日、自分が売っていた新聞の社屋に出かけ、印刷室の主任のところに行き、彼はこう言った。新聞社は新しいサービスを始めるべきだと。朝、読者の自宅まで新聞を配達するべきだと彼は提案した。そうすれが、どれほど発行数が増えるか、なぜ増えるのかについても説明した。「新聞配達」など、どの新聞社も思いつかなかった19世紀の話だ。

「へえ、そうかい?」と、主任は答えた。

「そうすれば絶対売れる。俺にはわかる」とワイナンドは言った。

「へえ、そうかい。お前なんかが、ここで何かいっぱしのことがやれるものか」

「あんたは頭が悪い」

ワイナンドはこの一言を発したので、新聞売りの職を失くした。

彼は食料品店でも働いた。電話が一般的でない時代だったので客の注文を聞きに走り、配達に走った。濡れた木の床を掃き清めた。腐りかけの野菜のたるを分類し整理し、接客の手助けをした。忍耐強く一ポンドの小麦を計り、大きな缶からミルクを水差しに注いだ。その行為は、ハンカチにアイロンをかけるのに、蒸気ローラーを使うようなものだった。しかし、彼は歯を食いしばり、やってのけた。

ある日、ワイナンドは店主に提案した。ウイスキーみたいに瓶にミルクを入れたらどうだろうか、そうすればどれほど便利でいいかと説明した。すると店主は、こう言っただけだった。

「うるさい、黙ってろ。サリヴァンさんの奥さんが待っていなさるから行ってこい。商売に関して俺にわからんようなことは、いちいち言うな。お前なんかが、ここで何かいっぱしのことがやれるものか」

ワイナンドは、サリヴァン夫人の注文を聞きに行った。もう店主には何も言わなかった。

賭博(とばく)場で働いたこともあった。痰(たん)つぼを掃除し、客の飲んだくれた後始末をした。そこで、彼はありとあらゆる事物を目撃した。ここでの経験のため、彼は本気で驚くということがなくなった。

彼は大いに奮闘努力して学んだために、沈黙を守ることができるようになった。彼が働く場を、他人が彼の場所として認めるようにしておくこともできるようになった。自分の雇い主の無能さを受容することもできるようになった。そして待つこともできるようになった。

誰も、彼が自分の気持を話すことなど聞いたことがなかった。彼は、仕事仲間たちに様々な感情を抱いていたが、尊敬や敬意というものだけは、そこには含まれていなかった。

フェリー船の靴磨きもしたことがある。船の中では、態度のやたら大きい詐欺師みたいな馬の仲買人(なかがいにん)連中や、酔っ払った船員たちからこづき回された。命令され使い走りをやらされた。もし彼がひとこと口をきこうものならば、野太い声がこう返してきた。

「お前なんかが、ここで何かいっぱしのことがやれるものか」

しかし、ワイナンドはこの仕事が好きだった。客がいないときは、船の手すりに立ち、マンハッタンの風景を眺めた。新築の家々の黄色い板を、まだ何も立っていない空き地を、建築現場のクレーンや起重機を眺めた。それから、遠くにそびえ立ついくつかの塔を眺めた。

彼は、そんなときあれこれ思った。あそこに何が建てられるべきか、何が壊されるべきか。マンハッタンの空間のことを考えるのだった。その将来性について考えるのだった。あの空間から何が形成されるべきか、彼は考えた。

そんなとき、「おい!小僧!」というしゃがれた怒鳴り声が、彼の思いを中断させた。彼は自分の椅子に急いで戻り、従順に泥だらけの靴にかがみこんだ。客から見えるのは、靴磨きの少年の明るい茶色の頭と、ふたつの細いきびきびと巧みに良く動く手だけだった。

霧の深い晩など、街角のガス燈の下で、ほっそりとした人影が背をもたれさせている姿など、道行く人々の誰も気にはとめなかったけれども、その少年の姿は中世の貴族のそれだった。自らの本能が、自分は人々に命じるべき人間だと叫んでいる永遠の貴族の姿だった。

この少年の、すこぶる回転のいい頭脳は、なぜ自分が人に命じる立場になる権利があるのかを彼自身に語っていた。中世の封建領主は支配するために創造された。しかし、なぜそういう俺は、生まれてはきたものの汚れた床を掃除し磨き、他人の命令に従っているのだろうか。

彼は、5歳の年齢で、読み書きを独学した。人にいろいろ訊ねながら学んだ。手に入ったものなら何でも読んだ。わからないということには我慢がならなかった。誰かが知っていることならば、何についても自分でも理解できければ気がすまなかった。

彼の少年期に紋章があるとすれば、それは「疑問符」の形だ。何世紀も前に失われてしまっていた場所に、彼は自分自身で考案した紋章をつけていた。何事も、この少年に説明すれば一度で足りる。この少年は初めての数学を、下水道管を敷設する技師たちから学んだ。地理は、波止場の船員たちから学んだ。社会科は、暴力団の溜まり場のような場末のクラブに出入りする政治屋たちから学んだ。

教会とか学校とかへは行ったことがなかった。それでも12歳のとき、初めて教会に行った。忍耐と謙譲に関する説教を聴いた。それ以降、教会には一度も行っていない。

13歳のとき、教育とはどんなものだろうか見てみようと決めて、公立学校に入学した。息子のこの決意に関して父親は何も言わなかった。息子が不良連中との喧嘩で打ちのめされて帰ったときも、この父親は何も言わなかったが。

学校という場所での最初の週の間、教師はやたらゲイル・ワイナンドを指名した。教師にとっては、これはたまらない嬉しさだった。なんとなれば、この生徒はいつでも答えを知っていたから。

目上の人間を信頼できたときは、つまり目上の人間の目的に信頼を置くことができたときは、この少年はスパルタ人のように彼らに従った。あの不良団の子分たちに要求したのと同じ規律を自分自身に課すこともできた。しかし、彼の意志の力を行使するだけ無駄なこともある。

学校には入ったものの、クラスでトップに立つのに何の努力もいらないと、すぐにワイナンドはわかってしまった。教師の方も彼の存在に気を留めることをやめてしまった。そんなことは必要ないように思えたからだ。この生徒は何でも理解していたから、教師としてはもっと物覚えが悪くて、鈍い生徒たちに注意を払う必要があった。

ワイナンドは、鎖のようにだらだらと続く時間を、毅然とした態度で席について退屈な授業に耐えていた。教師の方は、同じ事を繰り返し繰り返し説明し、噛み砕いて説明し、さらに噛み砕いて教えていた。教師は、他の生徒たちの虚(うつ)ろな目と、モグモグとわけのわからない声から、何がしかの知性の火花らしきものでも出せないかとひたすら頑張っていた。

ワイナンドが入学して2ヶ月目が過ぎる頃、生徒の頭にたたきこもうと初歩的な歴史の復習しているときに、教師はこう質問した。

「合衆国は最初いくつの州がありましたか?」

誰も手を挙げなかった。そのときゲイル・ワイナンドの腕が高く上がった。教師は彼に向かってうなずく。彼は立ち上がって訊ねた。

「先生、なぜ僕は10回も同じことをやらねばならないのですか?」

「このクラスの生徒は、あなただけではありません」

教師が、こう答えたとき、ワイナンドの顔に浮かんだ表情は、この教師を青ざめさせた。ワイナンドは教室を静かに出て行った。ただし、退室する寸前に、戸口で振り向いて言った。

「合衆国の最初の州の数は13です」

これが、ワイナンドが受けた正式の教育の最後だった。

彼が生まれて育ったヘルズキッチンには、このスラムの外には決して行かない人々も多かった。生まれた安アパートからほとんど出たこともないような人間さえいた。しかし、ゲイル・ワイナンドは、ニューヨークで一番の高級繁華街を散歩に出かけることがよくあった。裕福な人々の世界に対する苦渋の思いやルサンチマンなどワイナンドは全く持たなかった。羨望も恐怖も感じなかった。彼は、単に好奇心でいっぱいだった。他のどの場所でもそうだったように、ニューヨークの五番街でも、彼の気分は気楽な寛いだものだった。両手をポケットにつっこみ、靴底が磨り減ってつぶれたような靴をはき、靴先の破れたところからつま先を飛び出させながら、彼は豪壮な高級住宅街を歩いた。

行き交う人々は、彼をにらみつけ、侮蔑的な目でじろじろ見たりしたが、彼はいっこうに平気だった。俺はこういう所にふさわしい人間だけれども、こいつらは、本当はここにはふさわしくないな、と感じながら彼は歩いた。今のところは、俺は何もいらないと彼は思った。物事を理解する、わかるようになるということ以外に、欲しいものは、まだそのときの彼にはなかった。

彼は知りたかった。自分が生まれ育ったスラムの人々と、この高級住宅街の人々を別け隔てている物が何なのか知りたかった。この少年の注意をとらえたのは、衣服ではなく、銀行での上流顧客として受ける待遇でもなかった。

問題は本だな、とワイナンドは思った。スラムの連中だって、衣服や馬車や金を持っている。学位というものは非本質的なことだから、どうでもいい。しかし、スラムの連中は本を読まない。それで、彼は五番街に住む人々が読むようなことを学べばいいと決心した。

ある日、歩道に馬車をとめて誰かを待っているらしい婦人を彼は目にした。その婦人が、裕福で教養もある上流階級の女性であることは確かだった。こういうことに関する、この少年の判断力は、紳士録あたりの格付けよりはるかに正確だった。その婦人は本を読んでいた。彼は馬車の踏み台に飛び上がると、その本を引っつかんで逃げた。警官などより、はるかに敏捷(びんしょう)で身の軽い人間でないと、この少年を捕まえることはできなかった。

ワイナンドがかっぱらった本は、ハーバート・スペンサーの一巻本だった。この本を最後まで読み通すために静かなる苦闘を演じる羽目になったが、ともかく最後まで彼は読み通した。しかし、読んだ内容の半分の半分も理解できなかった。とはいえ、この経験は、彼が生まれて初めて、こぶしを固く握り締めながら、「こうしよう」とはっきりとした見通しを持って決意して始めた一連の行動のきっかけとなった。

誰からの助言も援助もなく、計画もなく、彼は、てんでばらばらの内容の本をかき集めて読み出した。一冊の本を読めば、理解できない部分が、いくつかは出てくる。そのときはそのテーマに関するほかの本を読めばいい。

あらゆる方面に関心を広げ、彼は読書した。まず専門化された博学の学者の書いたようなものを何巻も読んでから、高校生用の入門書を読んだ。彼の読書に系統だったところなど何もなかった。しかし、彼の頭脳の内部には、読書から得たものがちゃんと系統だって蓄積された。

ニューヨーク市立図書館には、市民が自由に出入りできる読書室があることを彼は発見した。しばらくは、そこに通っていた。その図書館の中を探るために。

それから、ある日、ばらばらな時間帯に、少年たちが続々とこの読書室にやって来た。いやいやながら髪に櫛目(くしめ)をきちんと通し、不承不承(ふしょうぶしょう)ながら清潔に顔を洗ってきた少年たちである。この連中は、図書館にやって来たときは痩せていたのに、帰るときは太っていた。

その晩、ゲイル・ワイナンドは地下室の隅に彼自身のささやかな図書室を手に入れた。彼の子分の少年たちは彼に逆らうことなどいっさいせず、彼の命令を実行した。公立図書館から書籍を盗むのは彼らにとっては不名誉なる仕事だった。自尊心のかけらもなく育ったこの不良たちは、書物のようなくだらないものを盗んだことなどなかった。しかし、のっぽのやせっぽちワイナンドが言うからには、従わなければならない。のっぽのやせっぽちワイナンドに口答えするような度胸など、誰にもなかった。

ワイナンドが15歳のときだった。ある朝、意識なく、両脚が折れて、血だらけになって溝に倒れている彼の姿が発見された。前の晩に酔っ払いの港湾労働者にぶちのめされたのだ。

前の晩に殴打された直後は、まだ意識があった。暗い路地にひとりで倒れていた彼の目に、街角あたりにともっている灯りが見えた。彼が、どうやってその灯りのある場所まで怪我だらけの体をひきずっていくことができたのか、誰にもわからなかった。しかし、ともかくなんとか彼はそうした。彼が体を引きずって行った後には血の跡が延々とついていた。夜が明けてから人々はそれを目にすることになった。

彼は、腕以外は動かせなかったので、灯りのあるところまで這って行った。そしてたどり着いた灯りのもれる家のドアの下部をたたいた。そこは居酒屋だった。まだ店を閉じていなかった。居酒屋の主人が出てきた。ゲイル・ワイナンドが人に助けを求めたのは、後にも先にも、この時だけだ。

居酒屋の主人は倒れている少年を、無感動な、どんよりとしたまなざしで眺めた。苦しみや世の中の不正などについてよくわかっているし、目撃もしてきたくせに、鈍感で鈍重な無関心な目つきである。居酒屋の主人は、店の中にもどりドアをぴしゃりと閉めた。この男は、やくざ者の喧嘩になど巻き込まれたくなかったのだ。

後年、ニューヨークの『バナー』紙を発行する新聞社の社主になってからも、ゲイル・ワイナンドは自分に重傷を負わせた港湾労働者の名前と、あの居酒屋の主人の名前を覚えていた。彼らの居場所もわかっていた。港湾労働者には彼は何もしなかった。しかし、あの居酒屋の主人に関しては、商売が立ち行かないように仕組んだ。その男は、家庭も金も無くし、自殺した。

ゲイル・ワイナンドが16歳の時、父親が死んだ。彼は天涯(てんがい)孤独になった。仕事もなく、ポケットに在るのは65セントだけだった。家賃は滞納したままだった。あるものといえば、乱読で得た混沌とした博学だけだった。

自分の人生から何を作り出すか決心すべき時がいよいよ来たのだと彼は感じた。その夜、彼は父親と暮らしてきた安アパートの屋根に登った。そこからマンハッタンの街のたくさんの灯(ひ)を眺めた。彼がまだそこから何もつかんでいない大きな街の夜景を眺めた。周囲には汚れて貧相なあばら家が密集している。そんな家々の窓から、遠くの高級住宅街の窓へと、彼はゆっくり視線を動かす。そこは高層住宅が多いので、灯のともった窓は、宙にぶらさがっている四角形の光のように見えた。

彼には、その高級住宅街と、自分が生まれ育ったスラムの建物との質的差はわからない。わかることは、彼の周りのスラムの灯りは、生きることに打ちのめされて泥だらけに見えるが、はるかに遠くに見える灯りは清潔で端整だ、ということだけだった。

ひとつの問いをワイナンドは自らに投げかけた。貧しかろうが、豊かだろうが、マンハッタンのこれらの家々すべての中に入り込むことができるものがあるとすれば、それは何だろうか?薄暗い灯りがともる家だろうと、輝くように強い灯りがともっている家だろうと、どの部屋の中にも、どんな人間の手にも届くようなものとは何だろうか?

パンはみな食べる。人々が食べるパンから人を支配することは可能だろうか?靴もみなが必要としている。コーヒーもみなが必要だ。それから他に誰もが必要なものとは何だろうか?

情報だ・・・ゲイル・ワイナンドが進むべき道はこの夜に決まった。

(第3部2 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションも長いが、ここは訳していて楽しいところだった。

メディア王ゲイル・ワイナンドの極貧の少年時代が描かれているが、この少年の痛快なこと。実に逞しく聡明なこと。

現代の神話のような雰囲気をたたえた「ゲイル・ワイナンド少年時代」の記述は、唄っている。

作家のアイン・ランドも書いていて実に楽しかったろうなと思わせるほどに、文章が唄ってる。

こういう文章は訳すのも楽しくラクである。

極貧の少年がスラムの住民と高級住宅街の住民を比較して、何が本質的に違うか考えて、「本を読むかどうかだ」と結論づけるのは、リアリティがないかもしれない。

今の時代は、エリートと目される立場にいても「本を読まない人間」は珍しくない。

良家の奥様が本を読むとも思えない。

このセクションで出てくるハーバート・スペンサーは、社会的進化論を唱えた人物である。

社会もまた進化していくものであり、社会の進化を促進する人間こそが価値あると説く論を展開した。

「スラム育ちだが生まれながらの貴族」ゲイル・ワイナンドが初めて読んだ本は、おそらく社会進化論関するものなのだ。

アイン・ランドの人間観社会観が、ここで表出されている。

後に、この社会進化論は優生学に利用された。優生学は、より良い社会の構築と保持のためには劣った資質の人間は排除しないと社会が劣化するという理由で、知的障害者の断種手術がなされたりした。

だから、人権に敏感な現代においては評判が悪い。

といっても、現代の遺伝子工学は、優生学の現代版とも言えるのだが。

ところで、ワイナンドの生まれ育ったヘルズキッチンというスラムは、今のニューヨークにはない。

今のリンカーンセンターやメトロポリタン劇場のあるあたりは、1930年代まではスラムだった。

ハドソン川沿の地区は、かつては港湾労働者や移民が多く住んでいた。

スラムの再開発により、スラムに乱雑に建てられていた低層賃貸アパートメントハウスは整理され、跡地に「プロジェクト」と呼ばれる低収入層向けの高層集合住宅が建設された。

戦後の日本の「公団住宅」は、その真似だ。

今のアメリカで、日本の公団住宅ソックリな何棟かの高層集合住宅を見たら、それは「プロジェクト」と呼ばれる低収入層向けに行政が建てたものであり、始まりはルーズベルト政権の福祉政策であった。

ルーズベルト政権の中に入り込んでいたソ連のスパイたちは、ソ連の公的集合住宅のプランをアメリカで実現させた。

そのプランは、確実にスラム解消に貢献した。

でも、少年ワイナンドが育った19世紀末のヘルズキッチンは、どうしようもない貧民窟であった。

その貧民窟の地下室で育った少年は、父親が死んでから貧相なビルの屋根に登って、遠い街の灯りを見つめながら、自分の将来を決める。

私は、このシーンが大好きだ。

ワイナンドとロークの共通点は、母の顔を知らず、父に育てられて10代半ばで孤児となったことだ。

ここんとこ、よく覚えておいてくださいね!

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