第2部(55) 僕はあなたについて考えたことがないのです

ロークの事務所は、また一部屋にもどってしまった。コード・ビルの完成後は、ロークは仕事が見つけられなかった。

深まる不況は、建築業界にも壊滅的な影響を与えていた。どの建築家にとっても、ほとんど注文などないのだった。超高層ビルの時代は終わったなどと言われるようになっていた。建築家の中には、事務所を閉鎖する者も出てきていた。

といっても、数は実に少ないが、高額な設計料が出るような仕事も、ときどきはあった。そんな仕事をめがけて、建築家たちは一団となって群がり争った。そんな建築家の中には、ラルストン・ホルクウムのような大物もいた。今まで決して人に懇願したことのない、顧客を受け入れるときも名士からの推薦状などがなければ相手にしなかったようなご大層な連中が、そんな状態に陥った。

ロークが仕事を獲得しようとしたとき、手厳しく拒否された。どうせこいつには、まっとうな感覚などないのだから、礼儀にかなったふるまいなど無駄な努力だと言わんばかりの態度で、彼は拒否された。ロークに応対した人間は、警戒心むきだしの目で言うのだった。

「ロークだって?あのタブロイド新聞でさんざ書かれていた奴?この時節だからねえ、あとになって訴訟沙汰に使うほど、金があり余っているわけではないのでね」と。

いくつかの仕事はロークにもあった。下宿屋の改築とか、仕切りを作るとか、配管を配置し直すとかのようなことも含むような類の仕事だ。オースティン・ヘラーは怒って言う。

「ハワード、そんな仕事はするな。そんな類の仕事を君にやらせるなんて、悪魔的な厚かましさだな!コード・ビルのような高層ビルを完成させた後で?エンライト・ハウスの後で、そんな」

「僕は、どんな仕事も引き受けます」

ロークはヘラーに静かに答える。

ホップトン・ストッダードへの損害賠償金は、コード・ビル建設でロークが得た金の総額よりも多かったが、しばらくのあいだは生活できるだけ金は、まだあった。だから、ロークはマロリーの部屋代も払ったし、しょっちゅう共にする夕食の代金も払った。

マロリーは遠慮しようとしたが、ロークは言う。

「スティーヴ、いいんだ。僕は君のためにしているんじゃない。こんな時だからな、僕は自分にほんのささやかな贅沢をさせてやりたい。だから、僕で買える最高に価値あるものを買っているだけだよ。つまり君の時間さ。これは、とんでもなく贅沢なことだよ。世間の連中は、君にまた赤ん坊人形を作らせたがっているけど、僕はそんなことはしてもらいたくない。あいつらに抵抗して、僕の好きにするっていいなあ」

「ハワード、あんたは俺に何をさせたい?」

「僕が君にしてもらいたいことは、こうしろとか、ああしろとか誰かに注文つけられずに、君が仕事すること」

オースティン・ヘラーはマロリーからこの話を聞いて、ふたりきりのとき、ロークに言った。

「君はマロリーを援助してる。じゃあ、なんで君は俺に君を援助させない?」

「あなたが僕を援助できるのならば、僕は援助していただいていますよ。マロリーに必要なのは時間だけです。顧客がなくても、彼は仕事ができる。彫刻できる。僕は顧客がいなければ、仕事ができません」

「ハワード、そんな利他主義者の役割をしている君を見るなんて、愉快だな」

「僕を侮辱する必要などないですよ。僕のしていることは、利他主義なんかじゃありません。ほとんどの人間は、他人の苦しみに関心があると言いますが、僕にはありません。僕には理解できないことがひとつあります。もし、自動車にひき逃げされて、たたきつぶされ道路で血を流している人間を見たら、ほとんどの人間は知らん顔などしません。ただそこを通り過ぎるようなことはしません。しかし、その同じ人々が振り向いてスティーヴン・マロリーを見ることはないのです。その人々にはわからないのです。もし、苦しみが測定できるとするならば、したい仕事ができないスティーヴン・マロリーの苦しみは、戦車に掃討(そうとう)された死人でいっぱいの戦場の苦しみと匹敵するのだということが。この世界の痛みを軽減するのが人の務めならば、マロリーの痛みから始めたって、いいはずです。ただし、それが、僕がマロリーを援助する理由ではありません」

ロークは、改築されたストッダード殿堂を見たことはなかった。11月のある晩、ロークはそれを見に出かけた。その行為が、苦痛に降伏することになるのか、それを見るという恐怖を克服することになるのか、ロークにもわからなかったのだが。

もう夜も更けている。ストッダード・ホームの庭園には誰もいない。建物は暗い。建物の裏側の2階にある窓にだけ灯りがともっている。長い間、ロークは建物を見つめ立っている。

ギリシア様式の吹き抜け柱廊のある玄関のドアが開いて、小柄な男の姿が現れた。その人影は、何気ない様子で玄関口の階段を降りて来た。それから立ち止まった。

「やあ、ロークさん」と、エルスワース・トゥーイーが静かに言う。

「どうも」と、ロークは関心もなくトゥーイーを眺めながら答える。

「どうか、逃げたりなさらずに」と言うトゥーイーの声に嘲りの響きはなく、いたって真面目である。

「逃げるつもりはありません」

「あなたが、いずれここにいらっしゃると私にはわかっておりました。あなたが、いらっしゃるときには、私はちゃんとここにいたいとも思っておりました。ですから、ここで時間をつぶす口実をいろいろ考えてきたものですよ」

こう話すトゥーイーの声に、満足げにほくそ笑むような響きはない。その声は、疲れているようにも単純明快にも聞こえる。

「そうですか」

「私と話すことを躊躇(ちゅうちょ)しないでいただきたいですな。私は、あなたのお仕事を理解しております。そのお仕事に私が何をするかは、また別の問題ですが」

「僕の仕事に関してあなたが何をしようが、あなたの自由です」

「私は、他のどんな人間よりも、あなたのお仕事を評価しています。ドミニク・フランコンだけは例外かもしれませんが。しかし多分、私のほうが彼女よりあなたの仕事を理解できますよ。ロークさん、これはすごいことなのです。私のように、こう明言できるだけの見識ある人間が、あなたの周囲に、やたらいるわけではないでしょう。これは、あなたと私の間に大きな絆があるということではないでしょうか?あなたの献身的な、しかし盲目的な支援者よりも、はるかに私のほうがあなたとの絆が大きい」

「あなたが、僕の仕事を評価しているということはわかっていました」

「ならば、私に話すことは構わないわけですね」

「何を、ですか?」

闇の中で、トゥーイーがため息をついたような気配がした。しばらくしてから、トゥーイーはストッダード・ホームを指さして、言った。

「これがおわかりですか、あなたは?」

ロークは答えない。トゥーイーは、もの柔らかに話し続ける。

「あなたにとって、これはどう見えますか?意味のないガラクタでしょう?適当に流れてきた丸太が集まったみたいなものでしょう?愚劣きわまりない混沌のようなものでしょう?確かにそうですよ、ロークさん。ここには一貫した方法が見出せないでしょう?あなたは、建築の言語と形の意味というものがわかっている方ですからねえ」

「あなたは、何を話しておられるのですか?」

「ロークさん、私とあなたしか、ここにはおりません。あなたが、私についてどうお考えなのか、なぜあなたはおっしゃらないのですか?言いたいことをおっしゃればいいのです。誰にも聞こえません」

「しかし、僕はあなたについて考えたことがないのです」

トゥーイーの顔に、運命のように絶対的なものに静かに耳をすませるような表情が浮かぶ。そんな注意深い思考を集中させているような表情が浮かぶ。トゥーイーは、しばらくのあいだ無言でいる。ロークが訊ねる。

「あなたは、僕に何をおっしゃりたいのですか?」

トゥーイーはロークの顔を眺める。それから、自分たちの回りにある葉の落ちた木々を見る。はるか下方に流れる川を見る。川の向こうに広がる大きく高い夜空を見る。

「別に何も」と、トゥーイーは答える。

トゥーイーは去っていく。静かな夜に、砂利道を踏みつけてく彼の足音が聞こえる。エンジンのピストンがたてる音のような、鋭い均質な足音だ。

ロークは、かつては「ホップトン・ストッダード人間精神の殿堂」であった建物を眺めながら、その建物と街路の間にある車道にひとりで佇んでいた。

(第2部 おわり)

(訳者コメント)

I don’t think of you.

「僕はあなたについて考えたことはないのです」

ロークがトゥーイーに対して言った言葉の原文はこれだ。

取りつく島もない簡潔な文だ。

「僕はあなたについて考えない」が逐語訳だ。

トゥーイーとしては、ロークと、互いの大義の下に心理戦を戦ってきたつもりだ。

それだけ常にトゥーイーはロークのことを意識してきた。

実はトゥーイーもロークに片思いだ。キーティングと同じく。

しかし、ロークにとってはトゥーイーのことなど、どうでもいい。

ロークは考えてもしかたないことは考えない。

ロークにとっては、トゥーイーは、考えてもしかたない類に属する。キーティングがそうであるように。

ロークは漏電しない。

あれほど、ストッダード裁判では名誉を傷つけられ、ドミニクとは別離したけれども、それで誰かに恨みを抱くようなこともない。

ストッダード殿堂が福祉施設として改築された様子を見物に来るくらいなので、それだけ逆説的にも、ロークはこだわっていないのだ、自分がかつてした仕事に。

未練などではない。改築されても見つめていれば、自分が設計し建てた殿堂は見える。

それをロークは見に来ただけだ。

トゥーイーは、ロークのinvincibleな真に無敵な精神を、あらためて思い知らされる。

はい!

今回で第2部が終わりました!

第3部からは、いよいよさらに急展開です。

ロークの師匠のヘンリー・キャメロンが、この世界の愚劣さの象徴として憎んだ新聞を発行するアメリカ屈指の新聞王のゲイル・ワイナンドが登場します!

第3部は比較的に短いです。

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