ロークは、殿堂の改築費用を支払うように裁判官から言い渡された。ロークは、控訴(こうそ)する意志はないと述べた。
まもなく、件(くだん)の殿堂は、知的障害を持つ恵まれない子どもたちのための福祉施設のためのホップトン・ストッダード・ホームとして改装されることになったと、ホップトン・ストッダードは発表した。
公判の最終日の翌日、アルヴァ・スカーレットは、自分の机に送ってこられたドミニクのコラム「あなたの家」の校正刷りに目を走らせ、息を呑んでうめいた。法廷でドミニクが話したことのほとんどが、そこに書かれていた。彼女の証言は、この訴訟事件の報道の中で引用されていたのだが、ただしあたりさわりのない部分だけ記事にされていた。アルヴァ・スカーレットは、ドミニクのオフィスに急いで歩いていく。
「ねえ、ねえ、ねえ、これじゃあ載せられないよ」と、彼は言う。
ドミニクは、ぼんやりと彼の顔を眺め、何も言わない。
「ドミニク、ねえいい子だからさあ、お利口でいてよ。君が使っている言葉の不穏当な部分とか、新聞にとうてい載せるわけにはいかない君の不適切な意見の問題はさておいて、うちの社がこの訴訟問題に関してどっちの側にたってきたかは、君だって先刻承知のことじゃないの。うちの新聞が張ってきたキャンペーンのことは、わかっているじゃないの。今朝の僕の論説も読んだでしょうが。『品位の勝利』と題したやつさ。我が社の方針に反するような記者は困るよ」
「このまま載せていただきます」
「だけどさあ、ねえ・・・」
「さもなければ、私は辞職しなければなりません」
「あれあれ、またまた、そんな馬鹿なことを言って」
「アルヴァ、どちらかを選んで下さらないと・・・」
もし、ドミニクが書いたままのコラムを載せて新聞を出せば、社主のゲイル・ワイナンドから酷い目にあうことになる。かといって読者に人気のあるコラムの書き手ドミニク・フランコンを失えば、これまたこっぴどく叱られる。ワイナンドは、ヨットの航海旅行から、まだ帰っていない。アルヴァ・スカーレットは、状況を説明した電報をバリ島にいるワイナンドに送った。
数日もしないうちに、スカーレットは返事を受け取った。それは、ワイナンド専用の暗号で書かれてあったのが、解読して読んでみるとこうだった。
「馬鹿女をクビにしろ」
スカーレットは電報をじっと見る。がっくりとした気分である。これは、もう他に手のうちようがない命令である。たとえ、ドミニクが降伏しても同じことだ。彼女が解雇されるのではなく、辞職してくれる方が、まだましだった。ドミニクを解雇しなければならないなんて、スカーレットは考えるだけでもいやだった。
自分がその職に推薦した若者を通じて、トゥーイーはアルヴァ・スカーレット宛にワイナンドから来た電報の解読されたもののコピーを手に入れた。その紙をポケットに入れ、彼はドミニクの仕事部屋に行く。公判以来、ドミニクには会っていなかった。彼女の部屋に入ると、彼女は机の引き出しから私物を片付けるのに忙しくしていた。
「ドミニク、こんにちは。君は何をしているのですか?」
トゥーイーはそっけなく訊ねる。
「アルヴァ・スカーレットからの返事を待っています」
「というと?」
「私が辞職しなければならないかどうか、その答えを待っています」
「君、あの公判について話してみたい気はありませんか」
「ありません」
「私は大いにあります。あの時、今まで誰もしなかったことを、君はしましたね。それを認めるぐらいの礼儀は君に示しておきたいと思うのですよ、私は」
トゥーイーは冷ややかに話している。彼の顔には表情がない。目には、いつもの作りこまれた優しさの欠片もない。
「君があの証言台でしたことですが、あんなことを君がしようとは、私の見込み違いもはなはだしかったです。あれは下劣なトリックでしたねえ。君の悪意の方向がどこに向けられるか、私は計算違いをしました。しかし、まあ、君自身、自分のやったことの不毛さを認めるだけの良識はあったわけですからねえ。もちろん、君の証言は君なりの要点を突いていました。私の意図も、よく把握していましたよ。さて、君の不毛な行為への御褒美(ごほうび)として、贈り物を差し上げましょう」
トゥーイーは、ドミニクの机の上に、ワイナンドからの電報が解読された紙のコピーを置く。ドミニクはそれを読み、手に紙をつかんだまま立っている。
「君は辞職さえできないのですよ、お嬢さん。これではねえ、君の、ほら、真珠を豚にくれてやった英雄に、君なりの自己犠牲を提供して差し上げられないですねえ。君は、君自身の手によって以外には打ちのめされないことに随分と大きな重要性を置いていたのにねえ。それを思うと、あんがい、君はこういう事態を楽しんでいるのかもしれませんねえ」
ドミニクは、その紙を折りたたみ、バッグの中にしまった。
「ありがとう、エルスワース」
「お嬢さん、もし君が僕と戦うつもりならば、言葉だけではすみませんよ」
「私は、いつもあなたと戦ってきたでしょう?」
「そうですね。そう、もちろん、そうでした。まさしくその通り。君は、また私の言うことを訂正してくれましたねえ。君は、いつも私と戦ってきた・・・君が矢折れ力尽き、慈悲を求めて叫んだ唯一の時というのが、あの証言台でした」
「そうですね」
「そこが、私の計算違いでした」
「そうですね」
トゥーイーは形式的な会釈をして、ドミニクの仕事部屋から出て行った。
ドミニクは、自宅に持って帰りたい私物をまとめて包んだ。それから、アルヴァ・スカーレットのオフィスに行った。手にしていた例の電報のコピーを、ドミニクは彼に見せる。見せはしたけれども手渡しはしない。
「よろしいのよ、アルヴァ」
「ドミニク、僕にはどうしようもなくて。避けられなかったんだ。それは・・・でも、どうして君がこれ持っているの?」
「ほんと構いませんのよ、アルヴァ。この紙は、あなたにお渡ししません。私がちゃんと保管しておきます」
ドミニクは、その紙をバッグにもどす。
「今日までの給与の小切手とか、何か他に話し合わなければならないことがあったら、郵便でお知らせ下さい」
「君・・・君は、いずれにしても辞職するつもりだったのだね?」
「はい、そのつもりでした。でもこちらの方がずっといいです。クビになる方が」
「ドミニク、僕がどんなに辛い気持ちでいるか、君にわかればなあ。信じられないよ。ただ、僕には信じられない」
「あなた方って、結局、そうやって私を殉教者にしたのね。殉教者は、私が人生で一番そうでありたくないものです。殉教者になるなんて下品です。殉教者になってしまうのは、自分の敵を過剰に賛美するようなものですから。でも、アルヴァ、これだけはお話しておきます。あなたにはお話いたします。だって、これから私が言うことを聞く相手としては、あなたほど、ふさわしくない方はいませんもの。あなたが、あなたたちが、私やロークにしていることは、私がこれから自分自身にしようとしていることに比べたら、全くこれっぽっちも悪くない。私は、あのストッダード殿堂の件を受け容れることができないと、あなた方は思っていらっしゃる。でも、私がいつか何を受け容れることができるか、何を選べるか、その目であなたがご覧になるまで、待っていて下さいな」
(第2部47 超訳おわり)
(訳者コメント)
案の定ハワード・ロークは敗訴した。
控訴もしなかった。
ストッダード殿堂を福祉施設に改装する費用を出すことに同意したわけだ。
ロークは設計手数料を浪費しないので、今の日本円に換算すると2億円くらいは出せたという設定なのかもしれない。
一方、ドミニクは、法廷でローク大弁護をしたので、ローク叩きキャンペーンを張ってきた勤務先の新聞社『バナー』に在職したままではいられない。
しかし、辞表を出す前に、解雇された。
エルスワース・トゥーイーは、ドミニクに対して敵意むきだしになる。それまで、トゥーイーを公然と非難する人間など皆無だった。子どもの頃から絶対に批判や非難されない善と美徳の具現を演じてきた。
そのトゥーイーは、法廷でドミニクから、はっきりと豚呼ばわりされたのだから。はっきりと、軽蔑されたのだから。
このセクションは、これからの大展開の前の小休止だ。
それにしても、アメリカの大新聞社は、コラムを書く人間用の個室オフィスも社屋に用意するらしい。
コラムニストは、コラムを書く以外の仕事はしないらしい。
大新聞社に雇用されているトゥーイーもドミニクも、取材に行ったり、ニュースの編集はしない。
毎日のコラムを書く仕事以外はしていない感じだ。
アメリカの大学では、テニュア(終身在職権)を取って、大学の学部の教授になれば、担当科目は週に3クラスほどだ。
大学院担当の教授でdistinguished professorや名誉教授になれば、担当クラスは、週にひとつだ。
それも大学院生のアシスタントがつき雑用はやってくれる。
駆け出しの契約制の講師の頃は、毎朝8時半から始まるクラスを週に4回担当して指導添削するとか、受講生が少ないと解雇されるとか大変であるが。
テニュアを獲得するまでは、ほんとうに競争が激しいが。
学部長や学生部長などの管理職は授業は一切しない(本人の希望がある場合は別)。
同じ職種の専門職でも、ほんとうにアメリカと日本は違うなあ。
ところで、この画像は、Zac Efron監督で製作されると発表になった映画The Fountainhead のポスターだ。
ほんとに映画になるのかな……
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