第2部(46) ドミニクの証言

公判第1回が終わった日の晩に、マロリーと、ヘラーと、マイクにエンライトと、それにランスィングが、ロークの部屋に集まった。

彼らは、互いに相談したわけでもないのに、同じ感情に突き動かされ、そこに集まった。彼らは公判のことは話さない。だから、彼らの間に緊張はない。かといって、努めて公判の話題を意識的に避けるというわけでもない。

ロークは、自分の製図台の椅子に座っている。プラスティック産業の未来について彼らに話している。マロリーが、笑う理由もないのに唐突に大きな笑い声をたてる。

「スティーヴ、なんだよ?」とロークが訊(き)く。

「なんかおかしくてさ・・・ハワード、俺たち、あんたの助けになれればと思って、ここに来たのにさ。あんたを元気づけようと思ったのにさ。だけど、俺たちを元気づけているのは、あんたなんだ。ハワード、あんたは、あんたの支持者を慰めているんだな」

その晩、ピーター・キーティングは、密造酒を売る安酒場のテーブルに酔いつぶれていた。体が半分テーブルの上で伸びている。片方の腕がテーブルに投げ出され、もう片方の腕の上に顔を乗せている。

翌日から2日間、次から次へと証人が原告側に立って証言をした。すべての尋問は、証人の職業的業績の確認から始められた。弁護士は、百戦錬磨の新聞や雑誌の記者のように、証人たちが進んで証言するように話を導いていった。

オースティン・ヘラーは、建築家たるものは、証人台に召喚されることを拒否して戦うべきであったのだと述べた。なんとなれば、この公判ほど、建築家という、いつもは口数の少ない職業人が、公的にさらしものになり人前でペラペラしゃべりたてて馬鹿騒ぎを起こしたことはなかったからと述べた。

証言台に立った「アメリカ建築家協会の会長ラルストン・ホルクウムは、流れるような蝶結びのタイをして、金の頭がついた杖をつき、まさに大公爵か、あるいはビア・ガーデンの作曲家といったいでたちであった。彼の証言は、延々と長くかつ学者的であった。その長い話もやっと以下の言葉で終えられた。

「すべて無意味なのです。すべてが幼稚な子どもじみた茶番であります。ホップトン・ストダッード氏には、私は大いなる同情を禁じ得ません。なんと申し上げたらよろしいのか。もっとよくお調べになるべきでしたな。ルネサンスの建築様式こそが、唯一我々のこの時代に適合したものであることは、科学的事実なのです。我らの時代の最高の人物、たとえばストダッード氏のような方が、このことを認識なさることができないのならば、全ての成金(なりきん)のたぐいや、建築家の卵たちや一般民衆から、いったい何が期待できるというのでしょうか?ルネサンスは、すべての教会や神殿や大寺院に唯一許される様式であると、昔から証明されてきているのです。なのにストダッード氏はルネサンス様式を選ばなかった。だから、その報いを氏は受けたのです。正当な結果が氏にもたらされただけのことなのです」

ゴードン・L・プレスコットは、格子縞の上着の下にタートル・ネックのセーターを着ていた。ツイードのズボンに重いゴルフ用の靴を履いている。彼は言う。

「ただいま議論されている建物における超越的なるものの純粋に空間的なものへの相関関係というのは、全体的にねじれております。我々が、水平的なるものを一次元的、垂直的なるものを二次元的と呼び、かつ対角的なるものを三次元的と呼び、空間の相互浸透的なるものを四次元的と呼ぶとするならば、建築というのは、四次元的芸術なのでありますが、我々はきわめて率直に次のように断言して構わないと考えられるのです。すなはち、この「殿堂」なる建物は、各構成部分の縮小率が同一比率であります。専門外の用語で申し上げますと、ペッチャンコなのであります。混沌(こんとん)における秩序の感覚から、もしくはお好みならば、多様性の中の統一性からと申し上げてもいいのですが、そういうものから生まれ出るような流れるごとき生命が、この建物には絶対的に欠落しております」

ジョン・エリク・スナイトが遠慮がちに証言したのは、以下のことであった。かつて自分の設計事務所でロークを雇用していたこと、ロークが頼りにならない忠誠心のない破廉恥(はれんち)な従業員であったこと、および、雇用主から顧客を盗むことで独立した建築家としての仕事を始めたこと、である。

公判の4日目、原告の弁護士は、最後の証人を召喚した。

「ドミニク・フランコンさん」と、弁護士は厳(おごそ)かに証人の名を挙げる。

マロリーは、思わずうめき声を発したが、誰にもその声は聞こえなかった。隣に座っていたマイクの手が、マロリーの手首に押しつけられた。その手が、マロリーを静かに抑制していた。

弁護士は、公判も最高潮のときのために、ドミニクを切り札として、この日までとっておいた。ドミニクから大いに有利な証言が期待できると思ったからでもあるし、またいささか弁護士には気がかりでもあったからだ。ドミニクだけは証言の練習をしていなかったからである。

ドミニクは、弁護士からいちいち指図されるのを拒否した。彼女は、自分のコラムで、ストッダード殿堂について言及したことは一度もなかった。しかし、弁護士は、彼女が前にさんざん書いたローク批判について調べていた。エルスワース・トゥーイーから彼女を召喚するように助言されてもいた。

ドミニクは、証人席に座る前に、証言台に一瞬だけ立ち、ゆっくりと傍聴人を見回した。彼女の美しさは目を見張るばかりだ。しかしあまりに人間離れしているというか、まるでその美貌は彼女に属しているようには思えないほどだ。その姿は、公判室の中で、他の事物や人々とは切り離された存在として、そこに在るように見えた。

ドミニクの姿を目にした人々は、まだしっかりとは現実に出現していない幻や夢想がそこにあるような思いで、彼女を見つめる。彼女は、断頭台に立つ犠牲者か、真夜中に大陸横断鉄道のレールに立っている人間のように非現実的な雰囲気を漂わせている。

「あなたのお名前をおっしゃって下さい」

「ドミニク・フランコンです」

「フランコンさん、あなたのご職業は?」

「新聞記者です」

「あなたは、『バナー』に連載されているあの素晴らしいコラム「あなたの家」をご担当ですね」

「はい」

「あなたのお父上は、高名な建築家のガイ・フランコンさんですね」

「はい。父も、ここに来て証言するように依頼されましたが、断りました。父が申しますには、ストッダード殿堂のような建物など、どうでもいいそうです。ただ、この件について、紳士らしく人々がふるまっていないと父は考えております」

「あの、フランコンさん、今は、質問されたことだけに答えを限定していただきたいのです。私どもとしましては、ここにあなたをお呼びできて大変ありがたく思っております。あなたは、唯一の女性の証人でいらっしゃる。女性は、概して、宗教的信仰に最も純粋な感覚を常に持っているものです。かてて加えて、あなたは建築に関する類(たぐい)稀(まれ)なる権威でいらっしゃる。この件に関して、失礼ながら、女性的角度と我々が呼ぶところのものを、ここで我々に提供してくださる資格は、あなたは実に豊かにお持ちでいらっしゃる。さて、例のストッダード殿堂について、あなたはどうお考えでしょうか?あなたなりの表現で、おっしゃっていただけませんか?」

「私は、ストッダードさんは間違いを犯したと考えております。もし、あの方が、改築費用ではなく破壊費用を請求して告訴なさっているのならば、この訴訟の正当性については疑問の余地がなかったでしょう」

「フランコンさん、その理由をお話してくださいませんか?」

「理由でしたらば、もう今までの証人の方々からお聞きになったはずです」

「では、あなたは今までの証言に同意なさると、考えてもよろしいのですね?」

「完全に同意いたします。証言なさったどの方よりも完全に同意したします」

「そこの点を・・・明確にお話していただけませんか?あなたのおっしゃりたいことをズバリと」

「トゥーイーさんがおっしゃったことですわ。この殿堂は、我々すべてにとって脅威なのです」

「なるほど」

「トゥーイーさんは、この問題について、実に的確に理解しておられました。私なりの表現で説明いたしましょうか?」

「是非、お願いいたします」

「ハワード・ロークは、人間精神の殿堂というものを建てました。彼は、人間を、強靭で、誇り高く、清浄で、聡明で、恐れを知らぬものとして考えたのです。彼は、人間を英雄的存在として見たのです。ですから、それに応じた殿堂を建設しました。殿堂とか寺院とかいうものは、人間が高揚を、精神の高みを、体験するためにある場所です。ロークは、こう考えたのです。その精神的高揚は、自らには罪はないという意識から生まれると。自らは真実を見ることができるし、それを達成することができるという意識から生まれると。その精神高揚は、人間たる自らが自分の最も高い可能性に恥じない生き方をするのだという意識から生まれると。自分は恥辱など知らず、恥辱を感じる原因など自分にはないという意識から生まれると。自分は太陽の光が燦々(さんさん)と注ぐ中に裸で立つことができるという意識から生まれると。さらに、ロークは、こうも考えたのです。精神高揚とは歓喜を意味し、歓喜こそが人間の生得の権利だと。このようにロークが定義している人間のために建てられた場所こそが、聖所だとロークは考えたのです。それが、ロークが考えるところの人間であり、精神的高揚でした。しかし、エルスワース・トゥーイーは言いました。ロークが建てた殿堂は、人間性への深い憎悪に対する記念碑だと。エルスワース・トゥーイーは、こうも言いました。精神的高揚の本質とは、自分の能力に恐れを抱くこと、屈服すること、ひれ伏すことだと。エルスワース・トゥーイーは、こうも言いました。人間が赦されることが必要な何かであると前提しないことは、堕落を意味すると。エルスワース・トゥーイーは、更にこうも言いました。あの殿堂は、人間の側に立ち、この世にどっぷりと埋もれ、泥の中に腹をうずめているのだと。そう、エルスワース・トゥーイーは言ったのです。人間を賛美することは、肉の穢れた快楽を賛美することであると。なぜならば、精神の領域は、人間が把握できる範囲を超えているからだとも、エルスワース・トゥーイーは言いました。その精神の領域に入るためには、人間は乞食として、膝まずいて行かなければならないと言ったのです、エルスワース・トゥーイーは。彼はほんとうに人類を愛しているのですよ、エルスワース・トゥーイーは」

「フランコンさん、我々は、ここでトゥーイーさんについて議論しているのではないのです。ですから、もしあなたが証言内容を、その・・・」

「私は、エルスワース・トゥーイーを非難しているのではありません。私は、ハワード・ロークを非難しているのです。建物というのは敷地の一部です。しかし、いったいこの世界のどんな種類の場所に、ロークは彼の殿堂を建てたのでしょうか?どんな種類の人間のために、あのような殿堂を建てたのでしょうか?現実をご覧ください。ホップトン・ストッダードのための場所として捧げられることによって、殿堂や寺院というものが神聖なるものになるなんてこと、誰が期待できるでしょうか?ラルストン・ホルクウムのためとか、ピーター・キーティングのために建てられたものが神聖になるなんてことありえません。こんな人たちばかり眺めていれば、世間はエルスワース・トゥーイーを憎むようになるでしょうか、それともハワード・ロークを呪うようになるでしょうか?もちろん、ロークを忌々しく思うようになります。彼の犯した筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたいほどの無礼(ぶれい)のためにね。エルスワース・トゥーイーは正しいのです。確かにあの殿堂は聖所侵犯です。ただし、エルスワース・トゥーイーが言った意味と同じではありません。この訴訟にまつわるこの騒動は、要するにこういうことなのです。ある男が、報酬として、一切れの豚肉さえ与えられないのに、わざわざよりにもよって真珠を与えてしまったのです。その事実を人々は目撃し、真珠を与えられた豚をけしからんと思うかわりに、真珠を与えた男の方が悪いと怒っているのです。自分の持つ真珠の価値を小さく見積もってしまったので、進んで真珠を泥の中に放り投げてしまった男の方に、憤りを感じているのです。せっかくの真珠を、裁判所の速記タイプライターによって文字に置き換えられた豚の鳴き声のコンサートの餌食(えじき)にしてしまった男の方が、責められているのです。この裁判にまつわる騒ぎとは、そういう質のものです」

「フランコンさん、あなたのこの証言が適切であるとか、許可できるものとは、私には、ほとんど考え難いのでありますが・・・」

「証人は、証言することを許可されねばなりません」

予期せぬことだったが、裁判官が厳粛に口を挟んだ。裁判官は退屈していたし、ドミニクの姿態を見つめてもいたかった。それに、傍聴人たちが彼女の証言を楽しんでいることもわかっていた。たとえ、彼らの同情は、ホップトン・ストッダードにあるのだとしても、スキャンダルという興奮が傍聴人たちを捕らえていた。

原告の弁護士が抗う。

「裁判長、なにがしかの誤解が生じたようであります。フランコンさん、あなたは誰のために証言しているのですか。ロークさんですか、それともストッダードさんですか?」

「もちろん、ストッダードさんのためですわ。私は、なぜこの訴訟にストッダードさんが勝つべきなのかお話しています。私は真実を述べると誓いました」

「証言を続けなさい」と、裁判官が言う。

「今までの証人の方々は、確かに真実をおっしゃいました。しかし、真実の全部はお話しにはならなかった。私は、単に、その省かれた部分を埋めているだけです。あの方々は、脅威と憎悪についてお話しになりました。あの方々は正しいのです。確かに、ストッダード殿堂は、多くの事物にとって脅威です。ああいうものが、この地上に存在することが許されたのならば、誰もとうてい鏡に写る自分を直視できません。あの殿堂は、人間にとって存在するだけで残酷なのです。たとえば、人に何かを依頼するとします。富や名声や愛とか、残酷さや殺人に自己犠牲ならば、人に求めることもできます。でも、自尊心を成就することを人に求めることはできません。そんなことをすれば、人は、あなたを憎みます。そのような人々はよくわかっているのです。だけど言い訳が彼らには必要なのです。もちろん、彼らはあなたを憎んでいるなどとは、口に出しません。かわりに、あなたこそ彼らを憎んでいると言うでしょう。その人々は、自分の感情の正体を本当は知っているのです。彼らは、そういう類の人間たちなのです。ですから、そんなどうしようもない連中の前で殉教者になるなんて、無駄なことです。ほんとうに無駄なことでした。あのような殿堂が建つのにふさわしい世界など、この世には存在していない。なのに、ロークは、あのような素晴らしい殿堂を造ってしまった。なんて無意味なことをロークは、してしまったのでしょうか」

「裁判長、こういう事態にいかに対処し耐えればいいのか、私にはわかりかねるのですが・・・」

「弁護士さん、私は、あなたの側に立って証言しております。なぜ、あなたの側の人々がエルスワース・トゥーイーに与(くみ)しないといけないのかを、お話しております。これからも、あなた側の人々はトゥーイーに従うことでしょう。あのストッダード殿堂は、是非とも破壊されねばなりません。あの殿堂から人々を救うためではありません。人々からあの殿堂を救うために。この裁判は、ストッダードさんが勝ちます。ここで繰り広げられたことの全てに、私は完全に同意いたします。ただ一点を除いて同意いたします。ただ、その一点を見逃すことを許してはいけないと、私は思ったのです。あの殿堂を破壊いたしましょう。ただ、あの殿堂を破壊するという行為を美徳から行使するふりをしてはいけません。正直に言いましょう。我々はもぐらなのだ、だから高い山の頂上には反対なのだと。もしくは、私たちはタビネズミだと言いましょう。自己破壊に向かって集団で泳いでいかざるをえないネズミだと言いましょう。こう申し上げているこの瞬間、私はハワード・ロークと同じくらいに不毛なことをしております。私は十分にそれを自覚しております。私は、言ってもしかたのないことを言っております。今の私のこの行為こそ、私なりの最高に誠実な行為です。私なりのホップトン・ストッダード人間精神の殿堂です。最初にして最後です。こういう誠実ながら不毛な行為を私がするのは」

ドミニクは、裁判官に向かって頭を下げた。

「裁判長、私の証言を終わります」

「証人に質問は?」と、ぴしゃりと投げつけるような言い方で弁護士がロークに訊ねる。

「質問はありません」と、ロークが答える。

ドミニクは、証言台から降りる。弁護士が、裁判官の方に会釈して言う。

「原告側の証人尋問を終わります」

裁判長は、ロークの方を見て、前に進むように小さく手招きする。ロークが立ち上がり、裁判長席に進む。彼は手に茶封筒を持っている。ロークは、その封筒から全部で10枚あるストッダード殿堂の写真を取り出し、裁判長の机の上に広げる。

それからロークは言う。「被告側の証拠提出を終わります」と。

(第2部46 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションは、カットした文章がわりと多い。

ホルクウムやプレスコットのくだらない饒舌は かなりカットした。

ドミニクの証言でカットした部分は少ない。

この証言において、ドミニクの本音が炸裂している。

ドミニクの恐怖と絶望も炸裂している。

ロークの建築物は、今の人類には高度過ぎる、豚に真珠をくれてやるようなものだと宣言しているのだから。

そのようなロークと、ロークの作品は、今の程度の人類からは理解もされず憎まれるだけだから、ロークは建てるべきではなかった、あのような素晴らしい殿堂をと言っているのだから。

ほとんど悲鳴に近いほどの絶望だ。

ドミニクは、この恐怖と絶望を乗り越えていくために、自らに大きな試練を課すことになる……

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