ドミニクが、『バナー』の社屋にあるトゥーイーのオフィスに入って行ったとき、彼は微笑した。歓迎の意を表した熱のこもった微笑だった。思いがけなくも真摯でもあるような微笑だった。
実はトゥーイーはがっかりとして眉をひそめたのだ。しかし、そのような本音の表情を浮かべるのを瞬間的に制した。危ういところで制することができた。だから、眉をひそめた表情と作為ある微笑が、滑稽にも同時に彼の顔に浮かんだ。そのために、トゥーイーらしくもない真摯な微笑を浮かべる顔になってしまった。
トゥーイーは、なぜお気に入りのドミニクがやって来たのに、がっかりしたのか。ドミニクの登場が、いつもの彼女らしいドラマティックなそれではなかったからだ。彼女の表情には怒りも嘲りもなかったからだ。彼女は、事務的な用事を抱えた簿記係のように入ってきて、こう訊ねてきた。
「エルスワース、こんなことして、あなたはどうなさるおつもり?」
トゥーイーは、ドミニクと自分の間にいつも存在する確執(かくしつ)が生じさせてきた興奮を呼び起こすべく、こう言った。
「お嬢さん、まずは座りたまえ。君に会えて私は嬉しいです。ほんとうに率直に、どうしようもなく喜ばしいです。随分と時間がかかったではないですか。君が、もっと早くここに登場すると僕は期待していたのですが。僕が書いた例の記事に関しては、多くの方々からお褒めの言葉をいただきました。しかし、それでは面白くない。私は君がなんと言ってくれるか、それが聞きたかったのですよ」
「質問にお答えください。こんなことして、どうなさるおつもり?」
「あのねえ、お嬢さん、私が君をモデルにした例の気分を高揚させるような彫像について書いたことなど、君は気にしていないでしょう。私としては、あの彫像について書かないですますわけにはいかなかったのです」
「あの告訴の目的は、何ですか?」
「ああ、そうですね、告訴の目的ね。そう、私はそれについて話したい。だからこそ、君が早く来てくれないかと、今か今かと待っていました。それにしても、ドミニク、座ってくれませんか。その方が、私としても気分がずっといいのですが・・・駄目ですか?そうですか。では、まあお好きなように。君が走り出さない限りは、けっこうなわけですから。告訴の件ですか?理由は明白でしょう?」
統計のリストを暗誦するのにふさわしいような調子で、冷静にドミニクはトゥーイーを問い詰めてくる。
「告訴なんてことで、ロークを止めることはできません。そんなことなさっても、何も証明したことにはなりません。それに、ロークが勝とうが負けようが同じことでしょう。この事件のいっさいが、大多数のお馬鹿さんのための単なる空騒ぎです。汚(けが)らわしく的外(まとはず)れな馬鹿騒ぎ。あなたともあろう方が、悪臭爆弾なんかに時間を浪費させたなんて。今度のクリスマスが来るまでに、こんなことは全部、忘れられてしまうのに」
「やれやれ、どうも私は失敗したかもしれません。私は教師としては、かなり有能な方だと思っていたのですが。2年間も君とは親しくしていたのに、君はそれぐらいしかわかっていない。がっかりしますよ、ほんとうに。君は、私が知る限り最も頭のいい女性なのだから、悪いのはきっと私でしょうねえ。まあ、いいでしょう。君はあるひとつのことは学んだわけだから。つまり私は自分の時間を浪費などしていません。君が言うとおり、すべてのことは、確実に次のクリスマスまでには忘れ去られます。しかし、それこそが狙いです。生身の生きのいい問題とは戦うことができます。しかし、死んだ問題とは戦えません。死んだ問題というのはね、すべての死んだ問題がそうであるように、単に消えるわけではないのです。過ぎ去った跡に、何かこう物事を腐らせるようなものが残るのです。その問題の関係者の名前が残ります。名誉にとってはもっとも不愉快なものが残るのです。この件については、ホップトン・ストッダードについては完璧に忘れ去られるでしょう。例の「殿堂」についても人はみな忘れます。訴訟のことも忘れられる。しかし、ずっと人々の記憶に残るものがあるのです。こういう調子でね。『ハワード・ローク?ああ、あんな男を、どうやって信用できるのだい?彼は宗教の敵だよ。まったく非道徳的な人物だ』とかね。『ローク?駄目だよ、あれは。だって、ほら客が彼を告訴しなければならなかったじゃないか。ひどい建物を作ったとかでさ』とか、『ローク?ロークねえ?ちょっと待って。そいつは、なにやら大騒ぎを起こして新聞という新聞にデカデカと書かれた奴じゃないか?確かそいつに設計させ建てさせたものが滅茶苦茶なものだったとかで、依頼主に告訴されたんだ。よりにもよって、なんで君はそんなとんでもない奴に関わりあうんだ?』とかね。お嬢さん、そういうものと戦う手段がありますかね。特に、自分の天才以外何も武器がない人間は非力です」
しかし、ここまで言ったトゥーイーに向けられたドミニクの瞳に、彼は興(きょう)を殺(そ)がれた。期待はずれだった。彼女が、トゥーイーの言葉に忍耐強く耳を傾けていたのは、その瞳が物語っている。しかし、それは何の動揺もないまなざしだ。怒りに変わりそうな気配など、みじんもない。
ドミニクはといえば、ほんとうは自制しながらトゥーイーの机の前に立っていた。嵐の中の歩哨(ほしょう)のように。どんな言葉も受けとめなければならない、たとえもうこれ以上受け止められないとしてもその場にとどまっていなくてはならないとわかっている歩哨のように。
トゥーイーはさらに話し続ける。
「君は、私にもっと話してもらいたいと思っているでしょう、きっと。さてと、これで君は、死んだ問題、過ぎ去った問題の特殊な効果というものについては理解しましたね。そこから逃れる術はありません。自分を釈明し弁護することができないのですよ、そういう類の事の前にはね。誰も耳など貸しませんから。名声というものを獲得するのは難しいものです。名声というものは、いったん獲得してしまうと、その名声とやらの性質を変えるのは不可能になります。ひとりの建築家を、建築家として質が悪いという理由で、破滅させることはできません。しかし、無神論者だからとか、誰かが告訴したからとか、ある女と寝たからとかの類の理由で、その建築家を潰(つぶ)すことはできます。ええ、もちろん馬鹿馬鹿しいです。だからこそ、それが効果的なのです。理性ならば、理性と戦えます。しかし、不合理な理不尽と、どうやって戦えばいいのでしょうかねえ。あのね、お嬢さん、君の困ったところはですねえ、たいていの人間の困ったところはですねえ、物の道理がわからない人々というものに十分な敬意を払わないということです。この物の道理の分からなさ、というものこそが、我々の生活の重要な要素なのです。これを敵にすると、もう勝ち目はありません。しかし、これを味方につけることができれば、それはもう・・・あのね、ドミニク、君が震え上がりそうな気配が感じられたら、私は、いつでも話をやめますからね」
「お気遣いなく」
「問題は、そう、なぜ私がハワード・ロークを選んだかということです。なぜならば、これは私のコラムでも書きましたが、ハエたたきになるのは、私の本意ではありません。この騒動のおかげで、私はホップトン・ストッダードから得たかったものを引き出すことができました。しかし、そんなことは瑣末(さまつ)な副次的な問題でしかありません。偶然の単なる純然たる余得(よとく)、おまけです。この騒動全体は、主としてひとつの実験でした。単なる試験的小競(こぜ)り合いですよ。結果は、非常に満足すべきものでした。もし、君が今回のように、この件に関与していなかったのならば、君はこの見ものを大いに楽しく鑑賞できたのにねえ。これから起きてくる物事の程度の大きさのわりには、私のしたことは実に小さなことでした。巨大で複雑な機械、たとえば我々の社会のような、そういうものを見るのは、面白いと思いませんか。すべての梃子(てこ)とベルトと相互に連動した歯車全体という機械をね。その機械を操作するのに軍隊一個分が必要ではないかと思えるような、そんな種類の巨大な機械。君の小さな指で、ある一点を押すことによって、決定的なある一点、すべての重力の中心を押すことによって、そんな巨大な機械の丸ごと全部を、何の価値もないがらくたの鉄くずの山にしてしまうことができるとわかっているような、そんな種類の機械ね。お嬢さん、そういうことって、可能なのです。長い時間がかかりますよ、それは。何世紀もかかりますよ、それは。私の先人たる多くの専門家の経験を学び生かせるという強みが、私にはあります。私は、そういった先人たちの最後を飾る人間であると、実にうまくやってのける人間であると、私自身は思っています。先人たちほど私は有能ではありません。しかし、どう進めばいいのか、その方向が私には見えます。先人たちよりはるかに明晰に。しかし、こう言っても、話が抽象的です。具体的な現実のことに話を移しましょう。今回のこの騒動、私のささやかなる実験において、面白いことが生じているでしょう。わかりますか?たとえばですよ、見当違いの人々が見当違いの側にいます。アルヴァ・スカーレットとか、大学教授たちとか、新聞の編集人とか、尊敬するべき立派なお母さん方とか、商工会議所とか、こういった人々は、ハワード・ローク弁護にはせ参じるべきですよ、本来ならば。もし、彼らが自分たちの人生を価値あるものと考えるのならばね。しかし、彼らはそうしなかった。かわりに、ホップトン・スットダードを持ち上げる始末です。かと思えば、「プロレタリアート芸術新同盟」なる政治的急進主義者の変人どもが、ハワード・ローク支援に乗り出したという噂を聞きますねえ。その連中が言うには、ロークは資本主義の犠牲者だそうです。資本主義の犠牲者ならば、ホップトン・スットダードこそ、そのチャンピオンだってことが、この連中にはわからないのです。ロークにこそ、連中が拒否するだけの意味があるのですがねえ。ロークには、それがわかる。君にもわかる。私にもわかる。しかし、他の連中にはわからないのです」
ドミニクは、トゥーイーに背中を向けて、彼のオフィスから退出しようとする。
「ドミニク、まだ帰らないでくれないかなあ。君は何も話してくれないのですね。ほんとに何も言わないのかな?」
「ええ」
「ドミニク、私は随分と君を待っていたのですよ。私は、原則として、実に自己完結的な人間ですが、たまには聴衆を必要とするときもあるのです。君は、私が私自身でいられる、ほんとうの私自身をさらけ出せる唯一の人間なのに。それはなぜかと言いますと、君が私を軽蔑しているからです。ちゃんと私は知っています。でも、そんなことはどうでもいいことでしてね。他人に対しては効果のある方法が、君にはてんで効いたためしがない。ほんとに不思議なことに、私の正直さのみが君には効くのです。まったくねえ、素晴らしい手際の仕事を成就したとしても、事を成し遂げたということを誰も知らないのでは、意味がないでしょう?私は私の業績を理解できる聴衆が欲しいのです。君は素晴らしい聴衆です。めったにない御馳走(ごちそう)です。自分を捕まえた罠の芸術性を十分に鑑賞できるだけの能力と眼識を持つ獲物です。その点、他の連中はねえ・・・単なる犠牲者です。犠牲者というのは、自分が犠牲になっていることがわからないのです。それでは事が単調になってしまいます。楽しみも半減します。ねえ、ドミニク、お願いです。もう少しここにいて。君にこれだけ私が特別に懇願しても、君は行ってしまうのかな?」
ドミニクは、ドアノブに手をかけている。トゥーイーは肩をすくめる。背中が椅子に深くもたれている。彼は言う。
「わかりました。事のついでに言っておきますが、ホップトン・ストッダードを買収しようなんてしないで下さいよ。彼は、今や私の手のひらから餌(えさ)をついばんでいるようなものです。彼は君の申し出には乗りません」
ドミニクは、すでにドアを開けていたのだが、また再びドアを閉め、トゥーイーに顔を向ける。
「ああ、そうですね、君はすでにそのことは試みたのですよね。それは、私も知っています。無駄なことでしたね。君は、それほどには金持ちではありません。あの殿堂を買い上げるだけの資金は君にはない。それだけの金の工面はできない。それに、ホップトンは、あの殿堂を建て直すための金を君からは受け取りません。彼は、ロークから金が取りたいのだから。ところでですねえ、君がそんなことを試みたと、私がロークに知らせたとしたら、どうでしょうねえ。ロークは君のやり方を好まないと思いますよ、ええ」
トゥーイーは、ドミニクからの抗議を要求するかのような態度で、微笑している。ドミニクの顔には何の反応もない。彼女は再びトゥーイーから顔を背け、ドアを開けた。
「ドミニク、ひとつだけ質問があります。ストッダード氏の弁護士が、君を証人として喚問(かんもん)できるかどうか知りたがっています。建築の専門家としてね。君は原告側に立って証言してくれるでしょうねえ、もちろん?」
「ええ、私は原告側に立って証言いたします」
(第2部44 超訳おわり)
(訳者コメント)
このセクションで、トゥーイーは自分の企みについて、部分的ではあるが、初めてドミニクに語っている。
歴史上、多くの人々が、トゥーイーが目指すような人間社会を作ろうとしてきたと、トゥーイーは言う。
操られやすい大衆が、より操られやすくなるような全体主義的集団主義的社会。
より良いもの、より高いものを求めて霊的にも進化して行く社会ではなく、停滞してはいるが競争のない気楽な社会。
そういう社会を作るための手段のひとつとして、ローク的人間は排除されねばいけない。
この小説でははっきりと名指されてはいないが、トゥーイーは社会主義者であり、国際共産主義コミンテルンのメンバーであり、アメリカの赤化を牽引する知識人である。
この小説の時代背景を知っている人間にとっては、それは一目瞭然だ。
トゥーイー的人間が跋扈していたのが、1930年代アメリカだった。
この小説が描かれている時代のアメリカの大統領は、ハーバート・フーバー(1874-1964)と、フランクリン・ルーズベルト(1882-1945)だ。
下の画像はフーバーさん。
共和党でアメリカ保守主義の牙城であった人物だ。
「アメリカの保守主義」とは建国の理念を守るという意味である。
伝統や慣習や旧来の価値観に固執するという意味での保守はアメリカには存在しない。
アメリカは市民革命を経ているので、保守も革新も、みな革新だ。
フーバーさんは、その意味でアメリカの自由と民主主義と独立自尊を守る立場であった。
一方、民主党のルーズベルト(ローズヴェルト)は、アメリカ史上もっとも人気がある大統領だが、この顔ご覧ください。
いかにもものを考えない大衆が憧れそうな二枚目でしょう?
胡散臭いでしょ?
この人物は、娘婿から、「秘密結社に操られていた」と描かれている。
フーバーさんからは、「ソ連のコミンテルンにそそのかされて第二次世界大戦に参戦してしまったアホ」として批判されている。
アメリカが変質したのは、この大統領の時代からだ。
政府の介入を嫌い独立自尊で生きるのがアメリカ人の価値観であったが、この時代から、政府に面倒をみてもらいたがるアメリカ人が増えた。
問題は行政が解決すべきであると考える自治能力のないアメリカ人が増えた。
この大統領の政権には300人ぐらいのソ連のスパイがいた。
それを知っている人々も少なくなかった。
アイン・ランドはそのひとりだった。
エルスワース・トゥーイーというのは、1930年代のソ連に侵食されつつあった「赤い時代」のアメリカの象徴のようなキャラクターだ。
歴史にも政治にも政治思想にも無知な日本人からすると、この小説はただ風変わりな建築家の物語として見えるかもしれない。
しかし、アメリカ人にとっては、今でも続いているアメリカ的価値観と非アメリカ的価値観の相克の物語だ。
寓話的に描かれた政治思想闘争の物語だ。
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