「ストッダード殿堂」の公開は、11月最初の日の午後と発表された。
この建物のマスコミ宣伝担当者は、ちゃんと義務を果たした。世間は、この出来事を大いに噂した。ハワード・ロークに関することも、ニューヨークの街中が期待してやまない建築学的傑作についても、大いに噂しあった。
10月31日の朝、ホップトン・ストッダードが世界一周旅行の船旅から帰ってきた。エルスワース・トィーイーは桟橋(さんばし)でストッダードを迎えた。
11月1日の朝、ホップトン・ストッダードは、「殿堂」の公開はしないと告げるだけの発表をした。その理由の説明はいっさいなかった。
11月2日の朝、『バナー』の、エルスワース・M・トィーイーのコラム「小さき声」に「聖所侵犯」と題する文が掲載された。以下は、その文である。
「我々が好まぬ某哲学者の言葉をわかりやすく言い換えれば、蝿たたきであることは、我々の機能ではない。しかし、一匹の蝿が偉大さという幻想を獲得してしまうときは、我々の中の最上なる人々は、その蝿の抹殺というささやかなる仕事をするために、身を屈(かが)めなければならない」
「最近、ハワード・ロークなる名前の人物に関する噂を大いに耳にする。言論の自由は我々の聖なる伝統である。それには時間を浪費する自由も含まれている。であるからして、このような話をしても、支障はなかったのであろう」
「ハワード・ローク・・・まあ、諸君のほとんどは、彼について聞いたこともなかろうし、再び耳にすることもなかろうが、彼は建築家である。一年前、彼は尋常ならざる責任を託された。この人物は、ある偉大なる記念碑の建設を任された。その建築物の所有者の不在の間、それに関する一切合財を任された。その所有者は、この人物を信じ、完全なる行動の自由を与えた。わが国の刑法の用語を芸術の領域に適用すれば、ローク氏が生産したものは、霊的横領に匹敵すべきものを構成している」
「著名なる博愛主義者であるホップトン・ストッダード氏は、このニューヨーク市に『宗教の殿堂』を、人間の信仰の精神を象徴する宗派にこだわらない寺院を贈呈する心積もりでいた。しかし、ローク氏がストッダード氏のために建てたものは、倉庫のようなものであった。もしくは、それは売春宿なのかもしれない。その建物の中にある彫刻を考慮すれば、それ以上のものかもしれない。ともあれ、それは殿堂というようなものではないことは確かである」
「この建築物においては、故意の悪意というものが、宗教的建物にふさわしいあらゆる概念を裏返しにしている。禁欲的に閉ざされているかわりに、件(くだん)の殿堂は、ヨーロッパの酒場のごとく開けっぴろげである。人間が永遠を黙想し、人間の小ささを悟る場所にふさわしい恭しい悲しみの雰囲気のかわりに、この建物にあるのは、緩みきった乱痴気騒ぎのような高ぶった質の空気である。自らの卑小なる自我より高みにある何かを希求する人間の象徴として、殿堂なるものの本質に要求される天にも届けとばかりに上昇する線は、この建物には全く存在しない。この建物は、これ見よがしに水平である。その下部は泥の中に埋もれているがごとしである。つまり、この建物は、肉欲的現世への忠誠を誓っている。精神の悦びよりも、肉の猥褻なる快楽を讃えている。そして、自らを高めるために人々が訪れる場所に、全裸の婦人の彫像が置かれている」
「寺院とか殿堂とか称される建物に足を踏み入れる人間は、自らからの解放を求めている。彼は自らの誇りを卑下し、慎ましやかになりたい。自らの価値なき卑小さを告白したい。赦しを請いたい。人間など惨めで哀れなものだと、しみじみ感じたい。その行為のなかに、人間は、ある達成を見出すのだ」
「神がおわします場における人間のとるべき姿勢は、膝まずいたものである。しかし、ローク氏の殿堂の中では、本気で膝まずく者など誰もいない。その場所は、人間が膝まずくことなど許さない。その場所が暗に伝える感情は、全く違った質のものである。すなはち、傲慢さであり、図々しさであり、反抗的態度であり、自己讃美である。これは、神がおわします家などでは断じてない。誇大妄想狂の独房である。寺院とか殿堂というようなものでは断じてない。ローク氏の殿堂は、すべての宗教に対する高慢なる嘲笑である」
「本コラムは、ある特定の信条に与(くみ)するものではない。しかし、単純素朴なるまっとうな品位というものが、次のことを要求する。本コラムは、本コラムの同胞たる人々の宗教的信念に敬意を表するべきであると。本コラムは感じたのである。宗教に対する、この故意の攻撃の本質を公に訴えるべきであると。本コラムは、言語道断なる聖所侵犯を容赦できるはずがないのである」
「本コラムは、今日に限って、純粋に建築学的な価値の批評者としての機能を忘れてしまっているように見えるかもしれない。そもそも真剣な批評に要求される努力を凡庸なるものに割くのは間違いというものである。このハワード・ロークなる人物がかつて建てたあれやこれやを思い出してみれば、それには同じ愚かさがつきものであった。過度に野心的な素人にある陳腐な質がつきものであった。すべての神の天使には翼があるのかもしれない。しかし、すべての神の天才に翼があるとは限らない。我が友人諸君、これだけの話である。本日の雑用を終えることができて喜ばしい。本コラムにおいて、死亡記事など書くことは楽しくないことである」
11月3日、ホップトン・ストッダードは、ハワード・ロークを契約不履行と背任行為で訴えた。損害賠償も求めた。ストッダードは、かわりの建築家による「殿堂」改築ができるだけの十分な額を要求した。
ホップトン・ストッダードを説得するのはいつも簡単だったが、今回も簡単だった。ストッダードは、宗教の普遍的な様相というものに圧倒され、旅行から帰ってきた。特に、世界中の聖地で直(じか)に見た地獄の表現の様々な形に恐れ入ってしまった。ストッダードは、どんな信仰のもとでも、自分の死後の人生は、考えられる限り最悪の状態になるしかないという結論に達してしまった。この結論は、ストッダードの頭脳を非常に動揺させてしまった。おかげで、彼が旅の帰りに乗っていた豪華客船の乗務員は、この老紳士は認知症になっていると確信してしまった。
ストッダードが旅から戻った10月31日の午後、すぐにエルスワース・トゥーイーはストッダードを連れて、「殿堂」を見に出かけた。トゥーイーは何も言わなかった。ホップトン・ストッダードは「殿堂」を凝視した。彼の入れ歯が痙攣(けいれん)したようにカタカタ鳴るのがトゥーイーには聞こえる。
その「殿堂」は、ストッダードが世界のどこでも見たことがないようなものだった。彼が予測していたものとは全く似ていなかった。どう考えたらいいのか、彼には全くわからなかった。絶望的に訴えるようなまなざしをトゥーイーに向けたときのストッダードの目は、まるでゼリーみたいに涙ぐんでいた。
トゥーイーは待っていた。この瞬間なら、どんなことでも、ストッダードを納得させることができる。トゥーイーは、その機を逃さなかった。
「しかし、君はロークがいいと言ったじゃないか!」
恐慌(きょうこう)状態のストッダードはうめいた。
「私は、ロークがいいと期待していましたよ、確かに」
「しかし、ならば・・・なぜ?」
「わかりません」
トゥーイーはこう答えながら、ストッダードに非難するような目つきを向けた。その目つきは、こうした事態の背後には忌まわしき罪が存在するのだと、ストッダードに理解させるに十分なものだった。その罪とは、もちろんストッダードに属するものなのだ。
ストッダードの豪華なアパートに帰る途中のリムジンの中で、トゥーイーは何も語らなかった。ストッダードは、トゥーイーに何とか言ってくれと懇願した。トゥーイーの沈黙は、ストッダードを恐怖に陥れた。アパートに着いてから、トゥーイーは、ストッダードを肘掛け椅子に座らせた。それから、ストッダードの前に立ち、裁判官のように厳粛に言った。
「ホップトン、なぜこういう事態が起きたのか私にはわかります」
「おお、なぜだい?」
「私が、あなたにロークの能力に関して嘘をつかねばならなかった理由など、考えつきますか、あなたは?」
「もちろん、そんな理由はないよ。ない。君は最高の専門家なのだし、最も正直な人物でもある。だから、わからないのだよ。ただ全くわけがわからないのだよ!」
「私にはわかります。私がロークを推薦したとき、ロークはあなたのために傑作をものすると期待できる理由は確かにあったのです。私は誠実に判断しました。私の判断の中でも最高な判断でした。しかし、ロークはその期待に応えなかった。ホップトン、人間のあらゆる計算を覆(くつがえ)すのにどんな力が働いているのか、あなたにはわかりますか?」
「どんな力とは?」
「神は、あなたの供物(くもつ)を拒否するためにこのような手段を採られた。神は、あなたが神に殿堂を差し上げるのにふさわしくないとお考えになったのですよ。どうも、あなたの今までなさってきたことは、私が想像していた以上に穢(けが)れているようですね。神は、それをご存知なのです」
トゥーイーは、長い間、静かに厳しく話し続けた。恐怖に混乱して黙りこくっている相手に向かって話し続けた。最後にトゥーイーはこう言った。
「ホップトン、心において純粋なる者だけが、神殿を建てることができます。あなたはその段階に達するまでに、まだまだ多くの、もっと謙虚な段階を踏まねばなりません。贖罪(しょくざい)の段階というものを踏まねばなりません。神に償う前に、あなたの同胞に償わなければならないのです。あの建物は、寺院や神殿ではなく、人間の慈善組織のために作られたものだったのですよ。知的障害を持つ恵まれない子どもたちのための施設のような」
ホップトン・ストッダードは、うめくように言った。
「後で、そのことは後で考えるから、エルスワース。少し時間をくれたまえ」しかし、トゥーイーの提案どおり、「殿堂」の改築費用を得るためにロークを訴えることについては、ストッダードは同意した。
それから、もっと後になって、どのように改築するか決めることにも同意した。殿堂は、知的障害を持つ恵まれない子どもたちのための施設にすると。
トゥーイーは、別れ際にストッダードに、こう言い残した。
「私がこの件について何を書いても言っても、驚かないでいただけませんか。真実ではないようなことも、少しは書かざるをえないかもしれません。あなたの失敗であって私の失敗ではない不名誉な事態から、私も自分の評判というものを守らねばなりませんから。ロークを雇うようにあなたに助言したのが誰だったのか決して公表しないでください。あなたが以前にお誓いになったことはお忘れなく」
翌日、『バナー』に、「聖所侵犯」のコラム記事が載った。導火線に火がつけられた。ストッダードがロークを訴えたという知らせが、さらにその火を煽(あお)った。
たかがひとつの建築物のために十字軍を結成する必要など、誰も感じていなかった。しかし、攻撃されているのが宗教ならば、話は別である。活字メディアに関しては、トゥーイーは、すでにこの「聖所侵犯」批判騒動の地ならしをうまくしてしまっていた。一般大衆の関心という「ぜんまい」は、しっかりきっちり巻かれたのだ。あとは、「ぜんまい」が回るのを待つだけである。おびただしい数の人々が、この騒動に乗じることになった。
ハワード・ロークと彼の建てた「殿堂」に対して沸きあがった憤激(ふんげき)の嵐は、誰をも驚愕(きょうがく)させた。驚いていなかったのは、エルスワース・トゥーイーだけだ。
牧師たちは、説教のときに、その建物を呪った。女性クラブは、抗議文を送る決議をした。「母親委員会」は、新聞の8ページも使い、子どもたちの保護について何事かを金切り声で訴える請願文を発表した。
ある有名な女優は、すべての芸術の本質的統一性について弁じた文を書き、「ストッダード殿堂」は、構造的な発声法の感覚に欠けていると説明し、自分が大聖書劇でマグダレンのマリアを演じたときのことを延々と語るのだった。
ある社交界の女性は、危険なジャングル旅行したときに見たエキゾティックな神殿について書き、野蛮人の持つ感動的な信仰を褒め称え、冷笑主義に侵された現代人を批判してみせた。この女性が言うには、「ストッダード殿堂」は、軟弱さと退廃の象徴なのだそうだ。この女性が書いた記事についていた写真には、ズボンをはいて、仕留(しと)めたライオンの首にほっそりとした足を乗せている彼女が写っていた。
某大学教授は、自分の霊的体験について、某新聞の編集者に手紙を書き送り、こういう体験は、「ストッダード殿堂」のような場所では味わえないだろうと述べるのだった。
「アメリカ建築家協会」の会長夫人キキ・ホルクウムは、生と死に関する自分の見解を、これまた某新聞社の編集者に送った。
「アメリカ建築家協会」は、「ストッダード殿堂」を、精神的芸術的詐欺と非難する、実に威厳に満ちた文書を発行した。内容は似たり寄ったりの文書を、キーティングの「アメリカ建設者会議」や、「アメリカ作家・芸術家会議」も発表した。誰も、この連中のことなど聞いたことはなかったが、しかし彼らは「会議」と名乗っているのだから、彼らの言うことは重んじられるのだった。
ホップトン・ストッダードは、同情の便りをいっぱいに受け取って、いい気分になり始めた。いままで、こんなに人気者だったことはなかった。やはり、エルスワースは正しい、とストッダードは思う。同胞たる世間の人々は、私を赦してくれている。やっぱり、エルスワースは、いつでも正しい。
『バナー』よりまともな新聞は、しばらくしてからこの件については報道しなくなった。しかし、『バナー』だけは、しつこく問題にし続けた。社主のゲイル・ワイナンドはヨットでインド洋を航海中で留守だったが、アルヴァ・スカーレットはこの十字軍に大いに拘泥(こうでい)した。こういう類の話題は、彼の大好物だった。エルスワース・トゥーイーが、わざわざ提案する必要もなかった。アルヴァ・スカーレット自身が、自分からこの機会に乗じた。
アルヴァ・スカーレットは文明の衰退について論じ、素朴な信仰の喪失を嘆いた。「なぜ、私は教会に行くのか?」という課題で、高校生のエッセイ・コンテストを主催したりした。
また、「我らが子ども時代の教会」と題した文の連載を、写真つきで始めたりした。その連載では、時代ごとの宗教的建築物の写真、たとえばスフィンクスやガーゴイルやトーテム・ポールなどを紹介した。ドミニクをモデルにした彫像の写真を何枚も載せ、いたく強調し、憤(いきどお)りの言葉を見出しにつけた。ただし、モデルの名前は省略しておいたが。
加えて、アルヴァ・スカーレットは、熊の毛皮とこん棒を持った野蛮人としてロークを風刺する漫画も載せた。ついでに、天に届くことのできなかったバベルの塔や、蝋(ろう)でできた翼で飛んで海に墜落したイカルスに関する小賢しい文もいっぱい書いた。
エルスワース・トゥーイーは、楽に座して、じっと眺めていればいいだけであった。たまたまトゥーイーは、『バナー』のビルの資料保管所で、エンライト・ハウス公開日のロークの写真を見つけた。あの高揚の瞬間の人間の顔の写真である。トゥーイーは、「スーパーマン君、いい気分かい?」という見出しをつけて、新聞に載せるよう計らった。
それから、ローク告訴の公判を待つ間に、トゥーイーは、ホップトン・ストッダードに「殿堂」を一般公開させた。言うまでもなく、「殿堂」は、いっぱいの見物客を呼んだ。この人々は、ドミニクの彫像の台座に、猥褻な絵や文句を落書きして帰って行った。
しかし、やって来て、自分の目でこの「殿堂」を見て、感銘を受けた人々もいた。黙って「殿堂」を賛美する人々も、少数ではあるが確かにいた。オースティン・ヘラーは、義憤(ぎふん)に駆られ、ロークと「殿堂」擁護の文を書き発表した。しかし、ヘラーは、建築や宗教の権威ではなかったので、彼の書いたものは、ローク批判の嵐の中に吹き飛ばされてしまった。
当事者のハワード・ロークはといえば、彼は何もしなかった。ロークは、何か答弁しろと言われたし、事務所に記者の一団が押しかけてきたこともあった。そのとき、ロークは怒りも見せずにこう言っただけだ。
「僕は、自分が手がけた建物について、誰にも何も言うつもりはありません。この件に関心のある方は、どなたでも、行ってあの建物をご自分の目で見てください。あの建物を直接ご覧になって、それからご自分の言葉で批評していただきたいのです」
『バナー』は、このインタヴューを、次のように書いて載せた。
「ローク氏、この人物はやたら世間の目を引きたがる輩(やから)とお見受けする。彼は、実に傲慢なるふんぞりかえった態度で我々記者団の訪問を受け入れた。彼は、大衆の脳は、ごちゃごちゃしていると述べた。彼は、自分の状況の宣言効果は十分にわきまえている。この人物が気にかけていることは、ただひとえに、できるだけ多くの人々に、自分の作った建物を見てもらいたいというものである」
(第2部42 超訳おわり)
(訳者コメント)
この小説の舞台の1920年代から1930年代において、神を信じないと明言することは、とんでもないスキャンダルであった。
今でも欧米社会では無神論者であると公言することは危険なことだ。
神を畏れぬ冒瀆的だと批判されることは、当時なら十分にスキャンダルになりえた。
それだけで人間失格に烙印だ。
トゥーイーは、ロークが設計する「ストッダード人間精神の殿堂」が、従来の伝統的既成宗教の教会や寺院とはわけが違うことを承知で、ストッダードにロークを推薦した。
完成した殿堂を見て、ストッダードが仰天することはわかっていた。ストッダードは、ありきたりのことしかわからない人物であるので。
ともかく、最初からトゥーイーは、殿堂完成後にストッダードにロークを告訴させるつもりだった。
依頼主から告訴される建築家であること自体が、建築家にとっては不名誉なことであり、問題は建築家にあると、世間は思慮もなく思い込む。
そこがトゥーイーの狙いであった。
このロークの「聖所侵犯」でいくつかの団体がローク批判文書を発表したが、黒幕はトゥーイーである。
この告訴事件で、トゥーイーはロークの名誉を傷つけると同時に、自分が関与していた知的障がい児童の福祉施設も手に入る。一石二鳥である。
こんなことで大騒ぎになるなんて非現実的なことに思えるかもしれない。小説だからだろうと思えるかもしれない。
こういうことは、アメリカ社会だと、ありえないことではない。
あの国は奇妙奇天烈に、時に非常に幼稚に杓子定規に、清教徒的であるので。
アイン・ランドがアメリカで毀誉褒貶激しいのは、彼女の姿勢が脱宗教組織的だからであり、明確に「この社会で起きる事柄はすべて人間に責任があるし、変えることができる」というpositive law(人定法、実定法)の立場だからだ。
近代人なら、そうであるはずだけど。
ロークが設計した殿堂は、人間の可能性を祝福したものだ。
そういう姿勢は、21世紀の今でも、ほんとうには充分に理解されていない。
まあ、人間を足蹴にして軽蔑してるほうが、人間には何もできないと言っているほうが、ラクだからね。
神や仏のせいにしているほうが何もしなくてすむからね。
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