第2部(40) ロークとドミニクとマロリーとマイク

その年の冬の何ヶ月かの間、ロークは一晩に3時間以上眠るか眠らないかの多忙さで、日々を過ごした。

ロークの身体が彼の周囲のすべてにエネルギーを与えるかのように、彼の体の動きには、大きく揺れるような鋭さや切れの良さがあった。そのエネルギーは、彼の事務所の壁を通して、ニューヨークの街の3地点に注いでいた。マンハッタンの中心にあるコード・ビルの銅とガラスの塔へ。それから、セントラル・パークの南にあるホテル・アクイタニアへ。そして、リバーサイド・ドライヴをはるかに北上したハドソン河を望む岩の上の「殿堂」へと。

ふたりが会える時間があるときなど、オースティン・ヘラーはロークをまじまじと見つめた。大いに楽しそうで面白がっている面持ちだ。ヘラーはこう言った。

「ハワード、これら三つの仕事が完成したら、君を止められる奴はもう誰もいなくなる。もう誰にもできない。どこまで君が行くかなあと、私は時折いろいろ考えるよ」

3月のある晩、ロークは、「殿堂」の敷地周囲にめぐらされた高い囲みの中で立っていた。この高い囲みはストッタードの命令でめぐらされている。完成するまでは、関係者以外の目に触れさせたくないというのがストッダードの希望である。

土台となる最初のブロックが、未来の壁となる基礎が、地面から立ち上がっている。もう夜も遅い時間なので、作業員はみな帰ったあとだ。建設現場は、うち捨てられて世界から切り離されているかのように闇に溶け込んでいる。

しかし、空は輝いていた。夜のわりには明るく地上を照らしていた。まるで日の光が日没の時間を過ぎても、まだそこにとどまり、もうすぐやって来る春を告げているかのように。

一度だけ船の汽笛が聞こえた。ハドソン河のどこかを渡る船だろう。しかし、その音は、もっと遠いところから聞こえてくるようだった。何マイルも離れたはるか遠くから。

スティーヴン・マロリーの彫像制作スタジオとして建てられた木造の小屋に、まだ電灯がともっている。そこでは、ドミニクがポーズをとっているはずだ。

「殿堂」は、灰色の大理石でできた小さな建物になる予定である。その線は水平だ。天に達しようとする線ではなく、地上の線だ。両の腕が肩の高さぐらいのまま、手のひらを下にして、大いなる無言のうちにすべてを受容するように伸び、地面に広がるような形である。

しかし、その広がり伸びた形は土にすがりつくわけでもなく、高い空の下で身を伏せているわけでもない。それは、この地上を高揚させているような形である。その形をした数少ない垂直の柱は、空を地上に降ろそうとしているかのようだ。その「殿堂」は、人間を矮小にしないで、人間の姿を唯一絶対的なるものとするように作られている。すべての次元が人間に基づいて判断されるような、人間を完璧さの基準とするような、そのようなあり方で作られている。

「殿堂」は人間の背丈の高さで作られている。この「殿堂」に入る人間は、自分の周囲に、自分のために造形された空間を感じるだろう。まるで、その場所が彼を、もしくは彼女を待っていたかのように。それは、喜びに満ちた場所だ。静謐(せいひつ)でなければならない高揚の場所だ。そこは、人間が自らのことを、罪から解放された強靭な存在として感じることができる場所だ。「殿堂」は、自分自身の輝きや名誉以外によっては決して手に入らないような精神の平和を見出す場所なのだ。

「殿堂」の内部に装飾はない。壁が段差をもって強調され、きわめて大きな窓がある以外には何もない。その場所は、蒼穹(そうきゅう)のような丸天井の下に閉じ込められてはいない。周囲の大地に、その場は大きく開かれている。木々に、河に、太陽に開かれている。遠くに見えるマンハッタンの空を稜線のように区切る高層建築群の風景に開かれている。

そのマンハッタンの高層建築群の風景は、地上に築き上げられた人間の偉業の形だ。そして、この「殿堂」の内部の最奥部に裸の人間の彫像が立つことになる。その背景にマンハッタンの高層建築群の風景が見えることになる。「殿堂」の最奥部は、「殿堂」の入り口をまっすぐ進む場所になるので、その裸像は「殿堂」に入る人々の目に直接に入ることになるだろう。

今のロークの目前に広がる闇の中には、土台となる最初の石以外にまだ何も立っていない。それでも、ロークは完成した「殿堂」を生き生きと思い浮かべることができる。指の関節に「殿堂」を感じることができる。「殿堂」の設計図を描いた鉛筆の動きをまだ覚えている。ロークはそれを思い返しながら、立っている。

それから、ロークは、建設現場の掘り起こされて乱雑になっている地面を横切り、マロリーが仕事をしているスタジオ小屋に歩いていく。

「ちょっと待って」

ロークが扉をノックしたとき、マロリーの声がそう言った。小屋の中では、台座から降りたドミニクが、ローブをまとったところだ。それから、マロリーは扉を開ける。

「あんたか。夜警かと思った。こんなに遅くまで、ここで何やってるの?」マロリーはロークに訊ねる。

「こんばんは、フランコンさん」と、ロークはドミニクに挨拶するが、彼女ははそっけなくうなずくだけだ。

「スティーヴ、邪魔して悪いね」

「いいよ、別に。どうも、うまくいかなくてさ。僕がしてもらいたいポーズが今夜のドミニクにはつかめないんだ。ハワード、座ったら。ところで、今何時?」

「9時半だ。もっと仕事するつもりならば、何か夕食代わりに買ってこようか?」

「どうかなあ。タバコ吸おうか」

その小屋の木製の床にはペンキが塗っていない。むきだしの垂木(たるき)でできた床だ。部屋の隅で、鋳(ちゅう)鉄(てつ)製のストーヴが火を放っている。マロリーは、中世の封建時代の主人のごとく、あたりを動いている。額に粘度の汚れをつけたままだ。神経質そうにタバコを吸いながら、大股で歩いている。歩いてきたところを、また大股でもどっていく。

「ドミニク、服を着たいかい?今夜は、これ以上はできそうもないね」

マロリーはドミニクに訊ねる。ドミニクは答えない。彼女はロークをじっと見て立っている。マロリーは小屋の隅まで歩いていき、くるりと振り返り、ロークに笑いかける。

「ハワード、なんでもっと前に来なかった?もちろん、僕が仕事に夢中になってる時だったら、あんただって追い出してしまったろうけどさ。ところで、こんな時間に、ここで何をしていた?」

「今夜は、ただ現場を見たい気分になって。もっと早い時間だと来たくても、来れないよ」

「スティーヴ、これでいい?」

ドミニクが突然、マロリーに話しかける。ドミニクは、ローブを脱ぎ捨て、台座に裸のままで立つ。マロリーは、ドミニクからロークに視線を移し、またドミニクを見る。その瞬間、今日一日ずっと見えずに苦しんでいたものを、マロリーは目にする。目の前で、まっすぐに力をこめて立つドミニクの体をマロリーは見る。

ドミニクの頭は後ろにのけぞり、両腕は体の脇に位置し、手のひらは上を向けられている。何日ものあいだ、ドミニクはこういう姿勢をとってきた。しかし、今このときのドミニクの身体は、はるかに生き生きとしている。あまりにじっと静止しているので、かえて、かすかに震えているようにも思える。マロリーが聞きたいものを、その体は告げている。自分自身の姿への誇り高き敬虔なる降伏の姿だ。自分自身の中に見出したものに深く激しく心を動かされるあまりに崩れる前の瞬間の姿だ。

マロリーは、タバコをほうり捨てる。吸いかけのタバコが部屋を飛ぶ。

「じっとしてて!ドミニク、じっとそのまま!そのまま!」

マロリーは叫ぶ。放り投げたタバコの吸殻(すいがら)が地面に落ちるよりも早く、マロリーは台座に立っている。

マロリーは、再び仕事にとりかかる。ドミニクは、身動きもせずに立っている。ロークは壁にもたれて、ドミニクを正面から見つめながら立っている。

4月には「殿堂」の壁が、地面に直角に交わる線を形成して立ち上げられた。月の光のある晩になると、この「殿堂」の壁は、水面深くから放たれるような、柔らかい、しかしくすんだ輝きを帯びる。その壁を守って、高い塀がはりめぐらされている。

一日の仕事が終わると、4人の人間は、しばしば建設現場に残った。ロークとマロリーとドミニクと、マイク・ドニガンである。マイクは、ロークが設計する仕事だと、どういうわけか必ずその建設現場で雇われているのだった。

今、この4人は、作業員がみんな帰った後に、マロリーのスタジオ用の小屋に集まり座っている。

濡れた布が未完成の彫像にかけられている。小屋の扉は、春の夜の暖かい空気に開け放たれている。一本の木の枝が戸外にぶらさがっているのが見える。黒い空を背景に、新しい葉が3枚、枝で揺れている。葉先に集まる水滴のように、星がまたたいている。

マロリーの小屋には椅子がない。だから、マロリーは鋳鉄のストーヴのそばに立っている。ストーヴの上でホットドッグを焼き、コーヒーを沸かしている。マイクは、パイプをくゆらせながら、モデルの台座の上に腰をおろしている。ロークは、肘で上半身を支えながら、床の上で脚を伸ばしている。ドミニクは、台所用のスツールに腰かけている。薄い絹のローブが彼女の体を包んでいる。床板の上で、彼女の足は素足のままだ。

4人とも仕事のことは話さない。マロリーは不埒(ふらち)な話ばかりする。ドミニクは子どものように大きな声をたてて笑っている。4人とも特に何を話すというわけでもなく、かわす言葉も、互いの声の中でのみ、温かな陽気さの中でのみ、完全に寛いだ気安さの中でのみ、意味を持つようなものだった。

4人は、そこにいっしょにいるのが好きなだけの4人だった。開かれたドアの向こうに立っている「殿堂」の壁は、今の4人の休息に許可を与えている。気軽にすごしていい権利を与えている。4人がいっしょに力をあわせ、その建設に従事している建物を与えている。4人の声の響きに合わせ、低くはあるが明瞭に聞き取れる調和であるような建物を与えている。

ロークが大声で笑っている。他のどこでもこんなに笑うロークを、ドミニクは見たことがない。いつもは冷たく引き締まっている彼の唇は緩み、若々しい。

4人は、夜遅くまで、こうして過ごす。どこかで見つけてきた、セットでも何でもないバラバラの形のひびのはいったカップに、マロリーはコーヒーを注ぐ。コーヒーの香りが戸外の新しい葉の匂いと混じりあう。

(第2部40 超訳おわり)

(訳者コメント)

ここは、この小説の中でもっとも私が愛するセクションである。

孤独であったロークとドミニクとマロリーと、彼もまた一匹狼の一種の渡職人であるマイク・ドニガンの4人が心を許しあって寛ぐシーンである。

早春の晩の建設工事現場の一角に建てられた彫像制作小屋に集まって、コーヒを飲んだり、ホットドッグを食べる4人。

この物語の展開を知っている読者(私だけど)は、こんな幸せな時間は、もうすぐこの4人は持てなくなると知っているので、なおさらにこのシーンが美しく思える。

この小説をゼミの課題図書で学生さんたちに読んでもらったことがある。

残念ながら、この小説はゼミ生の共感を得ることは、あまりなかった。

10人ゼミ生がいるとすると、ロークに共感してくれる学生は2名ぐらいしかいなかった。

ほとんどが、ピーター・キーティングに共感するのだ。

なんでキーティングに共感できるのか、私にはサッパリ理解不能だった。

が、ともかく、この小説を好きになってくれた学生さんたちのほとんどが愛するのは、この工事現場で4人が寛ぐ晩の情景なのだ。

作者のアイン・ランドは、このように情感あふれる場面を描くのがうまい。

残念ながら、やっぱり、この殿堂がどんな建物かイメージするのは難しい。

それでも、人間が自分の可能性を知って、地上にいながら心を飛翔させる彫像が置かれるべき簡素でいながら伸びやかで威厳のある建物であることは想像できる。

この建物の大きな窓からはマンハッタンの摩天楼が見える。

ストッダード人間精神の殿堂は、ハドソン川沿いの高台にあるから、摩天楼はどう見えるのかなあ。

ところで、マロリーに言われても、どう表現したらいいかわからなかったドミニクだが、たまたま彫像制作小屋に入って来たロークを見つめて、そのイメージを明確に掴むことができた。

で、とっさにそのポーズを取った。

下の彫像を裸にしてみてください。こんなイメージかな。

img_0268

 

その姿こそ、マロリーが具現化したいものだった。

ロークの精神を表現したドミニクの姿を彫像にするマロリー。

ロークを中心としたドミニクとマロリーとマイク。

そこにオースティン・ヘラーや、ケント・ランスィングを加えると、まるでロークはイエス・キリストで、他のメンバーはキリストを囲む弟子のようだ。

ドミニクは、キリストの妻だったと言われる元娼婦のマグダラのマリアかな。

 

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