第2部(36) キーティングの空虚な成功

12月になって、コスモ=スロトニック・ビルが、その完成祝賀式とともに公開された。有名人が招待され、花で飾られた馬が出た。ニュース映画のカメラが群がり、サーチライトが回り、主賓(しゅひん)たちの祝福のスピーチは延々と3時間にも渡った。あとは推して知るべしの盛大なる催しだった。

僕は嬉しいはずじゃないか?とピーター・キーティングは自問する。なのに、嬉しくない。キーティングは、ブロードウエイの歩道という歩道に鈴なりになっている人々の顔を窓から見つめる。しかし、何も感じられない。自分が退屈しか感じていないと、キーティングは認めざるをえない。それでも、彼は微笑みを浮かべ、人々と握手し、写真に撮られるためにポーズをとる。コスモ=スロトニック・ビルは、大きな白いブロマイド写真のように、街路を睥睨し重々しくそびえ立っている。

様々な儀式が終わったあと、エルスワース・トィーイーは、静かで贅沢なレストランの、薄い紫色のブースで区切られた隠れ家のような席にキーティングを連れていった。

レストランで、キーティングが飲み物の入ったグラスをつかみ、席に崩れるように座るのを、トゥーイーはじっと見つめた。トゥーイーはおもむろに言う。

「豪勢なものでしたね?ピーター、あれこそ君が人生から期待できるクライマックスそのものでしたね。あのような勝利が、これからもいっぱい君に訪れますように祈りましょう」

トゥーイーは、自分のグラスを微妙に持ち上げる。

「ありがとうございます」と、キーティングは言い、トィーイーの仕種に応えるべく、あわててグラスに手を伸ばす。しかし自分のグラスを挙げてみて、中が空っぽであることに、やっと気がつく。

「ピーター、君は誇らしくないのですか?」

「いや、それはもちろん、誇らしいですよ」

「なら、結構。そういう君こそ私は見ていたいのですからねえ。しかし、ピーター、君がまだ独身なのは、まことにまずいです。君の隣に奥方がいたら、今夜などは君をより輝かしく飾り立ててくれたでしょうに。世間受けもよかったでしょう。ニュース映画でも実にサマになったでしょうねえ」

「キャサリンは写真向けではないですよ」

「ああ、そうですね。君はキャサリンと婚約していたのでした。そう、キャサリンは全く写真向きではない。彼女を表現するのに、いい形容詞はいっぱいありますが、しかし『威厳のある』とか『気品にあふれた』とかいう形容詞は含まれていませんねえ。実はね、今夜の君を見ていたら、私は想像せざるをえなくなってしまいましてね。君の傍に立っていたら、さぞかし完璧に絵になったであろう女性の姿を」

「誰のことですか?」

「ああ、私の言うことに構わないで下さい。単なる芸術的妄想ですから。君は世間が羨望するようなものを、もうすでにいっぱい持ちすぎていますからね。まさか、あれまで持つというわけにはいかないでしょうね」

「誰のことを、おしゃっているのですか?」

「ピーター、聞かなかったことにしてくれませんか。彼女は、いくら君でも無理です。君は立派です。しかし、あれに釣り合うほど立派ではありません」

「ですから、誰のことを?」

「もちろん、ドミニク・フランコンのことですよ」

キーティングは、背を伸ばして座りなおした。トゥーイーは、キーティングの目の中に警戒の色を見る。反抗的な敵意さえある色合いだ。トゥーイーは、静かにキーティングにまなざしを注ぐ。先に目をそらしたのはキーティングの方だった。

「いい加減してください、エルスワース。僕は彼女を愛していません」

「君が彼女を愛していると、私は思ったことはありません。ただ、平均的な男が愛情に付随させる誇張された重要性というものを、私は忘れてしまっているものですから。つまり、性的な愛のことですが」

「僕は平均的な男ではありません」

キーティングは弱々しく答える。機械的に抗議していると調子だ。だから、その返事には熱がない。

「きちんと座りたまえ、ピーター。そんなふうに崩れていては、英雄に見えないですよ」

キーティングは、背筋を伸ばし座りなおす。不安げで怒りも感じているようだ。彼は言う。

「あなたが、僕とドミニクを結婚させたがっていることは、常々僕も感じていましたよ。どうしてですか?あなたにとって、何の意味があるのですか?」

「ピーター、性的な愛というのは非常に利己的な感情です。利己的な感情というのは、幸福にはつながりません。たとえば、今夜のことを例にしましょうか。実に今夜は、利己主義者の心をいっぱいに膨らませるような晩でした。ピーター、君は幸福でしたか?わざわざ答えなくてもいいですよ。答えなど必要ないですから。私が指摘したい点は、人間というのは自分の最も個人的な欲望というものを信頼してはいけないということなのです。人が欲望するものなど、実際は、ほとんど重要なものではありません。人は、幸福というものを完全に理解しなければ、幸福というものを見出すことは期待できません。ちょっと、今夜のことを考えてごらんなさい。ねえ、ピーター、君はあの式典で、最も重要でない人間でした。それは、そういうものですよ。重要なのは事をなした人間ではありません。その事が成されたことで恩恵を受ける人々が重要なのです。しかし、君はそのことを認めることができなかった。君のものであるべきはずだった意気揚々(いきようよう)たる幸福感を、君は感じることができなかったのです、今夜」

「そのとおりです」

キーティングは小さな声で答える。他の誰かが指摘したら、その事実を、彼はとうてい素直に認めることはできなかっただろう。

「君は、完全なる自分中心の美しき誇りを感じることができなかった。君の自我を否定することを学んでこそ、完璧に学んでこそ、君が君のちっぽけな性的欲望のような瑣末(さまつ)な感傷を面白がることを学んでこそ、そのときこそ、君は私がいつも君に期待しているかの偉大さに到達できるのです」

「あなたは・・・エルスワース、あなたは、ほんとう僕が偉大になれると、そうなると信じてくださっているのですか?ほんとうに?」

「でなければ、私はこんなところに座ってはいません。しかし、今は愛の話に戻りましょう。ね、ピーター、個人的な愛とは大きな悪です。個人的なことがすべてそうであるようにね。個人的な愛はかならず惨めな状態を引き起こします。その理由がわかりませんか?個人的愛は差別の行為だからです。好き嫌いで人を差別する行為だからです。それは不正行為ですよ。この世のすべての人間に対するね。個人的愛の場合は、ひとりの人間に対して当然のごとく恣意的に愛情を与えてしまうので、他の人々への愛を、結果として奪ってしまうことになるのです。我々は、すべての人を平等に愛さなければなりません。自分のちっぽけな利己的な選択をやめなければ、そういう気高い感情に達することはできません。自分中心の選択、自分の好みの優先というのは、邪悪でありかつ不毛です。それは、宇宙の最初の法則に反していますからね、当然そうなるのです。すべての人間の根本的平等、これが宇宙の第一法則です」

キーティングは、突然興味をひかれたかのように口をはさむ。

「あの、つまり、その・・・哲学的には、もっと根本的には、我々はみな平等なのですか?我々みなが?」

「もちろんです」と、トゥーイーは言う。

なぜ、そういう考え方が自分にとって、これほど温かく快適に思えるのだろうかとキーティングは不思議だった。その思想は、彼が設計したビルを祝うために今夜集まった人々の中に紛れていたスリたちと、彼も同等だということを意味する。

しかし、それについては、キーティングは考えない。そうした思いはうっすらと彼の心に浮かんだのではあるが、浮かんだだけで、すぐにキーティングの心から消えてしまった。トゥーイーが言った思想は、それまでの生涯、いつもキーティングを駆り立ててきた熱情的な希求、人より優れたものでありたいという欲望とは矛盾したものである。

しかし、矛盾などどうでもいい。キーティングは、そのとき、もう今夜のことも人々のことも考えていなかった。今夜、あの祝典にいなかったある男のことを彼は思い出していた。

キーティングは前かがみになり、一種不安な調子で、こう言った。

「あの、エルスワース、僕は・・・他のことをするよりも、あなたと話している方がいいです。夜は行くべきところがたくさんあったのですが、ここで、こうしてあなたと座っているほうが僕はずっと嬉しいです。ときどき僕は、あなたがいないと僕はどうなってしまうのか、なんて考えてしまいます」

「ピーター、それは、そういうものですよ。でなければ、なんのために友人でいるのでしょうねえ」

その冬の、毎年恒例の仮装芸術舞踏会は、例年になく華やかで独創的なものだった。その舞踏会を主宰する組織の牽引役であるアスレスタン・ビアズレイはいわゆる彼が称するところ天才的ひらめきというものの持ち主であった。で、すべての建築家が彼らの最高の作品を衣装にして仮装舞踏会に参加するよう招待された。この試みは稀なほどの喝采を受けた。

ピーター・キーティングはその晩の花形だった。彼は、コスモ=スロトニック・ビルの衣装をつけて実に見事だった。彼の手になる有名なビルの張子(はりこ)の複製が、彼の頭から膝まですっぽりおおっていた。彼の顔は見えないのだけれども、その明るい瞳は、厚紙で制作されたビルの大きな模型の最上階の窓から覗いていた。張り子のビルの屋根である王冠のようなピラミッドが彼の頭上にそびえている。張子のビルの柱廊は、彼の横隔膜あたりのどこかを打っている。大きな玄関口から指を一本出してふっている。両脚は、いつもの優雅さそのままに自由に動いている。非のうちどころなくプレスされた礼装用ズボンに、高級な皮製の礼装靴である。

ガイ・フランコンはフリンク国立銀行ビルの張り子をかぶり非常に目をひいたが、いかんせん本物よりもいささかずんぐり四角っぽく見える。フランコンの腹部をおさめようとすれば、どうしてもそうなる。彼の頭の上のハドリアヌス帝の松明(たいまつ)は、小さな乾電池で明かりがつく仕かけの、ほんとうの電球だ。

ラルストン・ホルクウムは、州議事堂張り子をかぶり威風堂々としている。ゴードン・L・プレスコットは、大穀物倉庫に扮してきわめて男っぽいいでたちである。ユージン・ペティンギルは、やせっぽちの年老いた、小さな曲がった脚の上に、パーク・アヴェニュー・ホテルの張りぼてをかかえてよたよた歩いている。大きな塔の下から角で縁取られた眼鏡がのぞいている。

決闘ごっこをしている若い建築家たちもいる。出席者の誰もが、大いにこの仮装舞踏会を楽しんでいた。

アスレスタン・ビアズレイは、招待された建築家の中でハワード・ロークだけが出席しなかったことに遺憾の意を示した。出席者たちは、エンライト・ハウスの張りぼてをかぶったロークを見るのを楽しみにしていたのに。

(第2部36 超訳おわり)

(訳者コメント)

エルスワース・トゥーイーは姪のキャサリンの気持ちや幸せなど、全く考えていない。

キーティングに揺さぶりをかけて、ドミニクと結婚させようと画策している。

キーティングにとっても、ドミニクにとっても、まったく幸福ではない結婚になること百も承知で、誘惑している。

個人的幸福などを追求していては偉大になれないとか詭弁を弄しながら。

ところで、このセクションの終わりに描かれている建築家たちが自分たちが設計した建物おハリボテを着込んだ仮装舞踏会は、実際に開催されたものだ。

アイン・ランドは、この小説を書く前に、実際の設計建築事務所で半年間働かせてもらった。

Ely Jacques Kahn (1884 – 1972)というユダヤ系建築家の事務所で働かせてもらった。

どういう経緯で、この建築家と出会ったのか、アイン・ランドは書き残していない。

おそらく、この人物もフリーメイソンであり、ソ連からアメリカに渡る道程で常にランドを助けてくれた「家族の友人」のツテで、出会ったのであろう。

ユダヤ人ネットワークについて、ランドは一切書き残していない。しかし、彼女の人生の軌跡を見ると、彼女が成功するまで彼女を援助した家族以外の人々がユダヤ系であったことは事実だ。

日本で言えば、半島系の在日コリアンネットワークに似ている。

このエリー・ジャックス・カーンは、有名な建築家であった。高層建築も手がければ何でも引き受けるので、売れっ子建築家であった。

アイン・ランドが建築家を主人公にした小説を書きたいので、無給でいいから働かせてもらえないかと頼み込んだら、快く引き受けてくれたのだ。

カーンの作品は、今でも残っている。下の写真は金融街のThe Wall Streetにある。

この建築家は面白い人物で、アイン・ランドに建築家業界の内幕なども話してくれたし、建築家の仮装舞踏会にも連れて行ってくれた。

それをエピソードにランドは使ったのである。

ここまで親切にしてもらったのに、アイン・ランドは、この気のいい親切な建築家を、ガイ・フランコンの造形にも使っているし、エリク・スナイト(モダニストとして失業中のロークを雇い、オースティン・ヘラーとロークが出会う機会を結果的には提供した)のモデルとしても、利用している。

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