ドミニクは、その夏ずっとマンハッタンにいた。去年の夏のようにコネティカットの父の別荘には行かなかった。新聞社から休暇を取り旅行にでかけてもいいのに。苦々しくも甘い気持ちで彼女は思う。
自分がマンハッタンを離れられないし離れたくもないと思っていることを意識すると、怒りを感じる。しかし、ドミニクはその怒りさえ楽しんだ。その怒りが、またロークの部屋へと彼女を駆り立てる。
ロークといっしょに過ごさない晩は、ドミニクはマンハッタンのあちこちを歩き回る。エンライト・ハウスまで歩くこともある。またファーゴ・ストアに行くときもある。ロークが建てたビルを、長い間じっと立ったまま、ドミニクは見つめる。
自動車を飛ばし、ニューヨークから離れることもある。コネティカットにあるヘラー・ハウスを見るために。ハドソン河沿いのサンボーン邸を見るために。ジミー・ゴウエンのガソリン・スタンドと大衆食堂を見るために。自分のこの行動について、彼女はロークに一度も話したことがない。
ドミニクは、一度だけだが、真夜中の午前2時にスタテン島行きのフェリーに乗ったことがある。誰もいないデッキに立ち手すりにつかまりながら、だんだん離れていくマンハッタンをじっと見つめる。広大で何もない空と海の中で、そのマンハッタン全体がちっぽけでギザギザとした固体に見える。
濃縮され、ぎっちり圧縮されたマンハッタンの街は、いっぱいの街路や建物がある場所ではなく、ひとつの彫刻作品のような形を作っている。秩序だった連続性を持たず、隆起をくり返す不規則な階段状の形だ。長い上昇と突然の落下だ。数値の上昇下落を繰り返すグラフのような形だ。いくつかの点に向かってのみ、その形は上昇を続ける。それは、苦闘のような上昇下落の反復から立ち上る超高層ビルだ。圧倒的な勝利を誇るような帆柱に向かって、それらのビル群は屹立している。
スタテン島行きのフェリーが、自由の女神の像のそばを通過する。女神像は、緑色の照明に照らされている。背後に見える超高層ビルに負けじと、片腕を高々とあげている。
ドミニクは手すりの傍に立ったままだ。マンハッタンの街はどんどん遠く小さくなる。街からどんどん離れていくフェリーの動きは、私の中のどんどん大きくなっていく緊張だわ、とドミニクは思う。あまり遠くまで伸びることはできない生きている紐が、私をひっぱって離さないのだわ、とドミニクは思う。
ドミニクは静かな興奮の中で立っている。そのとき、フェリーが進路を変えた。てもと来た航路をたどる。スタテン島に着いたフェリーが、今度はマンハッタンへともと来た航路をたどる。
マンハッタンの街がドミニクを出迎えるために、どんどん大きくなる。ドミニクは両の腕を大きく広げる。街がどんどん大きくなる。最初は、ドミニクが広げた腕の肘まで。それから手首まで。とうとう手の指先を超えるところまで大きくなってしまった。超高層ビルがドミニクの頭上にそびえ立っている。サウス・フェリーの波止場にもどってきたのだ。
ドミニクはフェリーから降りる。これから行くべきところはわかっている。タクシーを使って早くそこに着きたい。でもドミニクは思う。「自分で、こんなふうに、自分自身の足で行かなくては」と。ドミニクは、マンハッタンの南北間の約半分の距離を歩いていく。
長い人影のない街路だ。ドミニクは靴音がこだまする街路を歩く。ロークのアパートのドアをたたいたのは、午前4時半だった。ロークは眠っていたところだ。ドミニクは頭をふって言う。「いいのよ。眠ってちょうだい。ただ、ここにいたいだけだから」と。
ドミニクはロークに触れない。かぶっていた帽子を取り、靴を脱ぎ、肘かけ椅子に丸くなって座り込み、眠りに落ちる。片腕を椅子の側面にぶらさげて、もう片方の手に自分の頭を乗せる。朝が来たとき、ロークは何も質問しない。いっしょにふたりは朝食を作る。
ロークは急いで出勤しなければならない。出勤前にロークはドミニクを抱きしめてキスをする。それから歩き去っていく。少しの間、ドミニクは佇んでいる。それから自宅に帰る。この間、ふたりがかわした言葉の単語は20もあったろうか。
ロークとドミニクがいっしょに遠出をする週末もあった。ドミニクの自動車で、海辺のあまり人が来ないようなところに出かけていく。ふたりは、太陽の下で、誰もいない砂浜で、大いに体を伸ばす。海の中で泳ぐ。
ドミニクは、水の中のロークの体が好きだ。ロークの背後でじっと動かず立っているのが好きだ。波がドミニクの足を洗う。ロークがまっすぐの線を描きながら波を突っ切って泳いでいく姿をじっと見つめる。波打ち際で、ロークとともに身を横たえているのがドミニクは好きだ。腹ばいになって、一メートルぐらいロークから離れているのが好きだ。海岸の方を向いているので、つま先は波の中で戯れている。
そんなとき、ドミニクはロークに触れることはしない。押し寄せてきて、自分たちの肉体に砕ける波を、ドミニクは感じる。その波が海に引いていくとき、砂や貝などさまざまな浜辺のものといっしょに自分とロークの肉体を海に押し流そうとする力を感じる。
その夜は、どこかの田舎の宿屋の一部屋でふたりは過ごす。ニューヨークの街に残してきた諸々(もろもろ)のことなど、ふたりは話さない。この時間を満たす寛いだ単純さに意味を与えているのは、この語られないことなのだ。ドミニクとロークは互いを見ると、互いのあまりの不釣合いな対照に、目だけで密かに笑ったりする。
ドミニクが、ロークに自分の力を誇示しようと試みることもある。わざとロークのアパートに行かなかったりするのだ。ロークの方が自分のペントハウスに来るまで待つつもりなのだ。
なのに、えらくサッサとロークがやって来て、この試みは失敗してしまう。ロークが自分の来訪を待ちながら自分への欲望に苦しんでいると思って満足したいドミニクの気持ちは、ロークに拒否されてしまう。ロークはすぐに降参することで、ドミニクの勝利感をだいなしにしてしまう。
しかたなくドミニクは言う。「手にキスしてよ、ローク」と。すると、ロークは膝まずき、ドミニクの膝にキスする。ドミニクの力を認めることで、ロークはドミニクを打ち負かす。自分の力を無理に行使するという喜びは、ドミニクには味わえない。ロークはドミニクの足元に臥(が)して言う。
「もちろん、僕には君が必要だよ。君を見ると、僕は正気ではいられなくなる。君が望むことなら、君は僕にほとんど何をしてもいい。これが君の聞きたいこと?ドミニク、気味はほとんど何してもいいよ。君が僕にさせられないことは・・・君が、それをしろと僕に求めて、僕が君を拒絶しなければならないとしたら、僕にとってそれは地獄だ。君は僕を地獄に放り込める。ドミニク、それは、ほんとうの地獄だよ。君はそんなことして面白いかい?なんで、君は、僕が君のものであるかどうかなど確かめたいの?もちろん僕は君のものだよ。僕の中の所有されうるものすべてが君のものだよ。僕の中の所有されうるもの以外のものは、君は要求できない。それでも君は僕を苦しめる力が自分にあるかどうか確かめたいの?」
ロークの言葉は、ドミニクに降伏している者のそれには聞こえない。ドミニクは、征服者としての、勝った者としての興奮など感じられない。ドミニクは、前よりもさらに自分が所有されていると感じる。私は、こういうことを平気で言える男の所有物なのだわと、ドミニクは感じる。自分が言っていることが真実であることを知っている男の所有物なのだと、感じる。
この男は、愛する女に支配されつつ、愛する女を支配している。ドミニクは、この男がこの男のままでいて欲しいと思う。
(第2部33 超訳おわり)
(訳者コメント)
このセクションは実に甘美だ。
訳していても愉しかった。
ドミニクの幸福感が匂い立つようだ。
ロークに会えない夜は、マンハッタンの街を歩き回り、ロークの設計した建物を見に行くドミニク。
ロークが設計した建物はロークそのものだから。
ロークの精神の具現だから。
自動車でコネティカット州や、ニューヨーク州北部まで行くのも、ロークの設計した建物を見るため。
しかし、そのことをドミニクはロークには話さない。
それは、ドミニクにとって密かなひとりの充実した幸福な時間なのだから。
それでも時には、ドミニクはロークを困らせたくて、恋の駆け引きのようなことをしたくなる。
しかし、ロークは非常に率直な男なので、そんな駆け引きに乗らない。
ロークは余分なことは考えない。恋愛の手練手管のようなことばかり考える類の脳足りん男ではないので、ドミニクとしては歯が立たない。
ところで、ドミニクが乗るスタテン島行きのフェリーは、1920年代にあったように、21世紀の今も運行している。
バッテリーパークの地下鉄サウスフェリー駅から住宅街のあるスタテン島までの重要な交通手段だ。
マンハッタンの夜景を楽しむために、わざわざ高いお金を出してクルージングに参加する必要はない。
夜にこのフェリーに乗って、スタテン島で降りずに、そのままマンハッタンに戻ってくれば、素晴らしい夜景を楽しめる。
このフェリーは無料だし。
ドミニクがしたようにマンハッタンの高層ビルの夜景を今でも楽しめる。
しかし、1920年代のマンハッタンは、女が夜にひとりで歩き回ったり、フェリーに乗っても安全であったのだなあ。
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