エルスワースは、大学はハーヴァードに進んだ。この学費のためにこそ、亡き母親は、自分の生命保険を息子に遺していた。ハーヴァードでの成績は素晴らしかった。彼は歴史を専攻した。
アデライン伯母は、この甥が経済学か社会学の方面に進むと予想して、ソーシャル・ワーカーで人生を終わるのではないかと恐れていた。この甥は、そうはしなかった。彼は文学や芸術に夢中になった。そのことについては、アデライン伯母はほとんど心配しなかった。それは、甥の中に出てきた新しい趣向というだけであり、その方面に彼が特別に傾倒する兆しは全くなかったからである。
「あんたは芸術青年ってタイプじゃないわよ。あんたにあってないもの」と、伯母は言った。
「伯母さん、そんなこともないよ」と、甥は答えるだけだった。
エルスワースと学友たちとの関係は、ハーヴァードでも、めったに目にすることがないような成功であり快挙とさえ言えるものだった。
彼は、自分が学友たちに受け入れられるように振舞った。誇り高き家柄の旧家の誇り高き青年たちの中にいても、彼は自分のぱっとしない出自を隠したりはしなかった。かえって、その出自を強調したりした。学友たちに、自分の父親が靴店の店長だとは言わずに、靴修理屋だと言ったりした。彼は、そのことを、挑戦的態度や苦々しい感情をあらわにして言ったわけでもなければ、プロレタリアート的に傲(ごう)岸(がん)な態度で言ったわけでもなかった。まるで、自分に関する冗談のように言った。
トゥーイーは、世間で崇め奉られるような価値観を奉じる俗物のように行動した。これ見よがしの俗物ではなく、俗物であろうと努力しているわけではない、ごく自然な無邪気なる俗物のようにふるまった。
彼は人に対して丁寧だった。それも、人の好意が欲しくてそうするというわけではなく、丁寧なのは当然のことだという態度で丁寧にふるまった。この彼の態度は人に伝染した。
学友たちは、エルスワースの優越した態度の根拠を考えたりはしなかった。彼が優越的にふるまうだけの妥当でもっともな理由は存在するのだと、それを当然のこととして、学友たちは受け入れた。
最初のうちは、学友たちにとって、「坊さん(モンク)」トゥーイーを受け入れることは面白半分のものだった。ところが、次第に、それは特別な者に許された名誉で進歩的なことになった。こういう事態が勝利といえるとしても、エルスワース・トゥーイーは、そんなこと意識もしていないように見えた。彼にとっては、そんなことは、どうでもいいらしいのだった。
エルスワース・トゥーイーは、細部まできちんと考えられた遠大な計画を心に抱いているようだった。だから、彼の進む道に生じる些細な出来事などは、面白がる以外はいっさい深刻に考えたりしないように見えた。
エルスワース・トゥーイーは、早々と何がしかの確信に満ちて、まだ何もできあがっていない幼稚な学友たちの間を闊達に動き回った。彼の微笑には秘密めいた閉鎖的な趣があった。利益を心の中で数えている商人の微笑だ。たとえ、そのとき何か特別なことが起きているようには見えていなかったとしても、彼は何事かいつも図っていた。
エルスワース・トゥーイーは、神や苦難の高貴さについて話すことはしなかった。彼は大衆について話した。夜明けまで続くような自由討議において、宗教は利己主義を育むという説を、うっとりと彼の話に耳を傾ける学友たちに証明してみせた。
エルスワース・トゥーイーは友人に、以下のような途方もない戯言を、いかにも深遠な真理であるかのように、延々と語るのだった。
「絶対的意味において美徳を達成するために、人間は自らの魂に最も穢(けが)れた罪を、自らすすんで犯さなければいけません。自らの同胞たる兄弟のために。肉体に苦行を課すなど何でもないことです。魂に苦行を課すことが唯一の美徳の行為です。君たちは、人類という大きな大衆を愛していると考えていますね?しかし、君たちは愛について何も知らない。君たちときたら、ストライキのカンパに2ドル出したりして、自分の義務は果たしたと思うかもしれない。全く貧しき愚か者です、君たちは。君たちの得るものが最も貴重なものでないのならば、どんな才能にも価値がありません。君たちの魂を与えるのです。嘘に?そう、もし他の人々がそれを信じるのならば。欺瞞に?そうです。もし他の人々がそれを必要とするのならば。裏切りに?不正に?犯罪に?そう!君たちの目に最も卑しく最も恥ずべきことに見えることならば、何にでも。君たちが、自分の価値なき、ちっぽけな自我に軽蔑を感じることができるときだけ、そのときだけ、君たちは、真実の大きな無私、私心のなさというものの安らかさに達することができます。そのときこそ、君たちの精神は、人類という広大で集合的な精神とともに浮上します。私的な個人的自我というしみったれた穴の中では、他人への愛を生み出す余裕がありません。他人への愛で満たすためには、君たちの自我を空っぽにしないといけません。そう、我が友人諸君、あらゆる意味での自己犠牲です。自分の魂の破滅を含むような犠牲こそが気高いのです」
ただし、エルスワース・トゥーイーの言葉を無視する学友たちもいた。働きながら学び続けるような貧しいが芯の強い聡明な学友たちの間では、トゥーイーは人気を勝ち得ることはできなかった。
エルスワース・トゥーイーが、彼の言いなりになるような追従者(ついじゅうしゃ)を見つけることができたのは、若き遺産相続人たち、億万長者の二代目や三代目の若者たちの中からだった。エルスワース・トゥーイーは、甘やかされた無能な若者たちでも、これなら自分でもできると感じるような行為の達成を提供したからである。
エルスワース・トゥーイーは、優秀な成績で大学を卒業した。ニューヨークに来たときは、ささやかながら、個人的な領域で知られるようなものではあったにしても、すでにして名声というものを彼は手にしていた。
エルスワース・トゥーイーという名の尋常ならざる人物についての噂は、ハーヴァード大学からニューヨークにも流れていたのである。
人々は、エルスワース・トゥーイーに向かってジクジクと水が漏れるように、彼に心を委ねるようになり始めた。彼のことを精神的必需品と考えるような種類の人々である。そうではないタイプの人々は彼には近寄らない。彼に寄って行くか行かないかは、直感で決められるような類のものであるらしかった。
トゥーイーは特に強力な名誉ある称号を持つわけでもなかったし、何か計画を立ち上げているわけでも、組織を作っているわけでもなかった。にもかかわらず、彼の取り巻き連中は、彼と対等な仲間ではなく、追従者として呼ばれていた。最初から、そうだった。
エルスワース・トゥーイーは、修士号はニューヨーク大学で取得した。「十四世紀の都市における公共建築の集合的パターン」という題目の修士論文を書いた。
その後、せわしなく様々にばらばらな方法で彼は生活費を稼いだ。彼がどんなことをしていたか誰もよくは知らない。大学で学生向けの相談係みたいなことをしていたこともある。書評や劇評や展覧会の批評などを書いて稼いだこともあった。何か雑誌や新聞に短文を寄稿していたこともあった。数も少ないし、あまりぱっとしない聴衆相手に講演会なども数回した。
彼の従事した仕事には、ある確かな傾向が明らかにある。書評をするときは、都市よりも大地を題材にした小説を選んだ。才能豊かな人物に関する作品よりも平均的な人々を描いた作品を好んだ。健康な人々に関する作品よりも病んだ人々に関する作品を高く評した。
彼が、「ささやかな人々」に関する物語に言及するとき、彼の書く文章は特別な輝きを発した。「人間的な」というのが、彼の好みの形容詞である。彼は、物語の展開や筋よりも、性格造形に関する考察が好きだった。さらには性格造形の考察よりも、描写そのものが好きだった。彼が好むのは、プロットのない小説だ。特に好きなのは、英雄が登場しない小説であった。
エルスワース・トゥーイーは、職業的助言者として抜きん出ていると考えられた。大学の彼の狭いオフィスは、一種の非公式な告解室になった。学生たちが学業的問題だけでなく個人的問題をも持ち込んだからだ。
トゥーイーは、どの科目を履修するか、恋の悩み、特に将来の仕事の選択について、相談相手の学生たちと話し合った。例のごとく優しく誠実に、相手の話に真摯に耳を傾けながら。
トゥーイーは、軽薄な類の恋や情事の悩みを相談されると、それが、飲んだくれの集まりなどには都合のいい魅力的な可愛い尻軽女とのロマンスならば、「今風にやりましょう」と言いながら、相談者を鼓舞(?)した。
もし、それが真摯で深い情緒的な愛情や情熱に関する相談の場合は、諦めることを勧めた。そのときは、「大人になりましょう」と水を注(さ)した。
ある青年が、道徳的に芳しくない性体験について恥ずかしく思う気持ちを告白しに来たときは、トゥーイーはその青年にこう言った。
「それは、結構なことでしたね。人生の早い段階で、我々が取り除いておかねばならないことがふたつあります。自分が個人的に卓越していると感じること、および性的行為に対する誇張された崇敬の念です」
エルスワース・トゥーイーが、若い相談者に、その相談者自身が選んだ職業を目指すことを薦めることは、ほとんどなかった。若者たちが自分の心が命じるように行動することを、トゥーイーは否定するのが常であった。
トゥーイーは法律家脂肪の青年には、このように助言した。
「私が君ならば法律の分野には行きません。君は、法律に関してあまりに期待が大きいし、情熱を持ちすぎています。自分の職に対するヒステリックな献身は、幸福も成功も生み出しません。君が平静で正気で、ごく現実的な気分でいられる職業を選ぶ方が賢明です。そう、むしろ君が憎んでいるような仕事がいいですよ」
音楽志望の学生には、このように助言した。
「いいえ、君がこのまま音楽の道を進めばいいと言うつもりは私にはありません。いとも簡単に君の心に浮かぶようなものは、君の才能がただ表面的なものでしかないということの確かな印です。音楽を愛しているということは、まさに君の悩みの種になりますよ。諦めなさい。たとえ、諦めることが、どれほど辛くてもね」
建築家志望の若者には、このように助言した。
「残念なのですが、私は認めません。君が建築について考えたとしても、その考えはかなり利己的な選択から生まれたのではありませんか?自己中心的満足以外の何かを、君は考えたことがあるのですか?君が、君の同胞たちに最も役立てることができる分野というものが、まず頭に浮かばなければいけません。社会へ奉仕する機会がある職と言えば、外科医のそれに比較できるようなものはないでしょう。考え直してごらんなさい」と。
これらエルスワース・トゥーイーの被保護者たちは、卒業後うまくやった者もいれば、失敗した者もいた。自殺した者が、ひとりだけいた。トゥーイーは、彼らに有益な影響を与えたと言われた。なんとなれば、彼らは決してトゥーイーを忘れることがなかったからだ。
何年も経ってからも、彼らは何やかやとトゥーイーに相談を持ちかけた。ずっとトゥーイーにすがりついた。彼らは自己起動装置のない機械みたいなものだった。自分というエンジンを始動するのに、外部の手でクランクをかけられねばならない機械だった。トゥーイーは、どんなに忙しくても必ず彼らに十分な注意を払ってやった。
エルスワース・トゥーイーの生活は、都市の広場のように公的でかつ非個人的であるので、いつも人でいっぱいだった。人間性というものの友人である彼には、個人的な友人というものが皆無だった。
人々は彼の元にやってくる。しかし彼は誰とも親しくならない。彼はすべての人々を受け入れる。彼の愛情は、広大に広がる砂漠のごとく、黄金色でなめらかで均一である。その砂漠の中のどこかに砂丘を作るような特別な風向きがあるわけではない。人々という砂漠の砂はじっと静かに広がり、その上でトゥーイーたる太陽は高く砂漠を睥睨して輝いているのだ。
エルスワース・トゥーイーは、自分の乏しい収入から、多くの組織に献金していた。しかし個人には1ドルさえ貸さなかった。このことは誰も知らないことだったが。
彼は、裕福な友人たちに、金の必要な人物を援助してくれないかと依頼したことはなかった。しかし、彼らからの慈善団体への多額の寄付金や援助金は受けた。たとえば、貧しい人々が住む地域に住み着いて生活改善や教育活動をするセツルメント・ハウスとか、余暇センターとか、売春婦更正施設とか、身体障害児の養護学校とかの慈善組織のための献金などである。
トゥーイーは、これらの組織の理事として無給で働いた。非常に多くの博愛主義的事業とか、急進的出版物は、そういう仕事に従事する類の人々に運営されていたのだが、これら福祉事業や出版物の間には、これらを連結させるひとつのもの、ある共通の指標があった。これらの事業や出版物の便箋(びんせん)には、エルスワース・トゥーイーの名前が刷り込まれていた。トゥーイーは、利他主義という会社を単独で経営しているようなものだった。
ところで、女たちは、エルスワース・トゥーイーの人生において何の役割も占めていなかった。トゥーイーにも性的欲望が密かにたまに湧き起こることもあった。そういう時は、若くてすんなりとした、乳房の大きな頭の軽い類の若い女たちを相手に処理した。
家族はブルジョワ的制度だとエルスワース・トゥーイーは論じた。結婚や男女の愛や性の問題には一切重きを置かなかった。世界には、もっと重い問題があふれている。世界は、あまりに多くの問題でいっぱいだ。これが、トゥーイーの内なる見解であった。
(第2部30 超訳おわり)
(訳者コメント)
このセクションは読んでいても、むかついてくる。
エルスワース・トゥーイーのような確信犯的偽善者で、確信犯的ドリーム・キラーが、人格者として評判がいいというのは、今でもどこでも、ありうることではないか。
異常に口が達者で、ああ言えばこう言うトゥーイー。
現実をよく知っていて、人間知に優れ、人間観察怠りない人々は、こういうタイプの人間の巨大な猫かぶり性を見抜けるので、敬遠して近寄らない。
まあ、しかし、ほとんどの人間は騙されるのだろうなあ……
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