第2部(28) 幼い頃のエルスワース・トゥーイー

 エルスワース・モンクトン・トゥーイーがジョニー・ストウクスに向かってホースを向けて水を浴びせたのは、彼が7歳のときのことだった。

そのとき、ジョニーは、一張羅(いっちょうら)のスーツを着込んでいた。トゥーイー家の前庭の芝生を通り抜けているところだった。ジョニーがそのスーツを買ってもらうのには一年半かかった。父親はなく、母親は大変に貧しかったから。

エルスワースは、コソコソするわけでもなく、身を隠すでもなく、堂々と晴れ着姿のジョニーに水を放った。彼の行動は、明らかに意図的で計画的なものだった。

まず蛇口まで歩き、それをひねり、水を出した。それから芝生の中央に立ち、ジョニーにホースを向けて正確に狙いを定めた。ジョニーの母親が、息子の数歩後の道路際にいたし、エルスワースの両親はトゥーイー家の玄関ポーチに巡回牧師とともに立っていた。だから、庭で起きたことは、大人たちには丸見えだった。

ジョニー・ストウクスは、えくぼと金色の巻き毛を持つ美しい少年だった。道行く人は、みなジョニー・ストウクスとすれ違うと、振り返って見たものだ。エルスワース・トゥーイーを振り返ってみる者は、誰もいなかったが。

その場にいあわせた大人たちは動転した。その光景があまりに壮観だったので、あっけにとられてしまった。誰もすぐに、エルスワースを取り押さえようとはしなかった。エルスワースは、自分の両手の中で絶えず激しく動くノズルの勢いに小さな痩せっぽちの体で精一杯抵抗しながら立っていた。自分が納得いくまで、ジョニーに水を放つのを決してやめようとはしなかった。

それから、しばらくして、エルスワースは、やっとホースから手を離した。水がまだ芝生に流れていた。彼は玄関ポーチに向かって二歩進んだ。そこで立ち止まり、頭を高くして堂々と受けるべき処罰を待っていた。しかし、彼を処罰する権利があるジョニーは大人たちに捕まえられていた。水を浴びせられて怒り、エルスワースに飛びかかろうとするジョニーを、大人たちは必死で捕まえて抑えこんだ。

エルスワースは、ジョニー・ストウクス親子の方は見向きもせず、自分の母親と牧師を見つめて、ゆっくりと、はっきりと言った。

「ジョニーは汚い。弱いもの苛めする。学校でみんなを殴る」

これは事実だった。

処罰の件は倫理的問題となってしまった。どんな条件下にせよ、エルスワースのいかにもひ弱な体と病気がちな健康状態を思うと、彼を罰するのは難しいことだった。不正を正すために自らを犠牲にし、自分自身の肉体的弱さを省みず、勇敢にも事をなした少年を懲罰するのは間違っているように思えるのだった。どういうわけか、このエルスワースという少年は殉教者に見えた。

エルスワースは夕食抜きで、自室で謹慎することになった。彼は不平を言わなかった。おとなしく部屋にいた。夫の言いつけに背き、夜遅くこっそり彼の部屋に入ってきて母親が置いていった食べ物には、エルスワースはいっさい手を触れなかった。

父親は、ジョニーの晴れ着代をジョニーの母親に弁償しなければならないと強く言った。だから、母親は父親にそうさせておくことにした。この母親はジョニーの母親が嫌いだった。

エルスワースの父親は、全米にチェーン店をもつ靴屋のボストン支店を任されていた。慎ましい額ではあるが不自由のない収入を得ていた。高級住宅街ではないが、ボストンの郊外に、小さくはあるが快適な住居を構えていた。

この父親の密かな悲しみは、自分で商売を始めて経営したかったのに、できなかったということであった。この人物は、口数が少なく良心的で想像力がなかった。早々と結婚してしまったので、野心や夢は諦めざるをえなかったのだ。

エルスワースの母親は痩身で、9年間のうちに宗教を5つも変えたほど不安定な落ち着きのない女性であった。なかなか繊細な目鼻立ちであり、若さの盛りの頃の数年間ぐらいは彼女も美人に見えたのだが。

息子のエルスワースは、この母親の偶像であった。エルスワースより5歳年上の姉のヘレンは、気立ての良い、これといって取柄はないし美しくもなかったが、可愛いい健康的な娘であった(この娘が後にキーティングの恋人のキャサリンを産むことになる)。

息子のエルスワースは発育が悪かった。医者は、息子さんはこのまま育ちそうもありませんと宣告した。そのときから、この母親の息子への耽溺(たんでき)は始まった。赤ん坊のエルスワースが青ざめ醜くなればなるほど、母親の息子への愛情は情熱的なものになった。体にどこか障害を持つこともなく息子が育ったとき、この母親は、ほとんどがっかりしたぐらいである。

この母親は、姉娘のヘレンには、ほとんど関心がなかった。ヘレンを愛しても、そこに殉教者のような陶酔と興奮は感じられないからだった。この姉娘の方にこそ、愛されるのにふさわしいものは、息子よりもいっぱいあったのに。

父親の方は、自分でも説明しようがない理由のために、息子のことが嫌いだった。息子のエルスワースは、母親と父親の暗黙の自発的な従属のために、一家の支配者であった。しかし、父親としては、どうして自分が息子に対する従属に加担しなければならないのか理由がわからないのだった。

家族が集まる居間にスタンドの灯りがともる団欒の時間に、母親は緊張した挑戦的な声で、夫に言うのだった。何かを怒っているかのように、前もって言っても駄目だと諦めているかのように、こんな具合に夫に切り出すのだった。

「あなた、自転車が欲しいわ。エルスワースの自転車よ。あの子の年頃の男の子ならば、みな持っているのよ。先日も、ウィリー・ラヴェットが新しいのを買ってもらったのよ」

「マリー、今すぐは無理だよ。多分、来年の夏ならば・・・今は余裕がないから・・・」

夫の方は弱々しく答える。自転車は、まだ十九世紀の後半の時期だったので、高価な贅沢品であった。すると、妻の方は金切り声になりそうに声を急に高め、夫に抗議しようとするのだった。

そんなとき、幼いエルスワースが口を挟んだ。

「お母さん、自転車なんて何のために?」

エルスワースの声は優しく豊かで澄んでいる。両親の話し声よりも低いのだが、その声で両親の間に割って入ってくる。その声には、命令のような有無を言わせない奇妙な説得力がある。

「自転車よりも必要なものがいっぱいあるじゃないの、お母さん。ウィリー・ラヴェットのことなんか、なんで気にするの?ウィリーの家は余裕があるからね。あそこのお父さんは服とか布地とか売る店をやっているからね」

この言葉に嘘はなかった。エルスワースは、ほんとうに自転車が欲しくなかった。しかし、父親の方は奇妙な思いで息子の顔を見る。何が、そんなことをこの息子に言わしめているのかと不思議になる。息子の目が、小さな眼鏡の奥からじっと自分に注がれているのを父親は見る。息子の目は、決して父親を暗に非難しているようではなかった。悪意がこめられているようではなかった。単に無表情だった。自分は、息子の理解ある姿勢に感謝すべきなのかもしれないと、この父親は思う。しかし、ウィリー・ラヴェットの父親が自分で店を経営していることを、息子に口に出してもらいたくなかったと、父親は感じた。

エルスワースは自転車を買ってもらうことができなかった。しかし、一家の中での敬意のこめられた関心は引いた。畏敬に満ちた配慮は獲得した。母親からは、申し訳ないといった態度で。父親からは、不安な疑い深いまなざしで。

父親は息子と話すぐらいならば、他のどんなことでもいいから、そちらをした方がましだと思うのだった。父親は、この息子に対して自分がなぜこんな恐怖心を抱くのかと馬鹿馬鹿しく思った。と同時に憤りも感じた。

「あなた、新しいスーツが欲しいのよ。エルスワースの新しいスーツ。今日ね、お店のウインドウにあったのよ。だから、私・・・」

「お母さん、僕は4着スーツを持ってる。何のために、もう1着いるの?毎日スーツ替えてくるパット・ヌーナンみたいに馬鹿っぽくなりたくないよ、僕は。パットのお父さんは、アイスクリーム・パーラーやっているからね」

母親は、嬉しくも、ときどき怯えを感じた。エルスワースったら、ほんとに聖人になってしまうのではないかしら・・・と。エルスワースは、物質的なことは一切気にかけなかった。

エルスワースは胃の弱い痩せた顔色の悪い子どもだったので、母親は、いつも食事の栄養には気をつけなければならなかった。頭痛もちで風邪をひきやすいことにも注意しなければならなかった。しかし、病気がちのひ弱な体つきにしては、彼の声は驚異的に、よく響き渡った。教会の合唱団で歌っていても、彼の声にかなう少年はいなかった。学校では模範的な生徒だった。学校で教わることはみな理解していた。これ以上はないと思われるほど綺麗にきちんとノートをとっていた。

エルスワースは指の爪も最高に清潔にしていた。教会の日曜学校は大好きだった。体育やスポーツよりも読書を好んだ。もっとも、体を動かすことになると、彼には勝ち目がなかったことも事実だったのだけれども。

数学に関しては、抜群というほどのことはなかった。彼はこの科目は嫌いだったから。しかし、歴史に国語に道徳にペン習字に関しては、圧倒的によくできた。長じてからは、心理学と哲学で優秀な成績をおさめた。

エルスワースは良心的に勤勉に学んだ。彼は、ジョニー・ストウクスとは違う。ジョニーは、教室でじっと教師の話を聴くなどということはしなかった。家で教科書を開くなどということもしなかった。

なんとなれば、教師が説明する前に、ジョニーは、すでにほとんど何でも理解していたので。学ぶということは、ジョニーには、機械的に自然に入ってくる行為であったので。だから努力する必要などなかったのである。ジョニーに関しては、他のこともすべてそんな具合だった。

ジョニーは天才であり、エルスワースは秀才だった。ジョニーの機敏な小さなこぶし、健康な肉体、人目を引く美貌に、あふれんばかりの豊かな生命力。ジョニーは、人が仰天(ぎょうてん)するような思いもつかないことを実行できた。一方、エルスワースは、期待されていることを、彼ならばやりそうだと人が思うことを、誰も今まで目にしたことがないくらいに巧みにした。

作文の時間になると、ジョニーは、人が思いつかないようなことを書いて、級友たちに反発精神豊かに鮮やかに見せつけた。たとえば、「学校時代—-黄金のとき」などというテーマを与えられると、ジョニーは、自分がいかに、なぜ学校が嫌いかを、巧みな達意の文で書いてみせた。一方、エルスワースは、学校時代の輝きを散文的な詩にしてみせた。この詩は地元の新聞に掲載された。

ただし、人の名前や日付ならば、エルスワースはジョニーを完全に圧倒できた。エルスワースの記憶力ときたら、液体セメントだった。記憶されたものは、その液体セメントの広がりのどこかに落ちれば、必ずそのセメントの中にしっかりと封じ込められ、忘却されることはなかった。ジョニーが、激しくまっすぐ上空に向かって噴出する泉ならば、エルスワースは、スポンジみたいなものだった。

同世代の子どもたちは、エルスワースを「エルスィー・トゥーイー」[訳注:エルスィーは女の子の呼び名]と呼んだ。子どもたちは彼に構わずに、好きにさせておいた。ほんとうのところは、できるだけエルスワースを避けたかったのだ。子どもたちには、エルスワースのことは、どうにもよく理解できなかったから。

ただ、この少年は、学校の科目などで困ったときは大いに助けとなり頼りになった。この少年は舌鋒鋭く実に的確なあだ名をつけることができた。彼にあだ名をつけられた子どもは大いに傷つき、彼に負けることになった。この少年は、柵や塀に素晴らしく達者で痛烈な漫画を書くこともできた。

エルスワースは、「女みたいだ」と悪口言われるような特徴はみな持っていた。しかし、駄目な男の子として分類されることはなかった。なぜならば、この少年は、あまりに自己確信に満ちて冷静だったので。ほかの子どもたちにとっては、自分たちが軽蔑されているのではないかと、しゃくにさわるほど、エルスワースは頭が良かった。この少年には怖いものが何もなかった。

エルスワースは、通りの真ん中で、堂々と最強の少年たちに立ち向かっていったものだ。大声で叫んだりはしなかった。何ブロックにも響き渡る、澄んだよく通る声で、彼は演説するように言うのだった。怒りの感情を見せることなく、陳述するように言うのだった。

「ジョニー・ストロウクスは、尻に継ぎはぎをしている。ジョニー・ストロウクスは、賃貸アパートに住んでいる。ウイリー・ラヴェットは勉強ができない。パット・ヌーナンは魚を食べる」

ジョニーは、そう言われても、エルスワースをぶったりしなかった。他の少年もしなかった。なぜならば、エルスワースが眼鏡をかけているからだった。ぶったりすれば眼鏡が割れて危ないからだった。

エルスワースは、野球とかの球技の試合には参加しなかった。そういう試合で活躍できそうもない貧弱な体の子どもは、それを恥じたり不満に感じたりするものだが、この少年は、むしろそれを自慢する唯一の子どもだった。スポーツが得意な奴など粗野なのだと、この少年は考えていた。また、現にそう口に出して言った。彼が言うには、頭脳は筋肉よりも強いのだ。この少年は本気でそう考えていた。

エルスワースには、親しい個人的な友人というのが皆無だった。この少年は、誰か特定の仲間に肩入れした、えこひいきのような行動をとらなかった。買収じみたことも効かないと思われていた。

彼の子ども時代に、彼の母親が息子をずっと誇りに感じたような出来事がふたつ起きた。

ひとつは誕生会についてのことだった。裕福な家の子どもで、人気者のウイリー・ラヴェットが、たまたまドリッピー・マンと同じ日に誕生日のパーティをすることになった。ドリッピーは、お針子(はりこ)をして生計を立てている未亡人の息子だった。いつも鼻水をたらしているメソメソした子どもであった。どこにも招待されそうもない類の子ども以外は、誰もドリッピーの招待を受けなかった。ウイリー・ラヴェットとドリッピー・マン両方からパーティの招待を受けたエルスワースは、あえてドリッピー・マンのパーティの招待を選んだ。貧しいドリッピーのパーティはお粗末なもので、楽しくも何ともなかったのだが。しかし、そのあと、ウイリー・ラヴェットと仲の悪い連中は、何ヶ月もの間、ウイリーに怒号を浴びせ嘲笑した。皆が一目置くエルスワースがドリッピー・マンを選んだということで、ウイリーはドリッピーごときに負けたと馬鹿にされたのだ。

もうひとつはカンニングに関することだった。パット・ヌーナンが、試験のとき、こっそり答案を見せてくれないかとエルスワースに頼み込んだことがあった。その交換条件として一袋のゼリー・ビーンがエルスワースに提供された。エルスワースはその袋を受け取り、答案を写すことをパットに許可した。

一週間後、エルスワースは、教師のところに行き、破られてもいないゼリー・ビーンの袋を教師の机の上に置いた。そうして、自分の罪業を告白した。共犯者の名前は言わなかった。答案を写した生徒の名前を聞き出そうと、その女教師はいろいろやってみたが、この少年は絶対に口を割らなかった。ついに黙ったままで通した。

エルスワースいわく、共犯者は彼の親友のひとりであるので、自分の忌々しい良心のために、その友だちの成績を台無しにするわけにはいかないというのだった。

罰せられたのは、エルスワースひとりだけだった。2時間学校に居残りをさせられた。それから、教師はその件を不問にし、試験の点数もそのままにしておいた。おかげで、ジョニー・ストロウクスや、パット・ヌーナンなど、エルスワース・トゥーイー以外のクラスで成績がよい子どもたち全員が疑われることになった。

(第2部28 超訳おわり)

(訳者コメント)

ここから、しばらくエルスワース・トゥーイーの伝記みたいな調子になる。

この小説で主要な登場人物のなかで、ここまでしつこく幼少期から中年にいたるまでの軌跡について言及されるのは、このトゥーイーだけだ。

トゥーイーという人間は、単純な人物類型にはまらない。

単なる権力主義者でもない。

この人物、主役のハワード・ロークを陰謀をめぐらして破滅させようとする人物に関して読者の理解が進むように、作者は、あえてトゥーイーの人生を丹念に書いたのだろう。

このセクションでわかるのは、トゥーイーが幼い頃から他人の評価を計算して行動する人間であるということだ。

自分の行動が、どのような印象や効果を大人に与えるか計算している可愛げのないガキであったトゥーイー。

彼が密かに憎むのは、天性伸び伸びと行動する天才型のジョニーのような少年であり、自分より経済的に豊かな家庭で育ったウイリー・ラヴィットやパット・ヌーナンのような少年である。

しかし、その嫉妬心や憎しみを見せずに、いかにも自分が正義の味方であり、倫理的な人間であると見せつけながら、ジョニーやウイリーやパットを巧妙に攻撃する。

トゥーイーが、幼い頃より資質や才能であれ、経済力であれ、強者に対して激しい嫉妬心を持ってきたことが、このセクションでは示される。

ならば、自分も同じ土俵に立ち競い合うかといえば、トゥーイーはそうしない。

彼らが道徳的に劣っているという形を周囲に見せつけて、彼らを貶める。

その傾向がよりハッキリするのは、彼の青春期である。

 

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