オースティン・ヘラーや、ロジャー・エンライトがロークを連れて行く場所で、ドミニクがロークに会うような機会はめったになかった。それでも、そんな機会があると、ドミニクは嬉しかった。そういう場所で、ロークの声によって発音される「フランコンさん」という丁寧で非個人的な言葉を耳にするのが好きだった。
そのパーティの女主人が、ハラハラと気を使い、ドミニクとロークが鉢合わせにならないように気を砕いているのを見るのが面白かった。その場にいあわせた人々が、ドミニクとロークの間に大騒動が起きるのを実は期待しているのはわかっていた。彼らは、ふたりの間の敵意の徴候が驚くべき形で示されるのを待っている。
しかし、そんなことはいっさい起きなかった。ドミニクは、あえてロークに会おうともしなければ、ロークを避けることもしない。たまたま、鉢合わせすることになったら、普通に挨拶するだけだ。ほかの誰かと口をきくように互いに挨拶をかわすだけだ。その動きに無理はいっさいなかった。
こういう状況には実に違和感がなかった。ドミニクは、心の底から、その違和感のなさを味わい楽しんでいた。ここにいる人々は、ロークと私が互いに対してどうなのか、いろいろなことを勝手に思い巡らしている。でも、実際にはロークと私がどうであるのかについては知らない。それだけは知らない。
そう思うと、ドミニクの記憶にある瞬間が、より素晴らしいものになった。他人の目にふれたり、他人の言葉にさらされたり、また他人に知られることがない、あの甘美な瞬間が。
ドミニクは思う。ここには、私とローク以外には誰も存在していない。ドミニクは、他のどこにいても感じることができないような所有の感覚というものを感じる。めったにロークの方を見ることもないほど他人に囲まれ他人の中にまぎれているこのパーティ会場にいるときほど、ドミニクはロークを所有していると感じる。
パーティ会場の部屋の離れたところにロークがいるのが目に入る。ロークが、いかにも愚鈍そうな凡庸な顔つきをした人々と会話をしているのが見える。ドミニクはすぐに関心なさそうに視線を移す。
ロークと会話している人々の顔に敵意を見ると、その場合は、ドミニクは悦びを感じる。つかのまだが凝視する。
一方、ロークと会話する人の顔に微笑を見ることもある。ロークを是認し賞賛する温かい印(しるし)を見ることもある。そんな時、ドミニクは怒りを感じる。それは嫉妬ではない。ロークと話す相手が男だろうが女だろうが、ドミニクにはどうでもいい。ドミニクが恨むような気持ちで嫌悪するのは、見当違いによって、勘違いによって、ロークが是認されることだった。
ドミニクは奇妙な事柄に苦しめられていた。ロークが住んでいる町の通りや、ロークの住居のドアや、ロークが居住している街区を曲がる自動車に、苦しめられていた。
特に、自動車には恨みがましい気分になる。あの自動車を隣の街路に走らせることができればいいのに、とドミニクは思う。
ロークの部屋の隣室の玄関口にあるゴミバケツを見る。ロークが仕事場に行く毎朝に、そのゴミバケツのそばを通り過ぎるとき、このバケツはどんな具合にそこにあったのかと、ドミニクは想像する。ロークは、そのとき、このゴミバケツの上の、あのしわくちゃにされた煙草の箱を見たのだろうかと思う。
ロークのアパートの玄関ロビーで、エレベーターから出てくる人物をひとり見かけたことがドミニクにはあった。そのときは、彼女はい一瞬間ではあるが驚いた。なにゆえか、ドミニクは思い込んでたのだ。そのアパートには、ロークしか住んでいないのだと。
小さな手動のエレベーターでロークの部屋がある階上に昇っていくとき、ドミニクの両腕は胸の上で交差される。両手が肩を抱くような具合に。そんなひとときには、まるで、温かい湯がたっぷり出るシャワーの下にいるように丸くなりうずくまり親密で安全な世界にいるような気持ちになるのだった。
パーティも終わったあと、ロークのベッドで寝転がりながら、ドミニクはささやく。目を閉じながら、頬を上気させながら、唇を濡らしながら、いつも自分に課しているルールを忘れてしまい、何を自分が言っているのかよくわからなくなりながら、ドミニクはささやく。
「ねえ、ローク。今日、あなたにあそこで話しかけていた男の人がいたでしょう。あの人、あなたに微笑んでいたでしょう。馬鹿だわ。とんでもない馬鹿よ、あんなの。先週は、あの人ったら、映画の喜劇役者のふたりを見て、役者たちにヤイノヤイノと言っていたわ。私、あいつに言ってやりたかった。ロークのことを見るなって。あんたなんかには、ロークを見る権利はないのよって。ロークを好きになるなって。そんなことになると、彼以外の世界中のものを憎むことになるわよって。ロークを好きになるということは、そういうことなのよって。あんたはほんとに大馬鹿だって。ロークを見るな、ロークを好きになるな、ロークを賞賛なんかするなって。それが、あいつに私が言ってやりたかったことだったわ。あれは見るに耐えなかった。我慢できなかった。あそこからあなたを引き離すためなら、あいつらの世界から、あの連中みんなから、あなたを引き離すためなら、私は何でもする。何でも、ねえ、ローク・・・」
ドミニクは自分が言っていることを聞いていない。ロークが微笑んでいることも見ていない。ロークの顔に、彼女が言っていることを完全に理解している様子が浮かんでいるのにも気がついていない。ただ、ロークの顔が自分の顔に近づいてくるのが見えるだけだ。
ロークには何も隠す必要がない。言わないで心にしまっておかねばならないことなど何もない。ロークとドミニクの間では、あらゆることが、当然のことと了解され、応答され、見出されるのだ。
(第2部26 超訳おわり)
(訳者コメント)
このセクションは短く、物語の展開には不必要なのでカットしようと思ったが、残した。
生まれて初めて自分をさらけ出し、自分の言葉で語り合える友であり恋人を見つけたドミニクの、ハシャギよう。
孤独に苦しんでいたわけではないのに、自分がいかに独りぼっちであったか気づかされたようなドミニクの解放感と安堵感。
虚構の人物でありますが、ドミニクの長い孤独が癒されて良かったなあと、思ってしまった訳者でありました。
「嵐に前の静けさ」なのですよ。
これからさき、ドミニクとロークは辛い辛い思いをするのです。
ふたりが時間を共有するのも、そう長くは続かないのです……
かわいそうなのです……
ロークのことをわかりもしないのに理解しているような顔をしている人間に腹をたてるドミニク。
ロークが通り過ぎる街の何かにまで、恨めしい気持ちになるドミニク。
自動車やゴミ箱にまで恨めしい気持ちになるドミニク。
ロークと自分が共有する時間意外の時間におけるロークの行動や気持ちが把握できないことに恨めしい気持ちになるドミニク。
ほんとは、ロークの全てを自分のものにしたいドミニク。
できることなら、自分のコートのポケットの中にいつもロークを入れておきたいような気分なのだろうか。
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