第2部(24) ロークとドミニクの秘密

しばらく経った。ドミニクは、世間の人間たちとの社交が、さらに苦にならなくなってきた。したくないことをする自虐的行為を耐性テストとして受け入れることをドミニクは学習した。と同時に、自分がどれだけ耐えることができるか見極めたいという好奇心に駆り立てられてもいた。

ドミニクは、公式のパーティにも出かけて行った。劇場のパーティにも、晩餐会にも、舞踏会にも出かけて行った。優雅に、かつ微笑みながら。その微笑みは冬の日の太陽のように、ドミニクの顔を、より輝かしく、より冷たく見せる。

そのような場でかわされる空虚な言葉を、空虚にドミニクは耳を傾けて聴く。まるで、話し手が聴き手から示される熱心な興味によって軽蔑されているように。まるで油のように滑らかな退屈が、人と人を結ぶ唯一の絆であるかのように。それだけが、人々のあてにならない不安定な威厳を保存できるかのように。ドミニクは、あらゆることにうなずき、あらゆることを受容した。

「そうですわ、ホルト様。ピーター・キーティングは世紀の人だと思います。私たちのこの20世紀の」

「いいえ、インスキップ様、ハワード・ロークではありません。ハワード・ロークなど、あなたには無用な人物です・・・インチキ?もちろん、彼はインチキです。全く素晴しくない?ええ、そうですね、インスキップ様、ハワード・ロークは全く素晴しくありません、言うまでもありません。いいえ、私は、あまりお酒はいただきませんのよ、インスキップ様。私の目をお気にいっていただけて嬉しいですわ。ええ、楽しいときは、そう見えますのよ、私の目は。あなた様が、ハワード・ロークは全く素晴しくないとおっしゃったでしょう。そのお言葉が嬉しかったのですわ、私」

「ジョーンズの奥様、ローク氏にお会いになりましたの?で、お気に召さなかったのですね?・・・ええ、確かに、あの方は、会う人が同情というものを感じ取れないタイプの方ですわね?ほんとうに、そうです。同情って、大事なものですもの。つぶされた毛虫を見るときに人が感じるものですわ、それは。人を高めるような経験ですわ。同情という感情によって、人は自らを解放し広げることができるのです。そう、ガードルを脱ぐときのような気持ちかしら。もう胃を締めつけておくことも心臓を押さえる必要もありませんから。同情は、視線を下に向ければいいだけですもの。とても簡単です。同情は最高に偉大な美徳です。ええ、はい、確かに反対意見もありますわねえ。たとえば賛美ですね。奥様、賛美という感情がありますわねえ。でも、これはガードルよりきついです・・・見上げていると首が疲れますしねえ・・・だから、私、申しますのよ、私たちが、この人はかわいそうだと思えないような人は悪人だって。ハワード・ロークみたいな人は悪人なのです」

しばしば、夜も遅くなってから、ドミニクはロークの部屋にやって来る。予告もせずに、必ずロークがひとりで部屋にいると確信してやって来る。

ロークの部屋にいれば、手加減したり、嘘をついたり、同意したり、自分の存在を抹消させて人にあわせる必要がない。ロークの部屋にいるときは、抵抗することも自由だ。ロークは、とても強靭だから戦いを恐れることはない。争うことを欲するだけ十分に強靭な敵対者によって、彼女の抵抗が歓迎されるのを目にすることもできる。

ロークの部屋にいれば、ドミニクは彼女自身のまったき実在というものが認識されていると感じることができる。ドミニクに彼女という人間の確かな実在があるのが当然と考えることができる意志を見出すことができる。誰も犯すことができないドミニクの実在というものを見出すことができる。勝つか負けるか、どちらかでしかないサッパリした戦闘以外には犯されることがない自分の実在と言うものを、ロークとともにいれば、ドミニクは見出すことができる。

その実在は、勝利のときにせよ敗北するにせよ、保持されるものである。特定の人称のなさという無意味なドロドロとした塊のなかに溶解するようなものでは、決してありえない。

ふたりがベッドにいるときのあり様は、それがいつもそうだったように暴力的だった。その行為の本質が要求するように暴力的だった。ふたりの互いへの抵抗の力によって、より一層完璧にされる降伏の行為だった。それは緊張からなる行為だった。この地上の偉大なことは、みな緊張からなる行為であるように。

その行為は電流のように張りつめている。抵抗を糧(かて)とした力が、ピンと伸ばされた金属のワイヤーを通って疾走する。その行為は、またダムの流れを押さえる暴力によって動力へと変換された水のように張りつめている。

ドミニクの肌の上にロークの肌が触れる様は、愛撫のそれではない。痛みのような波だ。それは、あまりに欲望されていたからこそ、痛みとなる。欲望することと、その欲望の抑圧が繰りかえされた過去の時間が、その欲望の成就の行為の中で、いっせいに放たれ流出する。

また、その行為は、食いしばった歯と憎悪の行為だ。耐え難いものであり、苦闘であり、情熱の行為でもある。苦しみを意味するために生まれた言葉なら何でもあてはまる行為だ。

それは、憎悪と緊張と苦痛の時間だ。それは、憎悪や緊張や苦痛を砕き、要素に分解し、それらを反転させ、征服し、苦しみがいっさいないものに変えてしまうような時間だ。苦しみとは正反対のものに、恍惚とした悦びへと、それらをいっさい変えてしまうような時間だ。

時に、ドミニクはパーティ会場からロークの部屋にやって来る。体の上の氷の覆いのような、高価でいかにもすぐ破れそうな繊細な布地のイヴニング・ドレスを身につけたまま、やって来る。

やって来ると、ドミニクは壁にもたれ、肌の下に荒っぽい漆喰を感じながら、周囲のすべての事物をゆっくり眺める。何枚かの製図用紙が置かれている安っぽい台所用テーブルや、鋼鉄製の定規や、ロークの5本の指の跡で黒く染みがついているタオルや、敷物の何もないむきだしの床板を眺める。それから視線を移し、自分が着ているドレスの輝くようなサテンが足元まで流れているさまや、履いている小さな三角形の形をした銀色のミュールを見る。ここで、どうやって脱ごうかなどと考える。

ドミニクはロークの部屋の中を歩き回るのが好きだ。自分がはめていた手袋を、短くなった鉛筆や消しゴム屑やボロが捨てられているゴミ箱に放り投げるのが好きだ。ロークの脱ぎ捨てた汚れたシャツの上に、小さな銀色のバッグを置くのが好きだ。ダイアモンドの腕輪の留め金をはずし、描きかけの設計図のそばに置かれたサンドイッチの食べ残しが乗っている皿の上に落とすように置くのが好きだ。

ドミニクは、ロークが腰掛けている椅子の後ろに立ち、両腕を彼の肩に回す。彼のシャツの下に手を這わせ、彼の胸の上で指を広げ、ぴったりと押しつけながら言う。

「ねえ、ローク。私、今夜ねえ、ピーター・キーティングに仕事を任せるって、サイモンズ氏に約束させたのよ。35階建てのビルですって。いいビルになれば何も惜しまないそうよ。金は問題じゃないのですって。ただ芸術がお望みなんですって。自由な芸術が」

ドミニクには、ロークの静かな小さな笑いが聞こえる。しかし、ロークはドミニクの方を振り返らずに、ドミニクの手首を指でつかむだけだ。それから、ロークはドミニクの手を自分のシャツのもっと奥まで引き入れ、もっと強く自分の肌にドミニクの手を押しつけるだけだ。ドミニクは、ロークの頭を後ろに引いて、身をかがめ、彼の口を自分のそれで覆う。

ドミニクは、ロークの部屋に入って来たときに、彼のテーブルの上に、『バナー』が広げられているのを見た。開いたページには、ドミニク・フランコンのコラム「あなたの家」が載っている。そのコラムには、次のような文が書かれている。

「ハワード・ロークは、建築のマルキ・ド・サドである。彼は、自分が設計したものに恋している。ごらんなさい、彼の恋人たちを」

ドミニクは、ロークが『バナー』を嫌っていることを知っている。ロークは、ドミニクのためにだけその新聞をそこに置いておいた。ドミニクがそれに気がつくのを、ロークはちゃんと見ている。ドミニクが嫌いで恐れている、あの半ば笑ったような嘲りがロークの顔に浮かんでいる。

ドミニクは怒りを感じる。ドミニクは、自分が書いたものは全部ロークに読んでもらいたい。ロークが読むのを避けるほど、自分が書くものがロークを傷つけたと思いたい。しかし、ロークは傷ついていない。平気で『バナー』のドミニクのコラムを読んでいる。

ベッドに横たわり、ロークが自分の胸に唇をあてているとき、ドミニクは、彼のもつれたオレンジ色の髪の向こうに、テーブルの上に載った新聞『バナー』を見る。

ドミニクは床の上にすわりこむ。ロークの足元にすわりこむ。彼の膝の上に自分の頭を押しつける。彼の手を持ち、自分のこぶしで彼の手の指を包み、しっかり閉じる。それから彼の指の関節の固い小さな突起を感じながら、その指の長さ分だけ、自分のこぶしをすべらせてみる。ドミニクは、優しく訊ねる。

「ねえ、ローク、あのコルトン工場の仕事やってみたかった?ものすごく、やってみたかった?」

「うん、すごくやりたかった」

笑いもせず、しかし苦痛もにじませず、ロークが答える。ドミニクは、ロークの手を自分の唇まで持っていく。それから長い間、唇にロークの手をあてている。

ドミニクは、真夜中、ベッドから抜け出て裸のまま部屋を横切り、テーブルの上のタバコを取る。ドミニクはかがんでマッチをこする。その動作をしているとき、ドミニクの平たい腹部がかすかに丸くなる。ロークは言う。

「僕にも一本くれよ」

ドミニクは、ロークの歯の間に一本の煙草をはさみ、それから暗い部屋を歩き回る。その間、ずっと煙草を吸っている。ロークは、ベッドで肘をついて寝転がったままで、じっとドミニクを見つめている。

以前に一度、ドミニクが部屋に入ってきたとき、ロークはテーブルについて仕事をしていた。

「これ済ませなければいけないんだ。腰掛けて待ってて」と、ロークは言った。そう言ったあとは、もうドミニクの方にロークが目をやることはなかった。ドミニクは黙って待った。部屋の一番隅にある椅子の上にうずくまりながら、ドミニクはじっと見つめた。仕事に集中しているときのロークの眉のまっすぐな線を。ロークの結ばれた口元、首の引き締まった肌の下の血管が動悸をうっている様を。ロークの手の外科医のような無駄のない確かな動きを。

ロークは、芸術家のようには見えない。採石場の労働者のように見える。壁を解体する作業員のように見える。修道僧のようにも見える。そんなとき、ドミニクは、ロークが自分を見るために仕事の手をとめたりしないでもらいたいと思う。

なぜならば、ドミニクは、ロークという人間の峻厳(しゅんげん)な清浄さを見つめていたいのだから。すべての官能的なるものの不在を見つめていたいのだから。それを凝視することは、自分がロークについて記憶していることのすべてを思い返すことでもあるのだから。

時に、ロークがドミニクの住居にやってくる夜もあった。予告なくドミニクがロークの部屋にやってくるように、予告なくロークはやって来る。たまたまドミニクに客があるときは、「そんな連中、帰らせろよ」とだけロークは言って、さっさと寝室に歩いて行く。ドミニクはロークに言われたようにする。

ふたりの間には、ふたりがいっしょにいるところは目撃されてはいけないという、暗黙の同意事項がある。それは、互いに言わなくても互いが了承していることだ。

ドミニクの寝室には大きな窓がある。薄い氷のような緑色で統一された贅沢な部屋だ。そこに、ロークは、建設工事現場で一日を過ごした後の汚れた衣服を着たままで入ってくる。そこで、ロークはベッドの掛け布団を放り投げて開いたままにしておくのが好きだ。

そうしておいて、ベッドの方に目もくれず、椅子に腰掛けて1時間も2時間も静かに話すが好きだ。ドミニクの書いたもののことを話すのではない。自分がそのときに手がけている建築物のことを話すのではない。ドミニクがピーター・キーティングのために手はずを整えてやった仕事について語るのではなくい。ただそこで、そんなふうに気楽に寛ぐ。ロークは、そんな単純さが好きだ。そうしてふたりで過ごす数時間は、そのためにもっと官能的になる。ふたりが迎えるのを延期させているその瞬間より、その数時間は、はるかに官能的になる。

ふたりがドミニクの住居の居間で過ごす晩もある。ニューヨークの街を見おろす巨大な窓辺で過ごす晩もある。ドミニクは、ロークが窓辺にいるのを見るのが好きだ。ロークは、そんなとき、体を半分だけドミニクの方に向け、眼下の街の夜景を眺めながら立っている。そんなとき、ドミニクの方は、わざとロークから離れ、居間の中央あたりの床の上に座り込んで、ロークをじっと見つめる。

一度こういうことがあった。ロークがベッドから出たとき、ドミニクがスタンドをつけ、裸でそこに立っている彼を見たことがあった。そのとき、ドミニクは、静かな声で、完璧に真摯な正直さをあらわにした声で、どうしようもないのだと告白するような、単純な絶望感をこめて、こうロークに告げた。

「ねえ、ローク。私が今まで生きてきて、してきたことのような類のこと全部は、あの夏にあなたを追いやって採石場で働かせた類の世界の中のできごとでしかないのね」

「そうだね」

ロークは、ベッドの後方に腰をおろす。ドミニクは移動し、体を丸め、ロークの太ももに自分の顔を押しつける。彼女の足が枕の上に乗っている。片腕は、ベッドからはみ出してぶらぶらしている。その腕がゆっくり動き、手のひらが、ロークの長い脚をなぞってゆく。くるぶしから膝までなぞり、それから膝からくるぶしまで、またゆっくり戻る。

ドミニクは語る。

「でもね、去年の春に、あなたが失敗して失業したときに、私があなたに会っていたとしても、やっぱり、あの採石場の仕事のようなことに、あなたを追いやっていたでしょうね」

「それも、わかるよ。だけど、そうはしなかったのではないかな、君は。多分、君ならば、アメリカ建築家協会のクラブハウスのトイレ係りに僕をさせたのではないかな」

「そうね、ありえるわ。ねえ、ローク、私の背中に手を置いて。そのままにしてね。そういうふうに」

ドミニクは、ロークの膝に顔をうずめたまま、じっと横たわっている。片腕はベッドの脇にたらしたままだ。そのまま動かないでいる。まるで、ロークの手の下にあるドミニクの肩(けん)甲骨(こうこつ)以外は、ドミニクの中の何物も生きていないかのように。

(第2部23 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションは、ドミニクが社交界で話す会話の部分以外は、カットなしである。

ロークとの密会の部分はカットなしである。

なんというロマンチックな。

読者のみなさま、ロークとドミニクの秘密の時間を覗き見て、その甘美さを味わってください。

私がこのセクションを翻訳していたのは、すでに49歳でありましたが、訳しながら、こんなロマンチックな恋愛を若い時に読まなくて良かったと思った。

若い時に読んでいたら、こーいう恋愛に憧れたかもしれないので。

非常に散文的な青春で良かった。

アイン・ランドはロマンチックな場面を描くのが、ほんとうにうまいです!!

 

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