「申し訳ないですよ、ロークさん。誠に申し訳ない。信じてくれたまえ。結局、僕は自分の健康のために商売をしているわけではないからねえ・・・僕の健康のためでもないし、僕の魂のためでもない・・・僕は君に対して含むところがあるわけではないのですよ。全く正反対ですよ。君は偉大な建築家だと僕は思うよ。おわかりでしょうが、それが問題なのですよ。偉大さというのは素晴らしいけれども、実用的ではないからねえ。ロークさん、それが問題なのですよ。実用的ではないからねえ。結局のところ、キーティング氏の方が有名だし、その・・・つまり、君には出せないような、その人好きするような趣が出せるということは、君も認めざるをえないでしょう」
ロークが全く抵抗もしないということが、ジョエル・サットンの気に障る。ロークが口論でもしようとしてくれればいいのにと、ジョエル・サットンは思う。そうすれば、ドミニクが数時間前に教えてくれた、有無を言わせないような正当化の弁を自分も言い立てることができるのに。
しかし、ロークは何も言わない。ジョエル・サットンの決定をロークが聞かされたとき、彼はただ頭を傾けて、うなずいただけだった。サットン氏としては、正当化の弁を言い立てたくて、たまらなかったのではあるが。
しかし、納得しているように見える人間相手に、納得してもらおうと何やかやと言い立てるのは無意味に思えた。とはいえ、博愛主義者のサットン氏としては、誰も傷つけたくなかった。
「ロークさん、実際のところ、僕だけの一存で決めたわけではないのですよ。ほんとうに僕としては君にやってもらいたかった。もう、僕としては君に決めていたんだ。ほんとうに決めていた。しかし、ドミニク・フランコンさんがね、僕は彼女の判断には一目置いているものだから、彼女が僕を説得してね。この件に関しては、君に依頼するのは適切な選択ではないとね。そう自分が言ったことは君に知らせてくれていいとドミニクは言ってくれたしね、彼女はそれだけ公平な人物でね」
ジョエル・サットンは、突然にロークが自分の顔を見たのに気がつく。そのとき、ロークの痩せた頬の窪みが歪んでいた。まるで、頬が、もっと奥にひっぱられて、口が開いたかのように。ロークはそのとき笑っていた。声はたてずに、ひとつ深く息を吸い込み笑っていた。
「ロークさん、何を笑っているんですか?」
「ということは、ドミニク・フランコンさんが、私にこう言えと、あなたに要求したわけですか?」
「彼女が私に要求したわけではないよ。単に彼女は言っただけだ。私がそうしたかったら、そう言えばいいとだけね」
「そうでしょうね、もちろん」
「それは、彼女の正直さの表れだね。彼女は自分の信念を説明できるだけのきちんとした理由や根拠を持っている。だから正々堂々と自分の信念を持って立っていられるんだよ」
「そうですね」
「ええと、何の話だったかね?」
「別に何も」
「君ねえ、そんなふうに笑うのは品がいいとはいえないよ」
「そうですね」
ロークの自宅の部屋は薄暗い。特に今、ロークがいるところの周囲は薄暗い。オースティン・ヘラー邸の完成予想図が壁に貼りつけられている。その部屋の長くて飾り気も何もない壁に、額にも入れられずに貼りつけられている。その絵がポツンとあるために、部屋は一層にがらんどうに見える。壁は一層長く見える。
ロークは、そこにいると時間が過ぎるのを感じない。ロークにとっては、時間は、ある硬い物が封じ込められた硬い物のように感じられる。その時間が、この部屋の内部では、ばらばらにほどける。ロークの肉体の動くことのない実質、生々しい現実性を、すべての意味から解放された時間が救う。
ドアにノックの音が聞こえたとき、ロークは椅子から立ち上がりもせずに答える。
「入れよ」
ドミニクが入ってくる。前にもこの部屋に来たことがあるかのように何気なく入ってくる。厚い布地の黒いスーツを着ている。子どもの衣服みたいに簡素で単なる防護として着られているようなスーツだ。装飾という感じが全くない。頬まで届くような高い襟は男っぽい。帽子を斜めにかけているので、顔の半分が見えない。
ロークはドミニクを見つめている。例の嘲るような微笑がロークの顔に浮かぶのをドミニクは予期していた。しかし、ロークはそんな顔はしなかった。
ドミニクは帽子を取る。室内に入った男のような仕種だ。硬い指の先で帽子の縁をひっぱり、それを腕の先でぶらぶらとさせている。顔を硬く冷たくさせたままでドミニクは待つ。しかしドミニクのなめらかな金髪は、防御もなく慎ましくさえ見える。彼女は言う。
「私を見ても驚かないのね」
「今夜、来ると思っていたから」
ドミニクは、無駄な動きはいっさいせずに、最低限必要なだけ肘を曲げながら手を挙げ、手にしていた帽子をテーブルに向かって放り投げる。ドミニクの手は抑制された動きしかしていないのに、帽子はテーブルまでの長い距離を飛ぶ。その飛び具合は荒々しい。
ロークは訊ねる。
「何の用?」
「用はわかっているでしょう」
ドミニクの声は重く抑揚がない。
「うん。でも、君に口に出して言ってもらいたい。全部」
「お望みならば」
ドミニクの声には、指令に従うような金属的な正確さと有能な響きがある。
「私はあなたと寝たいの。あなたの裸の体が欲しいの。あなたの肌に、あなたの口に、あなたの手。私は、あなたが欲しい。こんなふうに。欲望で興奮してではなくて冷静に意識的に。尊厳もなく、後悔もなく。私はあなたが欲しいの。私には、自分を有利に売り込んだり、自分に都合のいいところだけ選り分けて出すような自尊心はないの。私はあなたが欲しい。動物のように、さかりのついた猫のように、娼婦のように、あなたが欲しい」
ドミニクは、均一な同じ抑揚で、これだけのことを言った。まるで厳粛な教理問答を暗誦するように言った。
身動きもせずにドミニクは立っている。かかとのない靴をはいた両足は互いに少し離れ、床に埋め込まれているかのようだ。背筋をそらしている。腕は両方とも脇にまっすぐたれている。ドミニクは、自分が言った言葉に全く心動かされている風もなく、非情にさえ見える。少年のように純潔でさえある。
「ローク、私があなたを憎んでいることは、あなたも知っているでしょう。あなたがあなただから、私はあなたが憎い。私はあなたを欲しいから、あなたが憎い。あなたを欲しいと思わざるをえないから、私はあなたが憎い。私は、あなたと戦う。そうして、私はあなたを破滅させるつもり。さっき、私はあなたに言ったでしょう。今の私は、して、して、とせがむ動物だって。それを言ったときのように、静かに、私は、このことをあなたに宣言するわ。あなたが、決して破滅させられないようにと、私は神に祈るわ。このことも、ちゃんと、私はあなたに言っておく。私は何も信じないし、祈る対象なんて何もないのだけれども。それでも、私は、あなたが進む道は全部邪魔するつもり。私は、あなたがあなたの人生に望む全てのチャンスを壊すつもり。あなたを傷つける唯一のものを通して、私はあなたを傷つける。あなたの仕事を通してね。私は、あなたを飢え死にさせるために戦うわ。あなたの手では届かないものを、あなたが目指して苦労しているときに、あなたを窒息させるためにね。今日、私はもうそれをしたのよ。それが、今夜、私があなたと寝る理由」
ロークは、椅子に深く腰掛けて体を伸ばしている。体を弛緩させている。しかし、弛緩させた中にも緊張がある。ロークの体の静けさは、このあとに繰り広げられる暴力的な動きで、ゆっくりと充満されつつある。
「私は、今日、あなたを傷つけた。またやるわ。私があなたを打ち据えたときは、いつでも私はここに来る。あなたを傷つけたとわかっているときはいつでもね。そのときは、私は、あなたの好きになる。あなたのものになる。私は、所有されたいの。恋人からではなく、私の勝利を台無しにする敵対者によってね。こぶしで殴られる名誉によってではなく、その敵の体が私に触れることによってね。ローク、私があなたから欲しいのは、それなの。それが私なの。あなた、全部聞きたかったんでしょう。さ、あなたはもう全部聞いたわよ。さあ、
あなたは何が言いたい?」
「脱げよ」
一瞬のあいだ、ドミニクはじっと立っている。そのとき、ドミニクは、ロークのシャツの布地が動くのを見た。引き締まった胸が見えた。今度はドミニクが嘲るように微笑む番だった。ロークがいつも彼女に対して嘲るように微笑んだように。
ドミニクはスーツの襟に両手を持っていく。上着のボタンをはずす。あっさりと正確に、ひとつひとつはずす。脱いだ上着を床に捨てる。薄い白いブラウスを脱ぐ。自分のむきだしの腕の手首が、きっちりと黒い手袋をはめたままであることにドミニクは気がつく。順番に指からひっぱりながら手袋を取る。自分の寝室で脱ぐように、ひとりでいる部屋で脱ぐように、ドミニクは無造作に無頓着に脱ぐ。
それから、ドミニクはロークを見つめる。ドミニクは全裸で立っている。自分とロークの間にある空間を、自分の胃に押しつけられる圧力のように感じている。ドミニクには、この状態が、ロークにとっても拷問であることを知っている。この状態が、自分とロークが欲していたものであることをドミニクは知っている。
そのとき、ロークが椅子から立ちあがり、ドミニクの方に歩いてきた。ロークがドミニクを抱きしめたとき、彼女の両の腕が勝利したかのように高々と上げられる。ドミニクが両腕をロークの体に回したときに、自分の腕の内側の肌にロークの体の形が刻印されるのを感じる。ドミニクは感じる。ロークのあばら骨を。脇のくぼみを。自分の指の下のロークの肩甲骨を。ロークの口に重ねられた自分の口を。自分がかつてロークに屈したときの激しい抵抗よりも、さらに激しく暴力的にドミニクに屈するロークの体を感じる。
事が終わったとき、ドミニクはベッドの上に横たわっていた。ロークの毛布をかぶり、ロークの部屋を見ながら、ロークの傍らにいる。ドミニクは訊ねる。
「ローク、あなた、なぜあの採石場で働いていたの?」
「君には、わかるだろう」
「わかるわ。他の誰かならば、建築事務所の仕事を選んだでしょうに」
「僕を破滅させたいという君の欲望は消えてしまったね」
「あなた、わかるの?」
「うん。でも静かにしていて。そんなこと、今はどうでもいいことだから」
「エンライト・ハウスはニューヨークで一番美しい建物だってこと、あなた、知っている?」
「君はそのことがわかっていると、僕はわかっている」
「ローク、あなたったら、エンライト・ハウスを心の中に描きながら、他のいっぱいのエンライト・ハウスのような建物のことを考えながら、あの採石場で働いていたのね。あなたは、あのとき花崗岩をドリルで粉砕していたわ、まるで・・・」
「ドミニク、君はほんの一瞬だけど弱くなるね。明日になれば後悔するよ」
「そうね」
「ドミニク、君は綺麗だ」
「やめてよ」
「君は綺麗だ」
「ローク、私は・・・私は、まだあなたを破壊したいと思うわよ、きっと」
「君がそうでなかったら、僕が君を欲しがると思うかい?」
「ローク・・・」
「また聞きたい?その一部でも聞きたい?ドミニク、僕は君が欲しい。君が欲しい」
「私・・・」と、ドミニクは言いかけて、やめる。ドミニクが言いかけてやめた言葉は、彼女の吐息の中に、ほとんど聞き取れるかのようだ。
「駄目だよ。まだだ。まだ、それを言っちゃあいけない。眠ったら」
「ここで?あなたと?」
「ここで、僕と。朝になったら、僕が朝食を作る。僕は自分で朝食を作るって、知っていた?僕が朝食作るところは、見てると面白いよ。採石場の仕事みたいだからね。朝食がすんだら君は家に帰る。僕を破滅させる手を考える。お休み、ドミニク」
(第2部22 超訳おわり)
(訳者コメント)
ドミニクは、ロークの非凡さをよくわかっている。ロークの仕事の質の素晴らしさもわかっている。
だからこそ、ドミニクはロークを、自分のコラムで攻撃する。
鋭い読者からは絶賛とわかるような、凡庸な読者からすれば痛快なこき下ろし批判記事を書く。
ドミニクは、ほんとうはロークを守りたい。
ロークのような質の人間が、こんな世界で生き延びれるはずがないと思っている。ロークが傷だらけになると恐れている。
ロークが、こんな世界から離れることこそ、ロークの身を守ることになる。ロークはつまらん顧客のつまらん設計仕事などしなくていいのだと、ドミニクは思っている。
公的な表の世界ではドミニクはロークを攻撃する。しかし、私的な本音の世界では、ドミニクはロークを求めてやまない。
ロークも、ドミニクなりの、ドミニクらしい愛情表現がわかっている。
サドマゾプレイのような恋愛である。
ドミニクの、むきだしの率直な性欲表明は、当時の小説のヒロインとしては画期的だった。
アイン・ランドはうまいなあ!!
「脱げよ」
です。
で、サッサとドミニクは全裸になります。
訳していても、非常に興奮してしまったセクションンでした。
ロークとドミニクがロークの自宅で一夜を明かし、朝食をロークが作るという展開は、この小説の発表当時としては、非常に非常に非常に斬新でした。
ロークっていいわあ……ほんと。
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