エルスワース・トゥーイーがラルストン・ホルクウム夫人に言っている。
「ねえ、キキ?人を楽しませる仕事を自分に課すお金持ちのご婦人ほど無用なものはありませんね。しかし、だからこそ、無用なものはみな魅力があります。たとえば貴族ですね。人が考え出したものの中でも最も無用なものであります」
キキ・ホルクウムは、トゥーイーを非難して、可愛らしいが少しふくれっつらをして鼻に皺を寄せる。しかし、貴族の比喩は彼女の好むところだ。三つのクリスタルのシャンデリアが、ホルクウム家のフィレンツエ様式の舞踏室を照らしている。背の低いキキ・ホルクウムがトゥーイーを見上げているので、シャンデリアの光が彼女の目の中に映っている。その光のために、キキ・ホルクウムの目は、たっぷりとマスカラが塗られて玉なすように見えるまつ毛の間に、光のきらめきを集めて濡れている何かに見える。
「エルスワース、あなたって、嫌なことばかりおっしゃるのね。なぜ、私はあなたを招待し続けるのかしら。自分でもわかりませんわ」
「まさに、それが理由なのですよ。僕が望むだけ、僕はこちらのご招待を受けることになると思いますよ、キキ」
「エルスワース、それでは、ただの女に抵抗などできませんわね」
キキ・ホルクウムは満たされた思いで、自分の舞踊室、パーティ会場を見渡している。これだけ多くの、非常に多くの訪問客が詰めかけても、キキ・ホルクウムの邸宅の広間は、狭く感じられない。彼女の邸宅の広間や舞踏室は、客たちの頭上で、四角い空間の箱のごとく在る。この広間は、グロテスクなまでに、桁はずれに広い。
客たちは、ふたつの幅の広い絶えず顔ぶれが変わる流れに分かたれていく。客の流れは、みな遅かれ早かれ、ふたつの渦巻きの方に引き寄せられる。ひとつの渦巻きの中心には、エルスワース・トゥーイーがいる。もうひとつの渦巻きの中心には、ピーター・キーティングがいる。
パーティ用の衣服は、エルスワース・トゥーイーに似合っていない。白いシャツの長方形をした前面は、彼の顔をよけい長く見せ、さらにのっぺりさせて、二次元的に見せてしまう。締めている蝶結びのタイの両翼のために、ただでさえ細い彼の首は、羽根をむしりとられたひよこの首のように見える。力強いこぶしの、あとほんの少しの動きによって、首がひねられるのを待つばかりの青ざめたひよこに。
しかし、にも関わらず、エルスワース・トゥーイーは、そこにいるどの男よりも、その衣服をうまく着こなしている。そういうパーティ用の衣装が似合わないので、完全に気楽で無頓着でのん気な場違いさを発揮して、ブラック・タイを着ている。だからこそ、トゥーイーの、そうした外観のはなはだしいグロテスクな様子は、彼の優越性の宣言となっている。それほどの不恰好さ、見苦しさを許され見ない事にされるという優越性である。
ピーター・キーティングはといえば、光を放ち輝くような笑顔を見せている。広大な舞踏室のあちこちから自分に注がれる注意と賛美を、キーティングは感じている。彼はパーティの客たちを眺める。みな髪を整え、香水をつけ、絹ずれをさせている。光に塗られ、光にしたたり、光をこぼさんばかりの人々だ。ちょうど数時間前にシャワーの湯をしたたらせていたように。このパーティにやって来て、ピーター・キーティングという名前の男の前に敬意を払いつつ立つためにシャワーを浴びたわけだ。キーティングは、鏡をちらりと見る。そこに映った自分を見る。参加できるものならば、このピーター・キーティングという男を褒め称える人々の中に入りたいものだ、とキーティングは思う。
一度、取り巻きの客たちの流れが、エルスワース・トゥーイーを取り巻く客たちの渦と合流した。そのとき、キーティングは、輝かしく、活力に満ち、エネルギーいっぱいで一時(いっとき)も休むことのない、夏の日の小川から出現した少年のように微笑んだ。トゥーイーは、キーティングを眺めて立っている。トゥーイーの両手は、ズボンのポケットに無頓着に入れられているので、上着が細い腰のあたりで広がっている。小さな足の上で、かすかによろめいているようにも見える。トゥーイーの目は謎めいた値踏みするようなまなざしで、注意深くキーティングを眺めている。
キーティングは、自分のいうことをわかってくれる母親に話しかける子どものように、いささか酔っ払っているかのように、言う。
「エルスワース・・・素晴らしい晩ですよね?」
「ピーター、いい気分ですか?君はほんとうに人気の的ですね。ちっちゃなピーターは一線を超えて大有名人になったようです。こういうことは起きるのです。いつ、なぜ起きるのかは正確なところは誰にもわからないのですが・・・しかし、実に、はなはだしく君を無視しているご婦人も、ここにいますねえ?」
キーティングはひるむ。人々に取り囲まれていたトゥーイーが、いつ、どうやって、そのことに気づく時間があったのかと、キーティングはいぶかしむ。
「ああ、つまり例外があるからこそ、それは規則と言えるわけですからねえ。といっても、残念なことではあります。ドミニク・フランコンを引きつけるのは、実に尋常ならざる男に違いないと、いつも私は考えていたものですからねえ。だから、もちろん、君のことを考えていたわけです。単なる気まぐれな思いつきですがね。彼女を獲得する男は、君では匹敵できないような何かを持っているのでしょう。その何かにおいて、その人物は君を凌駕するのでしょう」
「誰も彼女を獲得したことはありませんよ」
「そうです。確かにそれは、そうでしょう。ええ、ともあれドミニクの心をつかむのは尋常でない類の男でしょう」
「あなたは、ドミニク・フランコンが好きではないのですよ。でしょう?」
「私は、そんなことを言ったことはありません」
そうした会話をかわしてから少し経って、キーティングは、ある真面目な話題を話しているときに、トゥーイーが次のように重々しく語っているのを耳にした。
「幸福ですって?しかし、それはまた実に中産階級的ですね。幸福とは何でしょう?幸福よりも重要なことが、人生に実にいっぱいあるのですよ」
キーティングは、ゆっくりとドミニクの方へ歩を進めていく。ドミニクは、後ろにもたれるように立っている。ドミニクの細いむきだしの両肩を支えるには、空気のような軽いもので十分であるかのように。ドミニクの着ているイヴニング・ドレスはガラスの色だ。ドミニクの背後にある壁が、ドミニクの体を透かして見えてもおかしくない、とキーティングは思う。彼女は、存在しているには、あまりにもろく見える。まさに、そのもろさ自体が、人を震撼させるよう強さを物語っている。非現実的なほど実質のないような細い肉体を持っている彼女を、実在につなぎとめているのは、その強さなのだ。
キーティングが近寄ってきたとき、ドミニクはわざわざ彼を無視する努力すらしない。ドミニクは、キーティングの方を向く。挨拶する。聞かれたことには答える。しかし、彼女の返答の抑揚のない単調な簡潔さは、キーティングを黙らせる。だから、彼がドミニクの側にいたのは、ほんのつかの間でしかなかった。
オースティン・ヘラーとロークが来訪したとき、キキ・ホルクウムは玄関で、ふたりを迎えた。ヘラーは、ロークをキキ・ホルクウムに紹介する。彼女は、いつものごとく話す。彼女の声は、すべての敵対物をすごいスピードで蹴散らしながら飛ぶロケットのようにかん高く鋭い。
「まあ、ロークさん、お会いしたいと思っておりましたのよ!あなたのお噂はいろいろお聞きしておりますの。宅の主人が、あなたを認めていないということは、私、あなたに申し上げておかねばなりませんが。でも、それも純粋に芸術的な理由からですのよ。おわかりでしょう。でも、そんなことお気になさらずに。ここにいらっしゃる方々は、あなたの味方ですわ。とても熱狂的な味方ですのよ」
「それは、ご親切に、奥様。でも、多分、僕に味方は必要ないと思います」とロークは答える。
「私、もうほんとに、あなたのご設計のエンライト・ハウス、ほんとうに好きですわ!もちろん、私は、あれが私自身の美的信念を表現しているとは申しません。でも、教養豊かな人間は、どんなものにでも心を開いておかなければなりませんでしょう。その、つまり創造的芸術における、どんな視点も含むためにですわ。何よりも、私たちは心を広く持たねばなりません。そうだとお思いになりませんこと?」
「わかりません。僕は心を広く持ったことがないので」とロークは答える。
キキ・ホルクウムは思う。この青年には横柄に答えているつもりは全くないのだと。横柄な響きなど、この青年の声にも態度にもない。しかし、この青年は横柄だというのが、キキ・ホルクウムの最初の印象だった。この青年は、夜のパーティ用のタキシードを着ている。それは、この青年の長身の痩せた姿には、よく似合っている。
にも関わらず、この青年は、このタキシードに属していない。どういうわけか、そうキキ・ホルクウムには思える。この青年のオレンジ色の髪は、正装すると言語道断なほど途方もないほど一層に目立つ。それに、キキ・ホルクウムは、この青年の顔が嫌いだ。その顔は、労働者の一団や軍隊には似合っている。こんな顔は、私の家の客間にはふさわしくないわ・・・
それでも、彼女はその青年に話しかける。
「私どもは、あなたのお仕事に大変に注目しておりますのよ。エンライト・ハウスは初めてのお仕事かしら?」
「5番目です」
「あら、そうですの?それはそうでしょうね。なんて興味深いこと」
キキ・ホルクウムは両手をパンと打ち合わせ、新たに到着した客を迎えるために、その場を離れる。
ヘラーが言う。「まず、誰に会いたい?・・・ドミニク・フランコンがこっちを見ているな。来いよ」
ロークは振り返る。ドミニクが、ひとり立っているのが見える。広い舞踏室が、ふたりのあいだを隔てている。ドミニクの顔には何の表情も浮かんでいない。骨の構造と筋肉の配置を示しているのに、何の意味もない顔を目にすることはめったにない。肩のような、腕のような、解剖学的特徴しかない単純な顔。その顔は、もはや感覚を使って認知したことを映し出す鏡としての顔ではない。ドミニクは、そういう種類の無表情な顔をして、ロークとヘラーが近づいてくるのを、じっと見ている。
ドミニクの脚は奇妙なポーズをとって立っている。つま先のふたつの小さな三角形が、ドレスの裾からまっすぐと、平行に突き出されている。まるで彼女の周りには、靴の裏底の下にある数インチ四方以外に床など存在しないかのようである。
ロークは、暴力的な悦びを感じている。なぜならば、自分がしている残酷な行為を耐えるには、ドミニクがあまりにもろく弱々しく見えたから。なのに、にもかかわらず、彼女が実にうまく立っていたから。
「フランコンさん。ハワード・ロークをご紹介させていただけますか?」と、ヘラーが言う。
ヘラーは、ロークの名前を発音するために、声を大きくすることはなかった。しかし、なぜその名を発したとき、自分の声が強調しているように聞こえたのだろうと、ヘラーは不思議に思う。
ドミニクは適切にこう言う。
「ロークさん、はじめまして」
ロークは会釈する。
「はじめまして、フランコンさん。」
「ロークさんは、あのエンライト・ハウスの・・・」
ドミニクは、それらの言葉を、ほんとうは発音したくないかのように、口にした。まるで、口に出したのは建物の名前ではなく、それ以上の多くであるかのように。ロークは答える。
「そうです、フランコンさん」
それから、ドミニクは微笑む。一般的に人が挨拶したり、紹介しあったりするときに使用するに適切な熱の入らない気のない微笑を浮かべて、ドミニクは言う。
「私、ロジャー・エンライトはよく存じ上げております。ほとんど家族ぐるみのお友だちですから」
「エンライト氏の多くのお友だちの方々に会う機会をいただいたことが僕にはありません」
「一度、父が彼を夕食に招待いたしました。そのときのことを思い出します。悲惨な夕食になりました。父は会話の名手と言われるのですけれども、エンライト氏からは一言も引き出せなかったのです。ロジャーは、ただ座っているだけでしたの。その痛手というものが、父にとってどういうものであったかを、あなたがおわかりになるためには、父をお知りにならなければ駄目ですわね」
「僕は、あなたのお父様のところで働いていたことがあります。数年前ですが。製図係として」
動いていたドミニクの手が空中で止まる。ドミニクは、だらりと手を降ろす。
「ならば、父がとうていロジャー・エンライトとはうまく行くはずがないということは、おわかりですわね」
「はい。無理ですね」
「でも、ロジャーは私のことはだいたいのところ気に入っているのではないかしら。でも、私がワイナンドの新聞社で働くことは、けしからんとかで、許してくれていないのですけれど」
ロークとドミニクの間に立って、ヘラーは自分が判断を誤ったかと思う。この出会いに奇妙なものは何もない。実際のところ何もない。しかし、ヘラーは、ドミニクが建築のことを話さないのが気にかかった。ドミニクがそうすることは誰もが予測することなのに。で、遺憾ながらヘラーは結論づける。ドミニクはロークが嫌いなのだと。出会うほとんどの人間を、彼女が嫌う例にたがわず。
そのとき、パーティーの招待客の誰かがヘラーを捕まえて連れ去ってしまう。ロークとドミニクは、ふたりきりで置いてきぼりになる。ロークが言う。
「エンライト氏は、毎朝、ニューヨーク中の新聞を読むんです。全部の新聞が、彼の仕事場に運ばれます。ただし、論説とか社説は全部切り取られていますが」
「ずっと、ロジャーはそうしてきました。ロジャーは自分の天職を見つけ損ねました。あの方は科学者になるべきでしたのに。彼は事実が大好きです。批評とか意見など軽蔑しています」
「ところで、フレミング氏はご存知でしょうか?」と、ロークは訊ねる。
「いいえ」
「彼はヘラーの友人です。このフレミング氏は、社説以外は何も読みません。世間の人は、彼が論説から得た意見など話すのを聞きたがるようです」
ドミニクは、じっとロークを見つめている。ロークも、ドミニクをまっすぐ見つめている。初対面の人物に会ったときに人がとるように、とても丁寧な態度で互いを見つめている。
ドミニクは、ロークの顔に、何らかの徴候を見出すことができればいのにと思う。あの、コネティカットで彼が見せた嘲りのようなものでもいいから。嘲笑からでさえ、ふたりの間にあったできごとの了解と、ふたりの間に結ばれた絆を暗黙のうちに確かめあうことができるのに。
しかし、ドミニクは何も見出せない。ロークは、全くの他人のように話す。敬意を表現する慣習のあらゆる形式から全く逸脱することがない立ち居振る舞いを守っている。客間で彼女に紹介された男が垣間見せるものとして以外の、いっさいの「生々しさ」というものを見せるような隙が、ロークには全くない。
ドミニクは、自分の身につけているドレスが、この男から隠せるものは何もないと知っている。この男は、自分が食する物を使用する以上に、はるかに親密な遠慮のないやり方で私を使用した。なのに、この男は、私から一メートルかそこら離れた距離で立っている。それ以上は私に近づくことを自分に許すことはできない男のごとく。
この振る舞いは彼なりの形の嘲笑なのだとドミニクは思う。自分はもう、あんなことは忘れてしまって、今更蒸し返すつもりはないのだと、この男は暗に言っているとドミニクは思う。あのことを口に出すのが、私であればいいと、私であるべきだと、この男は思っている。過去にあったことを受け入れるという屈辱を私に押しつけるつもりなのだ、この男は。あのことを、生々しい現実的なこととして思い返す言葉を私が先に発することによって。なぜならば、この男は、私があのことを思い出さずにはすまないといいうことを知っているのだから。
「ロークさん、フレミング氏は何をお仕事にしていらっしゃるのかしら?」
「鉛筆削り器製造工場を所有しておられます」
「そうですか。オースティンのお友だちかしら?」
「オースティンは随分沢山の方とお知り合いですから。それが僕の仕事だからと彼は言っていますが」
「仕事はうまくいっているのかしら?」
「フランコンさん、どなたの仕事が、でしょうか?オースティンの方は、何とも言えません。しかし、フレミング氏の仕事は大変成功しています。ニュージャージーや、コネティカットや、ロード・アイランドにも工場を持っています」
「ロークさん、オースティンについて、よくわかっていらっしゃらないのね。彼もとても成功していることになりますわ。彼の仕事にしろ、私の仕事にしろ、成功というものに会わずにすむのならば、それは成功したことになるのですから」
「どうすれば、そういうことになるのですか?」
「人間をいっさい見ないこと。もしくは、人間に関する全てのことを見ること。このふたつのうちのどちらかによってですわ」
「フランコンさんは、どちらがお好みですか?」
「苦労の多い方ならば、どちらでも」
「苦労の多い方を選びたいという欲望は、それ自身、自分の弱さを告白しているようなものですね」
「そうですわ、ロークさん。しかし、告白の中でももっとも気に障らない種類の告白ですわね」
「もし、弱さというものがすっかり告白されるために、あからさまにされるために、あるのならば、そうでしょう」
そのとき、誰かがパーティ客のいっぱいの人波から飛び出して来て、ロークの両肩を抱くように腕を乗せた。ジョン・エリク・スナイトだった。
「ローク、ここで会えるなんてさあ!」と、彼は大声を出す。
「ローク、嬉しいねえ、実に嬉しいねえ!随分経ったよねえ?いやあ、ほんと君とは話したいと思っていてさ!ちょっとだけ彼を拝借するよ、ドミニク」
ロークは両腕を脇にきちんとつけてドミニクに会釈する。一房の髪が額に落ちているので、ドミニクにはロークの表情が見えない。そのオレンジ色の頭が、一瞬丁寧に下げられたのが見えただけだ。ロークは、スナイトの後に続き、その姿は人波の中に消えた。
スナイトがロークに言っている。
「すごいねえ、どうやってここ数年で、ここに来れるようになったの?ねえ、エンライトが不動産関係に手広く乗り出すつもりがどうか、君知っている?そのお、他にまだまだいくつか建てるつもりかってことだけどもさあ」
スナイトを追っ払って、ロークをジョエル・サットンのところに連れて行ったのはオースティン・ヘラーだった。ジョエル・サットンは喜んだ。このパーティにおけるロークの出席は、彼がロークに抱いていた疑惑をすっかり拭い去ったから。このパーティにロークが出席しているということは、ロークという人間の安全性を証明するスタンプなのだから。
ジョエル・サットンの手は、ロークの肘をつかむ。彼のピンク色の短い指が、ロークのタキシードの黒い袖の上に置かれている。ジョエル・サットンは、やっと確信を持つことができて、息をはずませている。
「いやあ、ローク君、これで決まった。君で決まりだ。しかし、僕から最後の一ペニーまで搾り取ることはしないでくれたまえよ。君たち建築家っていうのは、凶暴な追剥(おいはぎ)みたいなものだからねえ。しかし、僕は君に賭けてみる。君は頭がいい。あのロジャー・エンライトを捕まえたのだからねえ。数日以内に連絡するよ。それで契約書をめぐって、君と私の攻防戦が始まるというわけだ」
ヘラーは、ロークとジョエル・サットンのふたりを眺める。このふたりがいっしょにいるのを見るのは、ほとんど下品に近いと、ヘラーは思う。ロークの姿は、長身の長い線を持つ肉体特有の誇り高い清潔感を漂わせている苦行者のようだ。そのそばに微笑んでいるのは、ジョエル・サットンの肉のボールのような姿。しかし、この肉のボールの下す決定は、実に大きな意味を持っている。
そのとき、ロークは未来の自分が手がけることになる建物の話を始めた。しかし、ジョエル・サットンは、ロークを見上げ、びっくりして感情を害した顔になった。建物の話をするために、ジョエル・サットンはそこに来たのではない。パーティというものは、そのパーティを楽しむ目的のために在る。パーティに大きな喜びがあるとしたら、それは人生の重要なことを忘れることにある。それ以外の喜びがあるのだろうか?
だから、ジョエル・サットンはバドミントンについて話していたのだ。それが彼の趣味だから。それが貴族的趣味だから。サットンはこう説明する。ロークは丁寧な態度で傾聴している。ロークにはバドミントンについてなど言うべきことは何もないから。
「ローク君は、バドミントンするでしょう?」と、ジョエル・サットンが唐突に訊ねる。
「いいえ」
「しないの?え~~しないの?そうかい、それは残念だねえ。まことに可哀相だねえ!君ならすると思ったのだけどねえ。君のような、ひょろりとした体型だと都合がいいのにねえ。君なら、大当たりなのにねえ。あの建物が建てられている間は、君がいれば、あの旧家のトンプキン一族の連中に確実に勝てると、あてにしていたのにねえ」
「サットンさん、その建物が建てられる間は、どちらにしろ遊んでいる時間は僕にはないでしょう」
「どういうことだい?時間がないとは?何のために、製図係がいるんだい?余分にふたりほど雇いたまえ。彼らにさせとけばいいのだよ。その分だけ僕が払うよ。それぐらいはする。しかしなあ、君、バドミントンはしないの。それは、君ねえ恥ずかしいことだよ」
「サットンさん、あなたは、ほんとうにそのことに驚いておられるのですね?」
「実に、ぼくはがっかりしているよ」
「しかし、あなたは何のために、僕を雇うおつもりですか?」
「私が何だって?」
「私を雇うのは何のためかと?」
「そりゃ、ビルのためだよ」
「もし、私がバドミントンをすれば、もっといいビルができると、あなたはお考えですか、ほんとうに?」
「そりゃあ、仕事があって遊びもある。君のような、ほっそりとした体つきは確実にバドミントン向きななおにねえ・・・しかし、まあいい。いいよ。すべて調子よく決まるというわけにはいかないか・・・」
ジョエル・サットンがロークから離れたときに、明るい声がロークの耳に聞こえた。
「おめでとう、ハワード!」
ロークが振り向くと、そこにはピーター・キーティングが自分に向かって微笑んでいた。光を放つように輝かしく、かつ嘲るように。
「やあ、ピーター。何て言ったの?」
「おめでとう、と言ったのだよ。ジョエル・サットンをものにしてさ。だってさ、ほら、君ってそういうこと、うまくなかったからさ」
「何だって?」
「ジョエルのことさ。ハワード、ああいうのにまともに付き合うことはない。僕ならば、あの時どうしたか、わかるだろ?僕ならば、2歳の頃からバドミントンやっています、と言うね。バドミントンがいかに王侯貴族のゲームであって、それを楽しむには、めったにない高貴な魂が必要とか言うね。で、彼が僕の腕前を試すまでに、バドミントンの練習をするだろうね。べつに、どうってことはない。何かを犠牲にするわけでもないし」
「僕は、そうは思わない」
「ハワード、これは秘訣だ。めったに口に出さない秘訣。君になら無料で教えるよ。人が君にそうあってほしい思う君でいるんだ。そうすれば、君が人を必要とするとき、いつでも人は思いのままになる。ぼくは、このコツをタダで君に教えるんだ。君は絶対このコツを利用しないからね。僕はわかっているんだ。君は、それがどういうものか決してわかろうとはしない。いくつかの点においては君は素晴らしい、ハワード。しかし、他の点においては、ひどく愚かだね」
「かもしれない」
「君がキキ・ホルクウムのサロンでゲームをするつもりならば、学ばないとさあ。そのつもりなんだろう?大人になったじゃないか、ハワード。よりにもよって、ここで君と出会うとは。驚いたよ。ああ、そうだ、エンライトのとこの仕事も、おめでとう。いつものごとく見事な仕事だね。君は、夏のあいだ、どこにいたんだい?どうやってタキシードを着こなすか教えてやろうか?僕に訊く気になったら言ってよ。しかし、君が着ると変だね、馬鹿みたいだ!君が馬鹿みたいに見えるのを見るのは気分がいいねえ」
「ピーター、酔っているね」
「もちろん酔っている。でも、今夜は一滴も入れてないんだ。一滴もね。僕が何に酔っぱらっているかといえば、君にはわからないだろうな。それは君のためにはないものさ。それこそが、僕が酔い知れているものの一部なんだ。それは君のためには存在していない。わかるかな、ハワード。僕は君を愛している。うん、ほんとうに愛している。今夜はね」
「そう・・・ピーター、相変わらずだね」
ロークは多くの人々に紹介され、また多くの人々がロークに話しかけた。人々は微笑み、友人としてロークに近づこうとする努力において真摯に見えた。ロークに高い敬意を示そうと、かつ善意と心のこもった関心を示そうとする努力において真摯に見えた。
しかし、ロークが耳にしたのは、「エンライト・ハウスは素晴らしいですね。コスモ=スロトニック・ビルと同じくらい立派ですね」とか「ロークさん、あなたには大きな将来が約束されていますよ、ほんとうに。あなたは、もうひとりのラルストン・ホルクウムになることでしょう」とか、そういう類のものだった。ロークは敵意にはなれている。しかし、この種の祝福は、敵意よりもっと侮辱的だ。ロークは肩をすくめる。どうせ、すぐにここから出て、自分の事務所のあの簡素な清潔な現実の中に戻っていくのだからいいのだと思う。
ロークは、その晩は、もう二度とドミニクの方を見ることはなかった。ドミニクの方は、パーティの人波の中からロークの姿をじっと見つめていたのだが。
ドミニクは、ロークに話しかける人々も見つめていた。そのたびに、ロークが相手の言葉に耳を傾けるたびに、彼の肩が丁寧に動きをとめるのを見つめていた。この振る舞いも、自分を馬鹿にして笑う彼なりのやり方なのだとドミニクは思う。この人は、私の目の前で、ほんの数瞬間でも自分を独占しようとしたがる人々に降伏しつつ、人から人へと自分が手渡されていくのを、わざわざ私に見せつけているとドミニクは思う。
この人は知っている。真夏の採石場のあのぎらつく太陽と掘削ドリル以上に、この光景を見るのが、私にとってずっとはるかに辛いことであることを。ドミニクは、しかたなく従うように立ち尽くしている。ロークを見つめながら立っている。ドミニクは、ロークが自分を再び見ることなど期待していない。ただ、私はここにいなければならない。この人がこの舞踏室にいる限り、ここにいなくてはいけない。この人から逃げてはいけない。
(第2部19 超訳おわり)
(訳者コメント)
うまい展開だ。アイン・ランドはstory tellerとして非常に才能がある。
ドミニクとロークの再会はこう来たか!
ホルクウム夫人が主催するパーティーで、みなが再会している。
ドミニクとローク。
ロークとキーティング。
ロークとスナイト(ピーターを雇っていた建築家)
ガイ・フランコンも出席していたはずだが、言及されてはいない。
キーティングは相変わらず軽佻浮薄であるし、スナイトも調子がいい。
人がいっぱいでざわめいているパーティ会場で、ロークとドミニクは初めて会う他人同士のように挨拶し世間話をする。
ドミニクはロークの挑戦を受けて立った。
冷静に対処した。
ロークとドミニクの社交場でのただの世間話の底から、ふたりそれぞれの価値観が立ち上がり、軽く衝突する。
2人の周りでは時間が止まっている。
ドミニクが、「こんな美しい建築物を設計できるような人は、この世界に生まれるべきではなかった」と評したエンライト・ハウスの設計者が、自分を翻弄した「採石場の作業員」だった。
このセクションでは、あまりカットしなかった。
ロークとドミニクが交錯するシーンは、あんまりカットしたくない。
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