エルスワース・トゥーイー銃殺未遂事件の公判で、スティーヴン・マロリーは、動機を明らかにすることを拒否した。マロリーは何も陳述しなかった。どんな判決が出ようが、彼にはどうでもいいようであった。
エルスワース・トゥーイーがマロリーの弁護のために、依頼されたわけでもないのに出廷したときには、なかなかの動揺が公判室に生じた。トゥーイーは裁判官に慈悲を懇願した。公判室の誰もがその言葉に感銘を受けた。スティーヴン・マロリーを除く誰もが。
トゥーイーの、この尋常ならざる寛容さを讃えようと、あちこちのメディアが書きたてた。しかし、トゥーイーは、いっさいの賞賛を退けた。陽気に、かつ謙虚に。トゥーイーは、ある新聞に、こう述べただけだった。「我が友人諸君、私は、殉教者製造の共犯になるのはお断りいたします」と。トゥーイーの世評は一層に高まった。
トゥーイーから提案された例の若手建築家たちの最初の会合が開かれた。トゥーイーは人材の選択眼が非常に優れている。出席した18名の人々の間には、ある雰囲気があった。その雰囲気のために、キーティングは、ついぞ経験したことのない居心地の良さを経験した。安全に守られているという感覚を味わうことができた。
その感覚とは何か?それは、兄弟愛や同胞愛の感覚である。ただし、それは聖なる高貴なる同胞愛ではなかった。責任感と使命感を持って何事か気高いことを成し遂げることなしに得られる兄弟愛や同胞愛の感覚は甘美である。だからこそ居心地が良いのだった。
この似た者同士という仲間感覚がなければ、キーティングはこの会合にがっかりしたことだろう。トゥーイー宅の居間に集まった18名の中には、キーティングとゴードン・L・プレスコット以外に、これといって頭角を現している建築家などひとりもいなかったのだから。有名人好きのキーティングからすれば、出席者のほとんどが無名の会合など無意味であったから。
ほかの出席者のほとんどが、まだ社会に出たばかりの、若い身なりも貧しい、それゆえに、すぐに喧嘩腰になりやすい者ばかりだ。まだ製図係でしかない者もいる。主に金持ちの未亡人用の小さな家を数軒だけ建てたことがある女性建築家もいる。純な無邪気な瞳をした少年もいる。肥満した無表情な顔の、いかにもぼんやりした建築請負業者の青年もいる。インテリアデザイナーの女性もいる。きちんとした仕事についていない女性もひとりいる。
キーティングには、この集団の目的が正確には何であるのか、全くわからない。しかし話は大いにはずんだ。とりとめのないおしゃべりばかりだった。
その会合の出席者たちは、正義のなさについて、不公平について、若者に向けられる社会の酷薄さについて大いに語りあった。大学卒業後は、誰もが未来に対して保証された歩合のようなものを手にするべきだと提案したりもした。女性の建築家は、金持ちの人々の不正行為について金切り声で話した。建築請負業の若者は、「仲間は互いに助け合わなければならない」と吠え立てた。無垢な瞳をした少年は、「僕たちにもやれることは、いっぱいありますよ・・・」と、懇願するように発言した。彼の声には絶望的な真摯さがこめられていた。だから彼は場違いに見えた。そういう真摯さは、その会合の底に流れる弛緩した空気にはそぐわなかったので。
ピーター・キーティングが満場一致で、その会の会長に選ばれた。ゴードン・L・プレスコットは、副会長兼会計である。トゥーイーは何に推薦されても拒否した。自分は非公式な顧問としてのみ活動するつもりだというのが、トゥーイーの弁だった。この組織は、「アメリカ建設者会議」と名づけられることが決定された。会員は、建築家に限らず、「連合した熟練技術者」に開かれ、かつ「心に建築という偉大なる職業に関する関心を持つすべての人々」に開かれたものになることも決定された。
これらの話し合いが終わってから、トゥーイーが立ち上がり、延々と話し始める。彼の大きな声は、柔らかで説得力がある。その声は部屋に満ち、聴く者をして、この声ならばローマの円形劇場でさえ満たすことができるだろうと思わせるほどである。トゥーイーの声のなかには、聴く者を微妙におだてるような、誇りを感じさせるような何かがあった。
「・・・つまり、かくして、我が友人諸君、建築という職業に欠如しているものは、それ自身の社会的重要性への理解なのであります。この欠如は、二重の原因に帰すものであります。ひとつは、我々が生きる社会の反社会的性質のためであり、もうひとつは、あなた方自身に内在する謙虚さのゆえなのであります。あなた方は、報酬を得る以外の自分の生存の手段を稼ぐこと以外の高次な目的など持っていない単なる生活費の稼ぎ手としてのみ、自分自身のことを考えるように条件づけられてきました。我が友人諸君よ、今や、ここで立ち止まり、社会におけるあなた方の立場を再定義する時期ではありますまいか?すべての技術者のうちで、あなた方の職業が最も重要なのであります。あなた方が生み出す金銭の総量においてではありません。あなた方が提示する芸術的技量の水準においてではありません。あなた方は、あなた方の同胞に差し出す奉仕においてこそ、重要なのです。あなた方は人類の避難所を提供する人々です。このことを心に刻んでおいてください。そして、あなた方を待っている膨大なる課題を認識するために、我々の住む街を、我々の街にあるスラムをご覧になって下さい。この挑戦を迎え撃つためには、あなた方は、自分自身と自分の仕事に対するより広い視野に立った観点で、武装せねばなりません。あなた方は、金持ちに雇われた従(じゅ)僕(ぼく)ではありません。あなた方は、特権も何もない人々を、避難所も何もない人々を救う大義を掲げた十字軍なのであります。我々は、我々が何であるかによって判断されるのではありません。我々が奉仕する人々によって、判断されるのであります。この精神で結びつこうではありませんか。すべての事柄に際して、我々は、この観点に忠実であろうではありませんか。この新しい、より幅広い、より高次な視野に忠実であろうではありませんか。組織しようではありませんか。我が友人諸君、そう、より高貴なる夢を・・・」
トゥーイーの長話にキーティングは熱心に耳を傾けていた。キーティングは建築家という職に従事していても、いつでも自分のことを、報酬を得るために身を屈する一家の稼ぎ手として考えてきた。建築家という職業も、母親が彼に望んだからこそ選んだ職業だった。
しかし、自分は、それ以上の存在なのだと発見したことは嬉しくありがたいことだった。僕が日々やっていることは、もっと気高い意味のあることだったのだな。その気持ちは心地よく、かつ麻薬のように彼をぼっとさせた。その場にいた他の若者たちも、みな同じ気持ちであることが、キーティングにはわかる。
「・・・そして、我々の社会システムが崩壊するときでも、建設者たちの作品まで捨て去られることはありません。それらの偉大な作品は、より偉大なる卓越さ、より偉大なる認識へと高められるのであります・・・」
そのとき、玄関ドアのベルが鳴った。トゥーイーの使用人が一瞬だけ現れ、居間のドアを開け、ドミニク・フランコンの姿を主人たちに見せた。
トゥーイーが言葉を言いかけたまま話を中断した。その反応から、ドミニクの来訪は予定外ものであることが、キーティングにも見て取れた。ドミニクは、トゥーイーに微笑みかけ、頭を振り、彼に話を続けるようにと告げる合図のように片手を動かした。
トゥーイーはドミニクに軽く会釈をして、話を続けた。そのしぐさは心地よい挨拶であった。しかし、トゥーイーのその反応は、ほんの一瞬だけだが遅すぎた、という感じをキーティングは持った。トゥーイーが最も適切な時に適切に反応できないなどということは、キーティングは見たことがなかった。ドミニクの在席は、トゥーイーにとって何らかの意味で不都合であるようだった。
ドミニクは、みなの背後に、部屋の片隅の椅子に腰掛けた。キーティングは、ドミニクの注意を引こうと、しばらくの間、トゥーイーの話を聴くのを忘れてしまった。ドミニクの目が部屋中に注がれ、そこにいる若者たちの顔から顔へと移動し、自分の顔に止まるのを、キーティングは待たねばならなかった。キーティングは会釈し、元気にうなずいてみせたりした。個人的な所有物に挨拶するような笑い方だ。ドミニクは頭を傾げた。
春以来、キーティングはドミニクに会っていない。ドミニクは少し疲れているようだった。記憶の中の彼女より、今の彼女のほうがずっと綺麗だと、キーティングは思った。
しかし、ドミニクは、この部屋に、この会合に属してはいなかった。それは、ドミニクの美貌のせいではなかった。ドミニクの不遜な優雅さのせいでもなかった。しかし、何かが彼女を部外者にしていた。それは、いわば、全員が気持ちよく裸でいるところに、正装した人物が入ってきて、突然そこにいる全員に自分の姿を意識させたかのようだった。自分たちの下品さを気づかせたかのようだった。といっても、ドミニクが何かしたわけではなかったのであるが。
そのときキーティングは、ふいに気づく。エルスワース・トゥーイーは話すとき、ドミニクを絶対に見ないことを。
会合が終わったとき、トゥーイーはドミニクに急いで近寄って行く。
「ドミニク!君が来てくれるなんて。君はわざわざ私を嬉しがらせ、おだててくれているのだと思ってもいいのでしょうか?」
「どうぞお好きなようにお考え下さい、エルスワース」
「君が関心を持ってくれていると知っていたら、君には特別招待状を送ったのに」
「でも、私が関心を持っているとは、お考えにはならなかったのでしょう?」
「そう、率直に言えばね、僕は・・・」
「エルスワース、それは間違いでしたわ。私の新聞記者としての直感を見くびっていらしたのね。スクープは逃すな、だわ。ある重罪の誕生を目撃する機会など、そうそうありませんもの」
「ドミニク、どういう意味だい、それは?」
キーティングが声を鋭くして、訊ねる。ドミニクは、キーティングの方に向き直り言う。
「こんにちは、キーティング」
「ドミニク、もちろん、君はピーター・キーティングを知っていますね?」
トゥーイーはドミニクに微笑みかける。
「ええ。ピーターは私に恋していたことがあったのよ」
「君は時制を間違えているよ、ドミニク」と、キーティングは言う。
「ピーター、ドミニクが言うことを何でも真面目にとってはいけません。ドミニク、私たちの小さなグループに入りませんか?君の職業的資格は、入会条件に十分すぎるほどですよ」
「いいえ。私は、あなた方のグループに入る気はありません」
「ドミニク、君は僕たちのグループを認めないのかい?」
「あら、ピーター、いったいどうしてあなたはそう思うの?私が、あなた方を認めていないなどということは全然ありません。あなた方のグループは、ある明白な必要性に対する答えとして妥当な企てだと思います。それは、まさに私たちみなが必要とするもの、つまり私たちにふさわしいものです」
「ドミニク、次の会合にも出席してくれませんか?全く関係ないにしても、非常に理解力のある聴き手がいてくれるのは、愉快なことですからね。その次の会合に、ということですけれども」
「出席できません、エルスワース。今日の私は単なる好奇心で来ただけですから。でも、ここでは、随分と面白いグループを作っていらっしゃるのね。若い建設者たち・・・ね。なぜ、あのエンライト・ハウスを設計した人を招待なさらなかったの?名前は何だったかしら?そうハワード・ロークでしたわね」
キーティングは、あごに一撃を食らった気がした。ドミニクは、その名前を、いとも気軽に何気ないことを言うような調子で口にした。ドミニクに他意はなかった・・・それは確かなようだったが、キーティングには衝撃だった。
ドミニクにトゥーイーが重々しく答える。
「ローク氏に会えば嬉しいだろうと思ったことはないのですよ、私は」
キーティングがドミニクに訊ねる。
「ドミニク、君はハワード・ロークのこと知っているの?」
「いいえ。エンライト・ハウスの完成予想図を見たことがあるだけです」
「で?それについて君はどう思うの?」
「どうとも思いません」
ドミニクが帰るとき、キーティングも彼女と連れ立って帰る。エレベーターで階下に降りるとき、キーティングはドミニクを見つめる。セカンドバッグの平らな角をつかんでいるきっちりと黒い手袋をした手を見る。ドミニクの指のしなやかな無頓着さは不遜でもあり誘惑的でもある。キーティングは、また自分が彼女に降伏しつつあることを感じている。
「ドミニク、君はなぜ今日ここに来たの?」
「私は随分長い間、どこにも行っていませんでしたの。だから、ここに来ることから手始めに動こうと決めました。ほら、泳ぐときは、段階を追って冷たい水に入り慣れていくでしょう?でも私はそんな面倒なことしたくないのです。私は、まっすぐに冷たい水に飛び込むの。最初にもっとも不快なことをすませれば、後のことは簡単になります」
「どういう意味?あの会合で、それほどに不都合な何を君は見たというの?結局のところ、僕らは何もはっきりしたことをするとか計画したわけじゃない。何のために僕らがあそこに集まっていたのかさえ、僕にはわからないんだから」
「そこよ、ピーター。あなた方は、あそこで何のために集まっていたか、それすらわかっていなかったわね」
「あれは、単にいっしょにいたい仲間たちのためのグループなんだ。ほとんど、おしゃべりするためだけにね。そのことに何か害があるかい?」
「ピーター、私は疲れていますので、そういうお話はする気がありません」
「僕は、何度も何度も、君と会おうとしたんだ。わかっているよね」
「そうでしたの?」
「君にまた会えて、僕がどれだけ嬉しいか話し始めようか?」
「いいえ、結構です」
「ねえ、ドミニク、君は変わったね。どう変わったかは、正確には僕にはわからないのだけれども、しかし、君は変わった」
「私が変わった?」
ドミニクは、キーティングの意外な鋭さを意外に思う。
街路は暗い。キーティングはタクシーを呼ぶ。ドミニクに接するほど近く座る。キーティングはドミニクをじっとあけすけに見つめる。ゆっくりと手を伸ばし、ドミニクの手をとる。
キーティングはドミニクの手に、ある努力を感知する。ドミニクの硬い指を伝って、彼女の腕全体の努力を感知する。手をひっこめたいという努力ではない。なんとか、キーティングにつかまれるままにしておきたいという努力だ。キーティングはドミニクの手を上げ、それを裏返しにし、柔らかい手首に唇を押しつける。
それから、キーティングはまたドミニクを見つめる。ドミニクの手を下ろす。ほんの一瞬、ドミニクの手は空中にとどまる。指がぎこちなく、半ば閉じられている。この仕種は、キーティングの記憶にある、いつものドミニクの無関心さとは違う。これは激しい嫌悪だ。
キーティングは、思わずささやく。
「ドミニク、相手は誰だったの?」
ドミニクは顔を急に向けて、キーティングの顔に面と向かう。ドミニクの目が細められるのをキーティングは見る。ドミニクの唇が弛緩し、口がゆっくりと伸びて、かすかな微笑に広がっていく。ドミニクは答える。まっすぐにキーティングを見つめている。
「花崗岩の採石場の作業員よ」
「ドミニク、ふざけないで。あり得ないことでは疑うこともできないよ」
「この夏、私はずっと考えていました。自分自身についてだって私たちが知ることは、どれだけ少ないことかって。ピーター、いつか、あなたもあなた自身についての真実を知ることになるでしょう。私たちのほとんど誰よりも、それはあなたにとって過酷なものとなるでしょう。でも、そんなこと、今のあなたは考える必要はないわ。まだまだ、それは先のことですから」
「君が何を言っているか、わからないよ。ただ僕にわかっていることは、僕はいつも君を愛するだろうということだけだ。君がまた消えてしまうなんてことは、僕はもう許さない」
「ピーター、私は、もうあなたに再び会いたくはありません。私があなたに会いたくないというのは、私自身の問題です。あなたはね、ピーター、あなたは、私がこの地上で軽蔑するあらゆることです。これは、あなたに対する侮辱ではありません。このことは、ちゃんとわかっていただきたいの。あなたは、この世の中の最悪のものではないわ。あなたは、その最高のものよ。だからこそ、ぞっとするの。あなたが、この世の中で最高なのならば、いったい何をこの世界に期待できるのかしら。もし、私があなたのもとに戻るとしても、私にそうさせないで。今、ちゃんと言っておきます。なぜならば、私はそうしかねません。私があなたのもとに戻るとしたら、あなたは私を止めることはできないでしょうからね。だから、今が、今こそが、私があなたに警告できる唯一の機会です」
「いったい何を君は言っているんだ?わけのわからないことばかり言って!」と、キーティングは冷たい怒りで、唇を強張らせて言う。
「わかろうとしないで。ともかくお互い離れていましょう」
「僕は君を諦めないよ、絶対に」
「いいですわ、ピーター。私があなたに優しくするのは、今だけです」
(第2部17 超訳おわり)
(訳者コメント)
このセクションで取り上げられている若い建築家たちの会合のありようは、ローズヴェルト政権時代のある政策へのアイン・ランドの批判風刺である。
1929年にニューヨーク株式市場の大暴落でアメリカは一気に大不況に陥った。世に失業者が激増した。
そのような経済的困窮の時代にまっさきに波をかぶるのは、芸術家だ。芸術はなくても食っていけるので。
で、時のローズベルト政権は、芸術家救済のために、作家協会だの音楽家協会だのを創設して、補助金を出した。
今の日本の歌舞伎とか伝統芸能に政府が補助金を出すようなシステムは、この政策を真似している。
大不況期のローズベルト政権にはソ連のスパイが大量に入り込んでいたので、個人の創造的行為である芸術活動も国が補助金を出して育成する政策を採った。
ソ連では、芸術家や知識人に補助金を与えて飼い慣らしておけばソ連体制批判をしないので、そういう政策を採っていた。
ソ連の革命はもともとが帝政ロシ体制へのインテリたちの批判から始まった。だからソ連政府は、インテリや知識人や芸術家の体制批判能力に油断しなかった。
彼らが好きに遊べるようにしておけば、彼らは政治に牙を向けることはせずに遊ぶ。
だから住居と補助金を与えた。その補助金欲しさに彼らや彼女たちは政府に従順になる。
これが、現代日本の文部科学省が研究者に給付する科研費のプロトモデルである。
ローズベルト大統領死後に政権から追い出されたソ連のスパイ官僚たちは、失業し行くところがなく、GHQに入り込んで、敗戦後の占領下日本の政策の音頭取りをした。
だから、日本は長い間、国家社会主義体制であったのだ。
話を小説に戻す。
アイン・ランドはソ連からの亡命者であったので、ソ連のやり口についてよく知っていた。
芸術家は紐付きであってはいけない。個人の孤高の自由な無頼の精神で通俗に風穴を開けるのが芸術家だ。
芸術家が集団で保護されて助成金などもらっていては、御用芸術家になるしかない。
御用建築家、御用研究者、御用作家では、真実を追求し発表することはできない。
政府からの補助金が受けられるかどうかの審査は、実質的には検閲になる。思想調査になる。思想スクリーニングになる。
このセクションでは、社会の劣化を目論むエルスワース・トゥーイーの勢力による若い建築家たちの囲い込み洗脳計画の一部として、キーティングの会合が例示されている。
ドミニクにはそれが見える。
ああ、馬鹿やっている……とわかる。
キーティングにはサッパリわからないのである。
ドミニクがはっきり拒絶するキーティングに具現化されている「キーティング的なるもの」とは、奴隷の精神である。畜群の精神である。
この世界に自分の手でなにがしか新しき良きものを提供しようとする創造的行為を仕事に選んだはずなのに、集団に埋没し、その矮小なる安心感の中で真に生きることから逃避しようとする精神である。
芸術家と集団主義は絶対に相容れないはずなのに、つるみ徒党を組むことに甘んじるキーティングと、それを承知でそう仕組むトゥーイー。
地獄への道は善意で敷き詰められている。
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