第2部(16) ニューヨークに戻ってきたドミニク

ドミニクはニューヨークに戻ってきていた。目的もなく帰ってきていた。あの採石場を最後に訪れ、あの男がニューヨークに行ったと知らされてから、もう3日と別荘にいることができなかったから。

私はニューヨークの街にいなければならない。

これは、ドミニクの心に突然にわき上がってきた差し迫った気持ちであった。抵抗できない気持ちであった。わけのわからない気持ちだった。

マンハッタンに何か期待するものがあったわけではない。ただ、街の通りを感じたかった。自分をそこに捕まえておいてくれる建物を感じたかった。朝、自宅のペントハウスで目覚めて、地上の自動車が行きかう騒音のくぐもったようなうなりを耳にすると、その響きはドミニクにとって屈辱だった。なぜ、自分がここにいて、どうしてここにいるのかを、その音は彼女にあらためて思い知らせるから。

ドミニクは窓辺に立つ。両腕を広げ、窓枠の両端をつかむ。そうすると、まるでマンハッタンのひとかけらをつかんでいるような感じになる。彼女の両手の間のガラスの向こうには、くっきりと輪郭の浮かび上がった通りやビルの屋根が見える。

ドミニクは長い散歩に出かける。古いコートのポケットに手をつっこみ、襟を立て早足に歩く。あの男に会えるなんて期待していないわ、とドミニクは自分自身に言う。ドミニクは、あの男を探していたわけではない。なのにドミニクは街中を歩かないではいられない。ぼんやりと、目的もなく、何時間も。

ドミニクは、マンハッタンの街路などはいつも嫌いだった。なのに、今の彼女は自分とすれ違い流れていく人波を縫いながら、人々の顔を確かめている。

恐怖によって似たりよったりの顔、顔、顔だ。人々の共通の特徴としての恐怖だ。自分自身に対する恐怖、お互いへの恐怖、全ての人間への恐怖だ。恐怖は、人々が出会う人間をして、人々にとって神聖なるものとして保持されているものを見境なく襲撃するような真似をさせてしまう。そんな恐怖は、いったいどこから生まれるのかドミニクにはわからない。そのような恐怖の本質をドミニクは定義できない。

しかし、いつでも、そういう恐怖が存在することだけは感じていた。だから、ドミニクは、ただひとつだけの情熱の中で自分を清潔に自由に保ってきた。つまり、何にも触れないこと。関わらないこと。ドミニクは街を歩きながら、行きかう人々の顔を見るのが好きだった。人々の抱えている憎悪の無能さが好きだった。なんとなれば、彼女自身は傷つけられるような何物も彼らに提供しないのだから。だからドミニクは無敵だった。

しかし、今は、ドミニクは無敵ではない。もうドミニクは自由ではない。今では、街を歩く一歩一歩でさえドミニクを傷つける。彼女はあの男に結びついているから。あの男は、ニューヨークの街のあらゆる場所に結びついているから。

あの男は、名もない仕事をする名もない労働者だ。あの男は、この街を行き交う群集のなかに紛れている。この群集に依存している。この群集の誰かに傷つけられる存在だ。あの男はドミニクだけのものではない。この街全体と共有しなければならない。

ドミニクは、人々が踏む歩道を歩く彼のことを想像するのがいやだ。店員がカウンター越しに彼にタバコの箱を手渡すことを想像するのもいやだ。地下鉄の中で、他人の肘と彼の肘が触れ合うのもいやだ。

こんな思いでいっぱいの散歩をすませ、熱で震えながら、ドミニクはやっと自宅に帰ってくる。次の日になると、またドミニクは出かける。あの男のことを思いながら。

『バナー』社から与えられた休暇が終わったとき、ドミニクは、もう退社するつもりで出社した。すでに仕事もコラムも、ドミニクには面白いものには思えない。だから、ドミニクは彼女を迎えるアルヴァ・スカーレットの真情あふれる歓迎の挨拶を途中で遮った。

「アルヴァ、退社しますと言いに来ただけですから、私は」

アルヴァ・スカーレットは、ドミニクを、あっけにとられて見つめる。

「なぜ?」

それは、ひさしぶりに彼女に届いた外部からの最初の音だった。ドミニクは、いつでもその瞬間その瞬間に感じる衝動に応じて行動してきた。自分がとる行動に意味はなかった。その気まぐれな自由が彼女の誇りだった。

しかし、今、このとき、ドミニクは、「なぜ?」という問いに答えなければ逃れられないような問いに直面しなければならない。ドミニクは思う。あの男のせいだわ。私は、今、あの男に自分の人生の道筋を変えさせようとしている。それもいいわ。それもまた、あの男から受ける冒涜なのだわ。

ドミニクは、あの男が森の小道で微笑んでいたように、微笑んでいるのが目に浮かぶ。私は選択しない。私がどちらの道をとるかは強制されて決められる。あの男が私に仕事をやめさせたいと望むならば、この仕事をやめてもいい。私の人生を変えさせないために、あの男への挑戦のために、私はもうこの仕事が嫌いではあるけれども、ここに残ってもいい。後者のほうが、より困難だった。

ドミニクは頭を上げて、言う。

「アルヴァ、冗談です。あなたが、どう言うか試してみたかっただけです。辞めたりなんかしません、私」

仕事に復帰して数日が経過した頃、エルスワース・トゥーイーが、ドミニクの仕事場に入ってきた。

「やあ、ドミニク。君が戻ってきたと聞きましてね」

「こんにちは、エルスワース」

「嬉しいですよ。なぜか、私はいつも、君が理由もなく、ある朝になったら私たちを置いて去っていってしまうのではないかという感じが抜けないのです」

「エルスワース、それは単なる感じ?それとも、あなたのご希望?」

トゥーイーはドミニクを見つめている。いつものごとく優しい目だし、魅力的な微笑だ。しかし、その魅力には自嘲の色合いがある。まるで、ドミニクが自分のことを認めてはいないことを、ちゃんと知っているかのようだ。しかし、確信の色合いもある。トゥーイーは、自分は優しく見えるし同時に魅力的にも見えるということを、見せびらかしているようでもある。

「だって君もわかっているでしょう、ここは君には適してないから。君は、ずっとここには、ふさわしくなかったし、今もふさわしくないですからね」

「ええ、私は、ここに適応していませんわね、エルスワース。私が適応するなんて、ありえませんもの」

「もちろんですね。そこで私は問うとしましょう、君は何に適応するのかと?適応していない人々にも彼らなりの使い方があります。それは適応している人々と同じことです。どちらも使えます。どちらにしても、私は、いつでも君の賛美者でしたし、これからもそうです」

「お世辞をおっしゃる必要はありませんわ」

「ドミニク、私たちが敵同士だなんて私は思いませんよ」

「いやですわ、エルスワース、私たちが敵同士になるなんて。あなたは、私がお会いした方々の中でも最高に快適な方ですもの」

「もちろんですね」

「私が言った意味でかしら?」

「君が思うどんな意味にせよ、です」

ドミニクの前の机の上には、日曜版の『クロニクル』紙のグラビアページが載っている。エンライト・ハウスの完成予想図を載せたページを表にして折りたたまれている。それを取り上げたドミニクはトゥーイーに手渡す。ドミニクの目は暗黙の問いを発している。彼女の目は細められて完成予想図へと戻される。

「エンライト・ハウスですか・・・自分への侮辱だと誰もが思うくらいに、すさまじく独創的ですねえ」

「エルスワース、これを設計した人物は自殺するべきだったと私は思います。こんな美しいものを考え出すことができる人間は、これが建築されることなど許してはいけなかったのよ。こんな美しいものが存在することを望んではいけなかったのよ、この人は。でも、この人は、それが建てられるのを許してしまう。で、この建物が建てられると、女たちは、その人が設計したテラスにオムツを干す。で、男たちは、その人が設計した階段につばを吐く。壁には、猥褻な絵を飾る。その人は、その建物を人々に差し出してしまったのですもの、しかたないわ。その建物を人々の一部にしてしまったのですもの。あらゆるものの一部にしてしまったのですもの。この人は、こんな美しい建物を提供すべきではなかったのよ。この建物を見るあなたのような人々のためになんて。この建物についてあれこれ評するあなたのような人々のためになんて。この人は、自分自身の作品を冒涜することになってしまった。この人は神聖なるものを冒涜することになってしまった。こんな美しいものを生み出せた人間ならば、こんな世の中に生き続けることなど、とうていできやしませんわ」

「君は、この建物についてコラムに書きますか?」

「まさか。それでは、この建築家の犯した罪を反復することになるでしょう?」

「そうですか・・・ドミニク、近いうちに夕食でもいっしょにどうですか?君ったら、私に君のことを、たっぷり見学させてくれないですからねえ」

「いいですわよ、エルスワース。いつでもお好きなときに」

(第2部16 超訳おわり)

(超訳おわり)

ドミニクがマンハッタンの街をさまよう描写はうまい。

アイン・ランドが30代で書いた小説なので、恋愛描写は瑞々しい。

ドミニクは、エンライト・ハウスの設計者が「あの男」であることを知らない。

それを知らないままに、「こんな美しい建物を設計できるような人間は、こんな汚い低俗な世の中では生きていけないでしょう」などと、エルスワース・トゥーイーに言っている。

エルスワース・トゥーイーもドミニクのことは好きなので、いつもの非常に嫌ったらしい皮肉などの毒は、ドミニクには向けていない。

今のところは……

じわじわと面白さを予感させる展開である。

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