第2部(15) (捏造された?)天才女性作家ロイス・クック

「・・・あごの中の歯ブラシ歯ブラシブラシブラシ歯あご泡泡でできたドームローマ式ドーム家に帰ってきてあごの中の家にローマドーム歯歯ブラシ歯をせせるのは歯のピックすりはピックポケットソケットロケット」

その本を離してみると視線は焦点が合わない。ピーター・キーティングは目を細くして、その本を横目で見る。しかし、とうとうその本を読むのをやめる。その本は薄くて黒い。表紙には赤い文字で『ロイス・クック著・雲とかたびら』と書かれてある。表紙が言うには、この本は、クック嬢の世界旅行記なのである。

トゥーイーは言ったものだ。「それは単にそうあるだけなのです。音としての音。言葉としての言葉の詩。文体というものに対する反乱としての文体。ただ最高に繊細なる精神だけが、それを鑑賞できるのですよ、ピーター」と。

実に不可解な文章にも成っていないような文を書き連ねるロイス・クックという女性作家は、非常に高く評価されつつある。エルスワース・トゥーイーのようなオピニオン・リーダーが賞賛する作家なのだから、この作家の書くことには深遠な意味があるのであろう。単に理解できるようなことを書く作家は才能が豊かとは言えないのだろう。キーティングは、そのような作家の著書を読む自分に誇りを感じる。

キーティングは、エルスワース・トゥーイーの紹介で、このロイス・クックの新しい自宅を設計することになった。それで、今、彼女の自宅を訪問している。

ロイス・クックは居間の真ん中あたりの床の上に座り込んでいる。両脚をトルコ式というかあぐらを組むように交差させ、むきだしの大きな膝小僧をさらけ出している。灰色の靴下が、きついガーターのあたりまで巻き上げられている。色あせたピンク色のズロースがちらりと見える。

ピーター・キーティングは、紫色のサテンでできた寝椅子の端っこに腰掛けている。キーティングは、いまだかつて、顧客との最初の面談で、こんな居心地の悪い思いをしたことはなかった。

ロイス・クックは37歳だ。しかし、彼女は公でも私的な会話でも、自分は64歳だと言い張ってきた。それは、気まぐれな冗談として繰り返されてきたのだが、その冗談は次第に、ロイス・クックは永遠に若いという漠然とした印象を生み出すようになった。

彼女は長身で、潤いがなく、肩幅が狭く、腰の幅は広い。長い血色の悪い顔をしている。目は真ん中に寄っている。髪は、耳の辺りまで脂じみた房となってぶら下がっている。指の爪は割れている。きちんとした身づくろいと同じくらい念入りに吟味された「だらしのなさ」だ。そのだらしのなさのために、彼女は人の気分を害するほど、粗野に見える。

うずくまり前後に体をゆらしながら、ロイス・クックは絶え間なくしゃべる。

「・・・そう、バウァリ街。私的な住居。バウァリ街の神殿。土地はあるの。欲しかったから買った。それぐらいに簡単。それか、うちの馬鹿な弁護士が私の変わりに買ったのかな。あなた、うちの弁護士に会って。あの人ね、口が臭い。費用がいくらかわからない。だけど、そんなこと非本質的。金なんて陳腐。キャベツも陳腐。三階建てで、タイル張りの床の居間」

「クックさん、僕は『雲とかたびら』を拝読いたしました。あの御著書は、僕にとって霊的啓示でした。あなたが、徒手空拳で達成しようとしていることの勇気と意義を理解する少数の人間の仲間に僕を入れて下さいませんか・・・」

「もう、下らないことは言いっこなし」と、ロイス・クックは言い、キーティングにウインクする。

「しかし、僕は本気です!」と、キーティングは怒ってきっぱり言う。

「僕はあなたの御本が好きです。僕は・・・」

「誰からも理解されるなんて、あまりにも陳腐」と、ロイス・クックは物憂げに言う。

「しかし、トゥーイーさんがおっしゃったのですが・・・」

「ああ、トゥーイー氏ね・・・」

今や、ロイス・クックの目は油断怠りなく、尊大に悪いことをしているという趣である。何がしか卑劣で小さな冗談を飛ばした子どもの目に似ている。

「私は、トゥーイー氏が非常に関心を持っている若い作家ばかりの小さな集団の会長」

「あなたが?それは、面白いですね!トゥーイーさんは、若い建築家の小さな集団も、いっしょに作るおつもりです。その集団の会長に僕をとご親切にもあの方は考えてくださっています」

「へえ・・・我々のひとりに?」と、ロイス・クックは目配せをする。

「誰のですって?我々って誰のことですか?」

キーティングは、自分が質問したことの意味をわかっていない。しかし、自分の答えが彼女を何らかの意味で、がっかりさせたことぐらいは、わかる。

ロイス・クックは大声で笑い出す。わざとらしく笑いながら、無作法なほどに大声で笑いながら、しかし決して陽気ではなく笑いながら、彼女は、キーティングの顔をまじまじと見上げている。

「何なのですか?どうしたのですか、クックさん?」

キーティングは不快さを自制する。

「ほんとうに、もう!あなたって、すごく、すごくいい人で、すごく可愛い!」

「トゥーイーさんは立派な方です。僕がいままでお会いした方の中でも、あの方は、最高に気高い人格の持ち主で・・・」

「うん、そう。トゥーイー氏は素晴らしい人物」

ロイス・クックの声は、話し方が省略気味で手抜き傾向が強いので、奇妙に響く。トゥーイーを褒めてはいるが、その言い方には明らかにトゥーイーへの敬意がない。

「私の親友。この世で最高に素晴らしい人物。この世の中があり、トゥーイー氏がいる。自然の法則。そのうえ、すごく楽しく韻が踏める。考えてみて。トゥーイー、ねばっこーいー、ばっかみたーいー、とんちきーいー。だけど、あの人は聖人。めったにない。天才みたいに、めったにない。私は天才。窓のない居間が欲しい。全然、窓はいらない。設計図描くとき、ちゃんと覚えといて。窓はなし、タイル張りの床、黒い天井。電気は無用。私の家に電気は無用。灯油ランプだけ。煙突と蝋燭と灯油ランプ。トーマス・エジソンなんてくそ食らえ!ともかく、あいつが何だっていうの?」

ロイス・クックの言葉は、彼女の微笑に比べれば、キーティングには耐えやすい。彼女の微笑は、微笑というようなものではない。それは、彼女の大きな口の角に浮かぶ永遠の作り笑いだ。その作り笑いのために、彼女は陰険で邪悪な子鬼に見える。

「キーティング、それからね、私の家は醜くあって欲しい。とてつもなく醜く。ニューヨークで一番醜い家であって欲しい」

「一番醜い家・・・ですか?」

「男前さん、美しいものなんて陳腐なの!」

「はあ、しかし・・・しかし、僕は・・・あの、どうやったら、そんなこと僕にできるか、わかりませんが・・・」

「キーティング!みんな、やたら懸命に努力して、闘って苦しむ。美を手に入れるためにね。美しさにおいて人より抜きんでようとしてね。そんなものみな乗り越えよう!そんな連中の顔には汗をかけてやろう!一撃で破壊しよう!異教の神々になろう!醜くなろう!」

結局、キーティングは、その仕事を引き受け、設計料を得た。数週間も経てば、彼はもう不安を感じることもなくなった。彼が新規の仕事について語ればどこでも、ちゃんと尊敬に満ちた関心は払ってもらえる。なにしろ、ロイス・クックの名前は、キーティングがパーティなどで訪問する豪邸の客間に集まるような人々の中でも、よく知られている。彼女の著作は、その名を口にする人間の知的王冠のダイアモンドのように、会話の中で煌(きらめ)いている。彼女の本を読むことは、教養ある階級の条件になりつつあった。いつのまにか、そうなっていた。

本が売れない作家にとって、ロイス・クックの名前は奇妙なほど有名で名誉に輝いて見える。ロイス・クックは、知性と反乱の前衛というものの基準を示す存在である。ただ、売れない作家たちがいくら考えても、彼女の抵抗や反乱というものが、いったい何に抗うものなのか全然わからない。

キーティングは、ロイス・クックが望むままに、彼女の家を設計した。三階建ての大きな屋敷である。一部は大理石、一部は漆喰(しっくい)である。悪鬼像やガーゴイルや馬車についているランタンなどをいっぱいに使って装飾されている。どこかの遊園地の建物みたいだ。

ロイス・クックの屋敷の完成予想図は、それまでにキーティングが手がけたどんな設計よりも出版物に掲載された。コスモ=スロトニック社のビルだけは例外にして。

ある批評家は、次のような意見を開陳した。

「ピーター・キーティングは、大企業の融通の利かないお偉方に気に入るコツを熟知している頭のいい若者以上の存在でありうる、という将来性を示した。ロイス・クックという顧客に応じて、彼はあえて知的実験という領域に乗り込んだのである」と。

トゥーイーはロイス・クックの屋敷を「宇宙的冗談」と語った。

しかし、奇妙な感覚がキーティングの心に残った。後味の悪さという感覚である。この感覚の質が何なのかは、キーティングにはわからない。しかし、その感覚の一部は、恥の感覚だということだけは、彼にもわかる。

一度だけ、キーティングは、エルスワース・トゥーイーにこの感覚について打ち明けた。トゥーイーは、謎のような答えをキーティングに与えた。

「ピーター、それはいいことですね。人間、自分自身が重要だという誇張した感覚を獲得することなど、決して自分に許してはいけません。絶対的なものを自己に課す必要はないのです」

(第2部15 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションで登場する女性作家にはモデルがある。

ガートルード・スタイン(Gertrude Stein: 1874-1946)が、この女性作家のモデルである。

ドイツ系ユダヤ人家庭に生まれて、兄が投資家として大成功したので、生涯、兄の資産のおかげで暮らし、パリに自宅を構えた。その自宅が、若い文化人や知識人のサロンになった。

自身も作家や詩人として成功した。この肖像画の画像は、ピカソが描いた。ピカソもスタインのサロンの常連であった。行けば食わせて飲ませて喋らせてくれたのだろう。

スタインは一時期は一世を風靡した作家だが、今は特に研究されてもいないし、読まれてもいないが。

アイン・ランドのように、文学作品は読者に伝えたい理想や思想を効果的に描く媒体と考えている作家からすると、ガートルード・スタインのような作家は、けしからんのである。

スタインは、珍奇さや斬新さだけで持て囃されることのみ求める知的虚栄心の権化と見えたのだ、ランドにとっては。

ほんとに、スタインはこのセクションの冒頭に出てくるような、意味不明の言葉を連ねた詩を書いて注目された。

「意味に呪縛される文学を解放する試み」として。

この小説において、このロイス・クックは、エルスワース・トゥーイーの勢力が捏造した天才女性作家である。

ロイス・クックも承知している。「我々の目的を達成するために」人々をして意味を求める行為を捨てさせなくてはいけない。人類牧畜化のためには、意味や理想を求める文学は無用である。

この小説において、世論や時代の精神風土を操作するために、ある特定の作家たちをメディアが持て囃して流通させる事例として、ロイス・クックは挙げられている。

アメリカでは、こういう陰謀論的発想はよくされる。

ノーベル文学賞受賞作家は、故意に、毒にも薬にもならない文学者が選ばれるものであるというのが常識的理解である。

つまり、どんな作家や作品が受賞したりするかは、政治が決めるという発想である。

一般市民の認識を真に広げるような文学は排除されて、現行の文化体制や政治体制を補強強化する文学が選ばれて、流通されるという発想である。

ロイス・クックのような意味不明のわけのわからないものがすごい文学として賞賛されれば、真実を明らかにし真理を伝える言語活動としての文学は評価されなくなり、そういう文学を求めることが知的活動とはされなくなる。

トゥーイーの勢力は、それを狙うために、ロイス・クックのような「天才作家」を捏造する。

急にどういうわけか、ある作家なり文化人や言論人がメディアでの露出が多くなるときは、背後に政治がある。

というのが、アイン・ランドの前提である。

私もそう思う。

大学院で古典として読まれ続けている文学作品のかなりは、現行の政治システムの維持と強化を目的とする文化的洗脳装置であるよ、ほんと。

そして、そのカラクリを疑わないキーティングのような人々も多いのだ。

自分の感覚ではなく、世評を信じる人間は多いのだ。

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