ピーター・キーティングが事務所に入るとき、玄関ドアの開く音は、トランペットのように響く。高らかに鳴り響く。ドアは、まるで前方に飛びように開く。ある男が近づくと、ひとりでに開くかのようにドアは開く。ドアというドアの全てが、その男の前では、そのような調子で開くと決まっているがごとく。
事務所でのキーティングの一日は、新聞読みで始まる。新聞は机の上で何紙も秘書によって重ねられ積み上げられ、読み手を待っている。コスモ=スロトニック社ビルの出来上がり進行や自分の事務所であるフランコン&キーティング建築設計事務所に関する記事がどこかに載っていないかを見るのが、キーティングは好きだ。
今朝は、どこにも載っていない。キーティングは眉をしかめる。しかし、エルスワース・トゥーイーに関する記事がある。ある高名な博愛主義者が死亡して、あちこちに遺産を遺した。その遺産の総額に比較すれば、つつましい額でしかないとはいえ、この博愛主義者は、10万ドルをエルスワース・トゥーイーに残した。
「わが友であり、わが霊的指導者へ—-彼の高貴なる心と人間に対する真の献身への感謝の意として」という遺言とともに。エルスワース・トゥーイーは、その遺産を受け入れたが、それを、そっくりそのまま、「社会研究所」というニューヨークにある進歩的な教育機関に寄付した。
キーティングは、いつものうずくような困惑を感じながら思う。僕は今をときめくオピニオン・リーダーのエルスワース・トゥーイーにまだ会うことができないと。
例のコスモ=スロトニック社ビルの設計コンテストの授賞式が終わってすぐに、審査員のひとりであったトゥーイーは講演旅行に出発してしまった。キーティングが出席したいくつかの華やかな会合やパーティにトゥーイーは欠席していた。それらの催しは、彼が会いたくてたまらないひとりの人物の不在のまま開催されてきた。
ともかくずっとトゥーイーのコラムに、キーティングの名前が出ることはなかった。『バナー』のトゥーイーの人気連載コラム「小さき声」を、キーティングは、毎朝、今回こそはと期待しながら見る。しかし、今日もあてがはずれた。
キーティングは、『バナー』を机の上に落とす。椅子から立ち上がり、意地の悪い不機嫌な気分で部屋中を大股で歩き回る。今、彼はやっかいな問題に対面しなくてはならないからだ。その問題に直面することは、ここ何日も延期してきたことだった。それは、コスモ=スロトニック社ビルに置く彫刻の選択に関する問題だった。
何ヶ月も前に、コスモ=スロトニック社ビルのメイン・ロビーに立つ「産業」という題の巨像の製作者として、スティーヴン・マロリーという人物が選ばれた。賞金もすでに渡されていた。しかし、その受賞は、キーティングには解せないことだった。
キーティングは、このマロリーという若い彫刻家が嫌いだった。マロリーの目は、火がすっかり消えてしまっていないまま残された黒い穴のようだ。マロリーは一度も笑わなかった。彼は24歳で、一度個展を開いたことがあったが、作品がよく売れているというわけではなかった。彼の作品は、奇妙で、かつあまりに暴力的だった。
キーティングは、トゥーイーが随分前に「小さき声」に書いていたことを思い出す。「神がこの宇宙と人間の形というものを創造したという仮説が存在しなければ、マロリー氏が制作する人間像は、非常に素晴らしいものだったろう。もし、マロリー氏がその仕事に身を委ねたならば、おそらく、全知全能の神よりも、彼はうまく事をなしたのかもしれない。彼が人間の肉体を形象するものとして、石の中に排泄しているものから我々が判断する限りは、そうである。でないとするならば、彼はいったい何を創造しているつもりであろうか?」
キーティングは、スロトニック氏がロビーに設置する彫刻の製作者としてマロリーを選んだことに困惑した。スロトニック氏と懇意の某スター女優が、スティーヴン・マロリーと、グリニッジ・ヴィレッジの同じ安アパートに住んでいたことがあった。スロトニック氏は、当座はスター女優のマロリー推薦に反対できなかった。で、マロリーが選ばれた。
マロリーは制作にかかり、「産業」と題された像の模型を提出した。キーティングからすれば、その像は廃棄物そのままに見えた。自分が設計したロビーの整然とした優雅さにまったく似合わないガラクタに見えた。
それは、ひとりの男のほっそりとした裸像であった。戦艦の鋼鉄の板でも、どんな障壁でも、突き破ることができそうに見える男の裸像であった。その像は、ひとつの挑戦のように屹立していた。それは、人の目に不思議な強い印象を残す裸像であった。その周囲にいる人々を、常よりも矮小に悲しく見せるような裸像であった。その像を見たとき、キーティングは人生で初めて、「英雄的な」という形容詞の意味するものが理解できたような気がした。
しかし、その場ではキーティングは何も言わなかった。その模型は、スロトニック氏に送られたが、多くの人々の不興を買った。彼らはキーティングが感じたことと同じことを口にした。
それでスロトニック氏は、キーティングに他の彫刻家を選ぶよう依頼したのだ。スロトニック氏は、この件について、全てキーティングに丸投げした。
キーティングは、肘掛け椅子にだらしなくすわり、椅子の背にもたれ、舌打ちを繰り返す。彼は迷っている。コスモ社の社長の妻であるシュップ夫人の友人である彫刻家のブロンソンに制作費を託すべきか?もしくは、パーマーに託すべきか。パーマーというのは、5百万ドルかけた化粧品会社の新工場の建設を計画しているヒューズビィ氏から推薦された人物である。
キーティングは、このように決断に躊躇しているのが好きだ。なにしろ、彼はふたりの人間の運命を手にしているのだから。その他の才能ある彫刻家たちの運命も手にしているのだから。彼らの運命、彼らの仕事、彼らの希望、それから多分彼らの胃の中の食べ物の総量までがキーティングの手の中にある。どんな理由にせよ、彼は好きなように選ぶことができる。決定権は僕にある。僕は偉大な人間なわけだ・・・
ささやかなる支配欲の陶酔に浸っていたそのとき、キーティングは、ある封書に気がついた。それは、机の上の手紙の束の一番上に乗っている。飾り気のない薄い幅の狭い封筒だ。片隅に『バナー』の小さな活字が印刷されている。キーティングは急いでその封筒に手を伸ばす。
手紙は入っていなかった。そのかわりに、明日の『バナー』の記事の校正刷りが一枚入っている。それは、おなじみのエルスワース・トゥーイーによるコラム「小さき声」の校正刷りだ。コラム名の下には、副題として大きな文字で、スペースを一字ずつあけた文字で、ただ一語、「キーティング」と印刷されている。ただ一語の、その単純さゆえに、その一語は騒々しく目立つ。それは一語だけなのに、まるで祝砲か喝采(かっさい)のようである。
キーティングは、その校正刷りをうっかり落としてしまったが、すぐに掴み、読む。書かれてある文章をまとめて、よく噛まずに飲み込むように読むので息が詰まる。手の中でその校正刷りの記事が震えている。キーティングの額の皮膚に緊張したピンク色の斑点が浮かび上がる。トゥーイーは、こう書いていた。
「偉大さというのは誇張である。偉大さというものは、空虚という必然的結果を、たちまちに含んでしまう膨れ上がったおもちゃの風船を思い浮かべはしないか?しかしながら、偉大さという言葉によって、我々がぼんやりとではあるが想定するものに近いもの、輝かしくもそれに近いものが到来する約束を知る機会もある。そのような約束は、ピーター・キーティングという名前の一介の若者の人となりのなかに、我々の建築学的地平の上に現れつつある」
「我々は、その若者が設計した、かの卓越したコスモ=スロトニック社ビルのことを、これまで何度も耳にしたことがある。ここで、あらためて、この建物の内奥にあるものに目をやってみよう。その建物に刻印された人格の所有者たる人間を見つめてみようではないか」
「実は、あのビルには刻印されるべき人格というものはない。わが友人諸君よ、この点においてこそ、人格の偉大さというものが存在するのだ。それは無私の若き魂である。すべてのことを吸収し、吸収したものを、今度は、それらが拠って来る世界に還流させる魂である。それ自身の才能の穏やかなる輝きによって豊饒(ほうじょう)さを加えられている魂である」
「かくして、あるひとりの人物が、孤独な奇形ではなく、すべての人間がともにある最大多数というものを表現するために到来したのである。物事の良し悪しの識別ができる才に恵まれた人々ならば、ピーター・キーティングがコスモ=スロトニック社ビルの形で我々に伝えるメッセージを理解することができる」
「単純で質量に満ちた地下の三層は、社会の全てを支える我ら多数の労働者階級を表現している。太陽に向かうガラスを提供する同一の形の窓の列は、光を求める一般の人々の魂である。同胞愛、兄弟愛という一律性の中にある数え切れないほどの無名の人々の魂が光を求めているのを表現している。地下の各階にある堅固な土台から立ち上がり、コリント様式の柱頭の人をわくわくさせるような活気あるたたずまいへと開花する優雅な柱の形は、文化という花である。一般大衆という豊かな土壌に根ざして咲き誇る文化という花である」
「繊細なる才能の破壊にしか貢献しない悪鬼として批評家を考える方々への答えとして、このコラムはピーター・キーティングに感謝を捧げたい。彼は、我々批評家に稀に見る(ほんとうにめったにない!)機会を、我々の真の使命を果たす喜びを証明する機会を与えてくれたのだから。その使命とは、若き才能を発見することである。もし、ピーター・キーティングがこの文を読む機会が万が一あったとしたら、我々批評家は、彼からの謝意を受け取るわけにはいかない。なんとなれば、その謝意とは、我々こそが示すべきものだからである」
絶賛であった。
キーティングは、この記事を3回繰り返して読んだ。それでやっとこの校正抜き刷りの記事のタイトルそばの余白に書かれた文字が眼に入った。それは赤鉛筆で書かれた数行の文字だった。
「親愛なるピーター・キーティングヘ。近日中にでも私の仕事場にお立ち寄りください。あなたがどんな人物か存じ上げたいのです。E・M・Tより」
キーティングは、その切抜きを机の上にはらはらと落とす。指を髪の間につっこみながら、一種の幸福な恍惚状態で、その切抜きを見下ろして立っている。それから、壁に飾られたパルテノン神殿とルーブル博物館の巨大な写真の間に貼られたコスモ=スロトニック社ビルの完成予想図に向かって頭をめぐらす。そのビルの柱の形を見る。キーティングは、「一般大衆から育ち花開く文化」として、それらの柱を考えたことは一度もない。でも、エルスワース・トゥーイーのような著名な言論人がそう考えたいのならば、それはそれで大歓迎である。
そのあと、キーティングは受話器を掴んだ。エルスワース・トゥーイーの秘書の高い抑揚のない声と話した。翌日の午後の4時半にトゥーイーに会う予約を入れた。
(第2部11 超訳おわり)
(訳者コメント)
ここの第2部のタイトルは、「エルスワース・トゥーイー」なので、このオピニオン・リーダーで「時代の良心」と賞賛される言論人がよく登場する。
訳していると、実にムカツク登場人物である。
マスコミが賞賛したり、TVにやたら登場する類の言論人にろくなのはいないが、一般大衆は彼らや彼女たちの意見を自分の意見と思い込む。
というより、こーいう大衆洗脳担当文化人は、大衆に受けがいいことしか言わない。
物語がもっと進行するとハッキリしてくるが、エルスワース・トゥーイーは、確信犯的に世論をある方向に誘導する。
コラムで絶賛される人々や事柄は、彼と彼の仲間たちの目的の遂行に邪魔にならない類の人々であり事柄である。
ピーター・キーティングは、エルスワース・トゥーイーのお眼鏡にかなったのだ。
エルスワース・トゥーイーが肯定的に評価する建築物、文学作品、事柄は、人々の見識や美意識や価値観を高めることがいっさいない。
人々がありのままの自分でいいんだと安心して弛緩できる世の中を作ることを、エルスワース・トゥーイーは意図している。
それはなぜか。
人民が聡明に自分の向上心を発揮するような世の中であっては、エルスワース・トゥーイーと、その仲間にとっては都合が悪いから。
彼らの目的は、人民を効率よく管理できる人類牧場のような社会の構築である。そのような社会の方が人類の福祉に貢献すると、彼らは信じている。
だから、ピーター・キーティングのような凡庸な建築家を絶賛する。
人々の見識や価値観を混乱させるために。
このセクションに初めて登場する彫刻家スティーヴン・マロリーは、後になってから非常に重要な登場人物となる。
キーティングもエルスワース・トゥーイーも、マロリーの彫刻作品に対して否定的評価をするが、マロリーのような人間像を製作する彫刻家は、邪魔なのである。
人間性の中にある永遠の英雄的なるものを表現するマロリーという彫刻家を理解できないキーティングは、エルスワース・トゥーイーにとって、実に利用しやすい使役しやすいカモである。
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遂に現れたか…トゥーイー
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トゥーイーのカモがキーティングですね〜〜
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