第2部(6) 誘惑に失敗するドミニク

ドミニクは、その晩、別荘管理人夫妻に残っていてくれるように頼んだ。この夫妻のおずおずと遠慮がちに控えている姿は、ドミニクの別荘を封建領主の城そっくりに見せる。

午後7時に召使用の出入り口のベルが鳴るのが聞こえた。老婦人が、あの男を広々とした玄関ホールに案内してくる。ドミニクは、そのホールから始まる豪華な階段の踊り場に立っている。

ドミニクは、自分を見上げながら近寄ってくるその男を見つめている。ドミニクの姿勢は、入念に計算された故意にとった姿勢である。その男がいぶかしく思うほどに、たっぷりと長くドミニクはその姿勢をとっている。その男が、そのことを確信したその瞬間に、彼女はその姿勢を崩し、「こんばんは」と言った。その声は飾り気なく静かだった。

その男は挨拶を返さない。ただ会釈しただけだ。男はドミニクの立っている場所に向かって階段を上がってくる。作業衣を着て、工具の入った鞄を提げている。その男の身のこなしは、そこには似合わない。彼女の別荘には似合わない。磨きぬかれた階段や、凝った厳(いか)めしい造りの手すりには似合わない。

その男の身のこなしは機敏だ。ある種の寛(くつろ)いだ活力を発散している。ドミニクは、その男が自分の別荘において不恰好にも釣り合わないように見えるだろうと期待していた。ところが、その男の周りで不恰好にも釣り合わないのは、この別荘の方だった。

ドミニクは片手を動かし、寝室のドアを示す。男はごく普通に彼女の後に続く。寝室の中に入っても、その男は部屋の内部について気にも留めていないようだ。作業場に入るような調子で入ってくる。まっすぐに暖炉まで歩いて行く。

「そこにあるでしょ」と、ドミニクは大理石板を指差しながら言う。

男は何も言わない。膝をつき、鞄から細い金属製のくさびを取り出し、大理石板の裂け目にその先端をあてる。それからハンマーを取り一撃する。大理石は長く深く裂けて割れる。

男はドミニクをちらりと見上げる。それは、ドミニクが恐れていたまなざしだ。答えようにも答えることができないまなざしだ。それも嘲笑のまなざしだ。その笑いは目に見えるものではなく、単に感じられるものだったけれども。

男が言う。

「さ、壊れた。取り替えなくてはなりませんね」

ドミニクは、平静に訊ねる。

「これがどの種の大理石で、これと同じようなものをどこで注文したらいいか、あなたはご存知かしら?」

「知っていますよ、フランコンのお嬢さん」

「じゃあ、そうして。これは取り外して」

「はい、お嬢さん」

ドミニクは男を見つめながら立っている。大理石板の取り外し作業の技術的工程を見つめるのは馬鹿げてはいる。なのに、そのことをするのは必然的で重要なのだと、今のドミニクは感じている。そう感じるのは不思議だった。まるで、その男はドミニクのその行為を手助けしてくれているかのようでもある。それから、ドミニクは、今ふたりがいる自分の寝室を見るのが怖いと自分が思っていることに気がつく。彼女は自分の頭をしゃんと上げる。

鏡台の棚が見える。その棚の細い緑色のサテンのリボンのようなガラスの縁が、薄暗い中に浮かんでいる。クリスタルの化粧品の容器も見える。寝室用の白いスリッパも見える。鏡台の側の床には薄いブルーのタオルが敷いてある。一脚の椅子の肘かけにストッキングが脱ぎ捨てられている。ベッドの上の白いサテンのカバーも見える。

男のシャツには、石埃の湿った染みや灰色の汚れがついている。その埃は、男の両腕に汚れの縞を作っている。ドミニクは寝室のあらゆるものが、その男に触れられたかのように感じる。まるで空気が水の重いプールとなり、そのプールの中に寝室のあらゆるものがいっしょに沈んでしまう。そんな感覚だ。その男に触れた水が、男に触れたその感触をそのままを自分に伝え、寝室のあらゆるものに伝えるような、そんな感覚がドミニクを襲う。

ドミニクは、男に自分を見上げてもらいたい。しかし、男は頭を上げず作業に集中している。ドミニクは男に近寄る。男を近くに見おろす位置に黙って立つ。

これほど、男に接近したことはなかった。ドミニクは、男の首の後ろのなめらかな肌を見おろす。男の髪の一筋一筋が判別できる。目をもっと降ろすと、男の履いているサンダルの端が見える。それは、そこにある。床の上にある。男の体から3センチほど離れたところにある。男に触れようとすれば、ほんの少し動くだけでいい。ほんのわずかに足を動かすだけでいい。ドミニクは後ずさりする。

男は頭を動かしたが、それはドミニクを見上げるためではなく、鞄から別の工具を取り出すためだった。男は、また仕事に集中するために頭を下げる。

ドミニクは声をたてて笑う。男は作業を止め、彼女を一瞥する。

「は?」と、男は訊ねる。

「ああ、ごめんなさい。あなたのことを笑ったんじゃないの。勘違いした?もちろんそうじゃないわ。あなたの邪魔をする気はなかったの。あなたは、早く仕事を終わらせて帰りたいでしょうね。もちろん疲れているでしょうし。私は時間給でお支払いしますから。もっと時間をかけたいのならば、それでもいいのよ。もっと稼ぎたいのならば、いいのよ。話したいこともそれなりにあるでしょうし」

「はい、あります、お嬢さん」

「え?」

「これは、とんでもない暖炉です」

「そう?この家は、父が設計したのよ」

「建築家のお宅ですからね」

「建築家の仕事について議論してもしかたないでしょう」

「しかたないですね、ほんとに」

「じゃあ、他の話題を選びましょうよ」

「はい、お嬢さん」

ドミニクは男から離れ、ベッドの上に腰を下ろす。両腕をベッドにつき、体を両腕にもたれかけさせるようして座る。交差させた両脚の長いまっすぐな脚線を見せつけながらも、両脚をぴったりと揃えている。ドミニクのからだは、両肩からは力をいれずに緩んでいるのに、両脚はきちんと硬く揃えているという点で、ちぐはぐだ。彼女の顔の冷たい厳しさは、彼女の体の姿勢とちぐはぐだ。

ドミニクの姿勢は男を誘惑しているようにも見えるし、拒絶しているようにも見える。しかし、男はそんなことに一向構わずに作業を続ける。作業をしながら、ときどきドミニクを見る。男はドミニクに言われたように話を続けている。今は、こう言っている。

「全く同じ質の大理石を必ず入手してきます。大理石にはいろいろな種類がありますから、見定めるのがとても大事なんです。一般的には、大理石には3種類あります。まず白い大理石。それは石灰岩の再結晶化から生まれます。あと、炭酸カルシウムの化学的堆積物である黒い大理石。それから、主に水和マグネシウム珪酸塩か、蛇(じゃ)紋(もん)石(せき)からできている緑色の大理石があります。こっちの方は、ほんとうは大理石とは認められてはいません。ほんとうの大理石というのは、石灰岩の変形物ですから。熱と圧力によってそうなるのです。圧力っていうのが強力な要素になります。いったん圧力がかけられたら、もう止めることができない結果になります」

「どんな結果?」と、体を前に傾けドミニクは訊ねる。

「石灰岩の各分子の再結晶化と周囲の土壌からの他の要素の浸透です。石灰質以外の他の成分が、ほとんどの大理石に見られる色の縞を作ります。ピンクの大理石というのは、マンガン酸化物が混じっているからです。灰色の大理石は、炭素質の混入から生まれます。黄色い大理石は、鉄のような水和酸化物に原因があります。この暖炉に使われている白い大理石なんですが、白い大理石には、また実に多くの種類があります。だから気をつけなければなりません・・・」

ドミニクは、前かがみに座っている。ぼんやりと黒いうずくまった姿になっている。ドミニクが膝の上に力なくたらした手に、スタンドの光があたっている。手のひらを上に向け、指は半ば閉じている。スタンドの灯りの薄い刃のようなきらめきが、ドミニクの指の一本一本の輪郭をくっきり浮かび上がらせている。彼女のドレスの黒っぽい色合いは、その手をあまりにむきだしに、あまりに美しく見せている。

「・・・つまり、きっかり同じ質の新しい大理石を注文するのを確実にするためには、という意味ですが。たとえば、ヴァーモントの白大理石ほどには石目(いしめ)がきめ細かくないジョージアの白大理石などで代用させるのは、あまりお勧めできません。そのヴァーモントだって、アラバマの白大理石ほどには石目がきめ細かくありません。これは、アラバマの大理石なんです。非常にグレードの高いものです。非常に高価なものです」

男は、ドミニクの手が閉じられ、だらりとたれ下がり、スタンドの灯りが照らしている範囲からは見えなくなったのを目にする。黙って男は作業を続ける。

仕事が終わった。男は頭を上げ、訊ねる。

「どこに、この石を置きましょうか?」

「そこに置いといて。誰かに片付けてもらうわ」

「僕が寸法のあった新しいものを注文して、こちらに代金引換で配達してもらうように手配します。それでいいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。届いたら知らせるわ。おいくらかしら?」ドミニクは、ベッド脇のテーブルの置時計をちらりと見る。

「ええと、仕事していた時間は45分間だから、48セントだわね」ドミニクはバッグに手を伸ばし、1ドル札を取り出し男に手渡す。

「お釣りはとっておいて」と言いながら。

男が紙幣を自分の顔に投げつけるのをドミニクは期待した。しかし、男はそれをポケットに入れ、「ありがとうございます、お嬢さん」と、言っただけだった。

ドミニクのドレスの長い黒い袖が震えている。ぎゅっと閉じた指の上あたりで震えている。それが男には見える。

「おやすみなさい」とドミニクは言う。怒りで声が虚ろだ。

「おやすみなさい、フランコンのお嬢さん」

男は会釈する。男は背を向けて階段を下りていく。邸宅の外に出て行く。

男はドミニクを無視した。ドミニクは男が行為に及んだら手厳しく拒否するつもりであった。しかし、拒否されたのはドミニクのほうだった。

(第2部6 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションのドミニクは矛盾に満ちてる。

ドミニクは採石場の労働者に激しい欲望を感じ、相手も自分に欲望を感じていると分かっている。しかし、自分と相手の間の距離を縮める気はドミニクにはない。

あくまでも、ドミニクは安全地帯にいたい。

しかし、自分で暖炉をぶっ壊して、それを修理させるという口実で、労働者を別荘に入れ、寝室に招き入れている。

その労働者が自分に不埒なことを仕掛ければ、手酷く拒否して侮蔑してやるつもりだったのだが、彼女の予想以上に、その労働者は手強かった。

ドミニクの意図を知りつつ、あくまでも冷静に雇われに労働者に徹して、 無駄口たたかず、仕事を終えればサッサと帰る。

ドミニクは、初めて他人に敗北を感じている。単に女性としての虚栄を見透かされ嘲笑されただけではすまない。

労働者は、豪華で贅沢なドミニクの別荘に入っても気後れすることもなかった。

その労働者の生き生きとした活力と飾り気のない平静さに比較すると、豪華な別荘の方が虚飾に満ちて醜悪だった。

その労働者は、暗にドミニクには突きつけた。そういう贅沢な装置に守られて居丈高になっているドミニクの通俗性や浅はかさを、ドミニクに思い知らせた。

ドミニクはこの世界の俗悪を嫌悪し、自分はその高みにいるつもりかもしれないが、あんたも同じ穴のムジナだよ、とその労働者はドミニクに示唆した。

生まれて初めての敗北にドミニクの心も脳も混乱してしまう。

このセクションも上手いなあ〜〜と感心する。

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