第1部(47)マンハッタン銀行の設計手直しをロークは拒否する

月曜日の午後遅く、ロークの事務所の電話が鳴った。待ちに待っていたマンハッタン銀行役員のヴァイデュラーからの電話だった。

「ロークさん?すぐにお越し願えませんか?電話では申し上げたくないものですから。すぐに、こちらにお越しください」

彼の声は、明るく陽気で、輝かしいほどに良い知らせを予告する響きだった。

ロークは窓の向こうの遠くの塔の時計を見る。その時計にロークは笑いかける。まるで親しき古くからの敵に笑いかけるように。もう、あの時計を必要とすることはないのだ。また自分の時計を持つことができる。街を睥睨(へいげい)する塔の時計の薄い灰色の文字盤に挑戦するように、ロークは頭をぐいと振り上げる。

椅子から立ち上がり、コートを掴む。両肩を中に放り込むような勢いで、コートを着る。筋肉が激しく上下に動くことに、ロークは悦びを感じる。

外の通りに出てから、彼はそんな余裕もないのに、タクシーを止める。

マンハッタン銀行の頭取が、ヴァイデュラーと副頭取を従え、頭取室でロークを待っていた。会長室には長い会議用のテーブルがあり、その上にロークの描いた図面が何枚か広げられている。ロークが入っていくと、ヴァイデュラーが立ち上がり、手を差し伸べながら、彼を迎えに歩いてくる。

吉報は、すでにしてその頭取室の空気の中にあった。その言葉を耳にした瞬間を、ロークは確かにその瞬間があったのか、現実に起きたことなのかと疑った。なぜならば、自分が入室したとたんに、ヴァイデュラーが次のように言ったから。

「やあ、ロークさん、設計料はあなたのものですよ」と。

ロークは頭を下げた。数分の間は、ヴァイデュラーの言葉を信じない方がいい。頭取は、ロークに座るように促しながら、親しみやすい笑顔を浮かべる。ロークは、自分が描いた図面が置いてあるテーブルのそばの椅子に腰掛ける。手は、テーブルの上に置かれている。テーブルの磨きぬかれたマホガニー材が、指の下で温かく生き生きと感じられる。まるで、自分の手を自分の建物に押し付けているような感覚だ。自分が建ててきた中でも一番大きな建物、マンハッタンの中心地に聳(そび)え立つ50階建ての銀行ビルに。

頭取が話し始めた。

「申し上げておかねばなりませんが、このあなたの設計案に関しまして、役員会でも非常に紛糾(ふんきゅう)いたしました。ありがたいことに決着がつきました。役員の中には、あなたのきわめて革新的な案を飲み込めないのもおりましてね。御存知のように、実に愚かな保守的な人間というものがいるものです。しかし、そういう連中も納得する手がありまして、合意に達したわけです。ここにいるヴァイデュラー君が実に奮戦しました」

頭取やヴァイデュラーや副頭取ら3人がかわるがわる様々なことを話している。彼らの言葉は、かろうじてロークの耳に届いている。しかし、すでにして、ロークは、基礎工事の根切り作業を始めるべく堀削(くっさく)機が大地に噛みつくその音を想像していた。まもなくして、頭取がこう言うのが、ロークの耳に入った。

「・・・で、設計はあなたにお任せすることになったわけですが、ひとつ小さな条件があります」

ロークは頭取の顔を見る。

「小さな妥協です。あなたが、それに同意して下されば、すぐに契約書を取り交わすことができます。建物の外観に関する、単なる取るに足りない問題です。あなたがたモダニストの建築家の方々は玄関の体裁というものに、あまり重きをおかないことは、私も承知しております。あなたにとって肝心なのは設計です。それは、まことにごもっともなことです。私どもは、あなたの設計を変更するなどということは、いずれにしても、考えておりません。当銀行の新築ビルにふさわしいものとして、我々の意にかなったのは、まさしく、あなたの設計の論理性ですから。ですから、その点については、お気になさることはありません」

「何をお望みなのでしょうか」

「単にビル正面の玄関に関するささいな変更なのですよ。お見せいたしましょう。当銀行の役員のひとりであるパーカー氏の御子息は建築を学んでおりましてね、で、彼に完成予想図を描いてもらいました。私どもが考えたものをざっと描いてもらったものでしかありませんが。頑強に反対する役員たちに見せるためにね。私どもが申し出た妥協案を具体的に思い浮かべることができませんのでね、彼らは。これなのですよ」

頭取は、テーブルに広げられたロークの図面の下から、一枚の図面を取り出して、ロークに渡す。

その図面に描かれているのは、ロークが設計した建物だ。非常に綺麗に描かれてある。それは確かにロークの建物だ。しかし、その建物の前面には、簡素化されてはいるが、ギリシア式建築でも最古のドーリア様式の屋根つき吹き放ちの柱廊がついている。柱廊の上にはコーニスと呼ばれる突出した水平帯もついている。ロークが考えた装飾にとってかわって、型にはまったギリシア風装飾が描かれている。

ロークは椅子から立ち上がる。立っていなければならない。立ったままでいることに神経を集中させる。そうしていないと、他のことができそうにない。ロークは、片腕をまっすぐ立てて身を支える。手は、テーブルの端をつかんでいる。手首の皮膚の下の腱が見える。

「おわかりになりますか?保守的な役員たちは、ただ、あなたの設計のような奇妙なガランとそっけないビルを受け入れるのを拒否しているだけだったのです。彼らが言うのは、そんなビルは世間の人々が嫌がるだろうということだったのです。ですから、我々は中庸を行くことにしました。このようにね。もちろん、これも伝統的建築ではありません。しかし、これならば、一般の人々には見慣れたものという印象を与えることができます。堅実な安定した威厳ある確かな雰囲気というものが加わりますよ、こうすれば。それこそが、人が銀行というものに求めるものでしょう。銀行には古典様式の柱廊がなければならないという不文律があるようですなあ、どうも。銀行というものは、規則破りや反乱を見せびらかすには、不適切な組織なのですよ。ご存知のように、信頼という実体のない感覚を傷つけるのですな。世間というものは新奇さを嫌います。しかし、これならば、誰をも満足させます。個人的には、私は、この変更案に固執する気はありません。しかし、この変更案があなたの設計をすべて台無しにするとは思えません。この変更は、役員会の決定によるものです。もちろん、私どもは、あなたにこの変更案の通りにやってくれと申しているわけではありません。私どもの総意として参考にしていただいて、ご自分で考え直していただきたい。ビル正面玄関に古典様式を加味していただきたいのです」

それから、ロークの返答が始まった。ロークの声の調子を分類することは難しい。その声が、あまりに平静なのか、あまりに感情的なのか、聞いている者には判別がつかない。この声は、確かに平静なのだろうと、頭取たちは思う。ロークの声自体は、抑揚なく前に進む。強勢もなく色合いもない。すべての音節が機械によって区切られているかのようだ。

今、話している、このロークという人物の態度や振る舞いに異常な点は何もない、と頭取たちは思う。ただ、この人物の右手がテーブルの端を掴んで離さないということと、自分の描いた図面を使わなければならないときは、右手が麻痺しているかのように、左手で動かしているということだけが、尋常でなかった。

ロークは長々と説明する。

なぜこの設計によるビルの正面玄関に古典様式風のものがふさわしくないのか?正直なひとりの人間のように、正直な建物があるとしたら、それは全体性を持った完全なひとつでなければならない。ひとつの理念からできていなければならない。生命の根源を構成するものは何か?あらゆる存在物や生物の中にある理念を構成するものは何か?たとえ、最も小さな部分といえども、その理念に反することがあれば、物も生き物も死ぬのはなぜか?この地上で、善きもの、高きもの、高貴なものは、この統一性を保持するものだけであるのは、いかなる理由か?

これらの問いと答えについて、ロークは長々と説明する。

頭取が、ロークの話を遮る。

「ロークさん、私はあなたに同意します。あなたが、おっしゃっていることに対して反対意見はないのです。しかし、あいにくと、実際に生きていくにあたっては、それほどに非の打ちどころもなく一貫性を保つことなどできません。いつでも、感情という計算不可能な人間的要素というものがつきまといます。私どもは、冷徹な論理と戦う気はありません。この議論は本当は不必要です。私はあなたのお考えに賛成だ。しかし、どうしようもないのですよ。この件は、もう終わりです。それが、役員会の最終的決定でした。常になく延々と議論を重ね、散々考えた末に、こうなったわけです。ご存知のように」

「役員会に僕を出席させてください。僕からお話させていただけませんか」

「申し訳ないです、ロークさん。この件については、役員会は、もうこれ以上の議論はしません。終わったのです。私が、あなたに申し上げられるのは、この条件を飲んで設計料をあなたが受け取るかどうかおっしゃっていただきたいということだけです。これも、申し上げておきますが、役員会は、あなたがこの申し出を拒否なさるかもしれないと考えております。その場合は、他の建築家、ゴードン・L・プレスコットなる人物が、あなたの代わりとして有力候補にあがっております。しかし、私は役員会に言ったのです。あなたがこの申し出を受けると私は確信していると」

頭取は待った。ロークは何も言わない。

「ロークさん、状況をご理解しておられますか?」

「はい」

「で、いかがでしょうか?」

ロークは答えない。

「ロークさん、お引き受けくださいますか、それともお断りになる?」

ロークは、頭を上げる。目を閉じる。

「お断りさせていただきます」

しばらくして、頭取が言う。

「あなたは、ご自分がしていることがわかってらっしゃいますか?」

「はっきりと」と、ロークは答える。

ヴァイデュラーが突然大きな声を立てた。

「何てことだ!設計料がいくらか、あなたわかっていないんじゃないの?あなたは若い。もう、こんなチャンスはないですよ。それに・・・わかった、もういい。まったく何てことだ。あえて言いますがね。あなたはこの仕事が必要でしょう!あなたが、どれだけこの仕事が必要か、僕は知っているんですよ!」

ロークは、テーブルから図面を集め、それらを丸め、腕の下にかかえる。

「全く狂気の沙汰だ!」と、ヴァイデュラーがうめく。

「僕はあなたにやってもらいたい。僕たちは、あなたの設計になるビルが欲しい。あなたは設計料が欲しい。あなたは、そうもこのビルに関して狂信的になる必要がありますか?そうも、無私になる必要があるんですか?」

「何ですって?」と、ロークは信じがたいことを聞いたかのように、聞き返す。

「狂信的で無私と言ったんですよ、僕は」

ロークは微笑む。自分が描いた図面に目を見やる。彼の肘が少し動き、その図面は彼の体にもっとピッタリ押しつけられる。ロークはヴァイデュラーに言う。

「人間がした行為の中でも最も利己的な行為を、あなたはご覧になったのですよ」

(第1部47 超訳おわり)

(訳者コメント)

顧客が自分の設計図どおりに建てることを条件に設計を引き受ける建築家というのは、大御所とかのスター建築家にはいるらしい。

ロークは駆け出しの建築家のくせに、自分の設計にこだわる。

建物の機能と効率と敷地条件を徹底的に考えつめたすえに製作した設計案をロークは提出した。

テキトーに玄関だけ変えておくというわけにはいかない。

テキトーに折衷すればいいものではない。

ほんの一部の変更が、ロークが構想した建物全部のバランスを壊してしまう。

それは、その建物の設計に全身全霊をかけた自分自身への冒涜でもある。

そういうわけで、最後の頼みの綱のマンハッタン銀行の仕事を、ロークは断ってしまう。

あれほどに頼みにしていた仕事だったのに。

ここで思い出す。

私の友人のご主人は建築家であるが、公共建築物の設計に関して、その方は友人に言ったそうである。

「僕ら建築家の設計どおりに作らせてくれれば、ものすごくいいビルになるのに。カッコいいビルになるのに。素人の役人がグジャグジャ言うんで、公共建築物は美的にダサいママだし、機能的でもない」と。

お役人さんは権威主義だから、世界的に有名なスター建築家の設計ならば何も注文はつけないらしい。

そのために、醜いとんでもなく使いづらいビルが税金で立ち上がるらしい。

スター建築家だからといって、いいビルが設計できるわけでもないらしい。

お高い買い物なのにねええ……建築物って……

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