話は少し前にさかのぼる。オースティン・ヘラー邸の完成が近づいてき10月のある日のことだった。その頃には、ヘラー邸のデザインの奇抜さを見物しようと、建設作業現場の脇の道路には野次馬が群れるようになっていた。
その野次馬の中から、ひとりの若い男がロークに近寄ってきた。作業着のオーバーオールを着た、痩せてひょろりとした男だった。その男が、ロークにおずおずと訊ねた。
「あんたが、この精神病院を建てた人ですか?」
「この屋敷のこと?そうだけど」
「悪い。すみません。ここらの人間が、そう呼んでるからさあ。うっかりそう言っちゃいました。すみません。俺が言い出したわけではないんですよ。あの、俺も建てなければならないんです。俺はガソリン・スタンドを建てるつもりなんだ。ここから10マイル離れたところに。郵便物輸送道路があるでしょう、あれをずっと行った先に。あの、俺あんたに話したいことがあるんです」
男はジミー・ゴウエンと名のった。彼は建設作業現場の隅に置いてあるベンチに腰掛け、話し始める。ひとおとおり話し終わって、ジミー・コウエンは、こう言った。
「で、なんで俺があんたのこと考えついたかというと、ロークさん、俺はあれが気に入ったんです。あんたの作っているあの面白い家。なんでかわからないけど、だけど俺は好きなんだ。あれ、あんたの建てている家は理にかなっていると思います。みんなが、あの家に呆れています。何て噂しているかも俺は知っています。だから、俺もいろいろ考えたんです。うん、まあ家には奇抜すぎるかも。でも、商売には向いているよ、あれは。かなり向いている。世間の連中には笑わせておけばいいです。だけど、噂させて宣伝させることはできるよな。だから、俺、あんたにああいうの建ててもらいたいと思うんです。頭がどうかしていると世間の奴らは思うだろうけれども、そんなこと気にしていられるかってんだ。俺にはどうでもいいんですよ、そんなことは」
ジミー・ゴウエンは15年間ロバのように働いてきた。自動車整備の仕事をしながら、こつこつと金を貯めてきた。周りの人間は、ジミーが念願のガソリン・スタンドの設計と建築を誰に依頼したのか聞かされたとき、随分と激しく反対した。ジミーは、いちいち説明も釈明もしなかった。
「多分そうかもしれない。うん、ご意見、ごもっともです」
ジミー・ゴウエンは、そう丁寧に答えるだけだった。と言いながら、ジミーは、さっさとロークに任せる手はずを整えていった。
12月も押し迫った頃に、ジミー・ゴウエンのガソリン・スタンドが完成した。それは、ボストン行き郵便物輸送道路のはずれに建設された。すぐに営業が開始された。
道路沿いの森の木々のあいだに、半円形のふたつの小さな建物がある。ガラスとコンクリートでできている。ひとつはシリンダーのような円柱形の建物で事務所だ。もうひとつが、ガソリン・スタンドにつきものダイナー[訳注:アメリカの大衆食堂]である。ダイナーのほうは、長くて低い楕円形の形をしている。このふたつの建物の間にガソリンの給油場がある。そこは円と円を繫ぐ中廊のようだ。そこに給油機が並んでいる。
そのふたつの円形の建物に鋭角的な線や直線はどこにもない。それらは、地面の少し上あたりに浮かんでいるように見える。地面に触れるかふれないかというあたりに浮かんでいるように見える。一陣の風が吹けばすぐにでも飛ばされてしまうかのように浮かぶシャボン玉の塊に見える。かつ、それは意気揚々としているようにも見える。その建物の効率の良さには、硬質の清々(すがすが)しい陽気さがあふれている。力強い飛行機のエンジンのような陽気さが。
このガソリン・スタンドがオープンした日に、ロークはそこにいた。そのガソリン・スタンドに併設されているダイナーのカウンターに腰掛け、清潔な白いマグ・カップでコーヒーを飲んでいた。そうしながら、ガソリン・スタンドの玄関に次から次へと止まる自動車を見つめていた。
夜も更けた。
やっとロークは自分が設計したダイナーから出た。他の車の走っていない長い道路へ自分の車を走らせながら、一度だけロークは振り返る。ガソリン・スタンドの明かりが、またたいている。その光もロークからどんどん流れ去っていく。そのガソリン・スタンドは、ふたつの道路が交差するところに立っている。だから、昼も夜も、多くの車が、そこを通過することになるだろう。こんな風変わりな半円状のガソリン・スタンドを立てる余地のないほどに建物が密集した大きな街から来る車もあれば、こんな奇抜な建物など考えられないような田舎町に帰っていく車もあるだろう。
ロークは、目の前に伸びるニューヨークへ向かう道路に視線を戻す。さっきから、ロークは自動車のバックミラーを見ないようにしている。バックミラーには、自分が設計したガソリン・スタンドの明かりがいくつもの丸い玉の形で映っている。バックミラーに映るジミー・ゴウエンのガソリン・スタンドの明かりは、ロークの背後に、どんどん引き離され小さくなっていく。それでも、そのいくつかの明かりは、まだやわらかに、キラキラ光っている。
(第1部35 超訳おわり)
(訳者 コメント)
このセクションは、訳していて非常に嬉しかった。
この小説は変な小説だ。
ついついロークの気持ちになってしまう。
ロークの非凡な才能を見抜くことができる登場人物が出現すると、我が事のように嬉しくなる。
自分のガソリン・スタンドが欲しくて、働いて働いて貯金して来た青年が、そのスタンドの設計をロークに直接に依頼する。
このヘラー邸を設計した人間ならば、ガソリン・スタンドと、それと併設の食堂を無駄な装飾を排し、動線も考えた効率のいい、コストも合理的な商業施設を設計できるに違いないと見抜いた無名の青年。
この小説には、こういうタイプの青年とロークの遭遇がいくつかエピソードとして描かれている。
勤勉で、やるべきことを無駄口叩かずやり続けることができるタイプの青年。虚栄心や見栄ではなく、適切に合理的な理由で決定し実行する青年。外見ではなく、本質を把握できる青年。
そのような青年の信頼に応えて、可能な限り青年の要望に沿ったガソリン・スタンドと食堂を設計し建築を指示したローク。
ロークにとっては2番目の顧客の完成したばかりの食堂付きガソリン・スタンドから立ち去り難く、食堂で長時間を過ごすローク。
ロークの幸福感と充実感が、読者の心にも溢れるように伝わる。
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