第1部(33) ガイ・フランコンは娘とキーティングの結婚を期待する

ガイ・フランコンは、娘ドミニクの書いた記事を読む。娘が、晩餐会やソーシャル・ワーカーの集会で口にした内容は噂で聞いた。そういうことは、いかにも娘がやらかしそうな事である。娘のことを考えると、いつも心配な困惑した気持ちになる。

私は、自分の娘を憎んでいるのだろうかと、フランコンは自分に問う。

しかし、この問いを自らにするときは常に、どういうわけか、ある場面が彼の心に浮かぶ。娘が子どもだった頃の思い出だ。コネティカットにある別荘での夏のできごとだ。どの年の夏かはわからない。その日に、そのほかに何が起きたかは全く記憶にない。しかし、あの瞬間のことだけは忘れられない。

そのとき、ガイ・フランコンはテラスにいた。彼は、偶然に目撃した。娘のドミニクが庭の芝生の終わったところに設けられた高い緑の生垣を越えて跳躍するのを。

その生垣は娘の小さな体には高過ぎた。飛び越えることなどできるはずがないと、ガイ・フランコンは思った。そう思ったその瞬間に娘が緑色のバリアを軽々と超えた。確かに、ガイ・フランコンはそれを目撃した。

その跳躍がどうやって始まりどう終わったのかおぼえていない。しかし、ガイ・フランコンははっきりと鮮やかに見た。映画から切り取られたような四角い場面の中の娘の姿を。その永遠に静止した瞬間の中の娘の跳躍の姿を。その瞬間、娘の体は空間に浮かんだ。娘の長い両脚は大きく広がった。細い両腕は上空に放り上げられたかのように伸びていた。手は空に向かってせいいっぱい張られていた。白いドレスと金髪の髪は風に翻っていた。

それは、最大に炸裂した陶酔的なまでの自由を満喫している最中(さなか)にある小さな身体の輝きだった。ガイ・フランコンは、それまで、そんな自由のありようを見たことがなかった。

あの瞬間がなぜこうもいつまでも心に残っているのか。あの出来事は何だったのだろうか。娘に苦々しい思いをするときはいつでも、あの瞬間に目に刻み込まれた場面が、なぜか心に浮かぶ。どうしてそうなるのか、ガイ・フランコンにはわからない。

その映像が心に浮かぶと、なぜ娘に対して耐え難いほどにうずくような優しい気持ちになるのか、その理由もわからない。自分の意志に反して、親としての娘への情があらためてわいてくるだけのことだと、ガイ・フランコンは自分に言う。ほんとうは、ガイ・フランコンは娘を救いたい。娘が何から救われねばならないのかわからないが。わかりたくもない気もするが。

ガイ・フランコンはピーター・キーティングを前よりも頻繁に観察し始めた。彼はピーター・キーティングという人物の中に慰めを見出していた。キーティングの単純な安定した健康さは、娘の不健康な気まぐれが必要とする支えそのものではないかと感じ始めていた。

キーティングはと言えば、ガイ・フランコンからドミニクの電話番号は聞きだしていた。だから、しばしばドミニクに電話していた。ドミニクは、その電話に出ると、陽気に笑い、もちろん会いましょうと答える。しかしこれから先の数週間は忙しいので来月の始め頃にまた電話をしていただけないかと言うのだった。

ガイ・フランコンは、キーティングにドミニクを昼食に誘ってくれないか、そしていっしょに僕と過ごさないかと、言った。

ドミニクは、父親とキーティングふたりと、レストランで会う。まるでこの日を楽しみにしていたかのようにドミニクは微笑む。彼女は陽気におしゃべりをし、キーティングは、なぜ自分が彼女を怖がっていたのだろうと思いつつホッとする。あらためて、キーティングはドミニクに魅せられる。30分が過ぎた頃、ドミニクはフランコンに言う。

「お父様、わざわざ私に会う時間を割いてくださって、ありがとうございます。今は特にお忙しいのに。とてもたくさんのお約束をかかえてらっしゃるでしょう」

フランコンの顔が、狼狽(ろうばい)の様を呈する。

「いけない、ドミニク、思い出したよ!しまった。すっかり忘れていた。今朝、アンドリュー・コルソンが電話してきたんだ。2時に会いたいと言っていたが、今は何時かね。アンドリュー・コルソンに会うのを断るわけにはいかない。どうかしていたなあ!今日は、もうこれで・・・ドミニク、なんで、僕に約束があったとわかった?」

「いいえ、そんなことまるで知りませんでしたわ。お気遣いは無用よ、お父様。キーティングさんとごいっしょに、私はおいしいお食事をいただきます。今日は何も予定が入っていませんから」

フランコンは、娘とキーティングを、ふたりきりにするために、まえもって言い訳を用意していた。それを娘が見抜いていたかどうかは、わからない。娘は父親をまっすぐ見つめている。この娘のまなざしは、いささか率直にすぎる。正直に言えば、フランコンはその場から立ち去ることができて嬉しかった。

ドミニクは、軽蔑以外には何も意味しないような優しいまなざしで、キーティングの方を振り返る。

「さあ、ゆっくりしましょう。私たちは、父が何を考えているかわかっています。そのことをお気になさることはありません。私は別に気にかけてはいませんから。この件は忘れてお食事にいたしましょう」

ドミニクの何でもお見通しといった態度は、キーティングの心に冷たく刺さる。席を立ち、さっさと立ち去りたい気がする。しかし、いかに忌々しくとも、キーティングにはそれはできない。彼は、このドミニクという娘を恐れている。しかし、この娘の魅力に抗えない自分を感じてもいる。

「嫌な顔をなさらないで、ピーター。ドミニクと呼んでくださっていいのよ。私たちは、遅かれ早かれ、そういうことになります。私は何度も何度も、あなたにお会いするでしょう。それは多くの方々にお会いしますから、私は。その方々のおひとりとして私があなたに会うことが父を喜ばせるならば、それはそれで結構なことですわ」

食事の間中、ドミニクは陽気に開けっぴろげに旧知の友人に対するように、キーティングに話しかける。人を不穏にさせるほどの公平無私な率直さで、ドミニクは話す。ドミニクの態度の洗練された親切な様子は、彼女とキーティングの関係が重要になる可能性などないと示唆している。敵意を持つにいたる関心すら彼女はキーティングに持てないということを示唆している。

キーティングは、ドミニクへの激しい嫌悪を自覚している。しかし、ドミニクの口の形、言葉を発するときのドミニクの唇の動きを、キーティングは見つめている。ドミニクが脚を交差させる様を見つめている。高価な楽器が折り曲げられるような、なめらかで正確なその動きを見つめている。初めてドミニクを見たとき経験した信じがたいような感嘆する思いから、キーティングはいまだに逃れられない。

キーティングは事務所に帰る。フランコンがすぐに彼を執務室に呼ぶ。

「さて?」と、フランコンは心配げに訊ねてくる。

「何なのですか。なぜ、そんなご心配をなさるのですか?」と、キーティングは無頓着な声で言う。

「まあ、僕としては・・・君たちがうまくやれるのかどうか見たいわけで。君は娘にいい影響があると思う。どうだった?」

「別に何も。楽しかったです。あのレストランもご存知のように、おいしいですしね、料理はほんとに・・・あ、そうだ、今晩、お嬢さんを劇場にご案内いたしますよ」

「まさか!」

「ほんとうですよ」

「どうやって、そこまでこぎつけた?」

「申し上げましたよね。ドミニクを怖がってはいけないって」

「僕は怖がっているわけではないが・・・ああ、もうドミニクって呼んでいるのかい?おめでとう、ピーター・・・怖いわけではないんだ。ただ娘のことが理解できない。誰も娘には近寄れない。娘にはひとりも女の友人でさえいない。幼稚園でさえできなかった。娘の周りにはいつも取り巻き連中はいたよ。しかし、友だちというのはいなかった。どう考えたらいいのかわからないんだ、僕には。まるでひとりぼっちで暮らしているんだ、娘は。男はいつも回りに群がっているが・・・もう娘は24歳だよ。娘はまだ処女だ。僕にはわかる。確実だ。僕は娘がまだ処女だというのは異常だと思う。あの年齢で不自然だ。あれだけの美人だし。誰からも制限されることがない生き方をしているんだし。なのに・・・僕は娘が結婚できるように神に祈っている。ほんとに祈っている・・・あ、誤解しないでくれたまえ。他意はないんだ。娘と結婚しないかと誘っているわけではないからね」

「もちろん、そんなこと思っていませんよ」

「ところで、ピーター、君が留守中に病院から電話があった。気の毒なルシアスだが、かなり良くなったらしい。何とか切り抜けたと医者は判断している」

ガイ・フランコンの共同経営者のルシアス・N・ハイヤーは、心臓発作を起こして入院していた。キーティングは、彼の病状の進展には大いに関心を示していた。しかし、ハイヤーの見舞には行ってない。

「それはよかったですねえ」とキーティングは淡々と応える。

「しかし、もう仕事には復帰できないと思う。年もとってきたしねえ・・・人間は、いずれ仕事できない年齢になるからねえ。遅かれ早かれ、それは誰にでも起きることだ・・・先のことは考えておかないとねえ・・・」

ガイ・フランコンは、それとなく「僕の次の共同経営者は君だよ」と示唆している。キーティングにも、それはわかっている。

(第1部33 超訳おわり)

(訳者コメント)

この小説におけるガイ・フランコンの人物造形は、ハッキリ言って曖昧だ。

ただの軽薄な俗物に描かれているかと思えば、娘のドミニクに対する姿勢には、ただの俗物を超える鋭敏さも持っている。

自分には理解しがたいが、何かに非常に清浄なものが、ドミニクの心の奥にあると察知している。

ドミニクは美しいが、その美貌で男たちにチヤホヤされることを楽しんでいるわけでは全くない。

ドミニクは母を早くに亡くした。資産家の母が遺した遺産はドミニクが相続したので、経済的にドミニクは自立しているので、ドミニクには父を頼む必要は全くない。すでに住居も別だ。

それでもガイ・フランコンは娘のことが心配だ。幼い頃より友だちがひとりもいないドミニクは、寂しいからという理由で、友人選びを妥協する類の人間ではない。そのような娘に対して、ガイ・フランコンは畏怖を感じている。

自分には理解できないが、人間としてのとてつもなく強固な芯が娘にあることを感じている。

ただの俗物ならば、娘に対してこういう姿勢はとらない。

それでも、娘の孤独な人生を予感すると、キーティングのような安定した単純に健康な世渡り上手な凡人が娘の人生の錨になってくれるのではないかと期待する。

娘がキーティングなど軽蔑こそすれ、愛することなど絶対にないとわかっているくせに。

 

 

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