第1部(31)ロークの最初の仕事は黙殺された

オースティン・ヘラーは何度も建設中の邸宅を見に来た。それが次第にできあがっていくさまを、しげしげと見つめた。ヘラーは、ロークと建設中の邸宅の両方を、細かなところも見逃さない探究心で吟味していた。

ヘラーは強制されるのが大嫌いな人間である。だからロークには困惑していた。ロークときたら、これもまた人から強制されることは全く受けつけない人間なので、ロークは他人にとっては一種の強制になるから。

ロークは、物事に抵抗する最終的根本原理みたいなものだ。ヘラーには、その原理が何か定義できなかったが。

1週間もしてから、ヘラーは自分が生涯最良の友人を見出したことを知る。

その友情は、ロークの根本的無関心さから生じているものだと、ヘラーにはわかる。ロークという人間のより深いところにある部分はヘラーを意識していない。ヘラーを必要ともしていない。ヘラーに訴えたいこともなければ、要求したいこともない。ヘラーは自分とロークの間に引かれた線を感じる。その線にヘラーは触れることができない。その線を越えて、ロークがヘラーに依頼することは何もない。ヘラーからの是認などロークは必要としていない。

しかし、ロークがヘラーを評価してヘラーを見るとき、ロークが微笑むとき、ロークがヘラーの書いた記事を褒めるとき、ヘラーは喜びを感じた。賄賂(わいろ)でも施しでもないほんとうの是認を受けたという奇妙に清潔な喜びを感じた。

夏の宵のことだった。ロークとヘラーは丘の中腹にある岩棚に腰をかけていた。夜の闇が彼らの頭上の建築中の邸宅の梁にゆっくりと昇っていく。その日の最後の陽の光が鋼鉄の直立材の先端へ退去していく。

「ハワード、君が建てている家のどこを、私が気に入っていると思う?」

「ひとつの家はひとつの全体性(インテグリティ)を持つことができます。ひとりの人間のように。それはめったにないことですが」

「その全体性というものは具体的にどう実現されるんだ?」

「この家をご覧ください。家を成立させるそれぞれの部分というものがあります。それぞれの構成要素ですね。この家がそれらの各部分を必要としているからです。他にその理由はありません。あなたがいずれ住むことになる数々の部屋が、あなたの家の形を作ります。各部分間の関係は、内部の空間の配置によって決定されます。装飾は建築方法によって決定されます。その建物が立つことを可能にする原則を強調することによって決定されます。すると、その建築方法に適合するそれぞれの力点や、それぞれの土台や支柱がわかってきます」

ロークにしては珍しく饒舌だ。

「この家をごらんになれば、構造のプロセスというものをご自身の眼で経験することができます。構造のプロセスの各段階を一歩一歩進むことができます。それが立ち上がっていくさまを見ることができます。何がその立ち上がりを可能にし、なぜそれが立ち上がることができるのか、見ることができます。今まで、あなたは何も支えていない円柱を持つ建物をごらんになったことがおありになるでしょう。目的のないコーニスとか、柱の一部を張り出しにしたピラスターとか、壁の上に長く張った蛇腹とか、偽のアーチとか偽の窓とかのついた建築物です。そのような建築物と、このあなたの家との違いがおわかりになるでしょうか?あなたの家は、それ自身の必要から建てられています。ほかの家は、外部に印象づけたいという要求から建てられています。あなたの家の決定的動機は、この家の中にあります。ほかの家の動機は、その家を見る見物人の中にあるわけです」

「それこそ、私が感じていたことだ。つまり、私は新しい種類の存在を所有することになるわけだ。私の単純な日々の決まりきった日々は、ある種の正直さとか威厳というものを持つことになるだろう。私は、このような家に恥じない行動をしなければならないから。この家にふさわしい生き方を僕はしたい」

「そう感じてくださって嬉しいです。家と、そこに住む人間がひとつの全体性を形成するわけです。それこそ僕の意図するところです」

「それから、僕は君の配慮すべてに感謝するよ。私は一言も君に言っていないし、私自身が自覚していないのに、君は、まるで私の心の奥の望みを知っているかのように設計した。たとえば、私の書斎だ。書斎は私がもっとも必要とする部屋だ。君は私の書斎に、どの部屋よりも特権的場所を与えた。それから、書斎を家の外側から見ても支配的な部分に置くように君は設計した。書斎と図書室の便利な連結もありがたい。そのほかに、居間を私の動線からうまく離して置いてくれたこと。客の声など私が耳にすることがないような場所に客室を配置してくれたこと。これらすべての配慮に感謝している。君は私のことを非常に考えてくれている」

「あなたならお分かりだと思うのですが、僕はあなたのことを考えたわけではないのです。僕はこの家のことを考えたのです。多分、だからこそ、僕はあなたへの配慮の仕方を知っていたのでしょう」

オースティン・ヘラー邸は1926年11月に完成した。

1927年の1月に『建築学トリヴューン』誌は前年中に建てられた最上のアメリカの家の調査結果を特集した。編集者が、もっとも価値ある建築学的達成として選んだ24 の邸宅の写真ページは12頁もあった。ヘラー邸については何も述べられていなかった。

毎週日曜日には、ニューヨークの新聞の不動産欄は、ニューヨークと近辺の注目すべき新築の邸宅の寸評を載せるのが常だ。しかし、ヘラー邸に関する評が掲載されることはなかった。

アメリカ建築家協会の年鑑は、「未来を考える」と題して、アメリカで最高の質の建築物として協会が選んだものの素晴らしい複製を発表する。しかし、ヘラー邸については無視していた。

講演会が催され、アメリカの建築学の進歩という題目で、きちんとした聴衆に意見が開陳される機会は多々あった。しかし、誰もヘラー邸について語らなかった。

オースティン・ヘラーのような有名人の邸宅についての扱いとしては異例なほどの冷遇だった。

しかし、オースティン・ヘラー邸は近辺の地域では名声を獲得していた。人々は自動車でやってきては、邸宅の前の道路に駐車した。邸宅を指さしてクスクス笑った。ヘラー邸は、近隣からは「精神病院」と呼ばれていた。

エルスワース・M・トゥーイーは、この国で起きたことに関して、彼がコラムにおいて評しないことなどなかったのだが、ヘラー邸については何も言及しなかった。建てられたことさえ知らなかったようだった。もしくは、その件については読者に知らせる必要も感じなかったようだった。エルスワース・M・トゥーイーは、ヘラー邸を黙殺した。

しかし、それは「雄弁な黙殺」であった。トゥーイーは、ヘラー邸の設計の斬新な非凡さを、ほとんど誰よりも見抜いていた。そのような邸宅を設計したロークの建築家としての非凡さも、誰よりもわかっていた。だからこそ、トゥーイーは黙殺した。

(第1部31 超訳おわり)

(訳者コメント)

このセクションでは、ロークとヘラーの会話が重要だ。

ロークは、ヘラーの知的生活が最も快適に遂行できることを考えて、各部屋を配置した。

ヘラーの人格と人生がもっとも充実して花開くような家を設計した。

他人からどう見えるかではなく、住む人間の必要性と快適性と利便性を考えて設計した。

それが、世間からすると「精神病院」に見えても、オースティン・ヘラーという人間にとっては最高の住居なのだ。

おそらく、ロークが設計したヘラー邸は、無駄で過剰な装飾を排し、限りなく機能的なものであり、だからこその機能美を持つものであろう。

ヘラー邸は、おそらくヘラーの知的生活の完遂を守る要塞であろう。

巨大な戦車に見える要塞であろう。

だから頑丈な刑務所とか収容所に見えるのかもしれない。

ヘラーは実際にロークの設計による家に住み、その快適さに驚くことになる。

ロークの設計による住居の真価は、その住人にしかわからないのだ。

見せびらかすための家をロークは設計しない。

住人の人生と哲学に適合した家をロークは設計する。

だからこそ、ロークが設計した家に住む人間は、自分の中の最良の自分自身、自分の哲学をいつも意識し、思い出すことになる。

家が住人を育てるということもあるに違いない。

ロークの設計する家は、住人を甘やかさない。

このような家にふさわしい人生を創ろうと住人をして思わせる家をロークは創る。

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