第1部(18)ロークはキーティングにスカウトされる

アメリカ建築家協会の会報の雑報欄にヘンリー・キャメロンの引退を知らせる短い記事が載った。その記事は、たった6行でキャメロンの業績をまとめていた。彼の最高傑作のうちふたつの建物のつづりを間違えていた。

ピーター・キーティングはフランコンの部屋に入った。だからポンパドール夫人所有のものだったかぎタバコ入れについて、フランコンが骨董屋とあれこれ、あくまでも行儀良く上品に値引き交渉しているのを中断させることになった。骨董屋が帰ったあと、フランコンは不機嫌にキーティングの方に向き直って、訊ねる。

「やれやれ、何だよ、ピーター。何なんだ?」

キーティングは、フランコンの机の上に、会報を投げるように置く。キャメロンに関する記述の部分に親指を置き、強調する。

「あの男を、ここに入れないと」とキーティングは言う。

「どの男だって?」

「ハワード・ロークです」

「いったい何だ、そのハワード・ロークというのは誰だ?」

「彼についてはお話したことがあります。キャメロンの事務所の製図係です」

「ああ、そうか。君がそう思うならそれでいい。行って連れてこいよ」

「彼の採用の仕方については僕に好きにさせていただきたいのですが」

「何だというのだ、いったい。もうひとり製図係を雇うのに何が問題だ?」

「彼は難しいです。別の事務所に決まる前に、彼をつかまえたいんです」

「へええ・・・キャメロンのところからここに来るようにと、君はそいつに懇願するつもりなのか?」

「お願いですよ、ガイ、駄目ですか?」

「まあねえ・・・美学的なことでなく、構造的なことを言えば、キャメロンは、徹底した基礎をたたきこむ。それに・・・もちろん、キャメロンは、一時期は非常に重要だった。かなり昔、僕は彼の事務所の最高の製図係のひとりだったからね。まあ、好きにしたまえ。ロークというのが必要だと君が思うなら、連れてくればいい」

「僕は彼を必要としているわけではないです。ただ、彼は僕の古い友だちですし、失業したから。彼のために何かできればいいなと思いまして」

「なるほど、君の好きなように何でもするがいいさ」

その晩、キーティングは、前もって知らせもせずに、ロークの部屋に向かう階段を昇って行った。

少し怯(おび)えながらドアをノックした。元気を装って中に入って行った。ロークはタバコを吸いながら、窓の下枠に腰掛けている。

「近くまできたから寄っただけなんだ。そういえば、ここらあたりに君が住んでいたなと、ふと思ったものだからさ、ハワード。随分と長く、君と会わなかったよな」と、キーティングは言う。

「君の用事はわかっているよ。いいよ、いくら?」と、ロークは言う。

「週給65ドル」と、キーティングは、うっかり言ってしまう。

この展開は、キーティングが用意していた手の込んだ申し入れとは違う。どんな手にしろ、そんな申し入れなど不必要だとは、キーティングには予想できていなかった。

「最初は、週65ドルだけど、もしそれで足りないなら、僕が何とでも・・・」

「65ドルでいいよ」

「君・・・君、うちの事務所に来てもいいのかい、ハワード?」

「いつから出勤すればいい?」

「ええと・・・できるだけ早く!月曜日からはどう?」

「いいよ」

「ありがとう、ハワード」

「ひとつ条件がある。僕は設計しない。何にせよ設計はしない。細部描写もしない。ルイ15世様式高層建築はやらない。もし、君が僕を置いておきたいならば、美学的なものからは僕は除外しておいて欲しい。工学部門に僕を入れてくれよ。工事現場の点検とかに使って欲しい。それでも君は僕を君の事務所に置くかい?」

「いいさ。君の好きなように。君は、うちの事務所を気に入るよ。フランコンも好きになるさ。彼自身だってキャメロンのところで昔は働いていたんだ」

「フランコンは、それを自慢すべきじゃない。キャメロンの不名誉になる」

「そんな・・・」

「いいんだ。気にしないで。面とむかって、こんなことフランコンには言わない。誰に対しても、どんなことも僕は言わない。君が知りたかったのはそういうことだろ?」

「いや、そんな、僕は気にしていないよ。そんなこと考えたことさえなかった」

「ならば、話は終わった。おやすみ。月曜日に会おう」

「そうだね、うん・・・だけど、特に急いでるわけではないんだ、僕は。ほんとに、君に会いに来たんだし、それに・・・」

「どうしたんだい、ピーター?何か厄介なことでもあるのかい?」

「いや・・・僕は・・・」

「なぜ、僕がそんなふうにするつもりなのか知りたいかい?知りたいならば話すよ。次に働くのは、僕はどこでも構わない。この街には、僕がそこで働きたいと思うような建築家はいない。でも、どこかでは働かなければならない。君のところのフランコンでもいいんだ。僕が望む条件を認めてもらえるならばね。僕は自分を売る。そういう具合にゲームしてみる。当座のあいだはね」

「実際は、そんなふうに働く必要はないじゃないか、ローク。慣れてしまえば、うちの事務所ならば、君ができる仕事に限界がなくなる。君も、さすがにやっぱり違うなとわかるよ。ほんとうの建築設計事務所っていうのは、どういうものかわかるよ。キャメロンとこみたいにしょぼくれた事務所の後なら・・・」

「そんなこと言うことない、ピーター」

「僕は悪口言うつもりはなかったんだ・・・」

「ハワード、外に出ようよ。一杯飲もうよ。この件を祝してさ」

「ごめん、ピーター。それは、僕の仕事じゃないから」

キーティングは、彼の能力の限界まで、注意力と如才なさを行使するつもりでロークの部屋に来た。ところが、うまく達成できると思っていなかった目的が、簡単に達成できてしまった。 キーティングは、もう何も言わずに帰るべきだとわかっていた。なのに、名状しがたい何かが、いっさいの実際的な考慮を超えてキーティングをつき動かした。彼は、不注意にも言ってしまった。

「君は、一度でも人間的にはなれないのか?」

「何だって?」

「人間的だよ。単純で自然な」

「だって、僕はそうだけど」

「リラックスできないのか、君は?」

ロークは微笑む。なぜならば、彼は窓の下枠に腰掛け、壁にのんびりともたれ、長い両脚をだらりとぶらさげながら、タバコを指のあいだで気楽に持っていたから。

「なんで、君は僕と外に出て飲むこともできない?」と、キーティングは言う。

「何のために?」

「君は、いつも目的がなければいけないのかい?君は、いつもいつも、そんなに馬鹿馬鹿しいほどに真剣でなければならないのかい?理屈抜きで何かするってことが君にはできないのか?君は、やたら真剣で老成している。あらゆることが、君には重要なことなんだ。あらゆることが、なんでだか偉大なことであり意義あることなんだ。いつでも、君がじっと動かない時でさえだ。君は、心地よく気楽に・・・つまり、ささいでつまらないけれども気楽にしていられないのか?」

「していられない」

「英雄的でいるのって疲れないか?」

「僕のどこが英雄的なんだよ?」

「そんなところは全くないんだよ。だけど、すべてそうなんだよ。君が回りの人間に感じさせることが、そうなんだ」

「何だって?」

「正常じゃない・・・力(りき)んでいる。君といると・・・いつだって、何かを選択しているみたいになる。つまり、君を選ぶか、その他の世界中の人々を選ぶか、どちらにするのかというような。僕はその種の選択などしたくない。僕はアウトサイダーでいたくはない。僕はちゃんと帰属していたい。単純で楽しいことが世の中にはいっぱいある。いつもいつも闘っているとか、諦めるとかなんて、僕はいやだ」

「僕が何を諦めたって?」

「ああ、そうか、君は何につけても諦めないんだろうな。君は自分が欲しいもののためならば、死体を踏みつけてでも進むからな」

「どちらかを選択しなければ。両方を望むことはできないよ」

「両方って、なんの両方?」

「ピーター、僕は自分に関することをこれっぽちも君に話したことはない。僕は君に、僕か僕以外のあらゆるものか、どちらかを選べなんて頼んだことなどない。なのに君は、そのような選択に関与しなければならないと感じている。それはなぜだい?君がそう感じるとき、君はなぜ不快になる?君は僕がまちがっていると確信しているのだろう。ならば、君が不快になることはない」

「僕は・・・僕にはわからない。君が何を言っているのか、僕にはわからない」

それから、キーティングは唐突にロークに訊ねる。

「ハワード、なんで君は僕を憎む?」

「憎んでなんかいないよ」

「そうか、そうだな!じゃあ、少なくとも、なぜ君は僕を憎まない?」

「なぜ、僕がそうしなければいけない?」

「ただ、僕に何かを与えるためにだ。君が僕を好きになれないことは、僕だってわかっている。君は誰をも好きになれないんだ。だから、せめて憎むことによって、人の存在を認めるほうが親切というものじゃないか」

「ピーター、僕は親切じゃないから」

もうキーティングには、言うことが他に見つからない。ロークは、つけ加えるように言う。

「帰れよ、ピーター。君が必要としたものは得ただろう。あとのことは、もういいよ。じゃあ、月曜日に」

(第1部18 超訳おわり)

(訳者コメント)

久しぶりに超訳作業を開始しました。

私も65歳になったので、いつ死んでもおかしくはないわけです。

親族のDNA的に言うと、私の家系はそんなに長寿ではありません。

やっぱり、できるだけのことをやらないと、死ぬときに後悔すると思います。

ということで、キャメロンが事務所を閉ざしたので、ロークは失業しました。

キーティングは、ロークのことが苦手で嫌いであり、憎んでさえいるはずなのに、ロークを自分が働いている事務所で雇おうとします。

無駄なプライドとか虚勢に縁のないロークは、あっさりとキーティングのリクルートに乗ります。

あまりのアッサリ加減に、キーティングはまごつきます。

ロークは失業したのだから、またどこかで働かなければならない。

キャメロン以外の建築家など問題にしていないロークにとっては、どこで働こうと大差ない。

雇ってくれる建築設計事務所があれば、そこで働くだけのことです。

キーティングには、そこのところがわからない。

つきあいは短くないはずなのに、そこのところがまだわかっていない。

キーティングは恩に着せて、ロークに対して優越感を感じたかったのに、あわよくばロークと仲良くなりたかったのに、ロークはキーティングにやはり関心がない。

ロークはキーティングに大いに感謝するわけでもない。

こんな奴なんぞ放置で無視でいいのに、キーティングはついついロークが気になる。

この小説には、どこかゲイのラブ・ストーリー風味があるのは、このような点であります。

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