第1部(16) 順風満帆キーティング

その年は、ピーター・キーティングがフランコン&ハイヤー設計事務所に来てから3年目にあたっていた。

キーティングは頭を高くあげている。姿勢を良く見せるために、ちゃんと研究してきた。だから、キーティングのからだはまっすぐだ。彼の姿ときたら、高級ひげそり用かみそりや中クラスの自動車の広告に登場するような若き成功者といった具合だ。

キーティングは衣服には金をかける。またそれに人々が注目するように留意していた。マンハッタンの富裕層に人気があるパーク・アヴェニューから少し奥に入ったところに、つつましいながら洒落た部屋も買った。

キーティングは、読んだこともなければ開いたことさえない古典の初版本を買った。評価の高いエッチングを3枚も買った。ときおり、メトロポリタンのオペラ座に顧客を案内し付き添った。

一度だけだが、仮装舞踏会にも出た。深紅のベルベットにタイツ着用といういでたちの、中世の石工の衣装で現れて会場をわかせたこともある

そのことが、新聞の社交欄に載った。初めてピーター・キーティングの名が活字にされたのだ。だから、彼はその記事の切り抜きをちゃんと保存してある。

キーティングは、その頃には、自分が最初に手がけた建物のことをすっかり忘れていた。当時、いだいていた恐怖や自分の能力に対する疑念も忘れてしまった。建築など単純なことだと学習した。

顧客は何でも受け入れる。堂々とした外観に、豪華な玄関、訪問客がびっくりするような壮麗な応接間をあてがいさえすれば。

そうすれば、誰の満足も得られる。キーティングは、顧客が感心すれば、それでいい。顧客は訪問客が感心すればそれでいい。そして、訪問客はどのみち、他人の邸宅などどちらでもいいのだ

母親のキーティング夫人は、スタントンの自宅を賃貸に出し、息子と住むためにニューヨークに来ていた。

キーティングは、母親に来て欲しくなかったが、来るなとは言えなかった。彼女は母親なのだし、断ることは期待されていなかったから。彼は、いかにも嬉しいといった風情で母親を出迎えた。少なくとも、自分の出世で母親を喜ばせることはできたのだ。

しかし母親の方は喜んでいなかった。息子の部屋や衣服や預金通帳を検査して、こう言っただけだった。「ピーター、これでもいいでしょう・・・当分の間はね」と。

母親は、一度、息子の勤務する事務所に来て挨拶して、30分たらずで帰って行った。

その晩、母親が自分に助言しているあいだ、キーティングは、1時間半も、じっと座っていなければならなかった。

「ピーター、あの人、ウイザーズって人ね、あなたよりもうんと上等のスーツを着ていたわ。それでは駄目よ。あの人たちの前では、自分の威信ってものに、ちゃんと気を配ってないとね」

「あの青写真持ってきた、小柄な人いたでしょ・・・私は、あの人のあなたへの物の言い方が嫌だったわね・・・」

「ええと、それと、まあ何でもないことだけど、何でもないことではあるのだけど、ただあの人は気になったわねえ・・・長い鼻をしたあの人は、あなたのお友たちにはふさわしくないわね・・・気にしないで、ただ少しね・・・」

「ベネットって呼ばれていた人、あの人には気をつけなさいな。私があなただったら、あの人は片付けるわねえ。あの人は野心がある。私にはわかるのよ、そういうことは・・・」

それから、母親は訊ねる。

「ガイ・フランコンって・・・お子さんはいるの?」

「娘がひとり」

「あら・・・どんな人?」と母親が聞く。

「会ったことないよ」

「あのねえ、ピーター、そういう態度はフランコンさんに大変失礼にあたるのよ。御家族に会いたがらないというのは」と母親が言う。

「母さん、娘っていうのは、大学生でニューヨークにいないんだ。いずれ会うことになるさ。もう遅いからさあ。明日は仕事がいっぱいあるからさあ・・・」

しかし、キーティングは、その晩も次の日も、フランコンの娘の件については考えていた。以前から考えていた。

フランコンの娘はとっくに大学は卒業していた。大手新聞社『バナー』で働いていることも、彼は知っていた。その娘は、家庭欄の小さなコラムを担当している。彼女については、それ以外のことは知ることができなかった。事務所の誰も、彼女を知らないようだった。フランコンも、娘のことについては、決して話題に出さなかった。

翌日、昼食時に、キーティングはその話題にふれてみることにした。

「所長のお嬢さんについて、いいお話を耳にしましたよ」と彼はフランコンに言う。

「うちの娘についていい話なんて、どこで聞いた?」フランコンは、不吉そうに訊ねる。

「お嬢さんは素晴らしい文才の持ち主とかで」

「ああ、素晴らしい文才ね」とフランコンはとりつくしまもない。それ以上はしゃべろうとしない。

「いや、所長、お嬢さんにお会いしたものですね」

フランコンは、キーティングを見て、疲れたようにため息をつく。そして、こう言う。

「娘は僕とは同居していないのでね。そこの住所さえ、僕はよく知らない・・・まあ、君もいつか娘には会うだろう。ピーター、君は娘に好感は持たんよ」

「なぜ、そんなふうにおっしゃるのですか?」

「別によくある言い方だろう、ピーター。父親としては、僕は大失敗したのではないかと思うね・・・さて、ピーター、マナリング夫人は、新しい階段の配置について、どう言っておられたかね?」

キーティングは、怒りを感じる。がっかりもする。そして同時にホッとする。フランコンのずんぐりしたからだつきを見ながら、こういう具合にあからさまに父親の不興を買うことになるような、どんな容姿を娘は父から受け継いでしまったのかと思う。金持ちで、かつ犯罪的に醜いのだな、きっと。金持ちってのは、だいたいそうなるなと、キーティングは勝手にひとり決めする。

だからといって、そんなことで僕をとめることはできないぞ・・・いつかは、いずれは・・・

キーティングは、その日は、ともかく延期されたということだけで嬉しかった。今夜は、キャサリンに会いにいこう。キーティングは、新たに気持ちをわくわくさせた。

母親のキーティング夫人は、スタントンでキャサリンに会ったことがある。ピーターが彼女のことなど忘れたらいいのにと、母親の方は思っていた。

しかし、ニューヨークに来て、息子がその娘のことを忘れていないことを知った。

キーティング夫人は、キャサリンについて、名前で語ることはなかった。ただ、若い優秀な青年を誘惑する貧しい娘のことや、せっかくの出世街道にいたのに、ふさわしくない女と結婚したために駄目になってしまう、かつては将来を嘱望(しょくぼう)されていた青年のことなどについて、ペラペラしゃべるのだった。

出世してそれなりの地位を獲得した有名人の夫にふわしくなれなかったので離婚された糟糠(そうこう)の妻についての記事を新聞で見つけては、読んできかすのだった。

第1部(16) おわり

(訳者コメント)

この超訳作業は毎日するつもりなのに、さぼってしまう日もある。

体調が悪いからという理由もあるけれども、キーティングとかトゥーイーとかが出てくるセクションは、やる気が出ないのだ。

たかが物語のフィクションの登場人物でしかないのに、実在の人物みたいに、うんざりしているのだ。

読者にそう思わせる作家の筆力って、すごい。

私は、キーティングの母親は、ある意味で面白いと思う。

息子よりは賢いけれども、息子と同じくらいに俗物で、息子の人生をいつまでもコントロールしたがる。

アイン・ランドは、ユダヤ系なので、この種の母親を描かせると上手い。

「ユダヤ人の母」というのは、なかなかに気丈で厄介らしい。

 

 

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