第1部(12) ロークが設計したキーティングの初仕事

初めての設計仕事を前にして、キーティングはティム・デイヴィスのことを思い、ステンゲルのことを思う。

同じことを望み、そのために苦闘し、試みてついには負けた人々のことを思う。それもキーティングに負かされた人々のことを思う。それは勝利感だった。僕はすごいんだから・・・

何も描かれていない一枚の用紙を見下ろしながら、そのとき、キーティングは突然に気がつく。自分がガラス窓に囲まれた仕事場にいることに。

独りぼっちだった。何かが彼の咽(のど)のなかを転がり胃の中に落ちていく。冷たくて空虚なものが。かつて頻繁(ひんぱん)に感じていたあの感覚だ。穴に落ちるような感覚だ。

目を閉じ製図台にうつぶせになる。これがほんとうに自分に期待されていることだ。1枚の紙を満たすこと。1枚の紙の上に何かを創造すること。こうしたことは、それまでの彼にとって、実は全くリアルなものではなかった。自分が責任者として、カネが支払われる仕事としての設計をすることは、これが初めてであった。

単なる小さな住居じゃないか。

しかし、彼の目前で、その家の図が立ち上がるかわりに沈んで行く。それが沈んでいく地面の穴の形が見える。それは彼の心の内部の穴だ。空虚な穴だ。デイヴィスとステンゲルだけが、その穴の中で無駄にガタガタ音をたてている。

フランコンが建築物についてこう言っていたっけ。

「威厳をもたねばならないよ。わかるね、威厳・・・奇形的なところが一切なくね・・・優雅な構造ね・・・で、予算内におさまるように」と。

これだけが、フランコンが設計者に与え、設計者に実行させる考えだ。

冷え冷えとした呆然自失の状態の中で、キーティングは顧客が彼を嘲笑(ちょうしょう)する状態を心に浮かべる。キーティングは、地上の表面を覆う石のひとつひとつを憎む。建築家になることを選んだ自分自身を憎む。

製図を描き始めたとき、彼は自分がしている仕事については考えないようにしようとした。フランコンもこうしてきた。ステンゲルもやってきた。ハイヤーでさえやってきたではないか。ほかの連中もやってきたことなのだから、彼らにできることならば自分にもできるだろう。キーティングは、それだけを思うことにする。

キーティングは、予備的な完成予想図の段階に、すでに多くの日を費やしてしまっている。フランコン&ハイヤー設計事務所の資料室で、古典建築の写真をめくり、担当している屋敷の外観に適したものはないかと物色しながら、長時間をすごしてきた。

心のなかで緊張が溶けて行くのを感じる。これで正しいんだ。これで良いのだ。自分の手のもとでできあがりつつあるこの家は、これでいいのだ。世間の人々は、僕より前にこういうことをした巨匠たちを依然としてあがめ奉っているのだから、これで問題ないだろう。いぶかしんだり、恐れたり、いちかばちか賭けてみることなどする必要はない。彼にとって、物事はいつも、何かの誰かの真似することで、片がついてきたのだから。

何枚かの図面が用意できたとき、キーティングは不安げにそれらを眺める。この設計図が世界で最高のものか、もしくは最も醜いものかと問われたら、どちらとも言える気がする。キーティングには確信が持てない。

しかし、確信を持たねばならなかった。スタントン工科大学のことを思い出す。あの頃、宿題をしているときに頼っていたものを思い出す。だから、ヘンリー・キャメロンの事務所に電話した。ハワード・ロークを呼び出してもらった。

その晩、キーティングは、ロークの部屋に来た。彼の前に、自分が初めて建てることになる建築物の平面図や立面図や透視図を広げる。ロークは、両腕を広げてテーブルの両端に手をかけ、その何枚かの図面をからだで蓋(おお)うように立って図面を見つめている。

ロークは、長いあいだ何も言わなかった。

キーティングは不安な気持ちをかかえて待っている。不安とともに怒りがふくれあがるのを感じる。なぜ、それほど自分が不安になるのか理由がわからないからである。もはや我慢できなくなり、キーティングは言う。

「ハワード、みんなが、ステンゲルがニューヨークで一番の設計家だって言っている。彼はうちの事務所を辞めるつもりはまだなかったと思うよ。だけど、僕がそうさせた。僕は彼の地位を取ってやった。そうするのに、かなり念には念をいれた計画が必要だったけどね・・・」

キーティングは話すのをやめる。自分の言葉が、賢くも誇り高くも聞こえなかったからだ。どこか他のところで響いているかのようだった。まるで恵みを乞うているかのように聞こえた。

ロークは、振り返ってキーティングを見る。ロークの目に軽蔑のようなものは浮かんでいない。ただ、いつもより少しだけ目が拡げられている。注意深く、不思議がっているような目だ。ロークは、何も言わずに、製図の方にまた目を向ける。

キーティングは、自分が裸であるかのように感じる。デイヴィスもステンゲルもフランコンも、ここでは何も意味しない。キーティングにとって他人とは、別の他人に対抗する自分の防壁である。人と闘うのに人の助けがいる。しかし、ロークには、そういう「人」という感じがしない。他人というのは、キーティングに彼自身には値うちがあるという感覚を与えてくれる。ロークは、何も彼に与えない。

製図をつかんで、すぐここから走り出て行くべきだと、キーティングは感じる。

危険なのはロークではない。危険なのは、自分、このキーティングがここにまだいるということだ。

ロークが、キーティングに向き直る。

「ピーター、この種の仕事をしていて、君は楽しいのか?」とロークは問う。

「ああ、そりゃわかっているよ。」キーティングは、かん高い声を出して言う。

「君がこれを認める気がないのはわかっいる。だけど、これは商売だからさ。僕は、君がこれについて実用的にどう思うかを聞きたいのであって、建築の哲学の話を聞きたいんじゃないんだ、それから・・・」

「違うんだ。僕は君に説教する気はない。ただ不思議なだけだよ」

「もし助けてくれるならさ、ハワード、ちょっと、力を貸してくれればさ、それでいいんだ。僕が担当する初めての建築だ。職場での僕の立場にとっては、これは大きな意味があるんだ。わからないんだよ、僕には。どう思う?ハワード、助けてくれよ」

「いいよ」

縦溝彫りのピラスターと呼ばれる壁の一部を張り出した柱や、変則的なペディメントや窓におおいかぶさっているローマ時代の彫刻風の顔や、玄関口にローマ帝国風の双頭の鷹がついている豪勢な邸宅外観を描いた図面を、ロークはわきに退ける。

(http://gigaplus.makeshop.jp/mihasishop/site_data/cabinet/category/item-header-golden_08.jpg)

(http://gigaplus.makeshop.jp/mihasishop/site_data/cabinet/category/item-header-golden_17.jpg)

ロークはキーティングの描いた立面図を取り上げて、1枚のトレーシング・ペイパーを取り、その図の上に置き描き始める。キーティングは、ロークの手のなかの鉛筆を見つめながら立ちつくしている。

自分が描いた堂々とした玄関の広間が消える。ねじれた回廊も消える。明かりのない一角はことごとく消される。自分としてはあまりに制限があって狭いと思っていた空間に、とてつもなく広い居間ができあがりつつあるのを、キーティングは目撃する。庭に面して壁のような巨大な窓ができている。広々とした台所もできている。

キーティングは、長いあいだ、それを見つめていた。

「それで外観はどうするの?」ロークが鉛筆を置いたとき、キーティングは訊ねる。

「それに関しては手伝えないよ。君がそれは古典様式でなければならないと思うなら、いい古典様式にしてみたら。ひとつですむところに3つもピラスターはいらない。ドアから家鴨(あひる)の飾り物も取れよ。ゴテゴテしすぎる」

キーティングは、脇の下に何枚かの図面をかかえながらロークの部屋から退室する。そのとき、ロークに向かって感謝でいっぱいの気持ちをあらわし、微笑む。

しかし、実際のところは、キーティングは傷つき怒り階段を降りて行った。

ロークが描いた図面から新しい正面図を作成するのに、キーティングは3日間もかかった。新しい、もっと簡素な立面図を描くのにも3日間もかかった。

キーティングは、フランコンに自分が初めて担当した建築物の設計図を披露した。見せびらかしに見えるように、自慢げにふるまいながら。

「さてさて」と、フランコンは図面を検討しながら言う。

「これは驚いたね!・・・ピーター、君はなんて素晴らしい想像力の持ち主なんだ・・・不思議だ・・・少し大胆だね・・・しかし不思議だ・・・」

フランコンは咳払いをして、こうつけ加える。

「これは、僕が心に描いていたものだ。まさにそのとおりのものだよ」と。

キーティングは、それに対して答える。

「もちろんです。僕は、所長の設計なさったものを勉強しましたから。所長が、どうなさるだろうかと考えましたから、僕は。僕の案ができが悪くないとしたら、それは僕が所長のお考えのつかみ方を知っているからだと思います」

フランコンは微笑む。

それで、突然にキーティングは了解した。キーティングの言ったことなど、フランコンは全く信じていないのだと。そしてキーティングも、フランコンのそんな言葉を信じていないこともフランコンはわかっている。フランコンは承知している。共通の方法と共通の罪によって、ふたりはより固く結ばれ、そのことでふたりとも満足しているということを。

 

 

第1部(12) ロークが設計したキーティングの初仕事” への2件のフィードバック

追加

  1. ちゃんと、一から勉強してれば…あるいは他の人の知見を借りれば…こんな事にならないのにと思いますが…ロークが助けてくれるんですね。
    キーティング、営業とかになれば良いのに。
    ロークを下にして。

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